第20話 膠着

 オルカフィが密談の盗聴を開始する一時間程前——

 

 ———統制庁を中心として広がる高層建築の森、ターヴォルの都心から数キロほどに離れたベッドタウンに位置する、広々とした敷地を有する邸宅。

 その外周は二メートル程の高さの白い外壁に囲まれ、職人によって手入れされた中庭は人工芝と、煌びやかな多種多様な植物の連なりによってまるで小さな植物園のように青々と飾られている。

 正門、裏門ともに生真面目な表情を張り付けた警備員が常駐し、セキュリティの高さを物語る他は特筆すべきことも無い白塗りの豪邸。そこは現在、緊張地で暴れている装甲兵器プロジェクトに多額の資金を投入した人物の一人が住まう建築物である。


 オルカフィが彼らの参加する密談の開催を知ることが出来たのは、他でもない自身の相棒——いや、愛猫の活躍があったからである。

 普段、統制庁から離れられない彼の代わりに颯爽と街に繰り出し、柔軟な動きと共に有益な情報を集める特異な相棒は、目標地点にするりと入り込み、僅かな隙間からその内部へと流れるように侵入するのだ。


 相棒、ヤペヌ自身からしてみれば、もはや慣れたものだった。飼い主兼相棒であるオルカフィと共にターヴォルに来てからはや四年。初めの一年こそ緊張地との勝手の違いに難儀したが、この緊張地と一線を画す、見渡す限り無限に広がる構造物と人で埋め尽くされた場所だからこそ、自身のこの体はいかようにも使えるのだと理解した。

 この世界に軍用民間用問わず自律機構という物はありふれているが、動物の形を精密に再現したものはまだ少ないという事情も相まって、街中で人々がこの体を目にしたとしても、軽金属と伸縮ポリマーで形成されていることを看破出来る人間などいない。


 ———昼下がり。外壁の上にさらに立ち並ぶ、人の侵入を拒むように生えそろった突起が目立つフェンスの間を縫うように越え、日向を避け日陰を歩く。

 四本足で軽やかに動く白い体躯は、その白い外壁に体を透過させるようして移動する。豪邸本体に近づくと、上から伝うようにして伸びている金属光沢を帯びた排水管の留め具に足を掛け、流れるように駆け上がると、二階の外に突き出たバルコニーの縁に足を付けた。

 そこで一度周囲を軽く見渡し、危惧すべき事態が発生していないかどうかを素早く確認する。


『…………』


存外調子良く侵入出来たため、逆に不安になりつつも気を落ち着けるように前脚を突き出し伸びをする。その後、以前よりちょくちょく入り込み探っていた侵入経路を改めて確認した。


 予定通り、屋根裏へと通じる通気口が空いているのを確認すると、もう一度周囲を確認し、間を置かず通気口へと飛び込む。

 足音を立てないように屋根裏へと侵入すると、出資者であるターゲットが居る二階、西側の突き当りの部屋の真上へと至る。


 屋敷の外見は小綺麗そうにしていても、その内部は虚栄が打ち捨てられたかのように埃や虫の死骸が散見される。が、それらは些末な問題として歯牙にもかけない。

人工筋肉素子の駆動音を抑えながら、予定位置に到着するとおもむろに口を大きく開けた。

 喉付近に格納されていた缶バッジのような見た目のレシーバーを吐き出し、屋根裏の適当な位置に設置。後々、オルカフィが出資者の男が利用する専用回線に寄生し、発信源を偽装して音声と映像を吸い上げるのだ。設置してしまえば、その後に特別な操作を求められることもない。

 無論、これは機関情報部員に支給される物だが、オルカフィが個人的に改造を施し司令コンソールによる追跡機能は遮断済みである。

 もうすぐ定刻。オルカフィへの連絡を済ませると、不必要に元音を立てないよう冬眠に入る小動物のようにじっとその場にうずくまった——


 ——そうしていくらか時間が過ぎ、やがてそれが終わる。飼い主から連絡を受け取ると、レシーバーを咥え持ち上げ、それを飲み込むように口内へと押しやった。

 今後の事を簡潔に脳内で文字に起こしオルカフィに送信すると、相棒は撤退の機を伺いながら、しばらくは屋根裏で時間を潰した。



 一連の会話を聞き終えた飼い主は、不安や疲労の色を顔に滲ませながらヘッドホンを外し、そっとテーブルに置いた。その気持ちは決して穏やかではない。

欲していた情報が手に入ったという観点から見れば想定通りだが、この情報をどう扱うか、という課題が新たに増える。

 ようやく見えた突破口だが、その間口はまるで針の穴のようにか細いもののように思えた。


「…………」


 彼らのお披露目会は、一時間程度で終わった。


 ヤペヌが、出資者の一人であるバイルカン・グラウンの邸宅に予定通り忍び込めていなければ、今回の盗聴は成功していなかっただろう。彼らが統制庁で使用していた件のモニタールームが、電子、音響、振動などから多層的に防諜が施された仕様であったため、直接的な盗聴は諦め、軍用回線よりはいくらか強度が劣り侵入しやすい出資者が使用する個人回線の使用を決めたのだった。


 そんな密会の中で判明した「ディミュタ」の唯一とも言える明確な弱点。あの出資者たちは、自分たちが資金援助をした物に対して些か、というよりはほぼ興味が無かったのだろう。結局のところ、ああいった手合いが欲するのはその後に訪れるビジネスチャンスだけだ。

 だが、その不遜さが今回は有利に働いた。少なくとも自分にとっては———



『————ディミュタの駆動理論は「動核」と言う、使用者の血中酸素を動力源として作動するディミュタ専用に開発された新ユニットです。血中酸素を燃料として起動する反応炉と言ったところでしょうか。電気エネルギーを使用しないため、既存の兵器ではたびたび課題となっていたジャミングやパルス攻撃を大幅に軽減、あるいは無視できるという最大の利点が存在します』


『ふむ……つまりなんだね、それは生物を媒介にしてしか起動しない代物だと?』


『少なくともこのシステムはそうです。何せ、ディミュタの場合は中に生身の人間を内包しているものですから、その前提を最大限生かしつつ、既存の兵器課題をクリアするという両の面での試作となっております』


『それで、装甲の物理的損壊を伴っても内部の人間が正常である限りは理論上無制限に再生が可能と……。酸素供給システムはどうなっているのだ?』


『はい、それについてはこの資料を…………。これにある通り、装甲の各所に設置されている所謂フィルター機能により、空気中から体内で不足している酸素を効率よく吸収し血中に送り込む仕組みとなっております』


『では、酸素が安定して供給される限りは無尽蔵だと…………?』


『はい。水中や宇宙空間での運用は想定しておらず現状は不可能ですが、地上であればその通りです』


『それで、この「量変式」なるシステムには、あのニューロンリンクが使われているそうだが…………大丈夫なのかね?』


『確かに、数年前に隣国のアボタプナにあるスカノ・エワ社が、ニューロンリンクシステムの一般普及に失敗し、糾弾された過去の事例があります。しかし、私どもから言わせていただきますと、確かに利権絡みの騒動ではあったものの、システム本体に目を向けても、一般に向けての実用化が早すぎたのだと言わざるを得ません。ですので、当時の問題点を鑑み、より安全かつ体に対して負荷が少ない設計を施しました。とはいえ、脳に生じる副作用全てを解消するには至りませんでしたので、使用者の海馬や前頭前野に少なからず後遺症が生じる可能性はあります。ただ、今回のシステムにより、複雑と思われた「量変式」を直感的に操作し、脳から発せられた信号のラグを極端に減らし武装変換を行うという当初の目的は達成することが出来たのです————』


 …………想像もしていなかった弱点。機械的シルエットを逆手に取るようにして設計された、まさに規格外と言っても過言ではない化け物だ。

その実、生物にとってなくてはならない酸素を主な活動エネルギーにするなど———


 それに会話の中で出てきた「量変式」と呼称されていたシステム。以前入手した計画書には場面に応じて武装パーツを適宜物理的に取り換えるという、どこか前時代的な仕様だったはずだが、いつの間にあのような超技術を完成させていたのか。


「ディミュタの酸素供給を断つ………。アレを倒すにはそれしかないのか、だがどうやって……」


 自身の記憶を呼び起こすが、緊張地にそれが実現出来そうな装置の類は無いはずだ。それに、あの映像を見る限り、そのような状況に持ち込むどころか動きを封じることすら不可能に思えてくる。

 だが、特別な機材を用いなくても低酸素空間の場を整えられる可能性がある場所は一つだけ心当たりがあった。


「あそこなら……いや、だが、現状はこれしかないか……」


 彼が謁者となる日、ロロンに連れられ入り込んだあの場所。「洗礼の間」だとか言われていたあの空間。日の光が届かない、切り出された巨石で構成された神秘と陰鬱が入り混じるようなあの場所。


「神殿の、地下————」


そう呟いた時、テーブルに伏せられていた端末から反応があった。


『奴は17時には場所は不明だが会食に出かけるようだ。機を見て脱出する。夜にはモーテルに戻る』


 その金属版を捲ると相棒、ヤペヌからのメッセージが目に入る。どうやらこれ以上有益な情報は得られないと判断ようで、いつものように事務的で簡潔な文言が彼の気を落ち着かせる。


『分かった、気を付けてくれ。こっちはそろそろ統制庁に戻る。ダクトを開けておくからそこから入ってくれ』


 相棒からのメッセージに返事をして僅かに席を立つ。機関情報部に所属している以上は任務以外での自由は効きづらく、こうして半休の有給申請をすることで今回の時間は確保できていた。しかし有給消化中であろうとタイミングが悪ければそのまま任務が始まることも珍しいことではない。幸い今はその限りではないが———



 「華幕」が展開されてから既に四時間以上が経過しており、もう数時間もすれば日没。このまま夜になれば緊張地はさらなる混乱に見舞われるであろうことは、内部状況を詳細に把握していないオルカフィでも自明だ。少なくとも夜明けまでに何か行動を起こす必要があった。


 たとえ、自分の身を危険に晒すことになろうとも。


「…………」


 統制庁に帰投した彼の足取りは鉛でも巻き付いているかのように鈍重だった。

この数年で築いてきた、「人当たりがキツく堅物で生真面目」という属性を背負う仮面も、この一連の出来事で細かなひびが入り瓦解しかかっていた。すっかり通い慣れた機関情報部のオフィスへ通じる順路も、どこか仰々しく捻じ曲がったように感じ、背中に冷や汗が伝う。

 そんな分厚いシェルター素材で構成された通路は職員が往来し、その潮流の中、彼は平静を装って床を踏みしめる。

 そんな時、ふと四年前にターヴォルへの潜入を志願した時の情景が不意に脳裏をよぎった。


 オルカフィ自身が決意した、この地への潜入。当時から「態謁群」はターヴォルの動向を注意深く伺っていたが、内部的な動きを把握することに難儀していたこともあり、やる気に満ちあふれていた彼は少しでも皆の役に立ちたいと、身分を偽り彼の国へと旅立ったのだ。



『ターヴォルに……?』


『はい謁長、お願いします。俺にターヴォル行きを許可してください……!少しでも皆の役に立ちたいんです!』


『………はぁ、またその話かオルカフィ、役に立つだけならここでも十分役に立てるって何度も言っているじゃないか。なぜ他の地にまで行きたがる?それに何でまたターヴォルを?』


『それは………謁長も知っているでしょう?あそこが今最も軍事的に危険で、いつ緊張地に手を伸ばして来るか分からない状態だって。謁長も前にそれとなく言ってたじゃないですか、真に情報を得るには他国に潜入して生の活きた情報に触れなければいけないと』


『それはそうだが……ターヴォルはまた別格だ。あの国から生きた情報を得ているのは、緊張地と西側の大陸を往来する人間が多いからで、皆の協力あってこそだ。それに、同盟国を取り仕切る大国で、この世界の覇権を握ろうとしている一国だぞ。技術力も文化も何もかも違う、そんな場所にお前ひとり送ってどうこう出来るとは思えん』


『それは……』


『それに、謁者の数も減ってきている。正直、緊張地の問題を解決するだけでも手一杯なんだ。この前のテシャンデームの空襲だって未だに後処理に追われてるし、他所に人を送る余裕もはっきり言えば…無い。だから、お前ひとりだけでも緊張地に残ってくれると大助かりなんだ。ロロンだって、お前が向こうに行こうとしてると知ったら止めるはずだ』


『姉さんは……演劇の経験を活かして、ガイドとして立派に緊張地の役に立ってるけど、俺にそういうことは出来ない……。機械弄りが少し好きなくらいで……でも、そういうことだったら、組合の人でもどうにか出来る範囲のこと………。俺、もっと広い視野で皆の役に立ちたいんです!俺がターヴォルに潜入すれば、相手の情報を盗んで次の計画を事前に皆に伝えることだって出来るし、シンクタンクから情報が下りてくるのを待つ必要もないんです…………!』


『簡単に言うな、相手はプロ集団だぞ。少し齧ったくらいのひよっこが、あの一角で上手くやっていける訳ないだろう』


『分かってます、だから、この一年間必死にネットワーク技術を勉強してきました。その証拠に………ほら!』


『………これは、なんだ?兵器計画書?次世代装甲兵器、素案………?』


『…………この前、ターヴォルの軍事研究所から抜き出したデータです!今、奴らはこの装甲兵器の開発に注力しているみたいで、いつか必ず脅威になるはず………。こんなデータは渡航者だけじゃ入手できる物じゃないでしょう?今回のこれは偶然上手くいっただけだけど、内部に潜り込めば、もっと正確にデータを手に入れられるかもしれない…………あまり前例がないのは分かってます、でもだからこそ…………。自分が生まれ育った故郷に出来ることがあるなら、俺を拾ってくれた謁長や態謁群に恩返しが出来るなら、行かせてください————!』


『オルカフィ…………』


 ———今にして思えば、随分と強引で、若気の至りでしかない。最終的に、謁長であるラグヴェアはその熱意と信念に圧され、若干の戸惑いと心配が滲む表情を浮かべながらも行くことを許可してくれた。

 当時、幼いオルカフィをロロンと共に引き取ったラグヴェアからしたら自分の子供のようなものだ。当然、我が子の安寧を憂いている。それでもそんな我が子の言葉を聞き届けたのは、単純に彼の覚悟を悟ったからだろう。


 その日の夜はロロンと一晩中話し合い、彼女はようやくオルカフィのターヴォル行きに納得してくれた。

 既に緊張地で数年以上危険と隣り合わせの謁者として行動していたし、危機管理はそれなり長けている自信はあった。勿論、ロロンもそれは知っているし、彼の活躍は間近でも見ていた。もう十分頼れる存在になっている、と。

 だがそれでも、心の奥底ではどうにもならない心配があった。近くで助けてあげられなくなるということ———彼女からすれば、それが何よりの不安だったのだ。


『わかった………いいよ、もう止めたりしないから』話し合いの最期、彼女は諦めたようにそう呟くと、オルカフィの前におもむろに手を差し出した。


『……オルカフィが無事に帰ってこれますように——』狭く年季の入ったアパートメントの一室で、暖色の蛍光灯にぼんやりと照らされ、向かいあって座る二人は指を絡め、手を握り合う。


 孤児院で教わった、緊張地に古くから伝わるまじない。これの意味はもう正確には覚えていないが、確か安全と幸福を祈る——そんなものだったかもしれない。

 密着する互いの手のぬくもりが、その手の質感と同時に伝わり、二人の鼓動は穏やかになる。しばしの沈黙、真夜中の静寂のなか、どちらのものなのか分からないほど希薄な吐息の音が場を満たす。

 それでも、拭い去ることができない一抹の不安を滲ませ、幼少期から孤児院で共に育った弟同然の彼が遠くに行ってしまうことへ、彼女は、彼に対して初めて涙を見せた。



 ———あの時、まだ年端もいかない自分やロロンを、黒煙と塵が支配する瓦礫の中から命を賭して救ってくれた、名も知らぬ〝あの英雄〟のようになりたいと、そんな漠然とした目標や使命感のようなものは、あの日を境に小さな火種として心に現れ、今まで消えることはなかった。その火種が成長し、当時の事件を経て存在を知った「態謁群」という組織に憧れ、志したのもその所為。

 緊張地を他者の侵略や脅威から守りたいと、そう強く思うきっかけになった事件だった。


ならば、今は尻込みしている場合ではない。自分も、この場では命を賭す覚悟を決めるべきだ———


「…………」


 蜃気楼に揺らぐように歪んで見えた目の前の通路は、次に瞬きした時には普段のように真っすぐになっていた。

 深呼吸をし、また脚を動かす。そうして道を歩き進むと、機関情報部のオフィスへと至る。

 ブラインドが掛かったガラス張りのドアを開け入るなり、その姿を見た他の部員は「なんだ、お前か」という表情を浮かべ、一瞥するとモニターに視線を戻した。端の方のデスクでは、オルカフィ——サールに詰問されていたシュラーが居心地悪そうに肩肘を付き、瞬間的に目線を逸らす。


 オルカフィは特にそれを気にする様子もなくデスクにつくと流れるようにモニターの電源を入れる。

しかし電源を入れただけで具体的に何をすればいいのか、ということに関しては白紙だった。


 脳内に浮かべた大前提として立ちふさがる問題、「華幕」。アレの突破口を見出さなければいくら「ディミュタ」の弱点が判明しようとも宝の持ち腐れでしかないのだ。

 無言のまま、指がキーボードの上を空回りするようにふらふらと動く。


 機関情報部の権限では、直接「華幕」のシステム系に干渉することは叶わないということはこの数時間の間に色々と試して判明したことだった。

 当然、「華幕」の制御を担っていると予想される中央司令室のコンソールをハッキングしようとするなど、自ら火山の火口に飛び込むようなもので全く現実的ではないし、アレの内部と連絡を取り合う為に必要な暗号通信の規格すら不明なままだった。


 閉口したまま、焦りだけが募っていく。すると、唐突に部門統括長から新規のメッセージが届いた。僅かに驚きながらも、事務的に無言でカーソルを合わせ開く。


「………な」そこには予想だにしない状況が記されており、思わず目を見開いた。



 ドンワーズたちがテシャンデームに到着する頃には日は沈みかけ、黄金色に輝く太陽が一日の終わりをにわかに告げようとしていた。

 向かう最中もローカルネットワークにアップロードされている情報を精査し、セルムグドの監視アクセスと合わせて緊張地全体の構図の理解に努めていた。


 が、そんな最中、煙を上げるテシャンデームも既に目前といった程の距離に差し掛かった時、ククゲラを継続して閲覧していたドンワーズの端末がにわかに振動し、その感触が手のひらに伝播していく。

 その振動原因は表示される通知のポップアップが明らかにしており、他者から何らかのメッセージを受信したからである。


「………!?」


 心臓が跳ねた。その送り主はこの地から遥か東方の島国に居るはずの同僚だったからだ。


『パホニ第三区域管轄治安維持部隊 情報部員サントム・リックバンより臨時通達——君が無事であることを祈り、この通達を送る。先刻、緊張地を覆う領域兵器「華幕」による通信妨害に対する簡易的措置が完成し、限定的ではあるが緊張地への電波送信に成功した。既に緊張地港湾部や航空管制等の施設へは同様の事を連絡済みだ。なお、依然として緊張地内から外部への電波送信は不可能であるとされるため、返信は不要。もしまだ秘密警察組織と行動を共にしているのであれば引き続き連携して動いて欲しい。緊張地中央部に落下した未知の存在に対しては引き続き調査中であるため続報が入り次第連絡を送る。以上———』


「…………」


 まるで信じられないものでも見ているかのように、半ば唖然としながら文面を眼で追う。唐突にやってきたそれに対して上手く言葉が出ず、漠然とした希望が見えたかのようだった。


「サントム…………」


「…………どうかしたか、ドンワーズ。また厄介なことでもあったのか?」


「っ………い、いえ、これが———」


 そうこうしているうちにテシャンデーム、正確には例のカフェの裏手に到着していた。降車しドンワーズから件のメッセージが表示された端末を受け取ると、警戒半分興味半分といった様子でその文章に目を通す。


「……なるほど、本当にこの短時間で僅かでも打開策を見出して来るとは…………」


『だが、「華幕」に対して有効打が見つかったわけではない。いくら外から連絡がつくようになったからといって、内部の我々が出来ることなどたかが知れている』


 セルムグドの至極冷静な分析は先ほどまでにわかに浮足立っていたドンワーズを冷静にさせ、再び現実的問題を目の当たりにさせられる。


「まぁ、問題はそこだな………確かに大きな進歩かもしれないが———」


 ロロンの言葉を遮るように、センター街方面からはサイレンのけたたましい音と誰かの怒声と悲鳴、大小様々な爆発音が響いてくる。


 十七時過ぎの現時刻。暴徒によって街の至る所が乱雑に破壊され、終末を嘆く者、神が再臨し全てを救済してくれるのだと敬虔な信徒を引き連れて街頭で拡声器片手に喧伝する者、暴徒に対抗しバリケードを築き上げ反撃する者、避難を促す者、それぞれがまとまった意志のように動いていた。


「まずは………この状況をどうにかしなければ」


 来る途中で組合の人間とは連絡を取り合い、彼らによって都市部で緊急的に編成された自治部隊が既に事の対処に当たり、都市部の実に半分程度の人間の避難は完了していた。しかし彼らだけではこの混乱を鎮めることは困難である。


 ひとまず暴徒は抵抗組織に任せて放置し、それ以外のマーケット等の従業員、地元住民等の逃げ遅れた一般人を中心に誘導してテシャンデームから退避、または街のあちこちに点在するシェルターに誘導。

 また、都市部に支社を構えるそれぞれの外資企業は各々社員に避難勧告を出し、自主的に避難をおおよそ完了させている状態だった。来る途中に通りかかった工業エリアがやけに閑散としていたのはその所為のようで、シェルターへの避難や、幕に触れない程度の距離を保ち沿岸部まで退避していたようだ。


 ロロンは地理を把握している都合上、各シェルターまでの最短距離を誘導。ドンワーズは使えるボックス車のハンドルを握り一般人を詰めるだけ詰めて、郊外の小さな町まで避難させることを繰り返す。数十分ほどの出来事だったが、一時間以上動き続けているような錯覚に陥る。


 やがてようやく最大限の避難は完了し、最後の送迎を終えたドンワーズはややふらつきながら運転席から脚を降ろした。


「いやー助かったよ、ありがとうな、ロロンさん。それとそっちの兄ちゃんも。もしかして、新入りかい?」


「いえ、彼は他国からの客人です。この事態に偶然巻き込まれてしまったのですが、成り行きで私たちと行動を共にしていまして、こうして事態の収拾に協力していただいているのです」


「そうかそうか、そりゃ災難だったな。まったく、あのろくでなし共がやんちゃすることはそう珍しい事じゃないし、住民もそれに慣れてはいたが……普段はスラムの連中が銃撃戦をおっぱじめるくらいのことで、爆発騒ぎなんてあまりないんだがな」


恰幅の良い組合員の男性は、ドンワーズを労うように肩を軽く叩いた。


「私はただできることをしただけです。まだこの地に来て僅かですが、少しでもお役に立てたのなら幸いです………」


「そう謙虚になることもない。こっちが助かったのは事実だからな、来てばかりだってのに、ありがとうよ」


 背後の大通りはそこかしこから火が上り、道路は陥没し遺体が無秩序に横たわる、まるで戦場のような大通りをしわを寄せながら視界に収め言う。

 依然として、暴徒連中は手当たり次第に爆弾を投擲し銃を乱射している。それに対して本来は主戦場で戦うはずの抵抗組織が廃車や廃材を基に作ったバリケード越しに同様に反撃を繰り返していた。


「彼らは…………」


「おれらじゃ手に負えんよ、銃を撃つくらいはどうってことないが、実際にやりあうのは勘弁だ」


「分かっています。組合員の皆さんも、早く避難を開始してください。あのならず者連中は戦闘員に任せておけば心配はないでしょう。所詮、彼らは銃の撃ち方を知っているだけの素人ですから」


「そうだな………。で、そっちはこの後はどうするんだ……?」


「私たちは………」


問われ、ロロンは思わず言葉を詰まらせた。

——————この後は、一体どうする? 一体何が出来る?


「…………この後は、ひとまずは主戦場の状態を確認し、補助できることがあればその都度動く予定です———」


 ロロンは煮え切らないような感情を察せられまいと、やや早口で言葉を繋いだ。

しかし、本人は気丈に振舞っていたつもりだったが、眼の奥の動揺や惑いまでは隠せなかった。


 組合員の彼はそんなロロンの言葉を黙って聞き届けるとゆっくりと口を開き「…………そうか、分かった。こう言うのもなんだが……あまり、無茶をするなよ」と、憂うような声音でそう言い残し、他の組合員の数人を引き連れ、静かに場を後にした。


そして、そこにはドンワーズ、ロロン、セルムグドの三人が残される。


「……さて、殊の外スムーズに避難は完了したが…………」


 言いながら、彼女は遠くに見える都市部と主戦場を分かつ荒涼とした山脈の山際に視線を移す。その近辺にそびえていたはずの、後方支援や物資補給線の役割を担っていた灰色の壁面に覆われ角ばった小要塞の殆どが形を崩している。

 何があったのかは調べなくても分かる。例の存在によってだろう。


 現状が劣勢であることに変わりはなく、外部との通信が限定的に復活したところで外に出ることは叶わない。

 先ほどロロンが言葉に詰まった理由の全てがそれであった。


「ロロンさん、大丈夫ですか…………?」


「あぁ、すまない…………。みっともないな、我ながら」


「そんな、自分を卑下しないでください」


「……君は強いな。こんな状況だというのに、先ほどもテキパキと動いてくれていた。もしや、元居た世界では同様のことに慣れているのか?」


「そう、ですね……。調査局という、いわゆる警察組織の一員として勤めていました」


「ほう、通りで……」


『君の避難指示や誘導は、実に効率的で場慣れしている雰囲気を感じ取っていたが、本当に本職だったとはな』


「えぇ、経験が役に立ってよかったです……」


「まったく、君のような人間こそ緊張地に必要だと感じるよ」


「買い被りすぎですよ。それで、この後は先ほど言っていたように行動するんですか?」


「…………あぁ。だが、もはやそれすら意味のあることなのか分からない。ただ、君が送迎を繰り返している間に謁長と連絡を取ったんだ」


「彼は、何と………?」


「………誤魔化すように笑っていたが、騎士の攻撃を受けて負傷したと」


「……!」


『レファ——謁長のパートナー曰く、かなり重症のようで……右腕を、喪失したようだ』


ロロンの言葉を補足するようにセルムグドは言葉を続けた。


「右腕を………」


「命に別状はないようだが、あまり動ける状態でもないらしい。今は山頂付近の小屋で傷口の応急処置をした後、休息を取っているそうだ」


「じゃ、じゃあ直ぐに迎えに行きましょう!都市部ならまだまともに手当が出来る場所があったはずですから」


「だが危険すぎる。あの人を見捨てるつもりはないが、無策で突っ込んでいい領域ではなくなった。謁長も馬鹿じゃない。少なくとも、被弾を最小限に抑える立ち回りをしていたはずだ………だが、それでも大怪我を負ったんだ」


「っ…………」


『……ロロン、考えるのは後だ。ひとまず移動を提案する、またいつ奴らから流れ弾をもらうか分からない』


「そうだな……一旦、カフェまで後退する」


 再び舞い込んできた新たな問題に、ドンワーズは歯噛みするように顔を伏せた。

だがそれはロロンも同様であり、彼の状態を伝える報せは彼女をより強く不安にさせるに足るものだった。

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