初恋を貫く為にーリリアーデ

「まあ殿下、起き上がることが出来るようになりましたのね」


妃教育から戻ったリリアーデの声を聴いて、エリンギルはそれでも微動だにせず椅子に腰かけていた。

肘を肘掛けに着き、手のひらで顔を覆っているので表情は分からない。

ただ、不穏な空気を感じて、リリアーデは笑顔を失くした。


「……騙していたのか」


低い声で問いかけられ、リリアーデは抱えていた教科書を落としそうになり、傍らの小卓にそれを載せる。

今までの様に何事もなかったように嘘をつこうとして、いつの間にか手を下したエリンギルの鋭い眼と視線がぶつかる。


「騙しては、おりません」


初めて出会った時に、恋したのは真実だ。

新年の挨拶で、大きな露台に出て、城から手を振る姿を、城の庭から貴族達と見上げていた。


「だが、薬を盛っただろう?」

「……それは否定致しません……」


次に会ったのは、婚約者不在のお茶会での事だ。

苛々と怒りっぽくなっていたエリンギルと、令息の喧嘩ですぐにお茶会はお開きとなってしまった。


「……何故だ」

「殿下を、お慕いしていたからです」


三度目の邂逅で、やっと、エリンギルが自分を見つめてくれた時、余りの嬉しさに涙が溢れた。

婚約者のエデュラがいるのは分かっていたけれど、嬉しかった気持ちは本当だ。

父親による刷り込みかもしれないが、王子に愛されるというのは長年の夢だったのだから。


「俺から愛する番を奪っておいてか」

「奪ってはおりません。……薬を盛ったのは半年も後からでございます」

「……嘘を申すな!」


誰もが持っている薬ではない。

リリアーデは正面からエリンギルを見据えた。


「「阻害薬」は禁止薬物でございますれば、簡単に手に入る物ではありません。それに、殿下が我が家にいらして下さるまで、わたくしと殿下が会う機会など、無かったではありませんか」


始まりは、そうだ。

エリンギルにとっての始まりは、父が設けた謁見の間での出来事だった。

思い出すように視線を泳がせて、エリンギルは思い当たる。

付き合うようになってから、リリアーデが手作りの菓子を持ってくるようになったことを。


「薬が無くとも騙せていたのならば何故」

「エリーナ姫と父に言われたのでございます。体が大人になるにつれ、変化が訪れると。いつか、エデュラ様を番だと認識してしまうから。そうしたら、殿下はわたくしを捨てるでしょう」


今だってそうだ。

王族の魔力や血は強すぎて、その分の反動とばかりに番への執着も凄まじい。

何もかも、リリアーデはエデュラに届いていなかった。

唯一愛して貰えたのは容姿、その色彩だ。

楽しい事だけをして、エリンギルの嫌がることは絶対にしなかった。

エデュラと違って。

彼女は、エリンギルの為を思って、悪者になろうとも意見を曲げなかった。

番だから、出来る事だわ、とリリアーデはその頃から思っていたのだ。

どんなに辛い思いを押し込めているか知らずに。

引き離される苦しみと悲しみを知らずに。


「エデュラ様には申し訳のない事を致しました」

「……満足か」


床に視線を落としたまま、エリンギルに聞かれて、リリアーデは考える。

もし、父と姫の甘言に乗らずに、エリンギルがエデュラを番と気づくまで傍に居られたのなら。

捨てられただろうか?

きっと、そうなったと確信は出来る。

でも、エデュラは。

彼女は優しいから、縋ればエリンギルの側に置いてくれたかもしれない。

それはそれで残酷な優しさだとしても。


「……いいえ、間違った選択をした、と思っております。わたくし達の番は別の方でしたもの。貴方もわたくしも、間違った相手を選んでしまった。でも、お慕いしていた気持ちに偽りはございません」

「分かった。もう良い。下がれ。もう、薬は要らぬ」


ですが、と言おうとしてリリアーデは言葉を吞み込んだ。

無言で淑女の礼を執ると、私室へと引き上げる。


「私は王族になりたいだけよ。別に相手は誰だっていいの。ギル様じゃなくたって……ギル様……」


彼はまた、抜け殻の様になるのだろう。

まるで魂だけ抜け出て、番の元へと行くように。

リリアーデにはそれを止める事すら出来ない。

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