〔第2章:第2節|Phenomenon〕

「ホントにこれ登ったの?」

 『北の岩崖』を見上げるのは——クフリとガンケイ。

 月明かりの下。針子村の北東。

 昨夜と同じく、『基本戦闘服ステータス』に十字剣。十字短剣と『個有武具』。

「そう。ちゃんと上まで登ってね。死にかけたような気がするけど、きっと大丈夫。——高いところ苦手?」

「特別苦手じゃないけど、好んで夜中に登りたいとは思わないのよ」

「昨日のおれもそうだった。グローブは?」

 クフリは波打つように、軽く指を動かす。

「大丈夫。馴染んだわ」

「じゃあ行こう。先は短いようで、体感は長いよ」

「どうぞお先に。落下死なんて下らない死に方は御免よ。安全そうなルートでお願い」

「落下死が下らない、ね。高等な日本語ジョークっぽい。バンキに……ごめん、何でもない。下らないこと言った。——一応言っとくけど、落ちたら助けてよ?」

「落ち方によるわ」





「いヒっ⁉︎」

 遠くから聞こえた何かの音に驚いたドンソウ——高い樹々に囲まれた下で、立ち止まって肩を震わせた。

「ビビリ過ギだ。どーセ何ニも出テ来ネエンだから、もーチョイ肩の力抜ケよ」

「す、すみま、せん……」

 前を歩いていたバンキは、振り返るも足は止めず。ドンソウは置いていかれないよう、慌てて早歩きを再開。

 南の林道を進む、『基本戦闘服ステータス』のバンキとドンソウ。薄い闇夜に、大きな影が揺れる。

 ドンソウは十字剣を背負い、右腿には十字短剣。それ以外の武装はない。バンキは昨夜と同じ武装だった。

「昨日、もう少シ先に入ッた所デ、幽霊見たゼ」

「エえッ⁉︎ ……ど、どうして、報告しなかったん、ですか……?」

 バンキは吹き出した。

「ハッ——嘘だ。おまエも随分と染まッテンな」

「あっ……えっ……ご、ごめんなさい……」

「謝ンなよ。さッさと終わらセテ帰ろうゼ」





「流石に飽きたわ」

 シダレが『東の茂み』に行くのは、これで三度目。

 再捜索には周知している者がいるべきだと、グレンは今夜の配員を、前夜の片割れを残して再編成していた。

「その分信頼されてるってことだ。まだ先か?」

「もーちょい」

 シダレの相方はアンテツ。二人とも『基本戦闘服ステータス』で、十字剣に十字短剣。シダレは左手に『十字鉤爪クロス・クロー』。アンテツは左腿と、そして腰にも、十字短剣を交錯させて武装していた。





「昨日はクフリとどうだった?」

 『西の森林』の探索班——今夜、ソウガの右を歩くのはキキだ。

 目の前に広がるのは……変わり映えしない、昨日と同じ光景。

 急な斜面や大きな障害物はなく、落ち葉の薄い新芽の生え始めの地面。歩く分には苦労しない足もとと、猛烈に寒くはないが暖かみも感じない、乾いた空気。

「クフリとは……『個有武具』の話をしたくらい?」

「『個有武具』? 変えるの?」

「変えないで良い、って話。特に変えようとも思ってない」

 茂みを蹴り入って、薄い闇を進む。

「私も変えなくて良いと思う。ソウガのそれ、割と好きだよ」

 キキはソウガの左腿を——『個有武具』を見て言った。自身は背中に十字剣と『個有武具』を交錯させ、背負って歩きながら。

 森は静かだった。二人の声だけが響いている。

「俺もキキのそれ、良いと思ってるよ。俺には使いこなせなさそうだけど」

「ありがと。これ案外簡単なんだよ? ——一回使ってみる?」

 枝が揺らめき、森に静けさ波打つ。

「無理だって。自信ないし。……あっても今じゃない」

「そりゃそうだよん。でも帰ってからならいつでもいいよ。声掛けてくれれば……あと、ガンケイの許可があれば、だね。——任務の方はどう? もう慣れた?」

「それなりに、だな。最近は専門がメインじゃないし、専門外というか……ファンタジーが多過ぎてなんとも」

「だねえ。——そういや、『ベレリス・グライアス・ホックスリー』のときさ」

 樹々の揺らぎが止まり、森に静けさが染みる。


 ——二人も立ち止まった。


 キキとソウガの前には、まばらに生える樹々とその隙間の闇。

 昨夜と同じはずであったが——夜の闇にしては濃すぎるそれは、幹の間からヌスリと抜け出すと、その輪郭を露わにした。


 ——真黒の塊。


 靄掛かってはっきりと骨格の見えない——おそらく、人の形をした「何か」。

 フードを被ったマント姿のようなそれは、夜風に裾をはためかせ、僅かに浮遊しているようで、二人の正面に佇んでいた。


 …………。


 二人は十字剣を右手に、同じ構えを取る。その鋒が向けられたが、フードマントはそれ以上動かない。

 存在と空気の境目だけが、黒い瘴気のように揺らぐ。

「不穏だね」

 キキの感想が、静かな暗闇に響く。

「あれ、服だよな?」

「ていうか……人間、だよね?」

 フードマントはその中身(?)を窺えない。二人と同じく、相手を観察するようにじっと動かず、ただ正面に立っている(?)だけだ。

「先輩としての見解は?」

「う〜ん……人外的な話なら、森の従者とか……村の守り神とか? ……あとは、大戦のときの人体実験の生き残り? ……まさかね。……あとはもう、関係ないところで宇宙人とか?」

「人外以外なら?」

「……針子村って、宗教的な因縁はあったっけ? あとは……近くに、密猟者のキャンプとかかな? ……でも、どっちにしても——」

「ファンショの手掛かり?」

「そういうこと。……グレンに連絡取れると思う?」

「取らせてくれるかって意味か? さあ……直接訊いてみよう」

 キキは剣を握ったまま、『基本戦闘服ステータス』の左前腕の内側——金十字線の縦線に指を掛け、薄い蓋となっているその箇所をスライドさせた。一列に並んだアプリケーションのアイコンが、ちょうど金線模様に沿って現れ、僅かに白光する。『基本戦闘服ステータス』には、通信接続を含む幾つかの情報技術が有されており、その殆どが左前腕の画面端末によって、制御されている。通信接続はオンオフを切り替えられ、送受信は『基本戦闘服ステータス』の襟に備えられている、マイクスピーカーから行える。

 キキはアイコンの一つ——最も肘に近い「通信接続」のボタンを起動した。





 ガンケイは、今日は自力で崖上に這い上がった。続いてクフリは、ガンケイが手を差し出す前に、しなやかに素早く、跳び上がるように崖上に足裏を着いた。

 夜風は昨夜と同じく、音を立て強く吹き荒れる。

「寒いわね」

「だね」

 クフリは立ったまま縁に進み、崖下の集落を見下ろす。

「危ないよ」

 ガンケイの注意は、そのまま風に流されていく。

「見て」

 クフリに言われるままその先——崖の上を見るガンケイ。

「…………」

 昨夜仕掛けた録画機材——の、欠片。

 崖に打ち込まれた固定器具の一部と、その破片だけが残っていた。

 機材本体は見当たらない。

「出る前に言ってたわよね? 『仕掛けた映像が来ない』って」

「鳥にでも突かれたと思いたいけど……これが明確な異常かどうかは、不明だね」

「——『西の森林』の担当覚えてる?」

 クフリは針子村を見下ろす。昨夜通り——のはずだったが。

 隣に来たガンケイは、その視線を辿る。

「たしか……キキとソウガだったはず。なんで……嗚呼、なるほど」

 クフリは左前腕内側の画面端末を操作し、通信接続を起動した。

「——グレン。……グレン? グレン?」

 その様子を見て、ガンケイも通信をオンにする。

「——グレン! こちらガンケイ。……グレン? …………ダメ。反応ない」

 ——ノイズにも満たない起動音は聞こえるが、送受信の波長は聴こえない。

「壊れてる?」

 クフリの問いに、眉を顰めたガンケイ——嘲笑気味に首を横に振る。

「——壊れてる? おれの設計が? ——ありえない。来る前に点検もしたし、端末自体は反応してるでしょ」

 言いながらガンケイは、クフリの『個有武具』を裏返し、発光する細長い画面を見る。

 タッチパネルは正常に起動する。

 発光の変色、ハウリングの音量操作、オフラインアーカイブ——アプリケーションは反応するし、画面内操作もできる。

「正常だよ。少なくとも、非通信機器としては」

「そう。……戻るべきかしら」

「戻るべきだよね……それも急いで」

 二人が見ていたのは、月明かりしかない西の森の中。

 その薄暗い森は逸脱して、他の自然より遥かに——遥かに大きく、揺らいでいた。





「ファンショの状況がッ! なんとなく! わかった気がするッ‼︎」

 朽ち果てていた落ち葉たちが、弾かれたように地面から真上に——ズシャアアアア、と噴き上げる。ソウガの立っている足もとが派手な音を鳴らし、視界は茶色のモザイクに塗れた。

 目眩しだった——間髪入れずに「シュルルルルル」という鋭い音が闇を裂き、反射的に半歩引いたソウガのすぐ足もとに、蔓のような——近くの幹から、不自然に折り曲がって伸びてきた樺の枝が突き刺さった。かなりスレスレのタイミングで、驚きはするが、此処は森の中——一本に構ってはいられない。

 直感——さらに別の枝先が迫るのを、気配で感じていた。

「——これわざと捕まったらさっ! ファンショの居場所が、わかるかなッ⁉︎」

 ソウガの側で、キキの十字剣が同じように枝を弾いた。弾かれた枝は勢い良く舞い、その枝に続いていた別の枝に矢のように突き刺さった。


 自然のみしかない森の中——不自然な二人に対し、超自然が襲い掛かっている。


「——生きてたら、な!。ファンショがもう死んでたら、死体の山二つ追加で終わりだッ‼︎」

 十字剣が枝を斬る。まだ若い葉が地に落ちた。

「やっぱり⁉︎ じゃあ捨て身はなしでッ!」

 シュルルルル、ビギギギギギギギギ。バシュン。シュウィン。

 森の静寂はどこかへ消え失せ、不自然な——超自然的な異音が響く。キキとソウガは無意識に、口から驚きと焦燥を吐きながら剣を振るい続けていた。

 「進展あり」&「緊急事態」にも関わらず、通信は繋がらなかった。森が二人に牙を剥いたのは、その確認をした直後だった。

 久々に振るう十字剣——薙ぎ払い、斬り捨て、斬り上げ、斬り伏せる。

 闇に靄掛かるフードマントは、未だ動かず。

 ——二人と離れた先で、ただただ漂っている。

「これっ! あれの仕業ってことでッ! いいんだよねっ‼︎」

 キキの手首が素早く一回転——細い枝が二、三本纏めて断面になった。傍でソウガは、直接幹に斬りつけると、一旦引いて、うねっていた枝を一本、素早くその根元を断ち切る。

「ああッ! こっちが苦労してんのにッ——見てるだけってのは、ちょっと腹立つよなっ!」

 斬り上げた十字剣の刀身は、太い枝さえ綺麗に斬り裂く。切れ味は優秀だった。と思った瞬間、斬りつけた別の枝の根元に、僅かに引っ掛かる。ソウガは枝先を左手で掴み、強引にへし折る。続けて十字剣が一回転——湾曲し始めていた枝は、その姿勢のまま動きが止まった。掴んだままのその枝を見ると、それはただの折れた枝にしか見えなかった。その枝の幹は恨みを返すように、ソウガの足首に根っこを絡みつかせる。十字剣を真下に振り、その根に突き刺してすぐ、絡んだ足を蹴り上げる。斬れた根の先は、どこかへ飛んで行って見えなくなった。





「——どうした?」

 待機班——南奥の展望台にて。

 SUVの助手席で、グレンはパソコンを前にしていた。

 運転席のドアは開かれ、相方であるメイロはその先で、針子村とその周囲を眺めている。二人とも『基本戦闘服ステータス』であるが、グレンは左腕の画面端末と自身の専用ゴーグルを、交互に操作していた。

 ——少し前から、誰とも連絡が取れていないからだ。

 戦闘服を着ている間は、常時通信や接続をしているわけではない。戦闘中の送受信は状況によってかなり危険であり、内蔵バッテリーも有限だ。大半の機能は、必要外ではオフになっている。

 だが状況確認ができないというのはそれぞれの事情がわからないため、あまり良い状態とは言えない。すぐ隣のメイロとの通信は可能であった。端末やゴーグルが壊れた様子もない。

 ——村と周辺が通信妨害にあっている……? 山奥の田舎にしては、不自然過ぎる事象だ。「グレン」

 右からのメイロの声に、顔を上げると、


 ——コンコン、と。


 左の窓が叩かれた。





 枝を弾いたキキの背後に、別の枝が迫る——ソウガはその枝を斬り落とすと、別の枝がその十字剣に巻きついてきた。が、キキが切断し、その背後から伸びる枝には、ソウガが飛び蹴りを放つ。キキへの軌道を逸らし、二人は背中合わせになり、樹々と闇に対峙していた。

 フードマントに遭遇した場所からは、少し離れた場所であった。つい数分前、試しに後ろを向いて走り出してみたのだが、フードマントは地面を滑り、横から大きく先回りして、二人の前に立ち塞がった。左右後方はうねる枝々が二人を囲み、枝々との戦闘が続いた——「戦闘」と言って良いのかはわからなかったが。フードマントは、逃がす気はないようで、二人も逃げる気はなかった。それでも二人がフードマントに接近しようとすると、フードマントは浮遊しつつ後退する——その膠着状態に陥り、持久戦を強いられている。

 今も、剣を振る二人の先で、フードマントは動かない。何かを待っているように佇んだまま二人を翻弄していた。

 翻弄——本当に、フードマントの仕業なのか。

 二人にはわからなかった。

 ——そういう現象であるようにも感じる。

「委託された任務だけどさッ! これは流石に、『正義』とはほど遠いと思うのッ!」

「奇遇だな! っ——俺もそう思う!」

 殺意たっぷりで胸元に突っ込んできた枝を、十字剣が旋回し他所へ弾く。勢いを流し切れず体勢がよろめき、追撃が迫るもソウガは前転——起き上がってすぐ、十字剣をバッティングのように構え、追撃の枝の先端へ振り切る。枝を真っ二つに斬り裂いた。

 波を押し留めるような振動に、ソウガは耐える。だがその間に別の枝が迫ってきている。

「ソウガ!」

「嗚呼——クソッ‼︎」

 正面の一本を裂き斬った瞬間に、別の枝がソウガの顔に突出——「ゥグッ!」——首を傾けて躱そうとしたが、左頬に衝撃。皮膚が裂けた痛みと、血が溢れる感触——覚えたときには、怯んだソウガの両腋の幹から、二本の枝がさらに突出——的確にソウガの腕それぞれの手首に巻き付くと、枝は『基本戦闘服ステータス』の袖を滑り、肩に目掛けて締め上がっていく。

 両腕を力任せに、ソウガは巻き付いている枝を引っ張った——左手は枝から解放されたが、右腕は蛇のような動きで、右肘まで上がっていく。剪定に奮闘するキキを尻目に、右手は枝を踠くように引きながら、十字剣を左手に向けて弾くように放った。左手は逆手であるも、その柄をキャッチ——その瞬間に、突如右腕が真上に持ち上げられ、ソウガの足は地面を離れる。

 細い枝ではなかったが……自分を持ち上げるほどの力に驚く——枝ってこんなに力があったか? ——なわけない。

「ちょっと!」

 円弧を描いたキキの十字剣。ソウガの右腕に纏うその枝の、幹の根元を垂直に断——とうとしたが、その刀身には別の枝々が束になり、上から垂直に巻き付いて斬撃を止めさせる。

「キキ!」——声をかけるのが、少し遅かった。

 ソウガの前で、枝から十字剣を引き抜いたキキ。迫る枝々を次々弾くも、背後に立っていた橅が大きく軋むような音を立てて、その幹ごと仰け反るようにしなる。その気配に振り向いたキキは横に跳ぼうとしたが、ワンテンポ遅れ、幹による質量攻撃を、その横っ腹にモロに喰らった。キキは軽々と吹っ飛び、他の幹を通り抜けて、ソウガの視界の右奥の闇へ姿を消した。

 宙吊りにされていたソウガ。足先をどれだけ伸ばしても、地面にはギリギリで届きそうにない。枝の長さの問題だったかもしれないが、数センチ浮いたままの絶妙な高さだった。

 シューーーーッ、トュッ!

 さらに枝が迫る。十字剣を握る左手に向けて、一直線に——『基本戦闘服ステータス』がカバーしていない、剣を握る生身の手先。シダレの『個有武具』なら受け止めただろうが、ソウガの左手は不安定に剣を持っていた。頼みの綱は失えない。

 迫っていた枝先に、ソウガは寸前で左足を持ち上げると、足の裏——履いているブーツの底で受け止める。真正面から、勢いを完全に静止させ、一瞬停止した枝先を、持ち上げられた右腕から力を込めて、腰から振り上げ、左足で蹴り上げる。すぐに突き出された枝先は、ソウガの前で虚空を貫き、ソウガは左手の十字剣をクルリと回し、舞い戻る前にその枝先を、綺麗に切断した。枝先は落ち、元は退がる。 

 腹筋に力を入れると、自分の右腕を締め上げる枝の根元に、十字剣を一閃——膝から地面に着地。右手に巻かれたままの枝を剥ぎ取る——追撃! 巻き付かれる前に前転。自分が今立っていた場所には、地面に突き刺さる音が響いた。

 フードマントを正面に捉え、剣を構えた——が、鋭い音が立て続けに。

 左足首が根っこに——剣を振る前に、両手首も絡まれる。

「——クッソ!」

 今度は力で剥がせない。締め上げられながら、徐々に両腕がいっぱいに開かれていき、さらに別の枝々が重なり、太く重く巻き付いていく。

 かろうじて手首は回るが、十字剣の刀身は枝に届かず。

 ——ァハッ……。

 そうこうしているうちに首にも、別の枝が巻き付いた。両腕は肩まで捻り上がり、両足は足首同士が合わさり、ソウガの下半身をコイルを履いたような姿へ。

「嗚呼! クソ!」

 ……………………。

 ————————。

 ——限界に来たのだろう、枝々と根の動きが止まった。

 ……………………。

 ————————。

 ……………………。

 森の中に、静寂が戻る。

 ……………………。

 ……………………。



「——お前、何だ?」



 その問いに、フードマントは答えない。代わりに……代わりなのだろうか? 

 十字架に縛られたソウガの、前に立つ左右の樹々から二本の枝が伸び出し、その先端を——鋒を、生身剥き出しのソウガの顔に向けた。

 ……マズい。

 蛇の鎌首のように——伺いを立てるかのように、その鋒は一度、フードマントに向く。

 ——ウ————乾いた喉の下で、鼓動が速まる。

 ソウガは二本の鋒を、二つの瞳で真っ直ぐ見る。

 見返しているその枝先——静寂の中、ソウガの顔に目掛け、



 ——素早く、鋭い音が響いた。





「——なァンだ? おレらが最後か?」

 展望台まで戻ってきたドンソウとバンキ。日付が変わる少し前で、暗い駐車場の奥には、待機班の二人——グレンとメイロ以外にも、数人の顔ぶれがあった。全員『基本戦闘服ステータス』を着たままだ。

 SUVも白いバンも荷席が開いており、一瞬は撤収準備かとも思ったが……、

「な、何か……あった、みたいです……ね……?」

 二人が近くに行くと、アンテツが二人を迎えた。

「おかえり。——君らは無事か?」

「無事? 無事は無事だ。おレらは——ッテことは、誰か無事ジャネエのか?」

 駐車場にいる〈十字ソレット〉。その一人一人の顔を見る。

 いないのは——。

「……クフリと、キキと、ソウガは……ど、どうしたん、です、か……?」

「テ言うか、そレ何だ?」

 バンキが指したのは、開いて見えていた白バンの荷席。

 後部座席が半分倒され、透明な二本の長物——槍にしては短いが、剣にしては長い、二本の棒状の物が横たわっていた。それは見るからに、武具だった。

「——クルキよ」

 三人と同じく『基本戦闘服ステータス』のままのシダレが車の影から現れた。その後ろからグレンも。

「——クルキ? 誰だそレ?」

 答えたのはグレン。

「ついさっき、〈四宝ソレット〉の援軍が合流した。今はクフリと『西の森林』に向かったが」

「なンかあッたンか?」

「それを確認しに、だ。——クフリとガンケイによると、妙に騒がしかったらしい」





 ソウガの顔は、二本の枝に串刺し。眼球から脳を貫き、頭蓋の後頭部から枝先が——とは、ならなかった。

 枝先は、寸前で止まった。

 止められていた——ソウガの左から伸びてきた掌によって。その手は枝二本を、まとめて掴み止めていた。鋭い先端は顔と僅か数センチの距離だった。



「——これでも、急いで来たんだぜ?」



 枝を掴んでいた色白い右手は、長い裾と白無地の着物姿に続いていた。

 横顔は見える——ソウガはその女を見たことがあった。

 長い黒髪は顳顬から頬と首を通り、肩越しに背中へ流れ、首のところでひと纏めに束ねられており、顔の輪郭は鋭く細く、フードマントを睨む眼光と同じくらいの強さを秘めていた。厚い雪景色のように濃く白い肌の上——その右の頬、目尻の下から口端にかけては、冷ややかな笑みに同調する、三日月のような細い一本傷が浮かんでいる。黒い帯が腰と印象を締め上げ、長いスリットから覗く真白の足は足袋のような履き物を履いており、両腰の帯の上には、昨夜見たのと同じ形状の短剣——柄頭と鍔だけが白く、色違いの『楔』が二本、専用の鞘に納められていた。

 彼女の名前は知っている。

「——クルキ⁉︎」

「ン? お前…………悪い。オレ、お前知らねえや」

 と、ソウガの左頬に流れる血に気づいた。

「おりゃ? もしかして刺さったか? 悪い悪い……」



 ——〈四宝ソレット〉の冬のヴァイサー・クルキの合流であった。



 直接喋ったことはないが、ファンショと同じく『先の大戦』の後片付けで、ソウガはクルキを見ていた。一年前——もう少し、髪が短かったが。

 印象は変わっていない。当時も今と同じく、野生的で強気な雰囲気を纏っていた。少しダンガに似ている気もする。

 クルキはフードマントを睨みながら、止まった枝を握る手に力を込める。握られた拳の隙間から、白い蒸気が漏れ出始め、ソウガの顔を擽る。否。これは蒸気じゃない。

 肌が微かに感じるのは、熱く昇る空気ではなく、冷たく固く乾いていく冷気——。

 ——冬のヴァイサーの『心恵』。

 ——『四季人』の有する、人外的な特殊能力。

 実際に発動しているところは、初めて見た——ソウガは、自分が枝に捕らわれていることさえも一瞬忘れてしまうほど、奇妙な感動を覚えた。正体不明のフードマントを除いても、人外関係への接触は初めてではないのだが。

 漏れ出る冷気は強くなり、枝の先端は白く——闇に白い煙が上がっていく。

 やがて——キシャッ、と。軽い音を立て、枝先は拳の隙間からボロボロと砕け落ちた。

 枝の根元は凍結した断面を抱えて、元に戻っていく。


「——お疲れ」


 と。背後からの聞き慣れた声と共に、締め上げていた枝が緩まった。地面に足が着き、絡む枝を振り落とすと同時に、左腕も解放される。ソウガの背後で、十字剣を持ったクフリが、左手の枝を剥いでくれた。

「助かった。……マジで、助かったよ」

「これでも全速力で来たのよ。よく耐えたわ。……その顔大丈夫?」

 ソウガは右腕に纏った切れた枝を引き剥がすと、クフリはソウガの左足に絡んでいた根に、十字剣を突き刺した。

「それほど深くはない」

 自分では見えていないが、それなりに血が溢れている実感はあった。痛みは大したことないが。

「そう——キキは?」

 ソウガは十字剣で、右前方の闇を指す。

「どっかに飛ばされていった」

「——ここだよん!」

 と、クフリの背後に、キキはひょっこりと現れた。

 顔に土汚れが少しと、顎に浅く擦れた傷が増えている。クフリは動じず、顔だけ向けた。

「無事?」

「一応無事。樹とか森とか、そろそろ嫌いになりそうだけど。……でも来てくれてありがと。うへぇ〜……ソウガのそれ、痛そうだね」

「そうでもない。それよりも……」

 十字剣を持ち直すと、ソウガは前を指した。

 互いに睨み合う、動かないフードマントと、冬のヴァイサー・クルキ。

「クルキも、久しぶり!」

「悪いな。オレ、お前も知らねえや」

「えぇ〜……一年前のさ——」

 不満げなキキを、クフリは制する。

「あっちが先よ」

 クフリ、キキ、ソウガの三人は、クルキの横に並ぶと十字剣を構えた。クルキは——昨日の刃物が『秋の楔』なら、『冬の楔』であろう短剣を抜き、左手に逆手で持つ。

 仲間がいるという事実が、ソウガの心中に薄い安堵をもたらす。

 あれだけ強い意図を示しながら、今の森の中の樹々たちは風に揺れるだけだった。

「あいつ、かなり面倒だ。原因があいつなら、の話だが」

「じゃあ断言してやろう。——あいつが原因だ」

 クルキは察しがついているらしい。

「じゃあ、一応訊くんだけどさ……〈四宝ソレット〉的にはあれ、ぶちのめしちゃっても良いの?」

「却下だ」

 冬のヴァイサーは即答し、意外な理由を告げた。

「状況が悪過ぎる」

「戦士が四人でも?」

 クフリが疑問を呈する。四対一の状況が、悪過ぎる——。

「関係ない。誰かが死ぬ前に撤退するぞ」

 そう言ったクフリの口調は冷たいものであったが、キキは念を押す。

「でも、あれは『正義』じゃないと思うの。——仕留めていいなら仕留めたいんだけど」

「右に同じく」

 ソウガは同調するが、クルキは断固として否定的だった。

「冬のヴァイサーとして命じる——今夜は却下だ。勝てる気がしない」

 冬のヴァイサーとして命じられたら、一介のエィンツァーたちは従うしかなかった。

「どこかであいつを撒きたい。何か案は?」

 ——フードマントは動かない。三本の剣は、フードマントに向けられたまま。

「真西に川があったわ」

 クフリが小さく呟いた。

「浅いのか? それとも深い?」

「そこまではわからないけど、幅は広かったはずよ」

「よし。真西だな——遅れを取るなよ!」





『——応援が二人行ってもダメなら、状況的に希望は薄い。そのときは、春のヴァイサーを呼べ』

 クルキは最後にそう言い残した。

 グレンは『基本戦闘服ステータス』のままで待機していた。逆に、私服に着替えたアンテツが側に。

「……応援を送るか?」

「——いや。もう少し進展を待つ。何かあったら私とメイロが」





 一キロくらいは走っただろうか。道中は散々だった。

 ——顔を起こしたキキが、迫る枝先を十字剣で弾く。

「ねえ! 誰かこれの止め方知らないっ? 原理がわかればっ、止めれると思うのっ!」

 十字剣——は虚しく宙を斬る。無数の葉っぱが風圧で翻り、竜巻のようにキキを取り囲む。

「原理は知ってるが、オレらじゃ止められない!」

 クルキはキキに向かって両手を向ける——冷風が放たれ、キキの周りに吹き荒れた。纏っていた無数の葉っぱは、白く染まりながら飛ばされていった。

「う〜ん……涼しい! ありがと」

 呑気に背伸びをしたキキだったが、その横を枝が掠める。同じく葉っぱに塗れたクフリが、十字剣でその枝を斬り伏せる。枝先は地面に突き刺さった。その傍で、枝に殴られ倒れていたソウガも、十字剣を杖代わりにどうにか起き上がった。

「見ろ!」

 三人より少し先で、クルキは行く手を示す。



 ビギギッギギギギギギギ。



 横一線に流れている目的地——川辺に立つ樹々が一斉に、その枝々を軋ませ始めた。

 フードマントは、四人の後方にいる。

 相変わらず目的はわからないが、流石にその人数は警戒してなのか、一定の距離を保ちながら滑るように追って来ていた。

 ——警戒とかの機能や意思があるなら、の話だが。

 何度も転けたし、何度も立ち止まった。新調した十字剣は大活躍だった。

 そしてようやく、川の手前に辿り着いたのだ。

 その目の前で、枝の壁が組み上がり始めていた。

「——どうする?」

 額に薄く傷を負ったクフリが、右手に巻き付いていた細い枝を無造作に振り払う。

「……オレがあの壁をなんとかするから、お前らはしばらく、あいつの相手を頼む」

 幹も枝も根も……周りの自然は全て、四人に敵意を向けていた。

「今の今までも、そうだったけどねッ!」

 クルキは走り出し、川の方向へ。三人は逆に向かって走り出す。

 フードマントの真正面から、クフリが一直線に突き進み、キキとソウガは左右にわかれた。そのまま闇の中へ。

 フードマントはクフリに合わせるようにして、少しずつ退がり始める。

 クフリは十字剣で斬りつける。素早く、軽く。

 フードマントは滑りながら後退。

「ッラァ!」

 後方に回っていたソウガは、フードマントの左後方から仕掛ける。樹の影から飛び出し、十字剣で斬りかかった。

 だがフードマントは、それも横移動で避ける。クフリの追撃が迫り、二人で挟み撃ちに——しかし今度は、真上——空中に飛び上がる。十字剣のリーチでは届かない。

 暗闇から鋭い音が響き、蔓のような「何か」が伸びてきた。


 ————フードマントに。


 それはフードマントの胴に巻き付くと、勢い良く弧を描いて引き回し、露見した地面に叩きつけた。地面に強く弾かれ、跳ねたフードマント——打ちつけられた金属音が鳴ると同時に、蔓はその腰から解かれ、近くの闇の中へと消え戻った。


 ——『個有武具』は、使用において適切なタイミングというものがある。


「意外と捕まえられるもんだね!」

 闇の中からキキが現れた。右手に十字剣、左手にも剣を手に。

 ——左手の剣は、展開された連接がちょうど、その刀身として戻ったところだった。


 エィンツァー・キキの『個有武具』——『十字蛇腹剣クロス・コイルソード』。


 見た目は十字剣によく似ているが、短い連接した刃を『切替機構ギミック』によって制御し、刀身と紐状の状態とを切り替えることができる武具。扱いのクセはかなり強いが、持ち主は余裕気に薄く笑みを浮かべ、その左手をフードマントに真っ直ぐ突き出す。

 音を立てて、連なりが解けていく刀身——十字剣と同じ刀身の金線を軸に、一メートルほどだった刀身は、倍以上の長さへと突撃。

 しかしフードマントは、「二度目は見切った」と言わんばかりに浮き上がると、キキを向いたまま横移動。伸長された鋭い先端は裾を擦りもせずに、幹に刺さった。

 旋回したフードマントは、再び三人から距離を取る。

 ソウガの背後から、硬く乾いた物が砕け落ちる音が聞こえた——途端に、走り出す三人。

 枝の壁は凍結し、ドアのように一メートル程度がごっそりと崩れ落ちていた。

 白く染まった枝壁の奥から、クルキが顔を出す。

「川は浅い! そのまま走り抜けろ!」

 三人は言われた通り、月明かりが歪んで反射していた水面に、足を突っ込んでいった。

 水深は不明だったが、止まらずに奥まで進んでも、精々膝下ほどだった。勢い良く飛び込もうとでもすれば、足を挫いたか、膝を痛めていたかもしれない。重くなった足先を引き上げつつ、川の奥へと走り進む。各々、武具は納めた。

 足首から膝まで見えていたクルキは、「冷たさ」や「寒さ」は無いに等しいのか、三人が川へ入るのを見届けると、水面を走るような軽薄さで、三人を追い越して先頭へ。三人は必然的に、ヴァイサーに追随する。

 クルキは左へ方向転換——四人は川の真ん中を南下する。

 派手に水音を立てながら、重くなった左右の足を、懸命に交互に持ち上げて進む。ブーツの中までは水は染みてこない。水底は不安定な踏み心地で、リズム良く進むことはできない。傾斜が僅かに邪魔をしていく。

 ソウガはチラっと背後を振り向く。ッ⁉︎

 フードマントは浮遊したまま、すぐ後ろ迫ってきていた。

 間合いの先、触れられそうな距離——。

「クルキッ!」

 ソウガが叫ぶと、

「わかってるよッ!」

 叫び返したクルキは、背後を振り向き、水面を掻いた。下からの飛沫が軽く上がり、フードマントにかかる。クルキは水に手を入れたまま、『心恵』を発揮。

 ——ブワッ、とクルキの全身から、強い冷気が溢れた。立ち止まった三人の肌の上にも、空気が冷たく張り詰めるほどだった。

 枝が腕を上っていったように、白い凍結はフードマントと飛沫を繋ぎ合わせ、フードマントと水面は繋がったまま、闇の中でも白く固まっていく。

「いいね、それ。便利〜」

 クルキの前には、川から突き上がった氷の彫像が出来上がっていった。

「このままトドメさせないのかしら」

 十字剣を構えながら、クフリはクルキに言った。

「……ダメだ! ——『背有りし者、冬山には登るな』、だ!」

 …………。

「……なんて?」

 ポカンとした顔でキキがクフリを見る。クフリは真剣な表情のまま肩を竦め、ソウガも同じ態度を取った。——良かった。意味がわかっていないのは、ソウガだけではなかった。

 クルキは冷気を納めると、深く大きくひと息を吐いた。

「ヴァイサーとして、撤退優先ってことだ。走れ」

 言われるがままに、再び走り出す四人。

「今のって、〈四宝ソレット〉の教えか何か?」

 走りながらキキが訊く。

「人間の世界には、こういうことわざはないのか?」

「諺はあるけど……それは、聞いたことないかも」

「たぶん、ないわね」

「ならそうだ——」

 ソウガは振り返ると、凍ったままの彫像は動かず、他に誰か——「何か」が追ってくる気配はない。

「前を向いて走らない——」

 途端にクルキの声が途切れ、代わりに籠もった轟音が、ソウガの耳を埋め尽くした。

 宙に浮いた一瞬の体感。全身を突き刺すような冷たさ。——ォッ! ——息が、できない!

 ——沈んだ。ソウガは自覚のままに上に向かおうとしたが、

 ——向かう前に肩と腕を掴まれ、引っ張り上げられた。

「ソウガ!」

 クフリの声が聞こえると同時に、視界が暗闇から薄暗闇へ。

「ハァッ!」

 呼吸ができた歓び。両手で水底を押すと、下半身が水面に出た。

 ——川底に穴のように空いた、その一部に入ってしまったのだ。ちょうど下半身がすっぽり入るほどらしく、浮力が強くて幸いだった。

 手が触れた苔の感触が気持ち悪かったが、お陰で目が覚めた。……全身も冷めた。

 動悸が右肩上がり——左肩も呼吸に合わせて上下する。

「——転けなかったみたいだが、こういうこともある」

 遠くからクルキの声が聞こえた。

「どっちにしてもさ、急がないと」

 顔の滴りを適当に拭い、キキの声に背後を見る。

 薄暗闇の中で、川の真ん中に立っていた氷塊から、割くような飛沫が鋭く噴き出した。振動は水面を伝わり、四人に届く前に消えた。

「立てる?」

 クフリの問いに、ソウガは手を借りながら立ち上がり、頷く。

「嗚呼。——悪い。急ごう」

 だが、三人の先を進んでいたクルキは、すぐに立ち止まった。

「——どしたの?」

 キキが尋ねると、クルキは振り返った。遠目に見える、どうやってか——氷塊から抜け出したフードマントを見て、三人には自分の背後を指差し、尋ねた。

「今更だが——泳げない奴、いないよな?」

 肩越しの先を見る三人。

 先は途切れており、川の水は真下へと——滝が見えていた。正確には、奥——滝壺は見えていなかったが、音からするに、それなりには高く、それなりに深そうだ。

 キキは背後を振り返る——「止まってる余裕はなさそうだよ」

「行け!」

 クルキがそう言うと、エィンツァーたちは崖下に飛び出した。いきなり落下するのは普通に危ないため、突き出た岩を利用して、跳ね降りていく。その度に、濡れたソウガの顔に、冷たい空気が鋭く当たる。

「落ちろ!」

 足の裏が滑りかけ、クルキを見上げる。その顔は「フードマントが来る!」と語っていた。

 ——どうせ濡れてるのだ。構うもんか。ソウガは宙に飛び出す。

 再び水中へと沈んだ。

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