164 嵐の前の静けさ

 晩ご飯のあとは風呂に入って寝るだけ。

 ――というのはこれまでの話で、今日は作業が残っていた。


「まさか寝具の調達を忘れているとはな」


「増田先生も風斗と同じで抜けているところがあるっすね!」


 俺たちは近くの家から寝具を持ち出していた。

 学校にある寝具の数が全く足りていなかったからだ。

 不足分は各自で調達することになった。


「本当は覚えていてわざと……という可能性もありますよ」


 美咲がセミダブルサイズの三つ折りマットレスを運ぶ。

 体が小さいため前が見えにくくて大変そうだ。


「わざと? どうしてだ?」


「シャワー室での混雑を避けるためにです」


「なるほど」


 学校には浴場が存在しない。

 そのため校舎で体を洗うならシャワー室を使うことになる。


 当然のことながらシャワー室は大して広くない。

 男女とも一度に使えるのは15人かそこらだ。

 明日以降はローテーションを組めば済むが、今日はそうもいかない。


 そこで揉めないようにするため、このタイミングで寝具を調達させた。

 ……と、美咲は言っているのだ。

 実際のところは不明だが、理解の余地がある話だとは思った。


「ま、シャワー室に関しては他人事だ。俺たちはスーパー銭湯を利用させてもらおう。学校からは遠いけど、バスがあるので問題ない」


「いいっすねー! なんならそこで一泊して学校には朝に戻るっすか!?」


「いや、入浴が終わったらちゃんと戻ろう。朝帰りだと『輪を乱している』やら何だと言われかねない」


「了解っす!」


 ◇


 スーパー銭湯にやってきた。

 シャワー室や近隣の家を使う者たちを傍目に。


 ルールを守り、男湯と女湯に分かれて入浴する。

 他の生徒が来る可能性を考慮してのことだ。


 それに今日は栗原が同行している。

 俺はハーレムを満喫するのでお前だけ男湯な、とはさすがに言えなかった。


「まさか二人きりになるとはな。動物はこっちかと思った」


 横並びで髪を洗っていると栗原が話しかけてきた。


「そのほうが数の割合的にはちょうどいいんだけど、ウチではいつもこうだ」


「あれだけ仲間がいるのに、いつも一人で風呂に入っていたのか?


 俺は「まぁな」と流した。

 本当は一人で風呂に入ることなど殆どなかった。

 基本的に由香里と涼子が一緒だからだ。


 時には他の女性と二人きり……ということもあった。

 例えば栗原の大好きな美咲などがそうだ。

 体の洗い合いをしたこともあるが、そうした件は伏せておく。


「それにしても、栗原と二人で風呂に入る日がくるなんて思わなかったよ」


「同感だ」


 全身を洗い終え、俺たちは露天風呂に向かった。

 雨粒が入らないよう、浴槽の上は出っ張った屋根が守っている。

 いわゆる「半露天風呂」と呼ばれるタイプだ。


 数メートルの距離を開けて向き合う。

 女性陣も露天風呂を満喫しているようで声が聞こえてくる。

 涼子がセクハラの限りを尽くしているようだ。

 耳を澄ますまでもなく分かった。


「栗原、一つ教えてくれないか」


「なんだ?」


「選挙で負けて追放されたあと、お前はずっと一人だったんだよな?」


「そうだ。お前と美咲ちゃんのキスを目の当たりにしたあの時以降、今日まで誰とも会わず話さずで過ごしてきた」


 栗原の目は穏やかさを保っている。

 瞳の奥で燻る怒気の炎……のようなものは見られない。

 だから落ち着いて話すことができた。


「よくそれで耐え抜けたな」


「ひたすら防壁を強化して引きこもっていただけだ」


「クラス武器の実装後はそうもいかなかっただろう」


 防壁のない時間帯があった。

 その時は外に出ていないと徘徊者が雪崩れ込んでくる。

 一人だとクラススキルを駆使しても苦しいはずだ。


「その間は逃げ回っていた。あんな数を一人で捌くのは無理だからな」


「すげぇな……」


 平然と言えるのは栗原くらいだ。

 とてもではないが、俺には真似できる気がしない。

 改めてこの男の化け物じみた基礎スペックの高さに驚かされた。


 ◇


 入浴が終わり、学校に戻ってきた。

 銭湯でもこれといった問題に見舞われずに済んだ。

 栗原に反逆の兆しはなく、少しずつではあるが馴染んできている。


 しかし、このあとは就寝だ。

 まだ同じ教室で過ごすほどの信頼関係は築けていなかった。


「俺は隣の教室で寝るよ」


 驚くことに栗原から提案してきた。

 ありがたい申し出なので素直に受け入れて移動してもらう。

 栗原の数少ない友人である涼子も反対しなかった。


 皆が教室に入り、各々の布団で過ごす。

 涼子と由香里は横になるなり眠りに就いていた。


 俺は仰向けでスマホを触る。

 SNSを開こうとしていた。


「風斗さん、一つよろしいですかな!?」


 琴子がやってきた。

 俺の頭上に立つものだからスカートの中が見える。

 細い太ももの向こうに潜む下着まで瞼に焼き付けることができた。


「どうかしたのか?」


 体を起こし、スマホを傍に置く。

 一方、琴子も腰を下ろし、サファリハットを床に置いた。


「どうして就寝場所にこの教室を選んだのですかな?」


「というと?」


「ただでさえ人気のない一階の、しかも隅の隅ですよ。不人気ランキングがあれば1位になれそうな場所ですとも!」


 俺は「たしかに」と笑い、それから答えた。


「この教室を選んだ理由は二つあるんだ」


「二つも!?」


「一つは人気のなさが気に入った。例えば二階より上だと人が多い。他のグループと共同で使うことになる可能性だってある。それに、校舎の階段は城と違って角度が急で狭いから、ウシ君やタロウの移動が大変なんだ」


「なるほど! それを聞くと納得ですかな! もう一つの理由は何ですかな?」


「駐車場から近いことだ。思ったよりも苦戦して校舎を放棄する事態に陥った場合、車で移動する可能性が出てくる」


「そこまで考えていたとは! さすがは風斗さん!」


 琴子は満足したらしく、「すっきりしました!」と離れていった。


「さて……」


 改めてスマホを持ち、SNSにアクセスする。

 状況の報告はSNSを通じて受けることになっていた。

 その際に麻衣が使うのは、フォロワーのいないアカウントだ。

 いわゆる「裏垢」と呼ばれるものである。


(これだな)


 事前に教わっていたアカウントを発見。

 里奈ほどではないが、麻衣も暗号文で情報を載せている。

 Xに監視されていることを知らないからだ。


(もうこれほどの成果があるとは。すごいな)


 麻衣は既に手島との合流を果たしていた。

 そのうえ、美咲の家族が無事であることも確認したという。

 その中にはハリネズミのシゲゾーも含まれている。


「シゲゾー……!」


 隣にいる美咲が呟いた。

 彼女も麻衣のアカウントを覗いている最中のようだ。


(他の家族も無事だといいな)


 身内の安否が判明すれば戦いに集中できる。

 今のような「安否不明」という状況が最も悪い。


 念のため、政府や自治体のサイトでも調べる。

 ……が、残念ながら結果は変わらず。


 日本では今も夜通しで復興作業が進められている。

 規模の大きさや断続的な揺れがあって難航しているようだ。

 それがますます不安を煽る。


(ダメだダメだ、今は自分のことだけを考えろ!)


 深呼吸をしたら、リュックを確認した。

 増田から支給されたもので、ちゃんと人数分ある。

 中身は数日分の非常食と水やスポーツドリンクだ。

 使い捨ての箸やスプーンもある。


(物資は問題ない。武器も大丈夫だし、あとは成り行き任せだな)


 俺は横になり、全身の力を抜いて目を瞑る。

 驚くほど静かな校舎が、明日以降の激戦を予感させていた。

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