第7話 対峙

——郊外の褪せたような風景に溶け込むような薄暗い赤褐色の小屋を一瞥した後、ドンワーズは警戒しながら特筆することもない樹脂製のドアを数回ノックする。


「…バッセル、私だ。来てやったぞ」


 ——奴は本当にいるのだろうか。もしかしたら騙されているのではないか。

胸元に仕込まれた拳銃に片手を添えながら、ふとそんな疑念が脳裏をよぎった。

 しかし、ドアにはめ込まれたすりガラス越しに見えた影を見て、そんな心配は杞憂だったと思い直した。


「やあドンワーズ君……久々だね」


 全体的にしわのある顔。記憶が確かなら齢七十を超えていたはずだが、写し身なら関係はない。至って健康体のような動きでドンワーズを招き入れた。

そう小柄でもない身体は煤けたような白衣を纏い、まさに研究者といった風貌の彼はドンワーズのかつての記憶とそう大差ない恰好で、親しみすら覚える。


「………? どうした、早く入りたまえ。外は少し冷えるだろう」


「………あぁ」


 玄関で茫然と動きを止めていたドンワーズに声をかけると、彼を中へと誘った。

室内には雑多な本棚や日用品。そして一番奥には、この世界へ転移する際に用いたであろう業務用コピー機のような見た目をした転移装置が鎮座していた。


「——さて、何から話そうかね」


互いに簡素なテーブル越しに向かい合い、席に着く。


「お互い丸腰で話すのか?」


「なんだ、銃でも突き付けあいながら会話をする趣味があったのかね。そりゃ配慮に欠いたことをして悪かったよ、ドンワーズ君。だが、そんな牽制しあいながらちゃんとした話は出来んじゃろう」


「………分かった。この場ではそういうのはナシにしよう」


「君は理解が早くて良いね」


「それで、アレの話をするんだろう………?」


「そう、ドラゴニュート計画のことさ。しかし、その前に謝罪でもしておこうかね。悪かったとは思っている……まさか、あの二人がそこまで強気に攻めるとは思っていなかったものでね」


「しらばっくれるなよバッセル。お前が指示しなければ、あの二人でもあそこまで考えなしに行動はしなかったはずだ」


「言葉の綾さ、ドンワーズ君よ。勿論ワシも被害は出したくなかったが、しかし先に邪魔をしたのはそちらだろう?」


「どの口が言う。遺跡周辺には大量のセンサーと観測器を設置していた。だがあの日、全ての機械が誤作動を起こしていたのはお前の仕業に他ならないだろう」


「機械だって完全じゃないんだ。そういうこともあるだろう」


「お前が裏で通信系に何か細工をしたからあの日襲撃にあってから救援が駆けつけるのが遅れた」


「偶然じゃないかね——」


「——バッセルッ……!!!!」


怒声と共にテーブルに拳を叩きつけ、思わず立ち上がった。


「………急に大声を出すんじゃないよ。驚くじゃないか」


「お前は………お前は自分が何をしたか分かってるのか……?」


「……ワシは目的のために動いているだけだ。君も知っている目的のためにね」


「私は、それを防ぐためにこの世界に帰ってきたんだ」


「そうだろうね。まぁ防げそうになさそうじゃが」


「………ドラゴニュート計画は必ず止める」


「どうやって?」


「………」


「おいおい、啖呵を切っておいて方法を考えていなかったとは言わせないぞ、ドンワーズ君」


ドンワーズはテーブルに両手を付け指に力を込め、深い息を吐いた。


「………………お前を、殺す」


「ワシは人形じゃぞ?お前さんも分かっておろう。それとも何か? もう一度『クヴェルア』に戻ってワシの本体を殺すつもりかね」


「………あぁ」


「ふっ………今更向こうに帰ったところで、君にとっては敵地でしかなかろう。向こうでの君の居場所は研究所だけだ。パホニはもう滅んだのじゃよ」


「…黙れ……!」


「そう怒るな。——座りなさいドンワーズ君。して、君を直接呼んだのはこんな言い合いをするためじゃない」


そう言うと、バッセルはドンワーズの前に手を差し出した。


「君が知っているんだろう?遺物の在処は。だから、回りくどいことは止めて、君に直接頼もうと思ったんだ」


「………は?」


「ドンワーズ君。偉大なる計画の為に、そして人類の飛躍の為に、遺物を渡してくれんか」


少し前にも聞いたその要求。その言葉を聞いた瞬間、ドンワーズは空気が停まったような気がした。


「………前から気がふれた男だとは思っていたが、本気で言ってるのか………?」


「勿論。もう君にしか頼れないんじゃ」


「はぁ………。帰ってくれ、バッセル。何度も言うが私がお前に遺物を渡すことなどあり得ない」


「どうしてもダメかね」


「本格的に頭がイカれたのか。どうして渡すと思う」


「君が渡してくれなければ、ワシは多少でも強引な手段に出ざるを得ないんじゃ」


「…強引?」


「君を傷つけたくはないんじゃドンワーズ君。もう離脱したとはいえ共に過ごした仲じゃからな」


「気色の悪いことを…——」


「あぁ、そうじゃ。話は変わるが……トルスタ君は元気かね」


「っ………! ………えぇ、元気にしてますよ」


「それはよかった。——あれは、初めての試みじゃった。人間の遺伝子を人形に投与するのは従来通りじゃが、操作するのではなく、その個人の生き写しのように動く」


「新型………」


「そうじゃ。覚えておったかね」


「そうか……じゃあやはり、彼は人形だったというわけか」


「定義するならそうじゃな。しかし、独自に思考し、自律するという点を鑑みれば人間と大差なかろう」


「だったら元になった人間がいるはずだろう。その人間はどうした」


「どうしたもこうしたもない。遺伝子等を採集する過程で死んでもらったよ。じゃが人形が生き写しのように動いておるのじゃから、新しい身体で蘇らせたようなものじゃな。どうじゃ、画期的じゃろう。あぁ遺体はワシが処理したから安心してくれ」


バッセルは自身の開発を自慢する子供のように屈託のない笑みを浮かべた。


「狂っている………」


 他に彼を形容する言葉はあったのかもしれないが、倫理をかけ離れた言葉をつらつらと並べるバッセルを見て、茫然としていたドンワーズの口を突いて出た唯一の言葉だった。


「しかし、欠陥とは思えんのじゃが、例の盗掘チームに合流させる前に命令を忠実にこなすコマンドを記憶領域と結びつける形で入れておってな。しかし何故だか途中からそれが無効になってしまっていると気づいてね。君の仕業かね」


「……いや、知らないな。お前のミスじゃないのか」


「そんなことはないはずなんじゃがのぉ。恐らく遺物に接触する前後で反応が変化しているんじゃが、どうも原因が特定できんのじゃ。何かこう、消えたというよりは吸い取られたという表現がしっくりくる」


 その言葉でドンワーズは合点がいった。やはりトルスタは遺物に触れた影響で記憶に支障をきたしている。それも人形であるにもかかわらず。


「じゃから、それを解明するためにも遺物は必要じゃろ?それが解決したら、この世界の人間で計画の実験を行う算段じゃ」


 尚も嬉しそうに語る彼を見て、もう無理だと悟った。これ以上言葉で言っても埒が明かない。


 ドンワーズは心の内で覚悟を決めた。こちらの事などまるで意に介していないといった風のバッセルを静かに見据える。


(——この距離なら不意打ちで停止に持っていけるはずだ)


互いの距離はテーブルを挟んで僅か数十センチ。腕を伸ばせば手が触れる距離だ。

 バッセルが少しよそ見をした瞬間——ドンワーズは動いた。


 椅子をバネ代わりにして一気に前に出る。テーブルの縁を掴み、ちゃぶ台返しの要領でバッセル側にテーブルを投げつけた。

 バッセルからは死角となっているその一瞬、隠し持っていたレーザー銃を取り出し、テーブルに押し当て一気に連射した。

 次々と木板に細く焦げた穴が開く。向こうの様子は分からないがそのままテーブルごと押し倒した。が—————


——確かな手ごたえを得た。しかし、初撃で仕留めんとする一連の動きが始まった瞬間、博士は部屋の奥へと瞬時に移動していた。


「な……っ!?」


「行儀が悪いなドンワーズ君。テーブルは弁償してもらおう」


「クソッ……!」


 もう一度テーブルを立て、それを盾代わりに突進。今度は避けられないはずだ。

レーザー銃を左手に、同様の攻撃を敢行する。


「同じことは通用せんよドンワーズ君」


「分かってる……!!」


テーブルは陽動。本命はその後の打撃——


 ドンワーズはリメイオを吹き飛ばした時のような力をもう一方の拳に込め、テーブルの上からバッセルを殴りつけた。天板が粉砕され、それを貫いた拳は裏にいるバッセルを確かに打ち据えた。だが、そこにあったのは人間の身体ではなかった。


「………!?」


何より、ドンワーズが驚いたのはドンワーズの拳を受け止めていたその腕である。


「………悪趣味だな」


「ははは、カッコイイだろう」


——異形。そう形容するしかない物体が浮かび上がっていた。その表面はゴツゴツとした鱗状の組織に覆われ、所々黒々とした強固な甲殻に覆われている。


「これが龍の因子か………?」


「いんや、こいつは紛い物さ。現存するアレのデータから疑似的に再現したにすぎん」


「それでも、ここまで………」


 手を掴まれたまま動けなくなる。強引に引き剥がそうとするが、その尋常ではない握力により拳が悲鳴を上げた。

 即座にもう一方の手に握られていた銃を向けるも、肥大化した腕に薙ぎ払われ床に転がる。


「ふん、君の力の比にならんよ。この老いぼれでも、ここまでの力が出せるんじゃからなぁ!」


「………!?」


 そのまま力任せに投げ飛ばされたドンワーズは、小屋の壁面を爆発するように突き破り、姿勢の制御も出来ず数メートル滑空し、勢いそのまま地面に身体を打ち付け転がった。


 ——しかしその最中、彼が用意したサプライズも同時に確認できた。



 ——何かが暴発した。小屋の壁面が爆ぜる。


「っ………!出てきたぞ!!」


 壁を突き破って登場したドンワーズは数メートルは吹き飛ばされ、待機していた特殊鎮圧部隊の面々を越えた先で無様に転がった。


「ドンワーズ!大丈夫か!?!」


「うぐっ………わ、私のことはいいッ!!バッセルをッ………!!」


 服のあちこちが傷だらけになり破れ、額からは血がにじんでいた。背中を強く打ち付け呼吸すらままならないが、それでも叫んだ。

 その怒声で周囲の隊員たちは一斉にその〝目標〟に視線を向けた。


「………おやおや、熱烈な歓迎会を用意してくれたじゃないか、ドンワーズ君」


 小屋から姿を現したバッセルはその歓迎に応えるように、異形と化した両腕を広げ天を仰いだ。


『………まだ撃つな。カッキスタ司令のタイミングを待て。ドンワーズはどうなった?』


『なんとか無事なようです。避難させますか?司令——』



——ドンワーズがバッセルの元を訪れる前日。


 ドンワーズは一人、再び政統府を訪れていた。その理由は、バッセルからの招待をカッキスタと直に共有するためである。


「なるほど、郊外のその位置か……確かに、ここ数日の間に〝見慣れない不審な小屋が突然現れた〟という旨の報告を地区保全局から受けてはいたが……まさかここに?」


「はい、提示された座標とも一致しています………」


二人はテーブルに広げられた地図を見ながら着実に計画を練ってゆく。


「それで、具体的にはどう支援をすればいいんだね? その、バッセルとかいう相手は君の証言通りならば老人なのだろう?」


「それはそうなのですが、少し説明が難しい部分がありまして……そうですね、例えるなら、老人の見た目をした超高性能の人型ロボットと言えばいいでしょうか」


「……ふむ。なるほど、要は容姿と実際のスペックが比例していない相手……ということかね」


「そう……理解して頂いて結構です。ただ、私も奴の挙動に関しては不明な点が多いので、実践的な要請を出すことは難しいのですが……」


 この点に関してはドンワーズも口ごもるしかなった。バッセルと正面から戦うなど、今まで考えたこともない。

 些か不安げなドンワーズの表情を見てか、カッキスタは核心的な質問を不意に投げかけた。


「それで、そいつは殺せるんだね?」


「……はい。殺す、と言うと語弊がありますが、活動停止に追い込むことは可能なはずです」


「銃弾は効くかい?」


「効く、はずです」


「ふむ、わかった。予備プランは用意する。当作戦は、対外的には軍事演習とでも言っておこう。幸い、あの付近はそういったことをするのに適しているからね」


 それだけの作戦を展開するに当たり、目撃者が出るというのはあまり好ましくないことだった。しかし、人通りが少ない郊外に拠点を構えたというのは、人目に付きたくないという一点においてバッセルにしても同じ気持ちなのだろう。


「——だがあまり期待してくれるな、ドンワーズ君よ。いかに戦闘のエキスパート部隊を動員するにしても、実戦データが無ければ対応力は落ちる。それが、異界から来たなどという正体不明の相手なら猶更だ」


「分かっています……」


 カッキスタはそこまで話すと、カップに並々と注がれたコーヒーを落ち着かせるように喉へと流し込んだ。それをソーサーに置き直し、少し間をおいて再び切りだす。


「——一つ聞きたい」


「なんでしょう」


「そのバッセルとかいう男を殺せば——終わるのかね?」


「…いえ、終わらないでしょう」


「そうか………。まぁ、長い諍いにはなるのだろうね。君が危惧している、この世界がろくでもない実験の犠牲になる未来を避ける為ならば、我々——さらには他国とも連携を取って向き合う必要がある。今まではあくまでも我が国だけの事として意図的に情報を伏せてはいたが、世界全体の問題となるならば、『ダッカニア』が一丸となって戦わなければならない」


「そうならないよう、最善を尽くします」


「そうだね。我が国——いや、この世界においても、そやつと渡り合えるのは現状君だけなのだ……しかし、無茶だけはしてくれるな。我々など向こうの技術力と比べれば吹けば飛ぶ鼻クソみたいなものかもしれんが、一人で背負い込もうとするな。もっと我々を頼ってくれ——」



 ——ドンワーズが小屋から飛び出てきた同時刻。

 カッキスタは護衛を数人連れ、作戦実行地点から少し離れた場所位置する高台から状況を双眼鏡越しに目視していた。


「出てきたね…あれが…」


 初めて見る異界から来たという存在。ドンワーズの証言通り、その見てくれは白髪と白髭を蓄えた老人そのものだった。顔だけ注視すれば普通の人間のように見えるが、何らかの力を使って変化したのであろうその鱗だか甲殻だかが張り巡らされた両腕は、映画の撮影で使われる小道具のようにも見えた。

 しかし、ここは映画の撮影現場ではない。現実だ。


「総員、ドンワーズの保護は一旦後回しだ。目標に集中しな…!」


『了解!』


『カッキスタ司令、射撃の許可を!!』


 バッセルは周囲に点在する射撃班の存在を少し首を回して認識した後、嘲笑うような笑みを浮かべた。まるで『やれるものならやってみろ』と、そう言っているかのように。


「全体、射撃準備。少し小屋から引き離してから、初撃で終わらせるぞ。カウント、3、2、1・・・・・・」


 ゆっくりと前進してきたバッセルは、その瞬間大きく脚を動かし、ドンワーズに追撃を駆けるが如く瞬時に低姿勢になり、跳躍の兆しを見せた。その隙を逃しはしない。


「撃てッッ!!!」


 一発目の着弾は早く、バッセルが足を地面から離す前に打ち込まれた。それが契機となり、約百メートル四方、その全方位で散りばめたように待機していた部隊からおびただしい数の大小様々な弾丸の雨が一斉に降り注ぐ。

 地上で花火が炸裂するかの如く轟音と砂塵をまき散らし、大火のような火花が舞った。遠くで見ていたドンワーズですら思わずのけぞる程の音と光景に、その周囲はあっという間に爆心地のような有様と化した。


『撃て撃て撃て……!! 全弾撃ち尽くせッ——————————!!』


 この一回で決める。容赦なく浴びせ続けられる眩しいほどの鉄の嵐を見て、ドンワーズは耳を塞ぎながらうずくまる。

 銃弾を浴びせているだけなのに、これほどの爆発に近い現象が起こるのはそれぞれが放つ特殊な弾にこそあった。

 着弾点で起動し、対象を穿つように鋭く硬質な槍が射出される仕掛け弾、鉄鋼を食い破る小型榴弾、化学腐食液を塗布する弾。それぞれが効果的に役割を果たし、対象を確実に撃破するのだ。


『クソッ………こんだけ撃ってんのに、手ごたえが全然ねぇぞ………!?』


 本当に効いているのだろうか。彼らの間に、ふとそんな空虚な感覚が伝播する。

特殊鎮圧部隊総勢五十名による集中砲火。一つの目標に対してここまで苛烈な攻撃を行うことは未だかつてないことだった。

 だからこそ、この非現実的な状況と、この感覚的に伝わってくる手ごたえの無さに、射手である彼らは一様に危機感を抱かずにはいられなかった。


 しばらくすると全体の残弾が少なくなってきたのか、その雨も徐々に小雨になり、その様子を見たカッキスタは指示を下した。


「っ………撃ち方やめ————————!!!」


 ——この総攻撃をまともに浴びて立ち上がるわけがない。戦術もクソもない一方的な乱射だったが、最低限の情報のなかで出来る最善策だった。

 これがダメなら次のプランに移るまでだが・・・それでもダメだったらどうすればいい?


 無言で双眼鏡越しにその様子を見守る。しかし、彼女の懸念は残念ながら現実となって現れた。煙で鮮明に視認は出来ないが、嵐の中に、何か佇む影が見えた。


『………っ!? う、嘘だろ!!?』


 スコープを覗き込んでいた隊員が驚愕の声を挙げた。溶けた飴菓子のようにぐちゃぐちゃになった地面の上には、何か殻のような黒ずんだ物体が鎮座していた。


『マジ…かよ…———』


 殻のように見えた部分はバッセルの異形化した腕であり、黒ずんだ体組織に見えたそれは全て受け止めた弾丸の痕だった。それはゆっくりと動き出し、折り曲げた腕を展開しながら立ち上がった。


「………!?」


 遠くで体を丸めているドンワーズと目が合った。信じられないものを見ているかのような彼の眼を見て、体に付いた埃を雑に払う。


「ふぅ………流石のワシもひやひやしたぞ、ドンワーズ君。さて………次はどうするつもりだね?」


「化け……物め……!」


『司令、目標は未だ健在です! っ……指示を!!』


 明らかに震えた声が無線で届く。無理もないだろう、あれだけの攻撃を行って倒せない標的など存在しなかったのだから。


「……分かった。作戦プラン変更! 総員、可能な限りその場から離脱しろ!」


 それぞれ耳元で鳴る隊員たちの声は一様に恐怖に染まっていた。困惑する者、怒りをにじませる者、何かのデモンストレーションなのではないかと疑う者、作戦の失敗を嘆く者。


「まずいね……士気が下がってる」


 予備プランと銘打っているが、実際のところ選択肢は限られていた。優先事項として、バッセルの拠点である小屋の破壊を可能な限り回避することが掲げられていたからだ。

 これにより、空爆や爆破工作といった強攻策はおのずと封じられ、残された手段は銃火器の使用のみとなる。しかし、その頼みの綱である銃火器ですら決定打を与えられない今、戦局は事実上崩壊しているも同然であった。


 そして思案した結果、より大口径の銃火器の使用を試みるしかない、という代り映えしない判断が打ち出されたのだった。


『こちらチーム・ザカルス、レギン・ニール。作戦地点付近に到達、指示を待つ』


『同じく、チーム・ザカルス、アンヌ・レプセン。待機する』


 鋼鉄のプロペラが大気を裂く。ダッカニア国軍部が抱える中でも最高性能である飛行式強襲機二機が、唸り声をあげながらカッキスタに近づいた。


「ご苦労。戦局は見ての通りだ……ひと思いにやっておくれ」


『了解。最大火力で対応します——————』


 鼓膜をつんざくような駆動音を響かせながら、それぞれ作戦地点へと移動を開始した。


「ほう……?」


 それが向かってくる様子は、バッセルたちからもハッキリ見えていた。

巨大な鉄の鷲がその足元に装着された大口径をゆっくり旋回させ、狙いをこちらに絞る。陽光を受け鈍色に光るそれは確実に命を奪わんとする凶荒であり、平和をもたらす福音でもある。


「それが、とっておきってわけかい」

 バッセルはクヴェルア統制国ではもう流通していないような旧式の戦闘機の姿を思い起こし、どこか懐かしさを覚えた。しかし同時に肩を竦め呟いた。


「どこの世界も、兵器というのは皆一様に同じ姿になるものじゃな」

——不意に、彼らの視界からバッセルが消えた。


『なっ、どこに行った………っ!?』


『………上だ!!!』


 バッセルは瞬間的に跳躍し、次の瞬間には彼らの遥か上空に到達していた。太陽を背に僅かに滞空したのち、方向を修正する機体に向けて急降下した。


『なんだこの動きは!?』


 轟音と共に機体が軋む。真上から体を叩きつけるように機体上部に着陸したバッセルはフロントガラス越しにパイロットを睥睨した。


「……せっかく御足労いただいたのに、悪いのぉ。落ちてもらうぞ」


『な、何を……!?』


 不意に姿を消した後、突然ガキンッ、と何かが激しくぶつかる音が響いた。それと同時に機内に一斉にアラートが鳴り響く。


『ま、まさか、プロペラを………!?』


 金属が強引に捻じ曲げられるような怪音が鳴り響く。引きつった表情のままふと前を向くと、そのプロペラがひしゃげた形で落下していくのが見える。


『………っ!』


 僅かな浮遊感。それは次第に大きくなり、あっという間に地面が見えてきた。

そして——羽をもがれた鷲は見るも無残に大破した。


『レギン!!!』


『………だ、大丈夫だ……生き、てる………』


 変形したそれの中で辛うじて命を繋いでいるレギンだったが、その出来上がった〝弾〟をバッセルは逃さなかった。


バッセルは墜落した戦闘機に近づくと、無造作にそれを持ち上げた。そして全体が軋むほど握りしめ——あろうことか上空を旋回していたもう一機に薙ぐように投げつけたのだった。


『うわああああ————ッ!!?』


 絶叫。高速で飛来する残骸をまともに回避することも出来ず、それが直撃した瞬間、両者は空中で大爆発を起こした。


「くっ……———」その凄惨な光景を見て、カッキスタは言葉を発する余裕すらなく、ただ歯噛みすることしかできなかった。


『………指令、この…この後は?』


「………」


 ——今から追加の支援を要請して間に合うか?いや、そもそもこれ以上の支援に意味があるのか?

………勝てるのか?と、そんな漠然とした絶望感だけが場を支配していた。


「考えが、甘かった………」


少し離れた岩陰に退避していたドンワーズが拳を岩に打ち付け項垂れる。


『政統首………もうこれ以上は………撤退を、開始してください……!』


 諦めや後悔を孕んだドンワーズの声がカッキスタに届く。これ以上の消耗は無駄だと、彼もそう判断したのだった。


「ぐっ……やむを得ない、か……。だが、奴を野放しには出来ないだろう!最悪、小屋は諦めて空爆支援を……それなら君の撤退時間を稼げる」


「ダメです……あの中には転移装置があります……!バッセルを倒す前にアレを破壊したら、この世界にバッセルを閉じ込めることになります……太刀打ちが出来ない現状、そんなことをしたら奴の思うツボです」


「……なら、君はどうするつもりだね……?」


『私は……妙案を思いついたので、それを試してみるつもりです』


「・・・妙案?それは・・・危険な、ことか?」


『分かりません。ですが、バッセルを遠ざけることはできるかと・・・』


「ドンワーズ君、無茶なことは——」


『これしかないんです………!』


 僅かに声を荒げたドンワーズに、カッキスタも押し黙る。


『奴の狙いは、基本的には遺物のみなんです。だから、その所在を唯一知っている私をそう直ぐに殺しはしないはずです』


「………しかし、結局君は犠牲になろうとしているだけだろう」


『死にませんよ………もう、皆に心配を掛けたくはないですから』


「…そうか……。私に、出来ることはあるかい?」


『…では、異界探査部門の皆に少し言伝を——』


 彼から伝えられた少しの言葉をしっかりと記憶する。しかし、その言葉は彼らを安心させるに足るものとは思えなかった。


「………分かった、しかと記憶した。必ず伝える」


『ありがとうございます。統首も、どうか心配せず——』


 それだけ聞こえると、通信は一方的に切られた。

ハッとして視線をバッセルの方に移すと、既に彼はドンワーズの方へとゆっくりと歩を進めていた。


「っ………」


 ここで彼の言う通り支援を断ってしまえば、彼を見捨てることと同義だった。

しかし、現状でドンワーズの為に出来ることはない事も結果的な事実であり、カッキスタの権限を以てしても、現状を変える手段は持ち合わせていない。

 ——故に、彼女は拳を手すりに叩きつけ、無力感に打ちひしがれる他ない。


 重厚な鱗に覆われた腕を持て余すようにぶら下げながら、バッセルはドンワーズとの距離を徐々に詰めていた。対話による解決を放棄した今、やはり目的を果たすまでは強攻策を止めるつもりはないようだった。


「………ドンワーズ君よ、何か、よからぬことを考えているみたいだねぇ」


「はっ………老後について少し考えていただけだ」


 結果的に少しの間横になっていたため身体の痛みも少し引いていた。それでも節々は痛みを発し、ドンワーズに動くなと命じているかのようだった。


「無理に立たないほうが良いと思うがね。しかし、君がこの世界に向けている情熱は本物のようだ。この期に及んで、まだワシを止める気でいる」


「あたり………まえだ」


「どうだね。その、すぐにボロボロになる身体は不便じゃろう。もう一度こちらにきたまえ。いっしょに龍について深めようじゃないか」


「お断り……だっ…——!」


 もつれそうになる脚を踏ん張らせ、バッセルの元へと駆け寄る。そして——


「………?」


 殴りかかる——かと思いきや、瞬時に膝を折り、バッセルの視界から消える。肩透かしを食らったバッセルに生じた一瞬の隙を使い、同時に銃を胸元から抜く。


「っ……!? 何を——!?」


「そっちに行くんだよッ………!」


 躊躇せず引き金を引いた。甲高い音と共に放たれた漆黒の弾丸は、小屋に開いた穴に吸い込まれる。そして——


「っ………な、しまっ——!?」


 それが発射された時にはもう遅かった。ドンワーズの狙い通り、弾は小屋内の壁に着弾。着弾地点には、弾の炸裂と共に飛び散った血液が滲む。

 それと同時にドンワーズの体は瞬時に霧散し、小屋の中に引き寄せられるように瞬間的に転移していた。

 そして小屋内に到達した直後、傍に置かれていた転移装置に触れ、手馴れたように起動させる。


「クソッ、早く……——————!」


 その焦りに呼応するように、転移装置が淡く青白い光を放ち、起動する際に鳴る特有の振動音が空間を揺らす。


「ドンワーズ——ッ!!!!」


 直後、バッセルが血相を変え、それを操作するドンワーズに突っ込んだ。

バッセルの腕がドンワーズの身体を掴み装置から引き離そうとするが、ドンワーズも唸り声をあげ、装置から離れまいと踏ん張り続けてそれを操作する。


——もうすぐ、ボイドホールが開く。


「ハァッ………考えたな、ドンワーズ………!!!だがッ、それは根本的な解決にはならんぞ!!」


「ぐぅっ…!? い、いんだよ!!! お前をっ!! この世界から追い出すにはこれしかないっ!!………私が、引率してやれば満足だろう………!!」


「遺物を寄こせ!! ドンワーズ!!!」


 その手がドンワーズの首に食い込む首がネジ切れそうだった。だが、死ぬわけにはいかない。


「ぐぅぅ……か、ガハッ………!かえ、るぞ!!!」


《転移先:クヴェルア ——エリュシオンズ・アーク》


 朦朧としながら撫でるように画面に触れ、最後の入力を終える。直後、装置から枝分かれしたように伸びたアーチ状の機械からは紫色の霧が生成された。


「………っ!? 停止、停止を—————————」


「おおおおお——ッッ………!!!」


 既に遅かった。最後の一押しとして、生成されたボイドホールに向かって、バッセルの身体をドンワーズは自分自身の体ごと渾身の力で押し込み、取っ組み合っていた両者は霧に包まれるように時空の狭間に消えた————


『………っ!!………ド、ドンワーズ、目標と共に、消失………』


撤退命令を下されていたが、二人の行く末を物陰に隠れながらスコープ越しに見届けていた隊員の一人から声が上がった。


『ど、どこに消えた………?』


 他にもそれを見ていた者からも同様の声がにわかに上がり始める。先ほどまでの戦闘が嘘のように静まり返った一帯には、空っぽになった小屋、粘土のように変形し未だ黒煙を上げている強襲機、そして戦闘員である彼らだけが残された。

 その現実味のない顛末を遠くから見届けたカッキスタは、震える手で耳元の通信スイッチを入れ、静かに告げた。


「………総員に告ぐ、作戦は失敗だ。繰り返す、作戦は失敗。負傷者の有無を確認したのち、直ちに帰還せよ。後のことは防衛局に引き継ぐ……———以上だ……」


 僅か一時間にも満たないその戦闘は、向こうとこちらとの圧倒的な差を提示した。残された者は皆茫然と立ち尽くし、形容しようもない無力感に沈み、終わった———————。

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