【第2章|{奇襲劇:The Accident}】

〔第2章:第1節|地方創生観光地区調査〕

 二日目。



 時計の針が太陽を差す頃。針子村の駐車場に、白いバンが停まった。

 降りてきたのは三人。

 全員が紺色のスーツを着用し、ネクタイを締め、名札を下げていた。足元だけはビジネスシューズではなく、ハイキングシューズだった。

 アンテツとバンキは黒縁の眼鏡を掛けると、ドンソウと共に駐車場を出る。

 駐車場から南のセンター通りとの間。

 民家の前の古い簡素なベンチで、眠りこけるように座っていた老人に、アンテツは声をかける。

「こんにちは」

「…………」

「…………こんにちは?」

 再度声をかけたアンテツに気づき、老人はゆっくりと顔を上げた。

 皺の深い白髪の爺さん。薄汚れた古い生地の和服は、各所解れており、ほんの僅かに臭っていた。圧や気を感じるような貫禄はない。アンテツは根気強く、もう一度。

「こんにちは」

「……こんにち、ハ」

 お気に召さなかったのだろう。露骨に不機嫌そうだ。

 アンテツはめげずに笑いかける。

「私は役所から来ました、『地方創生ちほうそうせい観光地区かんこうちく調査員ちょうさいん』副係長の、安土あづちと言います。観光地区にお住みの方々に、それぞれの生活についての問題点や、その土地特有の安全性や観光地としての満足度調査を行なっております。もしお時間やご都合がよろしければ、最近のこの村についての様子や問題点、懸念事項などをお伺いしたいのですが——?」

「……………………」

 ゆっくりと喋ったつもりだったが、老人は半開きで焦点の合わない視線を、アンテツに向けるだけだった。

「…………もしもし?」

 老人は口をもごもごと動かしているが、声が発せられる気配はない。

 アンテツは待機している二人を連れて、より威圧的に訊き直すべきかと一瞬浮かんだが、それは杞憂で済んだ。


「——こんにちは」


 アンテツではない。背後から聞こえた声だ。振り向くと、一人の女が立っていた。

 田舎に住んでるにしては若い女だ。何処かの店員なのだろう——白いストライプの襟シャツに、黒いズボンと靴。白の前掛け。近年ではあまり見なくなった、「ザ・ウェイトレス」的な格好。長い茶髪を背中で一つに束ね、健康的な肌の上の素朴な印象の顔立ちは、首を傾げて二人を見ていた。

「……こんにちは」

 アンテツの挨拶に、ウェイトレスは再び首を傾げる。

「どうかされました?」

 アンテツは、自身の肩書きと目的——その設定を簡単に話した。

「——彼女は『安全管理あんぜんかんり担当補佐たんとうほさ』の堂石どういし、彼は『特別支援とくべつしえん補助員ほじょいん』のバードソンです」

 最後に、ウェイトレスの背中越しのドンソウとバンキを紹介した。

「——それは……ご足労様です。ですがよろしければこちらに」

 ウェイトレスが後ろに退がると、アンテツも付いて老爺から離れる。ドンソウとバンキの側へ。三人を前に、ウェイトレスは小声で話す。

園蔵ぞのくらさんは最近、認知症の兆しが見え始めておりまして……ご要望にはあまりお応えできないかと」

「おや、そうでしたか」

「……村の全員に話を訊きたい、というわけではないのですよね?」

 アンテツは造り笑いを浮かべる。

「はい。数名ほどお伺いできれば、と。もし良ければ貴女でも」

 小声での誘いに、女は困り眉に。

「あっ! それは……いえ、ごめんなさい。仕事中でして……」

「嗚呼。そうですよね、すみません」

「ですが……もし良ければ、数名でしたらお詳しい方をご紹介できるかと」

「ほう?」

「村の中央の……噴水の付近でしたら、長く住んでる方々がいらっしゃいます。勿論、他の方も都合さえ良ければ、色々と聞けるとは思いますが」

 黒縁眼鏡からクフリの声。

『——使えるかも。具体的に』

 アンテツはにっこりと微笑んだ。

「では、ご紹介頂いても宜しいですか?」





 二十四時間前と同じように、展望台の駐車場——今度はSUVにて。

 荷席のクフリはパソコンの画面から、アンテツの視野を確認していた。隣では「そのまま進んで」と、キキがバンキに指示を出している。目元を隠したドンソウは、眼鏡ではなくネクタイピンにカメラを仕込んでおり、その映像を確認するのは後部座席のガンケイの担当だった。

 グレンとメイロは車の外——双眼鏡と肉眼によって、南のセンター通りでウェイトレスと話すスーツ姿の三人を見ていた。

 車内の三人が囲むのは、パソコンの他に針子村の地図とメモ用紙。そのメモ用紙に、キキがペンで文字を書いていく。

 「老人、ゾノクラ」、「村長、ナギシ」、「呉服店、マイジン」、「定食屋、ソメグマ」、「針子、キラヤ」——と。

『——、女の名前をお伺いしても?』

『——ええ、大丈夫です。私は————』

 ——「ウェイトレス、クリエラアンナ」。

「アンナちゃん——可愛い名前だね」

 キキが自分の字を見て言う。

「——そうね」

 クフリが希薄に頷く。

「……顔が好みなんでしょ?」

「…………」

「やっぱり。——ガンケイ」

「なに?」

「……ガンケイも惚れた?」

「……まさか」

「今、凝視してたよね?」

「名札を見てたの」

「かわい子ちゃんの胸を見て、名前が知りたかったの〜?」

 キキはニヤニヤとして、クフリは小さく吹き出す。ガンケイは努めて平静を装っているが、耳が少し赤くなり始めた。すぐ外で聞いていたグレンとメイロは、顔を見合わせると肩をすくめる。

 画面のウェイトレスが手を振って、反転——並んだ建物を左右に映した、南のセンター通りが映る。

『——どうする?』

 画面が揺れながら、アンテツの小声。

 クフリの背後にグレンが現れ、クフリはメモを指差した。

「そのまま進め。まずは村長だ」

『——了解』





『通信。——シダレ、ソウガ。聞こえてるか?』

 メイロの声を受信した二人——シダレとソウガは、『南の林道』——の、東側の森にいた。

 効果はないほど派手な色の迷彩服を、上下に着た二人。カジュアルなリュックを背負い、鍔の広い帽子を被っている。

「聞こえてる。まだ着いてない」

 折れた樹の枝を踏み、ソウガの前方でシダレが答えた。

『確認。——何かあったら、連絡を』

「了解」

 ソウガの前方を歩くシダレ。退屈そうに「いっそ死体で見つかれば良いのに」と不満を漏らす。「不謹慎だぞ」とソウガは言ったが、昨夜の拾得物を考えれば、その可能性も存分だ。

 目指すは『東の茂み』。

 ファンショの次なる手掛かり……或いは、ファンショ自身。

「もうおままごとね、これ」

 腰から下げているのは、街で買ったエアガン。プラスチックの玉が入っているが、殺傷力はないに等しい。身近に真剣を持つ〈十字ソレット〉では、これを武器とはとても呼べない。

 昨日の接触班は、観光客の設定だった。

 今日の接触班は、役場の役人。

 シダレとソウガは、「サバゲーマニア兄妹」というなんとも杜撰で稚拙な設定を纏い、高い樹々の下、薄い木漏れ日の間を進んでいる。

「あんた元軍人だったけ? こんなん得意?」

「得意だった、だな」

 ソウガが軍にいたのはもう二年も前の話であり——それも所属は、の話だ。最後に射撃訓練をしたのはいつだったろうか? 

 左太腿のホルスターから、銃器を抜いてみる。手にして吃驚……軽い。ちゃちなプラスチックの塊は、撃つよりも、投げたり殴りつける方が有用性が高そうに感じる。

 ソウガは銃をホルスターに戻す。そしてふと、昨夜のクフリとの会話を思い出す。

「そういえばシダレ——『個有武具』はどうやって選んだ?」

「どうやって? なにが?」

「選定基準というか、理由だよ。何でそれを選んだのかって話」

「……急になに?」

 道のりは長い。ことの成り行きを説明しても良いだろう。

「昨日の夜——」





 ウェイトレスの情報では、噴水の中央ロータリーから東の通りに入り、さらに左手——北側の脇道に入り、その突き当たりに建っている古い日本家屋が、村長の家だ。

 南を向くと北側の建物群越しに噴水を見下ろせる、ほんの一、二段、ロータリーから高台の場所。

 アンテツは、錆に染まった古い呼び鈴を押す。小さく音は聞こえたが、人の気配はない。

 もう一度押す。

 ——同じく。

「……なンだ?」

 バンキはドアを軽く叩き、引き戸を引いてみる。鍵が掛かっていた。留守のようだ。

『——仕方ないわ。次に行って』

 「了解」と、その場を去ろうとしたが、急に隣の家の窓が開いた。

「おっと!」

 驚いた姿を見せたのは、老人と呼ぶ手前くらいの高年の男だった。横縞模様のシャツに、ジーパンを履いている。髭や髪は切り揃えており、小綺麗な印象だ。現代でどこから入手しているのか、右手には新聞を持っていた。

「……どう、しました? どちら様で?」

 アンテツは造り笑いを浮かべ、明るい調子で喋り出す。

「私は、役所から来ました——『地方創生観光地区調査員』副係長の、安土と言います。観光地区に居住する方に、それぞれ生活環境の問題や、安全性や満足度の調査を行っています。村長さんの所在はご存知ですか?」

「それはそれは。……あれっ? ……町に行く、とは聞いてなかったけどな……。もしかしたら、町にいるかもしれんね」

「町、というと、この村を南下した先の?」

「そうそう。おたくらの役所のある街の隣の……ナギシさんは一回町に行くと、何日間か泊まってくんよね」

「——最後に見たのは、いつですか?」

「最後。最後かぁ……確か、先週くらいかね」



「行方不明者なら、進展かも?」

 キキはそう言ったが、ガンケイは懐疑的だった。

「まだ分かんないよ」

 視野は見えるが顔の見えない接触班の三人も、同じことを考えているのだろう。

 クフリの背後から、グレンが指示を出す。

「村長代理か、他にあてがないか情報を聞き出せ。怪しまれないよう、深くは踏み込み過ぎないうちに、だ」

 キキが男の喋る内容をメモ用紙に書いた。——「村長、ナギシ」の下に「不在、一週間?」と足し、その隣に「隣人、フミヅカ」とも。

 キキはクフリに「どう思う?」と言うように目で尋ねるも、クフリは肩をすくめ、首を横に振る。ガンケイも同じく。

『——では、失礼致します』



 ロータリーの北側に座した舞陣呉服店は、呉服店とは名ばかりの、和室が開かれただけの民家のようだった。

 小さい玄関に簡素な木の看板は出ているが、ロータリーには縁側が面しており、その窓はいっぱいに開かれて、中の和室には座布団に座る、テーブルに頬杖をついた、一人の老爺だけがいた。

 一応呉服屋である故か、赤と白地の和服に、金の模様が織り込まれた派手な和服を着て、長い白髭を垂らした無味な表情が、近づいてくる三人を見る。近づいてようやく、襖の奥に反物らしき無数の筒状の物が、縦に横にと積まれているのが見える。

 アンテツは声をかけた。

「こんにちは」

「……おうさ。あんたら、どこんモンや」

 小柄で細身の老いた見た目に反し、かなり強めで圧の強い声色であったが、悪意はなさそうだとアンテツは感じ、そのまま自分たちの設定を告げた。

「なんや市のモンか! こっち来いね! 茶でも飲んでけんの!」

 一転。相手が役人であると知ると、老爺は急に愛想が良くなり、ドンソウとバンキにも手招きをする。

「いえいえ。私たちも仕事ですので」

「ええがええがぁ——あばらんとっから、饅頭もぎってん! ほんね待っといね〜!」

 縁側に三人を座らせると、呉服屋の店主は奥に姿を消した。

「おレ、あのジジイがなンテ言ッテンのか、まるデ分かンなかッたぞ」

「わ、私は……何となく、でしたら……」

「——色んな地域の方言が混じったような、滅茶滅茶な方言に聞こえた。俺にもよく分からなかったよ。——バカのふりしてやり過ごすといい」

 アンテツのその指示に、バンキが口をへの字に歪ませた。





『——Oh! このお饅頭、美味シーデース!』

 画面から聞こえてきた、高くファニーな声に、ガンケイは苦笑する。

「出たよバカンキ」

「あれ、よくできるよね。——今度、クフリもやってみせてよ」

「絶対嫌よ。死んだ方がマシだわ」

『——オチャ! ジャパニーズティー! アイラブ、オチャ!』

 ドンソウの映像のバンキは、一挙一動が大きく、トボけたような笑顔を浮かべていた。

「『アイラブ、オチャ!』だって」

 苦笑し続けたガンケイ。クフリは溜め息を吐く。

「気持ち悪いわね」

「酷いよ、クフリ。バンキも頑張ってるんだから。——プフッ」

「笑ってんじゃん」

「ガンケイだって——フフフッ」

「でも何気にさ、アンテツも楽しんでるよね」

「そうでしょうね。じゃなければシダレみたいに、許可制にしたりしないわよ」

『観光? 問題? 安全? ……よう知らん! こんまんでええんよ‼︎ そんのよっか——』

 重要そうな展開は期待できない。

 グレンは外に出ると、メイロは双眼鏡を覗いたまま。

「——何か進展は?」

「不動。——特になし」

「捜索班は見えるか?」

「不可。——連絡するか?」

「いや、そのまま観察を頼む」





「最っ悪‼︎」

 森の中で、シダレの怒声が木魂する。

「声を落とせよ。見つかるぞ」

 と言ってみたものの、こんな場所に来る物好きはいない。

 深くて厚い(湿気でも暑い)常緑樹林から、まばらな白樺の生える『東の茂み』に踏み入る直前、シダレの顔には蜘蛛の住処が阻むように張り付いた。

「んん、ンッ‼︎ まだっ! おとなしくっ! 冬眠でもっ! してろッ‼︎」

 蜘蛛が冬眠するかどうかは、ソウガは知らなかった。なんならシダレも知らないだろう。

 だがもう春先であるため、人間社会が心機一転するように虫や動物たちも出始める頃だろう——手持ちの武器は心許ないので、熊とか猪とかの獣が顔見せにくると、非常に困るのだけれども。勿論、シダレもソウガも歴戦の剣士である。

 加入当初、グレンから最初に教わったのは——「剣を手にするなら、剣に拘るな」。素手でもタダで負けることはないだろうが、目立ったり暴れる必要があるような厄介事は、非常に好ましくない。

「——嗚呼っ‼︎ 気持ち悪いっ‼︎ もう!」

 帽子の下、ツインテールが振り返った。

「……何だよ?」

 片眉を上げたソウガに、シダレはクイッと前方を顎で示す。

「あんたが前行って」

「何で?」

 反射的な即返しで問う。シダレは眉を顰めた。

「……わたし先輩、あんた後輩。——オーケー?」

 新参者はわたしに従え、と。シダレが先輩面をする。

 ——『個有武具』の話は、「ふーん」で済ませやがった小娘。その態度は、昨夜気を遣ってくれた先輩とは、大きく違う。

「何か?」

 ——個性的でよろしいこって。

「近くに着いたら、案内はしてくれよ」





 破天荒な方言に対して、三人は奮闘し食い下がったものの、一生懸命に話を聞こうとする姿勢は、老爺の商魂魂を刺激したらしい。

「ちょんがまっちょんな。こんがったええんもんがこらいって」

 何言ってるのか分からないまま、老爺は筒状の商品を広げようとしたため、

「それは後日、個人的にお伺いします」

 と、役人たち——アンテツ、ドンソウ、バンキは、早口に礼。頭を下げて半ば強引に、呉服屋を後にした。

「セッかくバカの振リシたのニよ」

 ロータリーを歩く三人。大した情報は得られなかった。

『——アンテツ』

 グレンの声。ロータリーの反対側へ向かっていた三人。傍では噴水が水を噴き上げ、人通りのないロータリーは、少しだけ涼しかった。

「グレン——特に進展なし、だ」

『——わかってる。ファンショの原因が不明な以上、針子村が関係ない可能性もあるからな』



「ウェイトレスの紹介した者と、あと誰か二、三人くらいは聞き込みが——」

 グレンがアンテツに指示を出す横で、クフリとガンケイは外へ出た。

 座りっ放しだった体を伸ばし、村を向いたメイロと同じく、展望台から村と周囲の概観を見下ろす。

 涼しく、心地の良い昼下がり。

 クフリはメイロに訊く。

「様子はどう?」

「不変。——報せるべき様子はない」

「そう」

 見下ろしているのは、ただの田舎の集落だ。

 昨日と不変的で、風情も普遍的な、ただの観光集落。

 自然と岩崖に囲まれた、褪せた黄色い円弧と華やかな建物群。

「将来さ」

 ガンケイがクフリを挟むように、メイロとは反対側に立って言う。

「——こういう村に住みたいと思う? いや、今でも良いんだけどさ」

 ————。

「ないわね」

「否定。——わざわざ住む必要がない」

 気まぐれな質問であったが、クフリもメイロも、ガンケイの予想通りに答えた。その理由は真逆であったが。

「都会の方が若い女が多いわ」

「論外。——山に住むなら、他人は邪魔」

 …………よく何年も一緒にいられるよなぁ、と。ガンケイは自身に感心する。

 自身にも、か。他の面々を想像する。

 ——自身も、少しおかしいのだろうか。





「最っ悪‼︎」

 本日二度目——ではなく、たぶん五度目くらいの最悪。

 本当に「最も悪」であるのなら、我らは『正義の天秤』として——〈十字ソレット〉総出で迎え撃つべきだろうが、シダレ個人の最悪は、言わずもがな「最も悪」ではない。

 転けたシダレに手を貸す。

 見上げる顔はソウガの所為だと言いたげに、憎悪と嫌悪に塗れている。

「……大丈夫か?」

 シダレが足に引っ掛けたのは、地面に跨ぐ樹の根。特に何も無く、ただそこにあっただけの根っこだ。

「死ねば良いのに」

 根っこに足を引っ掛けた——じゃあ、よく見て歩いてない方が悪いよな?

 とは言わない。——そんなことは口が裂けても言わない。マジで口を裂かれるかもしれないから。……本気で。

 シダレとソウガは『秋の楔』の発見場所に着いていた。針子村の柵に沿った、『東の茂み』の北寄りの地点。シダレが『鉤爪』で付けたという十字傷も残っていたが、しばらくの周辺探索を経ても、他には何も見当たらなかった。

 ——落ち葉、折れた枝、鳥の羽、ちっちゃい虫(まだ生きてる)——何の不自然さもない、ただの自然環境。昨日も思ったが、強いて言うなら……我らが不自然。

『——何か見つけた?』

 グレンでは無く、ガンケイの声だ。

 進展なしの状況に、シダレは苛立っていた——舌打ちだけしたシダレに代わりソウガが答える。

「何もない。そっちは?」

『————こっちも。接触班が定食屋に向かってる」

「秋の野郎が食事してたら教えて。以上!」

 シダレは通信を打ち切った。





「——ってな訳でねぇ。ほんとにあたしらは、別に不満もないよぅ」

 接触班の三人は、針子村ならではの店——針子店に来ていた。

 ロータリーから南のセンター通りに戻り、西側に並ぶ民家の一つ。

 玄関先に両手の指ほどの数並べられた、それなりの大きさの水槽。水草とメダカの稚魚——「針子」が泳いでおり、その姿は元気が良い。

 玄関に座る三人と、椅子に座るエプロン姿の女。三十代後半くらいの、三人よりも年上の貫禄と、落ち着いたフラットな印象の顔立ち。ショートボブの黒髪を揺らす、その表情は、自嘲気味だった。

 村で見るには、若い方だ。

「猪も熊も出るわきゃないしぃ、虫も蛇もそんな出ないしぃ——観光客も、そんなに来ないしぃ、そんなにねぇ……ん〜…………ないねぇ」

 キラヤと名乗ったその女は、ふんわりやんわりとした喋り方をしており、三人が設定上の仕事に関することを尋ねても、特に何もない様子で、薄い笑みを浮かべ続けていた。

「ごめんねぇ。あんまり協力できなくてぇ」

「いえいえ。——私どもとしましても、問題がなければそれで良いだけです」

「もしかしてぇ、そんなに何もないんならぁ、何か作ったりするのかなぁ? ダムとかぁ? 工場とかぁ?」

「ああっ、いえいえ。そんなそんな——今の所は、問題さえなければ、現状維持になります。何かあるにしても、そのタイミングでこちらから、連絡なり訪問なりしますので」

「そっかぁ」

 アンテツは作り笑いを浮かべる。

「——それでは、そろそろお暇を」

「そ〜う? じゃあまた来てねぇ」

「ええ。今度はぜひ観光に」

 笑顔が二つ向かい合う。



 ——どこかで、カラスが鳴いた。

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