終わりが見えない戦い 千歩必殺剣秘譚

お話を聞かせて

第1話 ついに終わりが見えた

 千歩必殺剣


 それは対手を千歩の間合いに捉えたならば確殺を約束する王国剣法の必殺奥義である。


 年端もいかぬ小娘も、数多の戦場を駆けた古強者も、貧苦に苦しむ農奴も、権勢を誇る貴族も、その剣の前では例外なく切り伏せられる。


 その必殺性はすでに剣技の域を超え、一種の法則と言えた。千歩必殺剣の使い手は、理不尽だが逆らいようのない死の運命の運び手である……いや、であった。


 これは、王国分裂時代において、千歩必殺剣がいかに猛威を振るい、そしていかに滅びたかを伝える物語である。


第1話 ついに終わりが見えた


 大陸最南端の自由都市の門をくぐった瞬間に、掌に隠し持っていた宝玉の色が青から赤に変わった。この宝玉は片割れの宝玉の近さによって色を変える。青色は300マルト以内を表し、赤色は50マルト以内だ。間違いなく、片割れの宝玉はこの巨大な都市のどこかに潜んでいる、それを奪った奴もそこいる公算が高い。


 私は改めて身を引き締める、右手でつば広帽を目深にかぶりなおした。この追跡行を始めてから1ヶ月、目標はもう目の前だ。なんとか敵が海を渡る前に追い付くことができた。


 問題は、敵も追跡者が迫っているのを把握しているという事だ。奴の宝玉も赤色に変わったということだけではない。私の前任者は全て、一人残らず、奴の千歩必殺拳で殺された。千歩の間合いから奇襲され一撃のもとに心臓を抉られ殺されたのだ、こちらが剣を抜く間もなく。それはつまり奴が追跡者の容姿などを事前に把握していることを意味している。王宮内のそれも相当上位の人間の中に内通者がいて逃走者に追跡者の似顔絵などの情報を流していることは、もはや周知の事実だ。しかし、内通者を探り出すのに時間をかければ、刺客に逃走の時間を与えることになる。そのため、内通者探しと盗人の追跡は同時に行われることになった。敵はすでに私の顔も知っている恐れがある。


 空を見上げると代赭色の太陽が力を失いつつ、南方特有の石灰で塗り固められた白い壁の向こうに消えていこうとしていた。この時分から出港する船はないだろう、少なくとも今日は宝玉を海の向こうに逃す心配はない。


 追跡の続きは明日にすることとして、宿を取ることとする。宝玉を懐にしまい、門が閉まる前に出発しようとする人波を避けて、市の内部に入って行った。


 周囲の様子を伺いながら私は考える。さて、このような場合、市の中央に泊まった方がいいのか、少し寂れた場所に宿を取った方がいいのか。私が追跡者に選ばれたのは、忠誠心と戦闘力のためであって、こういった方面の知識は実はあまり明るくない。


 かえって賑やかな場所の方が身を隠すには適しているかと思うのだが、敵は千歩必殺拳の使い手だ。私の顔をちらとでも見つければ、千歩の間合いなら私を殺せる。やはり、ここは人通りの少ない場所で宿を取ろう。


 中央を避け当てもなく彷徨い、少し寂れた路地に入った。行きかう人の身なりは良くない、どこからか底を外した歓声が聞こえてくる。宿を探していると、ロアンナの宿という看板を見つけた。銅で出来ている看板自体は古いのだが、よく磨いているのか光沢がある。宿自体も年期は感じさせるが、周辺は清掃が行き届いていた。


 扉を開けると鈴がなった。中に入ると一階は食堂で、こちらに背を向けて一人の男が骨付き肉を食べているのが見えた。 


「いらっしゃいませ」


 カウンターの奧から声が聞こえた。やがて、エプロンで手を拭きながら灰色の髪の柔和そうな老婦人が姿を現す。腰は曲がっているが元気そうだ。


「泊まりたいんだけど部屋はあるかな」


「ありますよ、一泊ですか?」


「まだ決めてない、もしかしたら連泊するかもしれない」 


「はい大歓迎ですよ、ただし前金です」


 私は財布から1デュガス金貨を取り出して、カウンターに乗せた。


「これで何泊できる?」


「まあまあ、もう一ヶ月でもお好きにどうぞ、お食事つきです」


 老婆は金貨を見ると満面の笑みを浮かべた。


 宿帳に名前を書いてる最中に、老婆は怒鳴り声をあげた。


「キオ! 何してるの一階に降りてきて、早く!」


 年を感じさせない声量で少し驚く。


 しばらくして、階段を駆け下りる音が背後から響いた。振り返ると灰色の上下にエプロンをかけた一人の少女が立っていた。目は切れ長で鼻筋が通っていて、なにか力強さを感じさせる顔つきだった。少女は挑戦的な笑顔でこちらを見つめていた。


「お客様よ! 三階の奧部屋にお連れして」老婆は少女に命じると、こちらを向いてにんまりと笑った。「大変眺めがいいお部屋ですよ」


 老婆から鍵を受け取り、キオと呼ばれた少女に先導されて階段を上がり廊下の奥部屋に向かう。思ったより奥行きのある建物だ。


「お客さんはどこからいらっしゃったんですか」


 キオが口を開いた。やはり、どこか敬意にかけた声音だった。


「ロスデリア王国首都ローデウムから」


「何をしにクエンカまで?」


「目的はないよ、武者修行の旅さ」


「はあ、武者修行ですか」


 少女はあはは、と笑った。


 突き当りの部屋の前に立つと少女は腰の鍵束から、鍵を選んで扉を開けた。少女と一緒に部屋に入る。そう広くはないが清潔な感じがする、仮宿としては上等だ。


 背荷物を床に降ろして剣と帽子をテーブルの上に置き、椅子に腰を下ろす。それから老婆の言葉を思い出して、立ち上がって南向きの窓を開けた、涼しい風が顔に当たる。見渡せば市街の向こうに海が広がっていた、一面が紫色に染まっていて美しい、上空で量感豊かな雲に赤みが差していた。思えば南方の海を見るのは初めてだ。私が見たことがある北方の、人を拒絶するような厳しい海とは違って、穏やかな優しい海だった。随分遠いところまで来たのだなと胸に込み上げてくる思いがあった。


 振り返るまでもなく分かることだが、背後から人の気配が消えない、キオはまだ入り口に立っているらしい。そうか、なるほどと思った。


 私はキオに近づきながら、財布から100デュマ銅貨を取り出すと、彼女にそれを手渡した。


「案内どうも」 


「いえいえ、こちらこそお駄賃をいただきまして、まことにありがとうございます」


 それでもキオは立ち去らなかった。


「まだ何か?」


「いえ、ちょっとね。お話でもしませんか?」


 キオは後ろ手に扉を閉めると、私の許可など最初から求めていないかのように、ずかずかと部屋を横断し寝台に腰かけた。


「話すことなんかあるかな」


「武者修行の旅が許されるなんて、お客さんは随分育ちがよろしいんですね」


「そうだね、まあまあかな」


「でしょうね、ここいらの人間とは顔つきが違います、羨ましい限りで。あたしのような身分の者にはとてもとても」 


「君だって貧民じゃないだろ」 


「明日も知れない身ですよ、毎日必死です」 


「そうかな、その割には余裕があるように見える。今もおしゃべりに興じているし」 


「お客さんに捕まっておしゃべりに付き合っていたって言えば、あの婆も文句言わないですからね。そうやって、適度に手を抜かないと。あの婆の言うとおりに仕事してたら体がもちませんよ」 


「まあ、そういうことなら付き合ってあげてもいいけどね。あの老婦人がロアンナかい? 君とはどういう関係?」 


「あはは、老婦人。そうです、ロアンナです。ああ見えてかなりやり手なんですよ。この界隈で女主人で宿をやるのは並大抵ではありません。私の遠縁だそうですがね、両親が幼い私を残して失踪したあと、引き取ってくれました。奴隷並みの酷い扱いを受けていますが、まあ多少の恩はあります」


 どうやらこのキオという少女は口が悪いらしい。彼女の容姿を見れば奴隷並みの扱いをうけているというの言い過ぎなのは分かる。あるいは二人には見せかけ以上の信頼関係があって、照れ隠しの軽口なのかもしれない。 


 どうせ会話するなら少しは私にとって有意義な会話をしなければと、いくつか質問をした。 


 この貿易都市クエンカは東西に伸長し発展したらしく、議場や市場、歓楽街がある中央、領主や市議などの有力者が多く住む東、一般市民が住む西部中央、貧民街がある西端とだいたいの区分けがされているらしく、ここは貧民街との境目とのことだった。東西の長さは約80マルト、やはり盗まれた宝玉はこの街のどこかにあると考えていい。 


 兵力は市民兵と傭兵に頼っている。クエンカの市議会は金払いが良いらしく、傭兵も行儀が良いのが多いとのことで、市民との不和はないとのことだ。肝心の戦闘力についてはキオは分からなかった。クエンカの兵士と諍いを起こすことはないと思うが、もし戦闘になったら全力で戦うしかない。


 現在の市長は66歳、キオが生まれる前からその職に就いているという。クエンカは南部都市群の中心的都市だ、その都市の市長を務め、王国と帝国に挟まれた南部都市群の自治権を守り通しているのだから有能なのだろう。市議会との関係もすこぶる良好らしい。もし可能なら、敵を探り出すのに市の協力を得たいのだが、正直、クエンカ市が協力してくれるとは思えない。何しろ敵は帝国から派遣された者なのかもしれないのだから、市はその争いに中立を維持するに決まっている。それとあまり考えたくないが、刺客の依頼主がクエンカ市の者で、すでに宝玉がその者の手に渡っているという事態も考えられる。この場合、外交問題が発生するかもしれない、そうなれば私の手に余る。 


 その他、市内の細々としたことを聞き出した。 


「大分、休めただろう。そろそろ仕事に戻ったら?」 


「そうですね、でもまだ大事なことを言ってないんですよ」


 キオはにやりと笑った。相手を馬鹿にした笑いだなと思った。 


「あたしは、二時間30デュルトです。一晩買いなら50デュルトにまけておきます」 


 私はうんざりしてため息を吐いた。 


「私は年増趣味でね、君にはそういう興味ないかな」 


「なに格好つけているですか。そういうの逆に格好悪いですよ。お客さんあたしの好みなんで安くしているんです」 


「君よりロアンナ嬢に相手してもらいたいね」 


「ロアンナ嬢はそっちの方面はとっくに引退しましたよ。お願いしますよ、客取らないと婆に殴られるんです。あの婆やり手だって言いましたよね、半秒三殴杖の使い手なんですよ」 


 奴隷並みの扱いというのまんざら嘘でもないのかもしれない。


「老婦人の分け前は、三階奥の客が代わりに払うって伝えてくれ。ほら、もう行って」


 キオはもう嘲りを隠さなかった。


「いや、これはどうも。身分の高い方は違いますな。私を買いたくなったらいつでもお声がけください」


 キオは部屋を出ていこうとする途中で振り返った。


「お名前をお聞きするのを忘れてました」 


「宿帳に書いてるけどね。ロスタム・S・バークエ」


「なるほど貴族様ですか、どうりで。ロスタム様とお呼びしますね。ではごゆっくり」


 キオが居なくなって静かになった部屋で誰ともなく呟く。


「バークエ様って呼べよ……まあ偽名だけど」


 気分を変えるため、私は剣を取って鞘から抜いた。一点の曇りもない白銀の刀身に部屋の灯が反射する。強靭な拵えだが美しさも兼ね備えている。私が副騎士団長の叙任を受けてからずっと共にある相棒だ。銘を慈悲を与える乙女、あるいは来歴から金庫番殺しとも呼ばれる。王国でも屈指の名剣であり、これを授けられたということが私の強さの証明でもある。そして王から将来を期待されていることも意味する。


 しかし今回の相手は強敵だ。場合によってはこいつを振るう暇さえ与えられず殺されるかもしれない。それでもやるしかない、私の将来がこの一件にかかっている。


 剣を鞘に戻すと、懐から宝玉を取り出す。真球で金の台座と宝石に飾られている。宝玉は赤く輝いていた。今頃、敵の宝玉も赤色に染まっているだろう。


 この宝玉は古の魔導士の手によって拵えられたものだが、二つ一組で片方の宝玉の位置によって輝きの色を変える。だが、それはあくまで宝玉の副次的な機能の一つであって、真価は別のところにある。この宝玉は持っていると歳をとらないのだ。


 我が王アーラル3世は今年で134歳になるが、身体は壮年の全盛期のままだ。王妃ソリダリアも同じく宝玉を持っていたので、115歳になるが若々しく美しいままである。アーラル3世は賢王と名高く、その治世が長く続くことを国民の誰もが歓迎していた。


 この宝玉が王の手から奪われたのは、王と貴族たちとの狩猟の最中であり、一瞬の出来事であった。


 その日は少し曇っていた。周囲を森に囲まれた開かれた草地で王たちは勢子が獲物を追い込むのを待っていた、敵はどこか遠くから、王たちの様子を伺っていたのに違いない。王の周りの護衛の兵士が少なくなった機会を見計らって、千歩必殺拳を放った。千歩の間合いが一瞬にして零になる。王のすぐそばに控えていた騎士がくぐもった悲鳴を漏らした時、すでにその心臓に鎧を貫通して拳が突き刺さっていた。


 王はすぐに事態を察したという。


「これは千歩必殺拳!?」


 すでに失伝したという拳法の奥義にすぐに思い当たったのは流石賢王と感心せざるを得ない。もっとも私の剣技を知っている王であれば、それもおかしくないと言えるが。


 頭巾で顔を隠した男は馬上の王を見上げた。体格は逞しく、黒ずくめのゆったりとした武道着を着ていた。


 他の騎士が反応する前に、王は弓を捨て剣を抜いて刺客に切りかかった。それと同時に刺客も王目掛けて飛び掛かる。王の剣は刺客の頭巾を切り裂くに過ぎなかったが、刺客の手は王の懐に突き刺さっていた。誰もが、王自身も、王が殺されたと思った。しかし刺客が引き抜いた手は血に濡れていなかった。代わりに赤い宝玉が光っていた。頭巾が破れ男の顔があらわになる。男らしい巌のような顔立ちだ、頬に大きな刀傷がある。


 刺客はそのまま王の背後に回って腕で王を縛った。王の側にいた兵士は剣を抜いて周りを取り囲み、他の貴族を護衛していた兵士も護衛対象を捨て置き殺到してくる。


「王を離せ! 逃げ場はないぞ」


「動くな、動けば陛下を殺す」


 男の声は落ち着いていた。 


 不敬ながらなぜ刺客は王を殺さないのか、誰もが不思議がった。逃げ場はどこにもない。この期に及んで王を羽交い絞めしている刺客の意図を誰も分からない。王以外は。


「余ごとこやつを殺せ! こいつには千歩必殺拳がある! 気と足腰の回復を待っているのだ!」 


 しかし、王に忠誠を誓った者であってもその命令だけは聞くわけにはいかなかった。貴重な時間が睨みあいの内に過ぎていく。


 不意に男は王のいましめを解いた、馬上から地上に飛び降りて叫ぶ。


「陛下、これにて失礼。千歩必殺拳!」


 その瞬間、男の姿は霞のように朧になって消えた。


 兵士の中でも特に耳の良い者は、遥か遠くの方で悲鳴が上がるのを聞いた。そちらの方を見れば、森の近くにいた貴族の一人が男に胸を貫かれているのが視界に移る。


「あそこです!」


 一人の騎士が指さす方向に男の姿を確認した指揮官の近衛騎士は叫んだ。


「追え、追え、奴を逃すな!」


 王を除く全員が馬頭を巡らせて、そちらの方へ全速力で駆けていった。彼らが男に届く前に、男は森の奥へと消えてしまった。


 王国の秘宝が盗まれ、王も殺されてもおかしくなかった。この大事件は王宮内を大混乱に陥らせた。居合わせた人間の証言から非常に精巧な男の似顔絵が作られ、追跡の任を帯びた兵士の一団が王国の東西南北に派遣された。護衛の近衛騎士の指揮官は暫定的な処分として降格されたが、次の日に自害しているのが発見された。


 近衛の指揮官は私にとって数少ない友人だった。副騎士団長である私もこの事件はすぐに知ったが、忠誠心の強い彼が責任を取るため自害することは予想できた、だがそれは止めることのできないものだった。彼の犯した失態は確かにそうして償わなけばならないことかもしれない。しかし、私は彼を責める気にはなれなかった。ただ、彼を追い詰めた犯人を憎んだ。


 千歩必殺拳を使う以上、敵は相当な手練れである。兵士では手に負えぬかもしれぬ。また、大人数で行動するより少数で行動した方が身軽であり、そちらの方が追跡行に適している。そう考えた首脳陣は兵団の他に、王国に属する各種の強者を徴集した。腕自慢の騎士、兵団の剣術指南、王子の守役の槍術家、王国魔導院の顧問、その他在野の達人、そういった人間が追跡の任を受け首都を出発した。


 一週間もしないうちに、彼らのなかで南に出発したものが、胸を抉られた死体で見つかることになる。


 男は南に移動している、あるいは帝国を目指しているのかもしれない。


 犯人の似顔絵は、王国の都市や町や村に都市間連絡クリスタルと早馬で配られ、情報提供を求めているところだから、男はそう言った場所では安易に休息を取れず、少しは移動も遅くなったいることだろう。まだ、男を捕まえられる可能性はある。しかし、どうやって捕まえればいい? 男は千歩必殺拳で追跡者を屠っていた、つまり追跡者が敵意を見せたので対応したのではない。追跡者の顔を何らかの形で事前に知っていたことになる。王宮内に内通者がいて、男に追跡者の容貌を連絡していることは確実視された。そもそも最初の襲撃が内通者の手引きによるものだろう。


 男以上に腕が立つものを極秘裏に出発させるしかない。


 私は襲撃から九日後の夜、内々に王の執務室に呼び出された。旅装を整え出頭するようとの指示だった。


 扉の前の衛兵に剣を預け中に入ると、王が机の向こうの椅子に腰かけてこちらをまっすぐに見つめていた。他に王国宰相、元帥、騎士団長が並んでいる。


「カイ・リヒテナウアー副騎士団長、王命により罷り越しました。」


「リヒテナウアー副騎士団長、よく来てくれた、座ってくれ」


 王は机の前の椅子を示した。


「いえ、このままでおうかがいします」


「そうか、では要件に移るが、不老の宝玉が盗まれたことはお前も知っているな。追っ手を放ったが、奴に近づいたものは己の力を披露する暇も与えられず殺された……千歩必殺拳だ!」


 王は拳を机に打ち付けた。木製の天板は大きな音を立ててばらばらになった。


「すでに失われた拳法の究極奥義、それを復活させた者がいた。まるで誰かのようだな。こやつも味方だったら頼もしかったのだが、残念ながらそうではなかった」


 王は私に笑いかけた。


「失われた奥義を使う者を殺すのならば、同等の者が必要なのだ。今まで積まれた屍がそれを証明しておる。千歩必殺剣、失われた王国騎士剣術の奥義を復活させたお前ならあるいはやり通せるせるかもしれん」


 そう、私は王国創建時代から長きに渡って伝わっていながら誰も復元できなかった剣の奥義、千歩必殺剣の使い手なのだ。


 私は良血の貴族ではない。祖父が現国王の元で兵士として異例の活躍をし一代貴族に命じられ、父が騎士団に入団を許された。父には剣術が才能があり血統貴族ではないからこそ必死に努力し騎士団有数の剣士と言われ、その父から私は早くから剣技を習った。私は異常な速さで父の教えを学び、そんな私の姿を見て、父は我が子が慢心するのではないかと恐れを抱いたらしい。そのため、12歳の頃、初めて父と本格的な試合を行った。父はこの試合を通して息子に剣術の奥深さを教えるつもりだったに違いない。勝負は一瞬で決まった。父の木剣は地面に突き立ち、私の剣先が父の喉元に突きつけられていた。 


 父は驚愕で顔を歪めながら、呟いた。


「私を越えるか……その歳で」 


 私は父の熱烈な推挙もあり、13歳で騎士団に入団した。


 千人からなる騎士団は、剣術だけではやっていけない。槍術、斧術、格闘術、魔術、馬術、生存術、戦術、戦略、先輩騎士の指導を受け様々なことを学んだ。意外なことに先輩の騎士は親切なものが多かった。一つは父の名声のためであり、一つは私の生まれのためであった。私の生まれでは、一生を下位の騎士として終えることを決定づけられているようなものだ、出世争いの対象にはならない。そういう思いが先輩騎士たちをして気安い態度を取らせたのだと思う。それと私の剣の腕もあるだろう。騎士団に入った当初から、私の剣の腕は騎士団有数だったが、数年の修練を積み、また北方で実戦に出るうちに誰もが私が一、二を争う腕前であることを認めた。こいつを自分の派閥に誘い込めば使い出のある駒になる、おそらく多くの者が私をそんな目で見ていた。


 22歳になったある日、広大な屋外の修練場の一隅で剣を振るっていると、遠くから騎士団長がやってくるのが見えた。私は拳を胸に当てる敬礼をし、訓練に戻ろうとしたが、騎士団長は私に向かって手を挙げた。


「やっとるな、訓練御苦労」


「はい、修練あるのみであります」 


 私は汗を拭いながら答えた。 


 騎士団長はその年に丁度50歳になったところだったと記憶している。槍術の達人であり、特に馬にのれば、誰も彼を止めることはできなかった、私も北方で馬上の彼の横に並んだが、私たちを引き離して一人敵陣に突撃し、敵兵を殺戮する様は圧巻だった。騎士団において明確に私より戦闘力が上である数少ない人間の一人、それが騎士団長である。長い顎髭を伸ばし太い一文字の眉が走る顔は正に実直そのものといった風貌で、見る者に威厳を感じさせたが、意外と話が分かる人物ともっぱらの評判だった。騎士団長が父と仲が良かったこともあり、私も目をかけてもらっていた。


「父上の道場の方はどうだ?」 


「はい、おかげさまで、賑わっているそうです」 


「そうか、結構結構。ところで、お前に話がある、ちょっとついてこい」 


 騎士団長に連れられて王宮の書庫に入った。書庫は人払いがされているようで、我々の他には利用者はいなかった。いつもいる司書ではなく副司書長が難しそうな顔で我々を迎える。副司書長は、抱えるように一本の巻物を持っていた。 


「こちらが例の巻物です、しかし本当にこの者に貸し出してよいのですか?」 


「王と元帥の許可は得ておる、貴公が心配することではないぞ」 


 騎士団長はその巻物を私に渡すよう、副司書長に目配せした。副司書長はしぶしぶといった様子で、私に巻物を手渡した。その態度に血統貴族でないものに対する侮りを感じ取った。 


「千歩必殺剣だ」 


 騎士団長は小鼻を膨らせて答えた。


「王国創建時代の大騎士マテウスの必殺奥義、その習得方法がこの巻物に書かれている。今まで見込みがあるものに、この巻物の秘を解いたが、習得できたものは一人もいない。奥義は失われて久しい」


 騎士団長は私の肩を両手でつかんだ。

 

「お前には優れた剣の素質がある、あるいはこの奥義を習得できるかもしれぬ。できなくとも文句は言わん、挑戦してみろ」


 千歩必殺剣、その名前だけは知っていたが、正直、王国創建時代の神話だと思っていた。マテウスは数倍の兵力をもって対峙する敵国の将を千歩必殺剣で一刀のもとに切り捨て、敵陣をかく乱した後に、また味方陣の柱に縛り付けられていた捕虜を千歩の間合いを渡って切り殺し悠々と帰還したという。


「この巻物、広げてもいいですか」


「うむ」


 年代を経た巻物を広げると、薄くなった文字で情感豊かな韻文が記述されていた。


「わしもこの巻物を読んだことはあるが、ただの詩にしか思えん。まあ、詩としては割と良い出来であるとは思うがの」


 騎士団長の言葉は半分ぐらいしか聞こえてなかった。私は一目見て巻物の内容に夢中になっていた。確かに見た目はただの韻文に過ぎないが、読む者が読めば、これは千歩必殺剣の指南書に他ならなかったのである。


「とりあえず、10日ください。手応えがあれば、そう申し上げます」


 そう言って、その場を辞した。


 それから、4日後に再び修練所で騎士団長の姿を見かけたので私は近寄って、巻物を返した。


「やはり、駄目か」


 騎士団長は特に失望するでもなく、それが当然だという口調で言った。 


「いえ、成りました。あちらをご覧ください」


 私は鯉口を切り剣の柄を握って、気を全身に横溢させた。修練場の端、生き試し用に囚人たちが十字架に磔にされている。目隠しをされ言葉もなく項垂れている一体に意識を集中させる。やがて自分と対象とその両者を結ぶ一本の線が世界の全てになる。拡充された意識が対象の全てを私に伝えてくる、臓物や骨の配置、筋肉の緊張、息遣い。振るうべき剣の軌跡が明らかになると必殺を確信して私は叫んだ。


「千歩必殺剣!」


 下半身が爆発したかのような渾身の踏み込みの急加速により、左右の風景は何条もの直線と化した。目標との距離感が狂ったように縮まっていく。一秒もかからず、私は囚人のところまで間合いを詰め、その勢いのまま対象を一刀で両断した。囚人は悲鳴もなく血と臓物をまき散らして死んだ。表情は変わっていない、自分が切られたことにすら気づかなかったのだろう。


 すでに何度も試し打ちした奥義だが、こうして使うとやはり何か高揚感が込み上げてくる。失われた剣術を私が復活させたのだという興奮だった。


 囚人の磔が並んだ一角に人影はなかった。まだ修練場にいる人間は何が起きたか気づいていない、私と騎士団長の除いて。 


 私は振り返って騎士団長を見た。騎士団長はしばらく唖然としていたが、やがて顔中満面の笑みを浮かべた。それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。それは、私が今まで見たことのないような、なんとも恐ろしく、今にも殺されるのではないかと思ってしまうような殺意の籠った笑みだった。


 一か月後、私は歴代最年少の副団長となった。失われた王国剣術の奥義を復活させたのだから、それも当然かもしれない。しかし、周囲の人間はこの人事に憤った。色々と教えてくれた先輩騎士が部下になり、その眼には憎悪が燃えていた。今度の副騎士団長は下賤の出の暗殺者であられる。そんな陰口が叩かれていると噂で知る。そういった事情の背景には、千歩必殺剣への恐れがあった、私がその気になれば、何の抵抗も出来ずに一刀のもとに切り捨てられるのだという恐怖。また今まで長く厳しい修練を積んできたという自負も千歩必殺剣は切り裂いていた。


 騎士団長は私に千歩必殺剣の教官となって、他の騎士にも習得させるように指示を出したが、私には明白な千歩必殺剣の手順が、他の者にはどうやっても伝わらなかった。やがて騎士団長も他の騎士への伝授を諦めざるを得なかった。そもそも私に言わせれば、あの巻物がこれ以上ないぐらいに丁寧に必殺剣の全てを教えてくれているものだったが、そんなことを言っても誰にも通じなかった。


 それから六年、私は副騎士団長の地位を盤石にするために努力した。武功を立てるのは当然だがそれだけではない。会いたくもない人に会い、笑いたくもないのに笑い、下げたくない頭を下げた。多くの人間に媚を売った、特に王族には這いつくばるように阿った。また、後輩騎士への指導を熱心にした。同僚や先輩たちの多くに疎まれているのであれば、せめて下級の騎士の中に私への信奉者を作っておきたかった。その甲斐もあって、騎士団内にある程度の勢力を作ることができた、王の覚えも悪くない。少なくとも私が老年になり騎士団を引退するまでは、その地位を追われることはないように思えた。


 もっともそれ以上の地位、つまり騎士団長への叙任など考えたこともなかった。騎士団にはもう一人、副騎士団長がいて、彼が次の騎士団長になるのはほぼ確実視されていた。


 彼の名はガラント・H・ボルテン、私より13歳年上で、百兵殲滅斧の使い手だった。彼が斧を振るう姿を見たことがあるが、彼の一振りで、誇張ではなく、百人の兵が吹き飛んだ。こと戦争となれば、私の千歩必殺剣より余程効率的に敵を殺戮するだろう。また、彼の性格はというと、ある種滑稽なほど騎士道を信奉する好人物であった。私が空位であった二人目の副騎士団長を継いだ際、彼は私の手を強く握り、「頼もしい仲間が増えて嬉しい、これから共に王国にすべてを捧げよう」と真剣な顔で言った。その瞳には、何らの悪感情もなく、むしろ好意的な色があった。彼は真正の貴顕だった。その後、噂で聞いたのだが、彼は私の陰口をたたいた騎士を殴り飛ばしたらしい。その騎士は、死にはしなかったものの、負傷は重く、引退してしまった。彼は「副騎士団長の名誉に汚物を擦り付けるような者など、騎士団に相応しくない」と昂然と言ったという。そのような振る舞いはむしろガラントの名声を高めた、正々堂々とした騎士の中の騎士として、彼は多くの騎士から圧倒的な支持を受けていた。斧の方の副騎士団長のためなら喜んで死ねる、無論、命令とあれば剣の方でも命を懸けるが、とは、ある騎士の述懐である。


 私自身、彼に好意を持っていたし、私を差し置いて騎士団長に就任することも納得していた。しかし、今回の事件のせいで風向きが変わってきた。


 王は厳粛に言った。


「刺客を追跡し、見つけ出し、征伐しろ、宝玉を王国に持ち帰れ」


「王命、確かに承りました」


 私は深く頭を下げた。


「このようなことは、本来、王国副騎士団長に与える命令でないことは、十分理解している。だが、お前しか適任者がいないのだ。無論、その見返りは与える。見事果たした際には、王国騎士団長の地位を与える」


 私は耳を疑った。


「王国騎士団長ですか、それは私には過ぎたる地位かと存じます。陛下のお褒めの言葉だけで十分です」


「千歩必殺剣の使い手が何を言う。王国を幾度も救った大英雄マテウスの再来ではないか」


 不敬だとは思いながら、私は食い下がった。


「しかし、私は一代貴族の孫です。高位血統貴族ではありません」


「それがなんだ」


 口を挟んだのは宰相だった。宰相は四十半ば、高級官僚としてはまだ若輩の身でありながら、政治、策謀に長けた切れ者として有名だった。また一流の魔術師でもある。


「陛下が良いと言っているのだ。お前は謹んでその地位を受けるべきだ」


 宰相に睨まれながら、この人も高位の貴族ではないことを思い出した。その能力を買われて陛下に抜擢された下級貴族の出身だ。あるいは高位貴族の勢力を削ぎたいのかもしれない。


「騎士団長はどう思われますか?」


 騎士団長が口を開く前に、王が答えた。


「実はな、現騎士団長は以前からお前を推していたのだ。しかし、内外の評判を考えると、ガラントにするしかないというのが実際のところだった」


 驚いて騎士団長を見ると、彼は目をつぶって深々と頷いていた。この男の真意がどこにあるのかまったく読めない。彼を安易に信用するのは危険だ。


「元帥閣下は?」


「騎士団の人事については、私は容喙しない」


 筋骨隆々で肩が盛り上がった百戦錬磨の王国元帥は憮然として答えた。どうやら心中では反対らしいが、表立ってそう言うことはできないらしい。しかし、素晴らしい体躯の持ち主だ。城ですれ違ったり、参謀会議で何度も同席する機会はあったが、その度に感嘆を禁じ得ない。元帥の鋼の肉体は刃物を通さないと聞いたことがある。かつて兵団に潜んでいた間者が短剣で元帥の背後から肝臓を突き刺そうと狙ったところ、コートと衣服を貫いた切っ先はほんの僅か肉に沈み込んだだけで止まってしまった。振り返った元帥が拳を振り下ろすと、間者の頭が胴体にめり込んで見えなくなってしまったというのは有名な話だ。


 千歩必殺剣ならこの肉体を斬れるだろうか、元帥の体を見ると剣呑な好奇心が湧いてくるのが自覚された。


「納得したな? ついては探索に当たって、お前に宝玉の片割れを貸与する、この宝玉は片割れに近づくごとに色を変える、追跡行の役に立つはずだ」


 陛下が懐から、宝玉を取り出す。宝玉は白色に輝いていた。


 その言葉は先の言葉以上に、私を驚愕させた。


「ソリダリア王妃殿下が持っていた不老の宝玉の片割れをですか。それは陛下がお持ちになっていた方がいいのでは?」


 王は首を振って応えた。


「余としても悩んだのだがな。しかしこれを持たずに、追跡するのは敵に不利を負う。止むを得ないことと判断した」


 弱気ととられるようで嫌だったが、私は言った。


「私が失敗する恐れもあります。そうなれば不老の宝玉を二つとも王国は失う事となる」


「剣術の天才よ、若き副騎士団長よ、お前が失敗するとは思わん。しかし、仮に失敗したとしても、受け入れようではないか。余は一人で不老の時を過ごすのは嫌なのだ。ソリダリアと一緒の時間を過ごせないのならば、不老である意味がない。お前が失敗したら、私はソリダリアと共に老いて死のう」


 王は目をつぶって疲れたように背もたれに体重を預けた。王の言葉は、その地位にある人が言う言葉としてはあまりに甘いのではないかと思った。王妃殿下を大事するのは結構だが、やはり御身のことを最優先するべきなのではないか、それが為政者としての責任だ。しかし、不老の人間にしか分からない苦痛があるのかもしれない。王はすでに二人の王子が老衰で亡くなるのを見てきた。その心中を想像するのは難しい。


「聞いたか、陛下がここまでおっしゃっている」


 宰相がこちらに身を乗り出して言った。


「陛下の覚悟を無駄にするな、絶対に失敗は許されない」


 なるほど、私も覚悟を決めなければならないようだ。それにこれはまたとない好機だ。私が、高位貴族でもない私が、騎士団長? まったく、人生には予想もつかないことが起きる。ガラント副騎士団長を差し置いて私が騎士団長になれば、多くの騎士が私を憎むだろうが、憎しみにはもう慣れている。


「畏まりました、改めて、王命承ります」

 

 王は、うむと頷くと私を手招きした。机の前まで近づき、宝玉を受け取る。


「では、今すぐ動け。明日の朝から行動を開始しろなどと悠長なことを言う気はない。行け、殺してこい!」


 王はまなじりを決して私に命じた。敬礼をして命令の遂行を誓う。襲撃者を追いかけて殺し、宝物を奪い返す。そして光輝に満ちた将来を実現するのだ。


「ついてこい。任務に必要な情報と物資を与える」


 宰相がそう言って扉を開いて出ていった、私もその後に続く。 


 宰相は階段を下りて東の廊下の奥に進んでいった。こちらは官僚たちの事務室がある方向だった。しばらく歩くと、宰相の執務室に着く。 


「入りたまえ」 


 宰相の指示に従って、部屋に入る。我々の他には誰もいない。


「さあ、かけてくれ、次期騎士団長殿。陛下はああ言ったがそう急ぐことはない。酒は飲めるかね、私の領地で作った蜂蜜酒はどうだ。高位貴族様の口には合わないようだが、貴公の味覚には合うと思うぞ。なにせ我々は身分が近いからな」


 宰相は打って変わって親しみのこもった態度で私を歓迎した。蜂蜜酒が注がれたグラスを受け取り、一口飲む。思ったより甘くはなく爽やかな口当たりだ。 


「初めて飲みましたが、美味しいですね。私が無事任務を果たした際には、こちらで祝っていただけば幸いです」


「気に入ったのならば、樽で進呈しよう」


 宰相は自分のグラスを一気に煽った。荒い息を吐いて私を見つめる。 


「貴公は何としてもこの任務を果たせねばならん。これ以上、ボルテンの一門に権力を与えるわけにはいかない。あの一門は官僚団、兵団、騎士団と至る所に根を張っている。はっきり言って危険極まりない」 


 危険とは誰にとってでしょうか。と聞きたくなった。少なくとも王家に対する危険ではないのではないか。だが、そんな問いを発することは一種の宣戦布告とも受け取られかねない。せっかく宰相から好意を得ているのだから、そんな真似をするつのは愚かなことだ。代わりに私は違う事を聞いた。 


「騎士団長も同じ意見でしょうか?」 


「ふむ」と宰相は呟き、自分のグラスに酒を注いだ。「実のところ、現団長の真意は分からん、立場上あまり腹を割った話もできんしな。ただ、彼は以前からガラントの就任に反対していた。それは王の言ったとおりだ」 


「元帥閣下は私の就任に反対だったようですが」 


 元帥が貴族主義者であるというのは有名な話だ。それも高位血統貴族だけを同族と見なし、下位の貴族を平民同様に徹底的に見下している。元帥からすると私たちのような生まれの者は庇護の対象及び駒であって、一方的に与え、守り、奪い、命令を下す相手なのだ。そんな者たちと肩を並べると言う事は元帥の誇りが許さない。戦術会議などで元帥に話しかけたこともあったが、彼は尊大な一瞥を私にくれたうえで黙殺した。 


 開明的な王の治世にあって、元帥ほどの貴族主義者は珍しかった。だが、元帥は周囲の声を黙らせられる実力があった。優秀な血を混ぜ合わせて更に優秀な者を作り続けるのが貴族制度ならば、元帥はその最高傑作であると言えるのかもしれない。 


「ああ、あの御仁はな……知っているだろ? 騎士団長に就任するのは高位血統貴族ではならないと頭から決めてかかっている。骨の髄まで貴族主義者だからな、生まれの劣っているものは高位貴族に奉仕するための存在としか思っておらん。私が宰相に就任する時にも随分と反対したらしい。実に忌々しい。元帥は我々の敵だ、覚えておけ」 


 敵意を隠さぬ口調だった。 


 私は蜂蜜酒で口を湿らせながら慎重に言葉を紡いだ。 


「随分率直な物言いですね」 


「貴公を信用していると言う事だ。以前より貴公のことは調査していたが、なかなかどうして政治が上手い、その生まれで騎士団に一定の勢力を築いた手腕は見事だ。それに家格が低い者同士、協力が必要だと判断した。我々は高位貴族に対抗して手を組まねばならない。貴公が騎士団長に就任するならなおさらだ。騎士団外に味方を作らねばやっていけんぞ?」 


「宰相閣下が味方なら、大変心強いです」 


「うむ、裏切るなよ」 


 宰相はグラスを持ち上げて破顔したが、その目は笑っていなかった。 


 その後、宰相から追跡に必要な物資を受け取った。渡された地図を見ると、前任の追跡者が殺された地点にバツ印が書いてある。襲撃者は主要幹線道路を避け、小さな村を経由しながら南下していると思われた。 


 偽造身分証にはロスタム・S・バークエと記載されている。


「これで私も貴族ですか」 


「お前は武者修行の旅に出た武芸者だからな。そんなことを息子に許すのは経済力のある貴族だけだ」 


 貴族を騙って王国を南行し、襲撃者を討つ。まったく暗殺者の役割だ。いつかの陰口が思い出される。しかし、騎士団なんてものは結局のところ王国の暴力の先方を担う殺し屋集団なのだ、両者の違いなどわずかではないだろうか。 


「敵はもしかするとクエンカを経由して帝国を目指すのかもしれない、できれば海を渡る前に仕留めてもらいたい。襲撃者に追いついても一人で対処するのが難しい時は私に連絡を寄越せ、内々に増援を送る」

 

 その他、宰相への連絡方法など必要なことを聞き終えた私は席を立った。 


「では、行ってまいります」 


「第三外門に馬を用意している。すでに連絡は済ませているから各都市の駅舎で馬を乗り継いで行け。武運を祈る」 


 部屋を出る前、宰相は思い出したように言った。 


「不老の宝玉を作り出した古の魔導士が、片割れの距離を色で分かるようにしたのは、宝玉の持ち主同士がもう一方の宝玉を奪おうと争いを起こすのを期待したためだと言われている。長らく、宝玉は二つとも王国の元にあったが、これで魔導士の願いは叶うわけだ……なに、戯言だよ、忘れてくれ」 


 そして、私は王都を発った。1ヶ月間、寝る間も惜しみ南下を続け、ここ、クエンカにたどり着く。旅の間に宝玉の色は六度変わった、赤が一番近い時の色で、片割れの宝玉がまた離れない限りは、これ以上、色彩に変化はない。 


 荷物袋から男の似顔絵を取り出し、改めて目に焼き付ける、必殺を誓う。 


 ずっと移動を続けたせいで疲労している。今日は夕食はいい。旅装を解いてクローゼットに仕舞う。それから袋からアイオナの銅像を取り出してテーブルに置いた。アイオナは王国の主神で武術と豊穣を司る女神だ。銅像の前で跪いて目をつぶって手を組む。今日一日無事に過ごせたことを感謝し、明日もまた平穏に目覚められること祈る。そして何より武運と探索行の成功を願った。


 枕の下に短剣を隠し、剣を抱いたまま寝台に横たわる。


 騎士たる者、眠れる時には眠らねばならぬ。睡眠は自身の戦闘能力を最大に発揮するための整備の一種だ。


 訓練の甲斐もあり眠気はすぐに訪れた。さあ、明日のために今は眠ろう。 


『人物列伝:カイ・リヒテナウアー 王国歴六七八年~七一〇年

 

「千歩の呪詛」「大逆の剣」「戦場を睥睨する邪眼」等、数多の通称で語られるカイ・リヒテナウアーは王国歴七七八年、騎士ストラウトと都市の商家の次女エリザベートの間に生まれた。父ストラウトは優れた剣術家であり実直な騎士であった。幼少期より父の手解きを受けたリヒテナウアーは剣術に目覚ましい才能を発揮し、父の熱烈な推挙のもと十二歳のとき父と入れ替わる形で騎士団に入団する。(貴族の血統ではないリヒテナウアー家の生まれでは、騎士団に二人とも籍を置くことはできなかった。そもそもストラウトが騎士団に入団できたのは父親のヨハンディッツが戦場において、軍隊を救う大功を挙げ一代貴族に任じられたためであり、本来、騎士団に入団が許される家柄ではない)。


 そのままでは一介の騎士として生を全うしたであろうリヒテナウアーの人生を変えたのは千歩必殺剣との出会いだった。入団後、実地で修練を積んだリヒテナウアーは騎士団有数の剣士であることを騎士団長に認められて、王国の奥義である千歩必殺剣の習得法を開示される、たった四日で彼は見事これを体得した。王国創建時代より絶えて久しかった奥義を復活させたカイは、その功績から王国副騎士団長に就任する。この人事は騎士団内外に波紋を呼んだが、リヒテナウアーは武功を挙げ政治に注力することでこれを黙らせる。


 王国歴七〇六年、王国の秘宝である不老の宝玉強奪事件が起きる。刺客はすでに失われたと言われていた拳法の奥義、千歩必殺拳の使い手であった。リヒテナウアーはその腕を見込まれて秘密裏にこの事件の解決を命じられた。あるいはこの命令こそが、全ての始まりだったのかもしれない。  続く』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る