031 第二章 エピローグ
島の脱出を拒む悪天候――。
それがどういうものか、昨日、先人のサイトで入念に確認しておいた。
まずは雲行きが怪しくなり、次に濃霧が視界を奪い、雷鳴が轟く。
ここまでは直接的な被害を及ぼさない、いわば警告。
本気で拒んでくるのはその先だ。
全方位から不規則に殴りかかってくる風。
凄まじい速度で体力を奪う雨。
ベーリング海の屈強な漁師ですら怯む程の荒波。
俺達の目指す日常は、それらを抜けた先に待っている。
「一気に荒れるはずだ! 気を引き締めろ!」
迫り来る暗雲を前に、俺達は素早く準備を済ませた。
あらゆるケースを想定し、有事の際にどう動くかを再確認。
ライフラフトの使い方も把握している。
「いよいよだ」
船が暗雲の下を通る。
微かに風が強まり、穏やかな波にざわつく。
そして、霧が漂い始めた。
事前の情報通りあっという間に濃霧と化す。
霧が出たと思った10秒後には目と鼻の先ですら見えなくなっていた。
「皆、無事か?」
「大丈夫よん!」
「大丈夫です」
「私も」
「オーケー、計画通りにいくぞ」
霧で見えなくても焦らない。
声を掛け合って凌ぐ。
「スマホが見えないのは想定外だったな……」
針路や速度を確認しようとして気づいた。
霧が濃すぎて、スマホの画面がどうやっても見られない。
画面を鼻に当たるほど近づけても、見えるのは真っ白な霧だけ。
試しに、ふーっ、と息を吹いてみる。
霧が晴れて微かに画面が見える――ということはなかった。
こりゃダメだな、とスマホを懐に戻す。
「まぁいい、進んでいるのは間違いないんだ」
視界が潰えていても船が動いているかどうかは分かる。
これまでと変わらない速度で海を進んでいるのは間違いない。
「暴風雨はいつ訪れるのかな?」と麻衣。
「サイトの情報だと濃霧からほどなくして始まるはずだったが……」
今のところ問題は霧だけだ。
雨も、風も、雷も、発生していない。
波もざわついているだけで荒れてはいなかった。
「ま、何も起きないならそれにこしたことはない」
「だねー!」
「だからって油断するなよ」
「もち!」
緊張感を保ち続ける。
だが、待てども待てども濃霧以降は変わらない。
退屈さから眠気がこみ上げる。
その一方で、いきなり死ぬかもしれないという恐怖もあった。
それらが同居する感覚はとても奇妙で、経験したことのないものだった。
「風斗君、おかしくありませんか?」
異変に気づいたのは美咲だ。
「おかしいって?」
「視界が霧に覆われてから30分は経っていますよ」
「――!」
指摘されて気づいた。
「それはたしかにおかしいな」
「何がおかしいの?」と麻衣。
「船は10ノットで航行している。濃霧になってからも速度に変化がないことは体感で分かるだろ?」
「うん」
「霧に突入する前も30分近く航行していたが、それは覚えているか?」
「覚えているよー! 正確には34分ね!」
「それなら何がおかしいか分かるんじゃないか?」
麻衣は「んー」と考える。
「分からないや! 何がおかしいの?」
「もう本土に着いているはずなんだよ」
「あっ……!」
異常がなければ俺達は本土に着いている。
それも10分以上前に。
「針路がずれているのかな?」
「もしくは気づいていないだけで減速しているのか」
スマホの確認ができない以上、船の正確な速度は分からない。
体感では一定でも、緩やかに減速している可能性はあった。
「とりあえず様子を見よう、他にすることもないし」
想定外の事態だった。
故にどうすればいいかも分からなかった。
「このまま死ぬまで霧の中だったりして」
麻衣がポツリと呟く。
美咲が「ひぃ」と怖がり、俺も恐怖に駆られた。
「痛ッ! 何で叩くのよ風斗!」
「俺じゃねぇよ」
「私が叩いた」
「え、由香里が叩いたの!?」
「不安を煽るような発言をしたから」
「じょ、冗談だってば!」
「冗談でもダメ」
麻衣は「はい……」としょんぼり。
由香里のおかげでいくらか気が紛れた。
だが、そんなものは一時しのぎに過ぎない。
しばらくすると再び不安がこみ上げてきた。
「雑談でもするか」
「じゃあ定番の恋バナからいきまっしょー!」
麻衣が手を叩いて盛り上げようとする。
――と、その時だった。
「おい、霧が晴れていくぞ!」
薄らとではあるが視界が回復していく。
麻衣や美咲、由香里の顔が見える。
その数秒後、霧が完全に晴れた。
「悪天候を突破したんだ私達! これで帰れる!」
麻衣が「やったー!」と両手を上げる。
俺達の顔にも笑みがこぼれた。
「風斗君、前方に陸地が見えますよ!」
美咲が声を弾ませながら指す。
広大な海原の向こうに砂浜が見えた。
砂浜の先には深々と広がる森も。
「……ん? 何だかおかしいな」
俺の眉間に皺が寄る。
「どうかしたの?」
由香里が隣に立つ。
「あれって本当に日本の本土か?」
「どういうこと?」
麻衣と美咲も「え?」と俺を見た。
「なんだろう、既視感があるぞ」
嫌な予感がしてスマホを確認。
コクーンの〈地図〉ではなくゴーグルマップを開く。
俺達の現在地は島にいた時と変わっていなかった。
駿河湾の辺りにいて、本土からは10キロ以上離れている。
「もしかして……」
今度はコクーンの〈地図〉を確認。
嫌な予感が的中した。
「あれは本土じゃない――俺達のいた島だ!」
「島に戻ってきたってこと!? マジで!?」
手振りも交えて最大限に驚く麻衣。
美咲と由香里は言葉を失っていた。
「間違いない、俺達は戻っているんだよ、島に」
船の状態を表示する。
いつの間にか針路が西に変わっていた。
「ダメじゃん! Uターンして日本に向かおうよ!」
「そうだな」
食糧はもとより時間も余裕がある。
針路を再び東に設定した。
帆が自動で動き、船の向きが変わっていく。
「なんで戻ってきたのかは分からないが、同じ手はくらわないぞ」
俺は定期的に船の針路を設定することにした。
勝手に針路が西に変わっても上書きしてやればいい。
「風斗、霧だよ」
「問題ない、見えなくても操作はできる!」
視界がホワイトアウトする。
それでも俺はスマホを操作し続けた。
勘を頼りに何度も何度も針路を修正。
ひたすら東に向かわせる。
その結果――。
「霧が晴れてきた!」
約30分で視界が復活し、前方に島が見える。
「嗚呼……」
だが、それはあの島だった。
日本の本土ではなく、超常的な力で転移させられた謎の島。
「もう1回だ!」
その後も俺達は、時間の許す限り挑戦した。
しかし結果は変わらなかった。
何度挑戦しても、霧が晴れるとあの島が見えてくる。
「……このままでは埒があかない、今日のところは島に戻ろう」
日が暮れたので諦めることにした。
どうやら先人とは帰還方法が異なるようだ。
俺達の脱出計画は、失敗した。
◇
船を異次元に収納して拠点に戻る。
全員の表情が曇っていた。
ムードメーカーの麻衣ですら暗い。
絶望的な空気に支配されていた。
「晩ご飯、ご用意しますね」
拠点に着くと美咲が言った。
「私はそれまで寝る」
麻衣は今にも泣きそうな顔で拠点の奥に消えていく。
「私はどうすればいい?」と由香里。
「拠点を拡張して自分の部屋を作ってくれ。ギルドの金庫にあるポイントを使ってくれてかまわない。部屋の場所は任せるよ。俺達三人の部屋はこの通路の突き当たりから左右に分岐した先にある。浴室の近くにあるのが俺の部屋で、反対側が麻衣と美咲の部屋になっているよ」
「分かった」
由香里はスマホを片手に拠点の奥へ向かう。
俺は美咲に続いてダイニングに行き、椅子に座った。
「気が重いけど……これも役目だしな」
グループチャットで脱出に失敗したことを報告する。
分かってはいたが、チャットは荒れて絶望に包まれた。
ひとしきり喚き終わると質問タイムが始まる。
どう失敗したのかなど、脱出内容について詳しく訊かれた。
それらに対して嘘偽りなく返していく。
返答すればするほど、グループチャットの空気が重くなる。
だが、嬉しいこともあった。
皆から賞賛と感謝の言葉をこれでもかと浴びせられたのだ。
勇気を出して一番槍を務めたことに誰もが敬意を表していた。
また、俺達の失敗を聞いても諦めない連中がいた。
それも複数のグループ。
俺達と違ってレンタル船での脱出を計画している。
検証班の中には脱出方法の検証に意欲を示す者もいた。
「思ったよりも悪くない雰囲気だ」
絶望の中にも希望はある。
「とはいえ、このままだと……」
絶望に対して、希望はあまりにも小さい。
有効な手立てを見出せなければ、後発の連中も同じ末路を辿るだろう。
辛うじて保たれていた平穏が、じわじわと崩れ始めている。
そのことは誰の目にも明らかだった。
「やっぱり眠れないや」
麻衣がやってきた。
その後ろには由香里の姿も。
二人は俺の向かいに並んで座った。
「残念ながら私らの脱出計画は失敗に終わったけど……」
麻衣はテーブルに肘を突き、手を組んで俺を見る。
「これからどうするよ? リーダー」
「どうもこうもないさ。諦めずに脱出方法を探しつつ今を生き抜く。それだけだ」
麻衣が「だよね」と笑う。
「あー徘徊者がいなけりゃこの島での生活も悪くないんだけどなぁ! あの時間に起きるのって肌に悪いんだよねー」
「私は帰りたい」と由香里。
「そりゃあ私だって帰りたいよ! この島での生活も悪くないってだけ!」
「そう」
「……由香里って私のこと嫌ってる? なんか私にだけ冷たくない?」
「そんなことない」
「本当にー? じゃあ明日は私と漁に行こうよ」
「やだ」
「やっぱり嫌ってるじゃん! 私が何したっていうのさー!?」
「嫌ってない」
「でも私と漁に行くのは?」
「やだ」
「じゃあ美咲となら?」
「いいよ、行きたい」
「風斗とは?」
「もちろん行きたい」
「でも私とは?」
「やだ」
「やっぱり嫌ってるじゃんかー! なんだよぉ、もー!」
麻衣と由香里のやり取りに、俺と美咲はクスクス笑う。
「落ち込んでいても意味がないし、麻衣の明るさを見習わないとな」
美咲は「ですね」と答え、料理の完成を告げる。
由香里が「手伝います」と立ち上がり、美咲に代わって料理を運ぶ。
「美咲さん、配膳が終わりました」
「ありがとうございます」
「ちょっと由香里ー! 私のご飯だけないんですけど?」
「あっちにある」
「なんで私のだけ運んでくれないのよー!」
由香里は口角をやや上げるも、何も言わず席に着いた。
「無視かよ!」
「麻衣と由香里はいいコンビだな」
「どこがだよ! 私、どう見てもいじめられてるんですけど!?」
「気のせいだろう」
「うん、気のせい」
「気のせいじゃなぁああああい!」
吠える麻衣を笑いつつ、目の前の豪華な料理を見つめる。
相変わらず美味しそう、というか美味しいに違いない。
脱出計画は失敗したが、立ち止まっているわけにはいかない。
この後の徘徊者戦であったり、明日以降の行動だったり。
考えなくてはならないことがたくさんある。
だが、今は何も考えず、ただただご馳走に舌鼓を打つのだった。
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