058 弓道入門

 俺と由香里はひたすら西へ向かった。

 〈地図〉を見ることなく、走りやすいコースを適当に進む。


 会話はない。

 黙々とマウンテンバイクを漕いでいるだけだ。

 ……と思ったら、由香里が話しかけてきた。


「風斗、いい?」


「ん?」


「マウンテンバイク、買わないの?」


「買うと5万もするし、壊れたら嫌だから雑に扱えないだろ? それにレンタル代は1000ptと安いからな。買ってから50日以上使わない限りレンタルのほうがお得なんだ」


「なるほど」


「ま、それは建前なんだけどな」


「そうなの? 本音は?」


「購入するという選択肢を今まで忘れていた」


 由香里は「ふふ」と小さく笑った。

 二人の時は普段よりも表情が豊かな気がする。


「ポイントに余裕があるし買うのもありかもなぁ」


 船と同じでマウンテンバイクも購入後に色々と弄れる。

 その中には修復機能もあるため壊れても格安で修理可能だ。

 異次元に収納することもできる。


「島での生活が長くなりそうだから買って損はないと思う」


「たしかに。購入するかどうかは要検討だな」


 マウンテンバイクの話を打ち切り、俺は前を指した。


「川があるぞ、休んでいこう」


「分かった」


 川岸に自転車を停める。

 〈地図〉を確認すると、燈花の拠点にほど近い場所だった。


「こんなところに川があったとはな」


 小川と呼ぶことすら躊躇うほどの小さな川だ。

 〈地図〉で確認するには縮尺を大きくする必要があった。


 川の幅は3メートルもない。

 しかし流れが速くて深さもあるため横断するのは危険だ。


「ほんとこの島は木と海と川と稀に草原しかねぇな!」


 召喚した大きな岩に腰を下ろす。


「田舎みたい」


 由香里は俺の隣に座った。

 ルーシーは由香里の肩に乗ったまま微動だにしない。


「都会が羨ましいぜ」


「風斗は田舎が嫌い?」


「嫌いじゃないけど退屈だからなぁ」


「たしかに、そうだね」


 そこで会話が終わる。

 コミュニケーション能力の低い者たちならではの展開だ。


「あ、そうだ」


 由香里が何やら閃いた。


「風斗、面白いの見たい?」


「もちろん見たい」


「分かった」


 由香里はルーシーの足を指でトントンと叩く。


「ルーシー、お願い」


「キィーッ!」


 これまで大人しかったルーシーが動き出した。

 ふわりと宙に浮き、そのまま高度を上げていく。

 そして、川に向かって突っ込んだ。

 スッと毒々しい川魚を掴んで浮上する。


「おー! すげぇな!」


 感心していると魚が水晶玉に変わった。

 以前ジョーイが拾ってきたのと同じ物だ。


「キュイ!」


 ルーシーが由香里の手に水晶玉を置く。

 すると水晶玉は消えて、由香里のポイントになった。


「ルーシーはそうやってアイテムを手に入れていたのか」


「面白いよね」


「うむ」


 その後もルーシーは水晶玉を回収した。

 テンポが良いので見ていて気持ちいい。


 何度目かの回収時に、由香里が竹製のバスケットを召喚した。

 新たな水晶玉はそこへ放り込まれていく。

 これまでと違って消えることなく積み上げられている。


「人が触るまでポイントにならないのか」


「うん」


 由香里がバスケットを持ち上げた。

 中の水晶玉が一斉に消えてポイントと化す。


「ふと思い出したんだけど、栗原たちがリヴァイアサン戦で使っていた竹の和弓って由香里が作り方を教えたのか?」


「そうだよ」


「やっぱりそうだったか」


「風斗も弓を作りたいの?」


「いや、思い出したから尋ねただけだったが……そう言われると作ってみたいな」


「なら教えてあげる」


「おお、サンキュー」


 いいよ、と微笑む由香里。

 照れている様子が窺える笑顔だ。


(こういうのっていいよなぁ)


 青春を謳歌しているような錯覚に陥った。


「作り方だけど――」


 由香里が弓の製法を教えてくれた。

 その方法は俺が想像していたよりも簡単だった。

 コクーンの加工機能で完結するからだ。


 弓の形に加工した竹材を購入し、そこに弦を張るだけでいい。

 矢も同じような要領で作ることができる。


 結果、ものの2分足らずで完成した。


「できたぞ!」


「上手」と拍手する由香里。


「上手も下手もない気がするが……とにかく試し撃ちがしたい!」


 できたてほやほやの弓に矢をつがえようとする俺。


「待って、風斗。素手のまま矢を射るのはダメだよ」


「そうなのか? 由香里はいつも素手じゃないか」


 もっと言えば栗原たちも素手だった。


「私は慣れているから平気だけど、風斗は弓具をしたほうがいい」


「弓具? 専用のグローブでもあるのか?」


「あるよ。ゆがけって言うの」


 〈ショップ〉で調べると、たしかにゆがけなる物が存在していた。

 鹿革で作られた弓道用の手袋だ。

 商品説明によると特殊な加工をしているので下掛けが不要らしい。


「なぁ由香里、この下掛けってなんだ?」


「下掛けはゆがけの下に巻く薄い生地のこと。ゆがけを汗から守るの」


「商品説明に下掛け不要って書いているけど、それでも下掛けは買った方がいいのか?」


「買わなくていいと思うけど、下掛けが不要なゆがけなんて聞いたことない」


「なら買っておくか」


 適当なゆがけと下掛けを購入。

 由香里に教わりながら下掛けを巻いてゆがけを挿した。


「なんでグローブは『はめる』なのに、ゆがけは『挿す』って言うんだ?」


「分からない。考えたことなかった。風斗は面白いことに気づくね」


「普通は気になるものじゃないか?」


「私は普通じゃないのかも」


 弓矢の製作以降、由香里の口数が明らかに増えていた。

 よく笑っていて本当に楽しそうだ。

 そんな彼女を見ていると俺も嬉しい気持ちになった。


「それじゃ矢を射るぜ! 狙いはあの木だ!」


 川の向こう、約5メートル前方の木を指す。

 太い木なのでまず当たるだろう。


「いくぞ!」


 息を止め、弓を引いて狙いを定める。


「見えた! そりゃあ!」


 ふんっ、と矢から手を離す。

 完璧なフォームから完璧な矢が放たれる――はずだった。


「なんじゃこりゃあ」


 矢は放たれるなりヘナヘナと川に沈んだ。

 リヴァイアサン戦で無力だった有象無象よりも酷い。


「惜しかった」


「惜しかったぁ!?」


「うん、もう少しで川を越えられそうだった」


「いやいや、狙いは川の向こうにある木だぞ。つーかこの程度の川すら越えられないのは論外だろ。ゆがけを挿してもこの有様とか情けないぜ」


 しばしば忘れるが、俺は運動能力の低い雑魚だ。

 超人的な力があるわけでも天性の才能があるわけでもない。

 ふとしたきっかけで己の無能さを痛感して悲しくなる。


「最初はそんなものだよ」


「そうかなぁ。センスがなさ過ぎるように思えたが」


「そんなことないよ、教えてあげる」


 由香里の弓道指導が始まった。

 構え方や力の入れ方など細かく指示される。


「最初は仰角をもう少し上げたほうがいいと思う」


「仰角ってなんだ? 矢の発射角度か?」


「そうそう」


「焼き肉屋の名前かと思ったぜ」


「それはぎゅ……って、真面目にして」


 由香里が「もう」と俺の尻を叩く。

 叩いた後、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くした。


「ごめん、興奮し過ぎちゃった」


「謝る必要はないだろ」


 由香里を笑わすため、俺は矢を真上に向けた。


「仰角はこのくらいが適切か?」


 由香里は「ぷっ」と吹き出した。

 思惑通りウケたようで俺も笑顔になる。


「もう少し下げたほうがいいよ」


「このくらい?」


「ううん、それは下げすぎ。もうちょっと上」


「なかなかシビアだな……。このくらいか?」


「んー」


 しびれを切らした由香里が近づいてきた。

 後ろから体を密着させて仰角を微調整する。


「これくらいかな」


 耳元で囁く由香里。

 吐息が耳にかかった。


(機嫌がいいのは結構だが距離が近すぎるって!)


 射的そっちのけでよこしまな妄想に駆られてしまう。

 いかんいかん。落ち着け童貞。


「やってみて」


「おう!」


 俺は由香里を信じて矢を放った。

 彼女の密着指導に間違いはないはずだ。


 結果は――大成功。


 矢は川を越えて狙い通りの木に命中した。

 威力が弱くて刺さらなかったが問題ない。

 命中したのだから。


「よっしゃあ!」


「すごい、風斗。上手だよ、センスある」


「由香里の教え方が上手いからだって! もっと教えてくれ!」


「いいよ。風斗が弓道に興味を持ってくれて嬉しい」


 その後も、弓矢で遊んだり自転車でぶらぶらしたりして過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る