第16話

 六月十一日、テストも終わり、部活動も再開していた。今日は切らしていた材料の買い出しの日。なのだが、なぜか私一人で買い物に向かっていた。先週前回と同じように佐伯君を誘ってみたのだが、

『すみません、来週の部活は予定があるので出られないです。買い物を先輩一人に任せる形になってしまいすみません』

 と断られてしまった。なぜ佐伯君の行動に影響が出ているのだろう。ここ最近は前回とほとんど変わらない動きをしていた。周りに影響が出るほどのことはしていないはずだ。それなのに今私の隣を歩く人はいない。

 いったいどこで変わってしまったのだろう。考えても仕方ないとこはわかっているが、それでも考えてしまうのが人間だ。

 いくら考えたところで答えが見つかるわけではないが、もし今後に影響が出てしまったらと思うと不安になってきた。ただその影響も悪いことばかりではないかもしれない。それによってもしかしたら前回のような悲劇は起こらないかもしれない。もしくはその反対でもっと良くない未来が待っているかもしれない。今の私には見当もつかない。

 こんなことを考えても仕方ない。これからどんなことが起こっても私は柔軟に対応して良い未来をつかみ取りだけだ。

 こんなことを考えながら前回は二人で歩いていた子の帰り道を歩いていると、空が雲に覆われ雨が降り出してきた。

 もうそんな時間になってしまっていたのか。前回は近くのベンチで雨宿りしていたが、今回は一人だ。走って家まで帰ろう。


 七月六日。今年二度目の夏がやってきた。三人で買い物を済ませあとは帰るのみとなっていた時、誰かのスマホが鳴った。佐伯君が直後ポケットからスマホを取り出し操作を始めたのでおそらく彼のだろう。

 これもまた前回とは違った出来事だ。前回の佐伯君は考え事をして危うく車に引かれそうになっていたが、今回はそうでもないので大丈夫かもしれない。影響が出ることも悪いことばかりじゃないかもしれない。

 そう思っていたのだが、過程が変わるだけで結果は同じだった。

 スマホに目を取られていた佐伯君は横から猛スピードで迫ってくる車には気づかず青になったばかりの信号を渡ろうとしていた。

 それを危惧していた私は佐伯君の横に回り込み、信号が変わったと同時に名前を呼んだ。振り返ると私の向こうには止まる気配のない車が走ってきているのが見える算段だ。

 案の定それに気づいた佐伯君は踏み出そうとしていた足を寸前のところで止めた。

「うわ、危ないなぁ。めちゃくちゃ信号無視じゃん」

「本当ですね。誰もケガがなくて良かったです。それより桃城先輩、どうかしましたか?」

 うまくいったようでよかった。ただ、呼び止めた理由までは考えていなかった。一瞬今のうちに遊びに誘うことが頭をよぎったが、夏葉がいるところでしてしまうと予定を合わせるのが難しくなってしまう。そうなると日にちがずれてしまう可能性があったので今はやめておくことにした。

「いいえ、やっぱり何でもないわ」

 誘うのは帰ってから、LINEですることにしよう。他愛もない会話をしながら、私は佐伯君を家に送り届けることもなくまっすぐ自宅へと帰った。

 

 その夜、夕飯を食べ終えた私はスマホと睨みあっていた。何と言って誘うべきか、ずっとそのことで悩んでいた。前回はその場の勢いのようなものだったので、改めて誘うとなるとどうすればよいのかさっぱりだった。

 ただ誘うだけなのに私は何を迷っているのだろう。なぜこんなにも文字を打つ手が震えてしまうのか。

 一時間ほど悩んだ末、結局普通の文章になってしまった。

『今月の二十八日、名駅でスイーツフェアがあるの。よかったら一緒に行かない?』

 返信は割とすぐにきた。

『スイーツフェアですか、いいですね。僕なんかでよければぜひ。中川先輩は誘ってるんですか?』

『夏葉は部活があるから。二人になってしまうけれど、問題ないわよね?』

『それは大丈夫ですけど』

『ならよかった。それじゃあ、二十八日は予定を開けておいてね』

 かしこまりましたと書かれたかわいいスタンプが送られてきたのを見て、私はLINEを閉じた。

 

 七月二十五日。ホームルームも終わり、二度目の二年生一学期が終わった。私は夏葉と別れ昇降口で佐伯君と出会った。

 前回はここで具体的な予定について話していたので話題に少し困っていた。

「それにしても先輩から部活以外で誘うなんて珍しいですね」

「そう?そもそも私たちまだ学校の外に遊びに行ったことなんてないでしょう」

「そういえばそうでしたね」

 くすくすと笑う佐伯君を見て、なんだか少し違和感を覚えた。具体的に何かと聞かれても答えられないが、なんだか今までとは違う気がした。

 その正体に気付けないまま私たちは正門まで来てしまっていた。結局いつも通りの顔をして佐伯君は私とは反対方向へと進んでいき、私たちは別れてしまった。

 前回と同じならば私は今佐伯君の気持ちを聞いているはずだ。けれど今回はそれがなかった。今までの行動が彼に影響を与えた?

 もしかしたら今回の佐伯君は私に気持ちがなかったのかもしれない。思い返せば初めて会った時の彼と今の彼で私に対する態度はずっと変わらなかった。前回は少しずつ私に気持ちがあるようなそぶりを見せていたかもしれないが、今回はそのようなことは一度もなかった。

 期待していたわけではないが、またあの時と同じように佐伯君の気持ちを知る機会があったら私の気持ちも伝えようと思っていただけに、なんだか一人でから回っていた気分だ。

 家に帰ってからの私は少し無気力になっていた。

 期待していなかったというのは嘘かもしれない。本当は心のどこかで佐伯君に好きと言われるのを期待していたのだろう。それだけに今日のことはがっかりもしたが、悲しい気持ちになってしまった。

 もしかしたらこの感情たちが恋というもので、私はもうすでに佐伯君に恋をしてしまっているのだろうか。恋の感情がわからない私にはその答えを見つけることができなかった。


『明日なんだけれど、金時計に十時半に集合でもいいかしら?』

 前日の連絡というのもあり、前回よりも少し早めにLINEを送っていた。既読はすぐにつき、返信が来た。

『大丈夫ですよ。明日、楽しみにしています』

 普通の返事が返ってきたのを見て私はLINEを閉じようと思ったが、まだ開いたままでいた。

 もしこのままだったら佐伯君はまた通り魔の被害に遭ってしまうかもしれない。前回と同じような明日の迎え方ではだめだ。今は佐伯君に影響を与えなければならない時だ。

 そう思った私は追加で彼にLINEを送った。

『それと、今日の夜は外を出歩かないでね』

 こんな言葉一つで変わるかはわからないが、何もしないよりはマシなはずだ。

 前回の私は佐伯君が被害に遭った場所を報道で聞いていなかった。いや、正確には聞いていたのかもしれないが、ショックのあまり内容を覚えていない。だからなんとか佐伯君を外に出さないようにしなければ。

 そんなことを考えていると佐伯君から返信が来た。

『どうしてですか?』

 当然の疑問だろう。私はそれっぽい言葉を並べてなんとか納得してもらおうと思った。

『最近物騒でしょ?夜道は危険も多いし、念のためよ』

『それもそうですね。でもそれなら先輩の方こそ気を付けてくださいね』

 こんなので果たして防げるのだろうか。でも、やれるだけのことはやったと思う。あとは佐伯君が外を出歩かないことを祈るのみ。

 どうしてもその不安を拭いきれずにはいられなかったが、明日に備えて早く寝ることにした。


 翌朝、起きてすぐにテレビをつけニュースを見ていた。まだその時間にはなっていないようだった。

 母が仕事に出かける。確か前回はもうすぐだったはず。番組が変わり見たことのあるアナウンサーが画面に表示された。

『おはようございます。七月二十八日、朝のニュースのお時間です。昨夜、連日お伝えしている通り魔事件が新たに発生しました。被害にあったのは佐伯彰人さん、十六歳。○○町の橋の上で血を流し倒れているところを、近くを通りかかった通行人により発見されました。———』

 全く同じ文言で淡々とアナウンサーが原稿を読み上げる。

 やっぱりあれだけじゃ何も変えられなかった。もっと強く言っておけば…そもそもLINEだけじゃ限界があったのかもしれない。

 もっといい方法があったのではないかと今になって後悔する。今更したところでもう遅いというのに。

 前回ほどのショックはない。なんとなくそんな気はしていた。それでも私の中にはまた佐伯君を死なせてしまったという後悔と謎の罪悪感が生まれていた。

 私がもっとうまくやれていたら。そんな考えばかりが私の頭を支配する。

 外では雨が窓を強く打ち付けている。時折強風が窓を揺らし木々を揺らし吹き抜けていく。

 テレビは何もなかったかのように天気予報へ移り、淡々としていたアナウンサーの表情が少し緩んでいた。

 次第に外の環境音やテレビの音も聞こえなくなっていく。


 次に気づくと、私はまた春の調理室で座っていた。

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