154 麻衣の悩み
Xからの唐突なお知らせ。
その内容は――。
『システムの変更について』
――というタイトルだった。
相変わらずチグハグな日本語で書かれている。
読み終えた時、俺は唖然としていた。
「これはとんでもないことになるぞ……!」
要約すると、変更が行われるのは8月26日の12時ちょうど。
今から3日後の金曜日ということになる。
新たなシステムに関する詳細は分かっていない。
だが、変更に伴って廃止されるものについては書かれていた。
クラス武器、スキル、毎朝のアンケート、選挙、エトセトラ……。
これまであった仕様のほぼ全てが廃止されるという。
さらに所持ポイントはリセットされ、所有物も大半が消える。
俺たちの金策を支えてくれたガレオン船も消滅対象だ。
幸いなことに、ペットは消滅対象に含まれていなかった。
新仕様の詳細が不明なので、変更後にどうなるかは分からない。
だが、既存のシステムが軒並み廃止される以上、大きく変わるのは確実だ。
システムが変更されるまでの間は平和期間になる。
魔物は出るが徘徊者は出ないということ。
『システムの変更が行われるまでの間、どうぞご自由にお過ごしください』
お知らせの最後にはそう書かれていた。
「大災害で頭が回らないところにこの追い打ち……えげつないな」
TYPプロジェクトは、よほどXの逆鱗に触れたようだ。
それだけ核心に迫っていたのだろう。
ただ、今はため息をつくことしかできなかった。
◇
夕飯時に、Xからの通知――システムの変更――について話し合った。
しかし、それによる結果は特になし。
詳細が不明なので備えることができない、というのが皆の総意だ。
グループチャットで他所の様子を見ても同様の考えだった。
加えて、今は日本の状況が気になって仕方ない。
テレビの報道によると、今なお余震が続いているそうだ。
また、被害範囲が広すぎて全く手が回らないらしい。
既に多くの国が救助の支援を表明しており実際に動いている。
近隣の中国や韓国をはじめ、米露も救助隊を派遣済みだ。
それでもなお、被害は拡大の一途を辿っている。
東京が壊滅状態にあることで、政府が殆ど機能していないのも痛い。
「身内の安否について分かった人はいるか?」
食事が終わると俺は尋ねた。
しかし――。
「「「………………」」」
誰も答えられなかった。
不運なことに、俺たちの身内は関東地方に固まっている。
その関東地方が災害による通信障害で情報を発信できずにいた。
情報を求めてネットを開いてもダメだ。
SNSは手島重工に対する批判と被災地を応援する声しかない。
「無事だったらいいっすけど……」
燈花が「うー」と唸る。
サイのタロウをはじめ、彼女のペットが心配そうな表情を浮かべていた。
「とりあえずシステムの変更が行われる金曜の昼までは、余っているポイントを使いまくるなどして過ごすってことでいいよな」
ポイントはシステムの変更でリセットされる。
勿体ないので使い切ったほうがいい、とお知らせにも書いていた。
「散財ならお姉さんに任せたまえ! こう見えて消費のプロなのだ!」
場の空気を良くしようとする涼子。
分かっているので皆は笑うのだが、誰もが無理をしているのは明らかだった。
◇
翌日。
平和期間ではあるものの、大半が城やその周辺で過ごしていた。
美咲はいつも通り料理に専念し、由香里は動物たちと触れ合っている。
涼子と燈花は高級車を購入して周囲の草原を爆走中だ。
ド派手なエンジン音と二人の愉快な笑い声が聞こえてくる。
麻衣は部屋に引きこもっていた。
崩壊している自宅の映像がよほど堪えたようだ。
明らかに誰よりもショックを受けていた。
唯一、拠点から離れて行動しているのは琴子だ。
彼女は一人でダンジョンの攻略に出かけていた。
システムの変更でダンジョンが廃止されるかもしれないからだ。
お知らせには書いていなかったが、そうなる可能性が高いと彼女は見ている。
俺も同意見だった。
そんな中、俺は弓の訓練をしていた。
草原に的を立てて、お手製の弓や市販品の弓で矢を放つ。
戦闘の仕様が変わるため、それに備えての行動だ。
由香里には及ばないまでも、最低限のレベルにはしておきたかった。
この訓練が役に立つかは分からないが、やって後悔することはないだろう。
◇
夕飯が始まる少し前、俺は麻衣の部屋に訪れた。
さすがに心配になってきたからだ。
彼女は今日、一度も部屋から出ていなかった。
「麻衣、起きているか」
部屋の扉をノックする。
「起きているよ」
声が返ってくる。
「入ってもいいか?」
「うん」
扉を開けると、テレビの音が耳に入ってきた。
『このように現地では今も……』
麻衣は高そうなソファに座ってテレビを観ていた。
右手に持っているスマホをチラチラと確認しながら。
「安否は分からないままか?」
麻衣の隣に腰を下ろす。
「うん……。でも、ご近所さんの何人かはどうなったか分かったよ」
「ほう」
「死んだんだって」
麻衣の表情がより暗くなる。
俺は「そうか……」としか言えなかった。
『救助されて表向きは軽傷に見える人でも、その後に症状が急変して死に至る場合があります。これはクラッシュ・シンドロームといって、例えば瓦礫に挟まれるなどして何時間も圧迫されていた場合に起こるもので――』
テレビでは専門家が解説している。
よりによってこのタイミングで言うか、と思った。
「ねぇ風斗」
「ん?」
「この地震ってさ、やっぱり私たちのせいなのかな?」
「TYPプロジェクトが原因だって言いたいのか?」
「手島重工は否定しているけど、SNSやテレビじゃそういう論調だし、色々と辻褄が合うじゃん」
「まぁな」
霧で見えなかったTYPプロジェクトのトラブル。
その様子は、テレビで何度も放送されていたので知ることができた。
ゲートの生成自体は成功していた。
ただ、想定の何倍ものサイズの巨大なゲートが開いたのだ。
かと思った次の瞬間には、ゲートは閉じていた。
そして、全く同じタイミングで大地震が発生。
震源地は――ゲートを生成していた特殊作業船の真下。
ただ、震源の深さが影響していて手島たちの船は無事だった。
こうした状況を踏まえると誰だって思う。
TYPプロジェクトもといゲートの生成が地震が引き越したのだ、と。
「俺も辻褄が合うとは思うけど、手島重工がミスったのではなくXが地震を引き起こしたのかもしれないぜ。隕石を落とした時みたいに」
「そうだけど……どっちにしても辛いよ」
麻衣はそこで一息つくと、さらにこう続けた。
「でもね、一番はやっぱり家族の安否が心配なの。お母さんやお父さんが無事かどうか。それが気になって仕方ない。ずっとテレビやネットを見ているけど、何にも情報が入ってこないから」
「分かるよ、それがなによりも辛いよな」
「うん。だから……」
麻衣はそこから先を言わなかった。
「だから、なんだ?」
「…………ううん、なんでもない。ちょっと一人にしてもらっていい?」
「あ、ああ、わかった。わるいな、邪魔した」
「そんなことない。そういう意味じゃないの。こっちこそごめんね。せっかく気を遣ってくれたのに」
俺は立ち上がり、ニカッと笑った。
「もうじき美咲のウメー晩ご飯だ! それには顔を出してくれよ! しけた顔をし続けていると顔に皺が増えるぞ!」
「あはは、分かっているよ」
麻衣は笑いながら返したあと、「ごめんね」と呟いた。
「おうよ」
俺は立ち上がって部屋を出る。
それから数十分が経過し、晩ご飯の時がやってきた。
食堂には麻衣を含めて全員が勢揃い。
長いテーブルが美咲のご馳走で埋め尽くされている。
「うはー! 今日はいつも以上に豪華っすねー!」
「素晴らしいぞ美咲!」
燈花と涼子が声を弾ませる。
「ふふ、ありがとうございます」
微笑む美咲。
彼女だけでなく全員の表情が朝に比べて明るい。
ただ一人、麻衣を除いて。
「それでは今日も――」
俺の合図で女性陣が手を合わせる。
「いただきま……」
「待って」
麻衣が止めた。
顔は俯いたままだ。
「ご飯を食べる前に言いたいことがあるの」
思い詰めたような表情で呟く麻衣。
「どうした?」
皆が心配そうな顔で麻衣を見る。
「昨日の夜からずっと考えていたんだけど――」
顔を上げる麻衣。
目に涙が浮かんでいる。
そして彼女は、先ほど言わなかった「だから……」の続きを言った。
「――私、帰還の権利を行使して日本に帰ろうと思う」
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