第23話 プレスコット伯爵と黒幕の正体

 不用心・・・なことにプレスコット家の屋敷には牢屋というものはなかった。やむを得ず、黒ずくめの男は治療後に地下の倉庫に押し込めておいた。自害されないよう、猿ぐつわをかませてあるし、身動きできないように縛り付けてある。倉庫の扉は頑丈に出来ているので、破城槌カタパルトでも持ち込まない限り抜け出せはしまい。


 本当なら尋問なり拷問なり始めたいところだったが、テオから止められてしまった。何故か目を泳がせながら今夜は遅いから、と言われたので明日は朝からみっちり・・・・やるつもりである。


 明日に備えて早々と寝ようとしたところに、話があると言われテオの私室へと向かう。大事な用件と言われれば従うしかない。


 何の用事だろうか。もしや、此度の失態への叱責だろうか。当主の命を危険にさらすなど、それとも先日のベッドの件だろうか。初夜の一件だろうか。心当たりが多すぎて見当が付かない。いっそ全部まとめて、という線も考えられる。それならそれでいっそ清々しい。来るなら来い、とジェラルディンは腹をくくった。


「失礼致します」


 テオの部屋にやってきた。呼ばれたのが寝る前ということもあり、湯浴みの後で白い薄地のナイトドレスに着替えている。銀色の髪をゆるやかに編み込み、化粧も落としている。


「あ、ああ。すみません。お呼び立てして」


 テオはベッド脇のテーブルで書き物をしていた。白の夜着に薄手のナイトガウンを羽織っていた。濃緑色に植物の柄が銀糸で刺繍されている。いかにも服に『着られている』格好だが、見られているジェラルディンは気にならなかった。


 見られてまずいものでもあったのか、ひどくうろたえた様子でうながされて向かい合うように椅子に座る。


「夕方の件ですが」

 と、テオが机の上の書類をジェラルディンに手渡す。税金の収支報告書のようだ。


「犯人はもうわかっています」

「尋問されたのですか?」

 その必要もありません、とテオは首を横に振った。


「命じたのはヘーゼルダイン侯爵です」


 ジェラルディンは少なからず驚いた。テオの上司ではないか。内政を司る大臣で、国の要である。表立って処罰するならともかく、何故テオを暗殺しようとしたのか。


「侯爵こそ王国を蝕む寄生虫、いや、宿痾しゅくあと言い換えてもいいでしょう。表では質素倹約を謳いながら裏では不正な蓄財をしていました。それだけならまだ可愛いものですが、飢饉を誘発して民を飢えさせたとなれば、もはや存在自体が害悪です」


 テオにしては辛辣な物言いだが、その違和感を吹き飛ばすほどの衝撃だった。


「飢饉を誘発、とは?」

「国中に蝗をばらまいたんですよ。大発生は侯爵が原因です」


 耳を疑った。敵国ならいざ知らず、自国にばらまくなどあるはずがない。何より蝗の被害はヘーゼルダイン家の領地にも及んでいる。


「狙いは麦の値上がりです」


 不作となれば当然、麦の価格は吊り上がる。ヘーゼルダイン領はマクファーレン領と並ぶ穀倉地帯である。他家の領地や隣国に蝗をばらまけば、あっという間に食い潰すだろう。そうなれば自領の麦は価格が数倍にもなる。


「蝗の繁殖力と生命力をなめていたんですよ。本来はマクファーレン家の麦を潰したかったのですが、その前に逃げ出した蝗によってまず自分の領地がやられ、周囲の土地にも拡散しました」


 皮肉なことに、マクファーレン家はヘーゼルダイン領と距離が離れているのと、いち早く対策を打ったために、被害を最小限に抑えられた。


「当然、明るみに出れば侯爵一人の首では済みません。だから色々と証拠を握りつぶしたようですが、蝗の動きまでは消しきれませんでした」


 こちらです、とジェラルディンが持っている書類のページをめくり、指さす。


「蝗の被害報告を時系列で並べると、最初はヘーゼルダイン領からです。被害はそこから同心円状に広がっています。発生源に間違いありません」


「それだけでは……」

「蝗をどこから手に入れたと思います? ハイド王国ですよ。隣国の蝗被害を聞きつけて思いついたんでしょうが、それが命取りになりました」


 またも書類のページをめくり、抜き取ると一番上に持ってくる。何やらいくつもの証言を書き写したもののようだ。


「ヘーゼルダイン家の騎士が兵を引き連れて、蝗を袋に集めていたとハイド王国の騎士が目撃しています。紋章も付けずに奇妙な行動を取っていたので記憶に残っていたようです」


「敵国の証言を信じるのですか? それに、どうしてヘーゼルダイン家の騎士だとわかったのですか」


「馬だそうです。過日の戦いで見かけた馬だったと」

「なるほど」


 馬の顔は一度見れば忘れない。むしろ人間より覚えやすいくらいだ。ハイド王国にも見分けのつく人間がいても不思議ではない。


「しかし、それだけでは……」


「言いましたよね。『人が動けば金勘定』だと。ヘーゼルダイン家の騎士がハイド王国への街道で泊まった宿に、買い求めた食糧に土産、あとは篭の鳥・・・への支払い。『金の動きは人の動き』でもあります。その日、その騎士や兵士が何をしていたか一目瞭然というわけです」


 なんだか煙に巻かれているような気さえしてきた。


「……今の話は真ですか」

「プレスコットの家名に誓って」

 テオはこくりとうなずいた。


「すでに陛下にも報告しています。穏当な措置を、と言いたいところですが被害状況を考えれば難しいでしょうね」


 ヘーゼルダイン家は間違いなく潰されるだろう。侯爵も死罪は免れない。一族郎党処刑もあり得る。


「そこで一発逆転を狙って僕に刺客を差し向けてきた、というわけです。万が一を考え、途中で馬車を乗り換えてきたのですが、気づかれてしまったようで。いや、あなたが来てくれなければどうなっていたか」


 仮にも伯爵への刺客にしては少なすぎると思っていたが、どうやら分散した後だったようだ。


「すでに陛下の耳にも入っているでしょう。あとは何も問題ありません。明日には王宮から兵が引き取りに来る手筈になっています。ですから拷問も尋問も無用です」


 ここにきてようやくテオの意図を理解した。長話はジェラルディンに拷問をさせないための説得だったのだ。ムダなことを、と思ったがあえて口にはしなかった。ジェラルディン自身、人を傷つけて楽しむ性分ではない。必要があればするだけで、ないならやらない。それだけの話だ。


「命懸けにはなりましたが、問題が一つ片付きました、いやほっとしました」


「テオ……様が命懸けなのは、私のせいですか?」


 テオの行動が命がけだとわかったが、どうにも理由が思い当たらなかった。王国や陛下への忠誠心でもなければ国土への愛着とも思えない。先日の言葉を気にしているのだろうか。


「別に誰のためでもありません。僕は僕の『敵』と戦っているだけです」


 相変わらず平坦な口調だが、その言葉には闘志があふれていた。日頃、淡々としてむしろ気弱とさえ映るテオが『敵』という強い言葉を使った。その事実にジェラルディンは興味を惹かれた。


「ヘーゼルダイン侯爵ですか」

「あんなのはただの無能です」


「ハイド王国、でもなさそうですね」

「この国の敵ではあるでしょうが、僕の『敵』とは違います」


「それでは、一体誰なのですか?」

 テオは静かに言った。


「『貧困』です」


 ジェラルディンは判断に迷った。形のない、曖昧なものだ。何より何をもって『貧困』と呼ぶのか。金持ちであれば良いわけでもあるまい。清貧という考えだってある。


 困惑を悟ったのか、テオはにっこりと笑った。


「こいつは難敵ですよ。バケモノです。形も命もなければ、これといった攻略法もありません。放っておけば無限に増殖して人間を苦しめ続ける。英雄譚は僕もあれこれ読みましたが『貧困』を倒した英雄など見た事がありません。せいぜい宝物を領民に配るか、国を豊かにする程度です」


 世の中には悩みや苦しみは尽きないが、大半の問題は一つに集約される。『金がない』だ。命のように失えば金があってもどうしようもないものや、情愛のように金では買えないものもある。だが、金がなければ住む場所も着る服も食べ物も手に入らない。命は守れず、夫婦や恋人も過酷な生活に心と体を磨り減らし、やがて愛も冷めていく。


「一切れのパン、わずかなスープをめぐって殺し合う。そんな話はそこかしこに転がっています。『貧困』は人間らしさを簡単に奪い去ってしまう。獣に変えるんです。清貧なんて言葉もありますが僕に言わせれば、蓄えのある人間の戯れ事ですよ。自分や愛する家族が飢えて苦しんでいる時に精神的な余裕を保っていられるほど人間は強くありません。こいつは、僕にとっての仇敵です」


 いつの間にか、テオがひどく冷めた目をしているのに気づいた。きっと彼はジェラルディンの知らない地獄を見てきたのだ。今まで戦場にも出て、命懸けの戦いを何度もしてきた。手傷も負ったし、一つ間違えば屍をさらしていただろう。過酷な戦いを生き抜いたのは、ジェラルディンの自負でもあった。


 それでも飢えた経験はなかった。先祖累代の館に住み、流行遅れであろうと平民とは比べものにならぬほど高額な服を纏い、食卓には常にパンもスープ、肉や野菜が出ていた。当たり前と思っていた生活が、不意に砂上の楼閣のように脆く感じた。


 一体、今までどんな生活をしていたのだろう。旅の商人ではなかったのか? 理解出来ぬことばかりであったが、貧しさを嫌悪……いや、憎悪していることはわかった。そして、もっとテオのことを知りたくなった。


「……あなたならばそれを倒せると?」

「まさか」

 とんでもない、と言いたげに手を振る。


「僕の命など百個あったって倒せやしません。こいつは世界中の人間が知恵を出し合っても倒せるかどうかという悪魔です。まして僕一人では、毛筋ほどの傷も与えられないでしょう。ですが、それだけにやりがいがあるというもの。男子一生の仕事というやつです」


 ははは、と乾いた笑い声を上げる。


「何より、この国の窮状すら救えないのであれば、尚更ムリでしょう」


 自嘲的な響きに、嫌な予感がした。聞くべきではないと思ったが、聞かずにはいられなかった。


「万策尽きました」

 テオの表情から嘘や冗談でないことは分かった。


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