第27話 態謁群
神殿地下———地上で残存戦力が死力を尽くしている最中、彼らもまた迎えるべき最期の為に行動していた。
千年以上に渡る長い歴史の中で拡大と縮小を繰り返し、半ば迷宮と化したその地下空間は、一般人がひとたび迷い込めば自力で抜け出すことは不可能といっても過言ではない。
「態謁群」や、歴代の司祭たちがこの場所への軽率な訪問を固く禁じていたのはそれが理由でもある。
ある場所は倉庫として、ある場所は居住区として、ある場所は礼拝堂として、ある場所は教室として、またある場所は図書館として。この場所はあらゆる施設を一挙に内包する混沌とした聖域なのだ。
その聖域の中で、「態謁群」である彼ら四人は働き蟻のように内部を駆けまわっていた。
もう何度も巡った道。通路をギリギリ通れる程度の幅の金属製の台車には、大量の火薬が詰まった木箱や麻布がいくつも載せられ、ガタガタとけたたましい音を周囲に反響させながら行き来する。
彼らが下す最後の審判は至極単純なものだった。内部に「騎士」をおびき寄せたら、火を放ち「騎士」の原動力である酸素を可能な限り奪う。そして現存するだけの火薬を全て使い、内部を崩落させ「騎士」を生き埋めにする。それだけ。
この案を最初に提示したのは謁長である彼だ。これまでの「騎士」の動きと、オルカフィから受け取った情報を鑑みても、現状通常戦力で勝つことは現在「騎士」が疲弊していることを加味したとしても現実的ではない。
生身の人間がアレと相対した時点で、基本的には敗北が定まっているようなものだ。
無論、この作戦が百パーセント上手くいく保障などどこにもないし、誰も責任などとってくれやしない。自分の尻ぬぐいをしてくれる人間など、もうどこにもいないのだ。
汗が無尽蔵に滲み、身に纏う衣類にはいびつな世界地図が浮かび上がる。既に何往復したか分からないが、倉庫に詰まっていた火薬の類はすっかり空になっている。
あれらは自分たちが集めた物ではない。これまでの歴史の中で主戦場で戦う者たちが後世の為にと備蓄しれくれていた物だ。
守るべき神殿の破壊の為に使われるのは彼らからすれば不本意かもしれないが、現状を理解してくれるのならば、声を挙げて応援してくれるだろう。
「ふぅ…………ロロン、そっちはどうだ」
『こちらは半分ほど終わりました。あとは柱や天井付近に仕掛けるものが大半です』
「分かった。搬入はもう終わりそうだ。そっちを手伝いにいく」
ラグヴェアは年季の入った台車をそっと置くと、感慨に耽るように目を閉じてもう一度息をついた。その瞬間、まるで走馬灯のように、不意に過去の情景が思い起こされる。
◆
————振り返れば、ろくな人生を歩んでこなかったように思う。それなりの家に生まれ、それなりの没落を味わった。
ただ幸いなのは、傍に彼女が常に居てくれたこと、そして生きていてくれたことだ。あの時レファが戻らなかったら、自分は数十年前に命を捨てていただろうから。
「態謁群」に入ってからは常識外の連続で、毎日がまるで災害のようだった。
数十年前のこの地は当然今よりも治安は最悪で、強盗、殺人は風が吹くように発生し、命の危機とは常に隣り合わせ。街を襲う空襲もテロ紛いの事案も日常茶飯事で、街や郊外の立ち入り禁止区域は日を追うごとに増えていく。
しかし、そんな嵐のように過ぎ去る日々の中で起きるのは、悪いことばかりではなかった。数十年前に発生したとある事件がきっかけで、ラグヴェアには子供ができた。
勿論、実の子供ではない。破壊された孤児院から救出された二人の子供、オルカフィとロロンだ。事件の渦中ではあったが、二人との出逢いが、自身の人生に新たな彩りを与えた。レファは母の代わりに、ラグヴェアは父の代わりに二人の面倒を見るようになった。
そしていつしか、その二人は自ら「態謁群」への加入を志し、義父らと同じ立場に立ち、ともに緊張地の為に動くこととなっていく。
「……………………」
無論、謁者という立場がどれほど危険なものなのかは、ラグヴェア自身も長年の経験からよく分っている。
ラグヴェアは、二人の意向を初めて聞いた時、どう回答するのが正しいのか分からず、思わず口を噤み言葉を繕い、「冗談はよせ」と、適当にあしらうしかなかった。
その志に沿い「態謁群」への加入を認めるのが正しいことなのか、それとも危険だから、危ないからやめろと、二人の身を案じて強引にでも止めるのが正解なのか。
二人は既に引き取った時のような幼い年齢ではない。立派な大人だ。今さら自身の言葉で二人の意思を捻じ曲げることなど許されるものではないと、そう感じてもいた。
しかし、そのいささか独善的な思いは、長年付き添ってきた彼女から諭されるように洗い流された。
『……ご主人様は、二人に対して抱え込み過ぎです。紆余曲折ありましたが、今日までこの緊張地で生きてきた二人が、自らの意思で「態謁群」に入りたいと望んだのは、二人が成長したという何よりの証です』
『ご主人様の気持ちは、痛いほど理解できます。ご自身の選択で二人を謁者として迎え入れ、その後に取返しの付かない何かが起こったら、ご自分では責任を負うことが出来ないかもしれないと危惧していることも、そのような未来を見る覚悟がないのだと思っていることも、全て私は分かっております。それは、ご主人様が誇るべき最も優しい部分ですが、同時に危うい部分でもあると思っております』
レファはラグヴェアの思考を全て見透かすようで、その言葉は一言一句、ラグヴェアの心に刻み付けられた。
『……勿論、何も気になさる必要はありませんなどと、無責任なことを言うつもりはございません。大切だからこそ、何を差し置いても、まずその身を案じるというご主人様の美徳は私が一番理解しております。かつてご主人様が私にしてくださったような………あの、冷え切って砕けてしまいそうな私の心に、火が灯るような暖かさをくださったからこそ、私は何があろうと貴方様に付き従って生きようと決意したのですから』
「……………………」
『私も、「態謁群」の一員となり、今まで危険な目には度々遭遇いたしました。あの事件を経て引き取った二人が、この動乱の渦中とも言える緊張地で健やかに成長してくれたのは奇跡かもしれません。ですから、その一度助かった命を、再び火種に投げ入れるような真似を容認することが許せないことだとしても………これは、彼ら二人の人生なのです。誰が親かなど関係なく、二人の成長を見守った一個人として、私とご主人様には、その行く末を縛る権利などないはずなのです』
彼女の言葉は、まるで恒星のように熱を帯び、流星のように早くなる。レファとはこれまでずっと同じ時を過ごしてきたが、ここまで自身の言葉をはっきりと口にするのは、あの時以来かもしれない。
彼女自身、表向きは冷静を保っていたが、ラグヴェア以上に複雑な思いを抱えていた。二人を引き取って十年近く共に昼夜生活をし、紛いなりにも家族として暮らした。
その時の彼女の様子は、彼らの本当の母のようで、既に子供を身ごもることが叶わない身となったレファにとっては、まさに夢のような時間だったのだ。
だが、いつまでも過保護のままではいけないのだと、彼女自身も思うところがあったのだろう。二人が成人となり、緊張地で自らの手で生計を立てるようになってから、その思いは次第に強くなっていった。
今でこそ二人を「様」付けで他人行儀な呼び方をしているレファだが、身柄を引き取った当初、彼女はまるで我が子のように〝くん〟〝ちゃん〟付けでひどく可愛がったものだ。それは距離を置いているのではなく、二人を尊敬している証だ。
まさか「態謁群」への加入を志すとは思いもしなかったが、しかしそれも必然だったのかもしれない。
———また、子供ながらに聡い二人は、「両親」の身元と、二人が普段秘密にしているその「仕事」の内容を調べた始めたのだ。
引き取られた当時、ラグヴェアとレファの事を信用しきれず、従順なふりをして、部屋のあちこちを暇さえあれば探っていた二人からすれば、それが露見するのも時間の問題だった。
そして、当時自分たちが巻き込まれた原因となった事件に関する資料を辿って、「態謁群」という存在に行きついた。
二人からすれば、それは自分たちを救ってくれた存在。その組織に所属していることを自分たちには黙って、表では一般的な父母を演じている彼ら二人の事を思った時、ロロンとオルカフィは今まで懐疑的に見ていた二人を見直し、尊敬すべき対象として新たに視野を広げるに至った。
とある日、ラグヴェアは「父親」として、前触れなく二人を呼び出した。いつも食事を共にする食卓。経年劣化でその机の脚は若干傾き、元々藍色だった塗装は擦れて木材の焦げたような茶色が所々露出している。
神妙な面持ちのラグヴェアの隣には、まるで空気の吸い方を忘れたような顔をしているレファの姿があった。
呼び出された二人も、今まで見たことがないその「両親」の異様な表情に、何かただならぬ気配を察知していた。
おずおずと椅子に腰かけた二人は互いに顔を見合わせつつも、その沈黙を守り、何事も発することなくただ黙って向かいあっていた。
静寂の中、聞こえてくるのは外の喧騒、無意味に鳴らされるクラクション、誰かが乱暴に扉を閉める音、自転車のベル、どこからかの話し声。それらが複雑に交じり合い、鼓膜をなじるように刺激する。
「…………それで、話って、何……?父さん」
耐えきれず、最初に口を開いたのはロロンだった。ラグヴェアは、静寂に針を立てるように発せられたその声に、どこか虚を突かれたように一瞬背中を震わせた。
「母さんも、そんな顔して……らしくないよ」
『え、えぇ……ごめんなさい。呼び出しておいて、変でしたね……』
レファは視線を泳がせ、気を紛らわすように髪を耳にかける仕草をする。
「ゴホン…あぁ、その、なんだ。呼び出したのは他でもない。二人の今後に関しての話だ」
「今後?私とオルカフィの?」
「あぁ。お前たちが前から言っていた、「態謁群」に加入したいという要望に関してのことだ」
「……!」
「それって……」
その言葉を聞いた瞬間、姉弟の眼には光が灯る。
「あれからまた、他の謁者たちとも相談しあってな。二人を組織に迎え入れるか否かを————」
今にして考えると、これも些か過保護というものかもしれない。二人を「態謁群」に加入させるか否かを謁者一人一人にヒアリングし、疑似的な審査書類まで個人的に作成していたのだ。
大半の謁者は呆れ気味だったが、しかしそれでも「態謁群」に入るということになるのであれば、入念な準備は欠かせないものだとラグヴェアは考えていた。
あの事件、クヴェルア史上最大と称される「大規模違法薬物輸送事件」を経て、「態謁群」も多大な犠牲を払った。その過程で前任の謁長であったジルク・アンスタリオは銃撃により命を落とし、組織に所属してからも世話をしてくれたフラントも帰らぬ人となった。
当時、五十名余りが在籍していた「態謁群」の半数以上が空席となり、組織として未曾有の存続危機に陥ることとなった。その中で新たな謁長を選出し、組織を早急に再編することが求められたのだった。謁長の選出に厳格な決まりはなく、シンプルに謁者の投票によって決まる。
その中で、ラグヴェアは緊張地に来てからの活躍と、そしてローカルネットワークサービスである「ククゲラ」を創始させた功績を認められ、三十代半ばでラグヴェアは謁長の肩書を背負うこととなったのだ。
ロロンとオルカフィの処遇をどうするかについて、多少の職権濫用ではあるが、謁長の立場であれば二人が「態謁群」に入って以降も直接的なサポートをしてあげられるだろうと。
レファからあの言葉を受けて以降、二人の「態謁群」加入への判断は以前とは変わり、賛成の気持ちが芽生えていった。
今回、こうして二人を改めて呼び出したのは他でもない、その意向を伝える為だった。
これまではそれに対して口を閉ざし、組織からなるべく遠ざけようとしていたが、ラグヴェアも一人の人間として、そして「態謁群」を取りまとめる者として、ただ真摯に向き合おうと決意したのだった。
「細かい話はさておき……結論から言うと、お前たちの組織加入を…認める方針となった」
「……本当!?」
「あぁ。二人も、もう立派な大人だ。自分の歩む道を見つけたのなら、それを阻む権利は俺にも、レファにもない。だから……二人の門出を祝おう」
その言葉に、ロロンとオルカフィはまるで誕生日プレゼントを貰った子供のように、椅子から飛び上がると反対側に座っていた二人にそれぞれ抱き着いた。
◆
あの日から既に十数年が経過した。早いものだ。あれから、ロロンがオルカフィに謁者になるのは自分が仕事に慣れてからにしろと言いだしたりと、またひと悶着はあったが、ラグヴェアが危惧していたようなことは起きなかった。
だが、今回ばかりはその危惧を拭い去ることは出来ない。連絡があったオルカフィはひとまず大丈夫だと信じて、ロロンだけでも逃がす必要がある。無論、レファとセルムグドも一緒にだ。
全員無事に脱出するなど絵空事だろう。
「………今日が、「態謁群」最後の日になるかもしれないな………」
「態謁群」の歴史。それについては、先代の謁長、ジルクからその淵源を聞いていた。もっとも、ラグヴェア自身からしてもピンとくるものではなかったが、千年以上の歴史の中で大きな波を繰り返し受け摩耗しすり減ってきた者たちなのだということは理解出来た————。
『……さて、「態謁群」に属することになるのだから、この地の歴史については一通り学んでもらう。歴史の勉強は得意か?』
『えーと、あまり………』
『そうか、まぁそう構えなくてもよい。緊張地にまつわる一から百までを網羅しろとは言わん。ただ、最低限、所属する組織の成り立ちくらいは知っておいてくれ』
ジルクはラミネートされた資料を片手に、遥か遠い過去を思い起こすように目を細めると、淡々と語り始めた。
『二千年以上前。神と崇められる、この地の始祖。ひいては『クヴェルア』の始祖と言っても過言ではない二人の異邦人が来訪してから、この世界の文明は突発的に成長を遂げ、緊張地は有数の栄華を誇る地となった。彼らが支配する地において、神である二人をもっとも近い距離から支え、あまつさえ神の眷属に成ろうとした人々がいた。神に謁する者、即ち謁者だ』
『……………』
『その者たちは時の流れと共に数を増し、いつしか一つの組織として成り立つ程の規模となっていたそうだ。群れとなり、神に付き従う忠実な下部。彼らはひとえに「態謁群」と呼称された。彼らは二人にとっての親衛隊であり、同時に影から民草の安寧を守護し、争いを調停した………とまぁ、これが我々の属する組織の前身というわけだ————』
すっかり形骸化した観念だが、その根源的な役割は受け継がれ今日に至る。
その気が遠くなるような歴史の積み重ねが、まさに今日、水泡に帰すのだろうと思うと、どこか感慨深い気持ちになる。こんなことに思考を巡らせている場合ではないが、前謁長の言葉がふと脳裏をよぎり彼をそんな気にさせた。
突然歴史が途絶える瞬間は、いつだってこのようなものなのだろうか、と。
無論、彼とて諦めたくはない。しかし、現実を直視することは必要だった。現に今こうして無謀な戦いの最期を飾る足掻きを行っている最中だ。
自分は戦闘員ではない。だから戦えない。それが「態謁群」の側面だ。ただ、この組織の掟は、あくまでもこれまで行われてきた、東西の主戦場における争いに対してのものだった。
「騎士」が到来した時は、判断に迷い咄嗟にこの掟を適用させたが、最後くらい意固地になっても良いではないか。
外来種に一発拳を見舞うくらいは許されるはずだ。
彼はただの人間だ。「騎士」のような武装もなければ、神のような超常的パワーもない。あるのは、失った腕の代わりに取り付けた金属塊。そして、泥のような意地だけだ。
一度最も大切だった存在を失ったあの時、彼は何もできなかった。その時の懺悔として、今度こそ……守るべきものを守る為に、何かを成そうと……そう薄っぺらい自尊心に目標を刻み付けた。
へばりつくような足を強引に動かし、作業を続けているロロンたちの元へと向かう。
そして、何か思い出したように、その名前が口をついて出た。
「エヴズヴァ……お前は元気にやってるみたいだな……。お前が助けたあの二人は…立派に成長したぞ———」
遥か遠く。あの日、共に緊張地で肩を並べた異国の治安官の名前を人知れず呟いた。誰に発したわけでもない、その閉鎖的な空間に流れた声はそこらの壁面に吸収され、いつしか無音だけが残る。
もはやそんな報告をする機会すら巡ってこないだろうと、彼は無意識に言葉を紡いでいた。
◆
間接照明がぼんやり照らす夜の緊張地。そんな完全な闇夜に染まらない大地の遠方から、定期的に鳴る爆発音が風に流れ、ドンワーズの鼓膜を微かに揺らした。決して多くはない人員と共に待機をしていたドンワーズは、それが聞こえるたびに心臓を鈍く掴まれるような感覚を味わっていた。
これまでに何度聞こえたか。その音は、命の終わりを合図するものでもある。
そして、同時に撃破報告がドンワーズにも伝わり、リアルタイムで人命が失われていくのを把握することしかできない。
既に「騎士」と、最終到達地点である東神殿の距離は僅か数キロの距離まで縮まっている。この広大な主戦場全体の尺度から見れば目と鼻の先だ。
時刻は0時を過ぎ、本格的に深夜の戦闘に突入していた。それでも誰も休むことはなく、その時を待った。
その中で、先行した遊撃部隊の二班は出撃車両の半分以上が破壊され、先頭車両を含めたそれぞれ三台程度が辛うじて速度を維持してこちらに帰って来ている。
そして、彼ら遊撃部隊に追従していた遠距離支援部隊は「騎士」に絶え間なく砲撃、狙撃を行い、「騎士」の行動を阻害していた。
しかし、長時間に及ぶ射撃にも限界が訪れ、残弾が尽きた頃に「騎士」の光学兵装によって全滅。
続く追撃部隊によって、遠距離支援部隊が「騎士」に与えたダメージに拍車を掛ける形でその動きを食い止めた。
遊撃部隊の車両を可能な限り「騎士」から引き離し、白兵戦と、遠距離からの同時攻撃により、さらに鈍重な動きになった「騎士」の装甲を複数個所破壊。
既に想定以上の犠牲が発生していた。無論、作戦を立てた段階でそれなりの犠牲は覚悟の上だったが、それでも、まるで波にさらわれるように増加していく端末上に表示される死者数の数字は、ドンワーズの心を簡単に捻り潰してしまう。
それはドンワーズと共に待機をしていたヘルシキアンとその班員も同じ心境だった。待機しているだけで、同胞の死を遠くから見ていることしかできない。
作戦、戦術とはそういうものではあるが、これまで各々で主戦場を駆けていた彼らからすれば耐え難い時間である。
そんな折り、追撃部隊による抵抗が功を奏し、今まで以上の損害を「騎士」に与えたという報告が舞い込んだのだ。
そして、この報告が現時点での転換点となるかを左右していた——————。
◆
「テルガ・モニャ、進言させてもらう。今こそ好機だ。距離のさほど離れていない今、俺の班を出せ。そしたら、この勢いのまま奴を破壊してやる」
と、ヘルシキアンは息を荒げ、上ずった声音でドンワーズにそう告げた。
親の仇での見たかのような、そのギラついた瞳は篝火の灯りを受けて黄金色に輝いている。
「……………」
それに対して、ドンワーズは直ぐに返答をすることは出来なかった。彼の主張を耳に入れ、僅かに押し黙り思考した。
確かに、彼の言う通り、畳みかけるなら今がチャンスなのかもしれない。だが、それで確実に落とせる保証もない。
いくら「騎士」のデータを幾らか得たとしても、それが全てではないだろうし、未知の部分はまだあると考えたからだ。
もしここで功を焦り、ヘルシキアンの言葉に乗り最後の砦とも言える彼の班を出撃させ、そこで全滅する結果になれば、もはや「騎士」を止められる存在は皆無となり、誘導自体も破綻してしまう。
完全に賭けだった。このような極限の状態において、やむを得ず作戦を変更することは調査局の指揮においても前例は多いが、ある程度リカバリーが効くあちらと比較しても根本的に土俵が違い過ぎる。
しかし、またとない絶好の機会かもしれない。当然、ここからではその様子を見ることは叶わないが、「騎士」が疲弊しているのは見えずとも覆らない事実なのだ。だが、まだ何か奥の手を残している可能性は棄てられない。
「騎士」が初めて接敵した時の様子は、その状況を収めていた映像記録を一部謁長から共有してもらっていた。「騎士」を討ち取ったと確信したその瞬間、砕け散っていた装甲が瞬く間に再生し、奴は活動を再開させていた。
同様の事が起こる可能性は高いと、ドンワーズはそう睨んだ。
しかし同時に、あくまでもあれは最初だからこそ成し得た芸当であり、現在の「騎士」にはそれと同じことをやる余力は持ち合わせていないのではないか、と。
いずれにしても、逡巡するこの一秒が大きなロスを生む。後方ではにわかに沸き立つヘルシキアン班の人員たちがいた。ヘルシキアンの意向もあり、いつでも出撃できるといった様子だ。
「…………いや、ダメだ」
だが、そんな出撃を期待していた彼らの期待を裏切るように、「テルガ・モニャ」は短く宣告した。
「何故だ!?今こそ最大の好機だろう!追撃部隊の連中は大多数が未だ健在、「騎士」の動きはどんどんノロくなっている!ここで待ったをかけず、トドメを刺しに行くべきだ!」
ヘルシキアンは苛立ちを露わにし、「テルガ・モニャ」に食って掛かった。彼自身、本当は待機命令などとうに破り捨てて前線へと走りだしたいのだが、「テルガ・モニャ」に指揮権を譲渡した以上、最低限の自制を見せている。
「………勝てる確証がないからだ。奴が最初に現れた時、初撃が功を奏して倒せる寸前まで持ち込むことに成功していた……だが、即座に装甲は再生し、こちらは壊滅的な反撃を食らうことになったんだ。現状、確かに「騎士」を一方的に追い込めているかもしれないが、それがあの時の再現になる可能性はゼロじゃない」
「だ、だが……!今追撃部隊だけで善戦しているとしても、覆される可能性もあるだろう!一刻も早く加勢に行けば、短時間で攻め落とすことも可能なはずだ!確かに、あの時みたいなことになる可能性はあるが、それは今も同じことだろう!」
「………あの再生を行う時、「騎士」は、その内部に存在している人間の体力を消耗している。ならば、いっそのことそれを促すようさらに攻撃をしかけ、再生をさせ、中の体力をより削るのが得策か……いや、万が一………」
答えは出ない。しかし、時間は止まってはくれない。そうこうしているうちに、追撃部隊における人員の死亡アラートが端末に舞い込んでくる。
攻撃を織り交ぜながら素早い回避挙動を続ける「騎士」と薄暗い中で長時間戦うのはやはり厳しいものがあるのだ。
冷や汗が伝う。ここでの判断ミスは後の展開に大きな影響を及ぼし、最悪全滅の危険性すら孕んでいる。
ただ、その死亡アラートの一つがドンワーズに選択を与えた。
どの道、もはや交戦状態に突入してからの退却は不可能なのだ。ならば、いずれ防戦一方となる追撃部隊の支援をするのが先決だと。
「っ……分かった、事態は一刻を争う。ヘルシキアン班の…出撃許可を出す……!」
「…はは、その言葉を待ってたぜ。テルガ・モニャ指揮官様よ。待ってな、アイツの首、持って帰って来てやるからよぉ—————!!」
それから、彼らを詰めた車両の出発は手早く、ヘルシキアン班は闘牛のような勢いで戦場へと駆けていった。残されたドンワーズは焦燥に駆られた双眸をその車両群の後ろ姿に向け、生唾を飲み込む。
同時に、頭の片隅ではびこる、その嫌な予感を払拭するように被りを振ると、ロロンにヘルシキアン班が出撃した旨を伝え、静まり帰った場で一人立ち尽くした。
◆
———斬る、焼く、貫く、砕く、薙ぎ払う、吹き飛ばす。そう形容できる行動を数時間に渡り繰り返し、水牛の群れのように戦場を駆け抜けていた車両群はいつの間にか片手で数えられるほどに減っていた。
自分でもどれほどそうしてきたか曖昧になるほどだった。ただ無我夢中で彼らの後を追い、車両から降りてきて反撃をしてくる矮小な的を排除し続けた。
体力の限界はとうにきていた。例えるなら、二十四時間全力疾走し続けた時くらいの疲労感だろうか。
いや、そんな苦行に挑戦したことはないが、恐らくそれくらいだろう。運動というには些か過激で、命の危険を伴う。
もはや半分も機能していない何かしらの臓器は、いたずらに苦痛を生みだすだけの質の悪いパーティーグッズへと成り下がった。ドナーとしての価値もないほどに。
今、固いドレスを纏う、囚われのお姫様を突き動かすのは、幾重にも濾過された純粋な生への渇望。そして、ほんの少しの未練と後悔。又は諦めだった。
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