第4話 乳母の正体とかつての物語


 イェレファロン――

 擬人化してはいるが、目の前にいるのは龍。

 それも人の世において、人が治める国を守護する珍しい龍である。


 始まりは昔々、大河の恵みを受けたとある国に、一人の姫が生まれたことによる。

 その時代も皇室に姫はほかにおらず、弱き者を慈しむ優しい心根の姫を、周りの者は溺愛した。



 とある日、皇宮の中庭にそれはそれは大きな龍が降臨した。

 皇宮のとてつもない広さの庭が、狭く感じるほどに。


 龍の鱗は光を受けて虹色に輝き、その姿に人々は畏敬と恐怖を感じる。 




 運命の糸は正しく作用し、離宮から決して出ることのなかった姫が、その日初めて皇宮に足を延ばしていた。

 中庭にいる龍の元までやってくるが、警備兵たちは皆が慈しむ姫に何かあってはならないと焦りを感じた。



「わたくしを呼びましたか?昨夜夢を見たのです」


 龍の頭は、人間の頭上よりずっと上のほうにあったのだけれど、その言葉ですっと頭が下りてきて、姫の頭と同じ高さになった。


「イェレファロン。イェレ大河から生まれ出た守護龍よ。わたくしの生まれた国をずっと守護して下さっていたのですね」




 とうとう出会えた、と――

 光彩揺らめく美しい青は満足気に細められた。


"貴女は私のつがいゆえ、国を守護するは必然"


 心地よい"音"は頭の中に直接沁み込むようで、警備兵たちの一人は持っていた槍の矛先をそっと下ろしてざっと跪いた。それは一人、また一人と、風に揺れる水面のように広がっていく。



「……わたくし、ずっと不思議だったのです……皆が良くしてくれるというのに、心にぽっかりと大きな穴が開いているような心地がずっとしていて、不安で孤独で……そう、孤独。孤独だったのです」


 姫が心情を絞り出すと、大きな龍は姿を変え人型になっていった。

 儚げな姿でありながら、瞳の光は誰よりも強い姫の頬を、人の姿になった龍が優しく撫でる。  


「……もう貴女を一人にはしないよ。ずっと一緒だ。それを許してくれるだろうか……?」


「わたくしようやく分かりましたの。貴方がいて初めて満たされるのだと」


「龍は狭量で偏狂だが、構わないかい……?」


「あら。わたくしもそこは同じですの。仲が良くて何よりですわ」




 仲睦まじい姫と龍はその日以降必ず一緒だった。


  



 ――だが、人とは脆く儚いもの。姫の艶やかで豊かな黒髪は残らず白髪となり、とこから起き上がることも出来なくなって、とうとう身体をおかえしする時がやってくる。



「イェレファロン……今までありがとう……わたくしとても幸せでした……」


「貴女が私の名前を呼んでくれるその声が何よりも愛おしかったよ」


「この世は魂を浄化する試練の場だと教わりました……貴方を置いて逝くのが試練になるとは……最期にお願いがありますの」


「……なんだい?」


「わたくしのあとは追わないでくださいね」


「……何故分かってしまったのだろうね」


「だって"逝かないで"と言われませんでしたもの」


 儚い笑顔を浮かべたあと、姫は毅然とした表情になった。

 命の灯が消える直前……瞳の光は誰よりも強く――


「わたくしは必ず生まれ変わってみせますわ……ですから貴方はそれまで、わたくしの家族を……そしてこの国を守って下さいませ……」







 葬儀では最期まで心優しかった姫の死を悼み、涙しない者はいなかった。


 龍は姫の葬儀には姿を現さなかった。



 誰も龍を咎めることは無かった。

 皆にはよく分かっていたからだ。




 しとしとと雨は三日三晩降り続けた。


 



 以降、龍の姿を見た者はいない。


 イェレ大河のほとり、豊かな恵みを受けて、国は存続する。

 国を守護する龍がいることは、いつしか忘れ去られ、ゆるやかに、そして確実に、長い長い時が経ってようやく――


 




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