邂逅(わくらば)に重なりし灯は妖しくもあたたかく

夜桜くらは

第一朔月

第一話 わくらばに重なりし灯①

 それは、月の見えない夜のことだった。

 その日はわりと大掛かりな手術があって、流石の私も疲れていた。長いこと照明の下に居たせいで目もシパシパするし、肩から首にかけての筋肉は強張ってる。はやいとこ家に帰って、温かいシャワーを浴びたい。そんな欲求を抱えながら、病院の裏手から駐車場に出たときだ。


「……?」


 視界の端を、光るなにかが横切った気がした。

 疲れ目のせいで見間違えたのだろうか。私は足を止めて、周囲を見渡してみる。


「いた!」


 今度は見間違えなんかじゃない。確かに光るものがいる。ふらふらと駐車場の奥の方を飛んでいるさまは、まるで人魂のようだ。

 私はそれに吸い寄せらせるように歩みを進めた。


 近づいていくと、人魂の正体がわかった。それは一匹の蝶だった。……と、言ってもただの蝶じゃない。

 その蝶は、炎で出来ていた。蝶の羽をかたどった橙色の炎が、炎で出来た鱗粉りんぷんを散らしながら飛んでいる。その様は幻想的で美しかった。

 私はしばらくその蝶に見とれていた。すると、蝶はぴたりと動きを止め、まるで私から逃げるかのように進路を変えた。そして蝶は、駐車スペースの脇にある植え込みに消えた。私もそのあとを追う。

 炎で出来た蝶なんて世紀の大発見だ。是非とも捕まえて観察してみたい。そう思った私は植え込みに足を踏み入れた。


「わっ!」


 瞬間、地面が消えた。

 正確には、地面がなくなったわけじゃない。私の立っている地面が急に液状化したのだ。そして、そのまま私は為す術もなく地面に飲み込まれたのだった。



「ん……」


 次に私が目を開けた時、そこはもうあの駐車場ではなかった。辺り一面の闇だ。身体を起こして上を見上げても、星の一つも見えない。ただ黒い絵の具で塗り潰したような暗闇がどこまでも続いている。


「ここは……どこ?」


 私は、自分がどこにいるのか確かめるために、辺りを見回した。そして見つけた。遠くの方で、あの蝶に似た色の灯りが浮いているのを。

 私は灯りに向かって走り出した。あれがもし蝶じゃなくても、何かの手がかりにはなるかもしれない。

 そう思ったものの、地面は何かでこぼこしていて走りにくいし、かと思えば急にツルツルした氷の上みたいになったりする。

 それでも私は灯りを目指して走り続けた。


 走って、走って、ようやく灯りがはっきりと見える距離にまで近づいた時、その灯りは蝶ではなく街路灯であるらしいことがわかった。


「はぁ……はぁ……。なんだ……。でも、灯りがあるだけマシか……」


 私は息を整えながら、ゆっくり灯りに近づいた。蝶ではなかったことは残念だが、街路灯ということは、近くに人が居るかもしれないということだ。

 そう思って足を進めかけ──私はすぐに足を止めた。


 ──街路灯が、動いた。


 ……違う。街路灯じゃない。あれは──異形だ。

 体長は二メートルくらいだろうか。灯りに照らされた胴体は、ロングコートを羽織はおった人間のようなシルエットをしている。しかし、その頭部は人間のそれではなかった。“灯り”が頭なのだ。

 ガス灯のランプ部分のような構造物が胴体の上に乗っかっていて、その内側では炎がメラメラと燃え盛っていた。

 頭部に炎を灯す異形。ソイツは二本の腕のようなものを使って、頭と胴体の間──人間で言うところの首の辺りをゴソゴソやっていた。

 そうしてしばらくすると、異形は首の辺りからなにかを取り出した。炎で出来た蝶。さっきの蝶だ。


「あ……!」


『……ア?』


 思わず声を上げた私に反応して、異形が振り返った。


『……ハ? え……?』

「わぁ……しゃ、しゃべった……。こ、こんにちは……?」

『ア……ェ……?』


 お互い困惑して固まる。……いや、私は困惑してる場合じゃない。この異形が私に危害を加えないとは限らないのだ。


「あ、あの! わ、私! 怪しい者じゃなくて……!」

『マ、待テ……エ、え~と……』


 異形は、まるで言葉を探すように頭をゆらゆらと揺らした。


『アンタ、“人間”……?』

「そ、そうですけど……」


 私が答えると、異形は何やら困ったような顔をした。……いや、炎で出来てるんだから表情なんて分からないんだけれど。ただ雰囲気でそんな感じがしたのだ。


『エェ~……? ナんデこンなトコロに人間がいるンでスか……?』


 異形は頭をきながらそう言った。良く見ると腕は四本あるらしい。そのうちの二本は戸惑ったように頭を搔いていて、残りの二本はぶらりと下げられていた。


『コレ、マズイよなァ……。絶対マズイよなァ……』

「あの……?」

『エ……と、すンませン。ちょっト取り込んでまシタ。……ヒトツ聞いテ良いでス?』


 異形は一本指を立てて聞いてきた。枯れ枝のような腕に、いびつに節くれだった四本指。こうして間近で見ると、本当に人外の存在なのだと思い知らされる。


『ココってドコか分かりマス?』

「い、いえ。私も気がついたらここに居たので……」


『エェ……ドうヤッて来たンでスか?』

「それが、蝶みたいなのを追ってたら急に地面に飲み込まれて……」


 私は素直に答えた。すると異形は頭を抱えた。


『マぁ~ジでスかァ……。アアァ……コレ、ワァシのセいジャねぇでスかァ……』


 異形は全ての腕で頭を抱え、何やらブツブツと呟き始めた。


『あァ~……コレどォしよウ……。デモドォ~考えてもワァシがコイツを散歩さセタのガ原因だヨなァ……』


 呟く異形の頭上では、あの蝶が炎の鱗粉を散らしながら飛んでいる。たまに、揺れる何かの先に止まっているのは、異形の体の一部だろうか。

 そっと見てみれば、異形の腰から下は脚ではなく蛇のような胴体だった。蝶が止まっていたのは尻尾の先みたいだ。


 医者としての性だろうか。異形の身体の構造が気になって仕方がない。私はこの隙に、改めてこの異形を観察させてもらうことにした。

 頭から下は赤黒い色をしていて、まるで血に染まったかのよう。服らしきものは着ておらず、ロングコートの裾に見えたものはそういう形の体の一部らしかった。そして、腕は人と同じか少し長い程度。太さは人であれば栄養失調を疑いたくなるような細さだ。胴体は人のそれとほぼ変わらないが、腰から下は鱗に覆われていて、つるりとしている。

 ……なるほど。人外の生き物だと言われれば納得するしかない姿形だ。

 私がそんなことを考えている間も、異形は頭を抱えたまま悩んでいたが、ようやく観念したのか私に向き直った。


『と、とりあえズ……。こンなトコロで立ち話もナンですシ、ワァシの拠点に招待しマスね』

「え? いえそんなご迷惑を……」

『イえ、いいンでス。ワァシにモ責任がアリますノデ……』

「はぁ……」


 なんだか少し歯切れが悪い感じもするが……。まあ悪い人(?)ではなさそうだし、こんな場所にずっと居るのも不安だ。正直言ってこの異形の拠点とやらにも興味があるので、招かれることに異論はなかった。


「じゃあ、お願いします」

『ハい。ではコちらニ……』


 異形は私に背中を向けて進み出した。私はその後について行くことにした。

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