第17話 古海栄徳・2-3




 夜勤明け。

 朝六時に帰宅して泥のように眠り、目を覚ましたのは正午近く。カーテンの隙間より差し込む陽光が目にみる。不規則な生活のせいで頭にもやがかかった気分だ。水を飲もうと流し台へ。足の踏み場のない床をよたよた進む。

 そろそろ片付けないと。でも、捨てられずにいる。

 雑然と積み上げられた段ボール箱の山。高層ビルもかくやな一群が部屋の大半を占めている。猫の額程度の狭い部屋がねずみの額になってしまった。いずれのみにも満たなくなるだろう。

 いっそ断捨離してしまおうか。どうせ中身は大した物じゃないのだから――と、割り切れたら苦労しない。

 段ボール箱に詰まっているのは、かつて推したアイドルや女性声優に纏わるグッズだ。キーホルダーや缶バッジなどの公式アイテムに、彼女達が表紙を飾った雑誌やファンブックに至るまで。なけなしの金をはたいて揃えた思い出の品々だ。もっとも、推しに裏切られた以上、無用の長物と化しているのだが。

 フリマサイトに出品すれば小遣い程度にはなるだろう。だが、手間に見合うかどうかは別だし、手放す決心がつかずにいるのもまた事実。まったくもって未練がましい。


 公式の商品なら幾らか値がつく分だけまだ良いだろう。つい最近まで推していたVTuber――羽衣はごろもかあむ関連のグッズに至っては自作だ。人型爬虫類レプティリアンの学生という設定の個人勢。無名の彼女を応援しようと、団扇うちわ鉢巻はちまきなどを制作した。とはいえ、出来は小学生の工作レベルだし、活動休止で音沙汰のない現在では売れるはずもなく。要するに純然たるゴミだ。部屋の肥やしにもならない。

 全身全霊で推したVTuberだったのに。

 捧げた熱意の分、失った時の虚無感は殺人的だ。

 いつぞやの配信で『自分の道は自分で決める』と宣言した時なんて、感動で溢れる涙が止まらなかった。きっとこの子は大成する。させてみせると誓ったのに。結局、冬の動画を最後に、何の前触れもなく更新が途絶えた。元より知名度のない個人勢であり、復活する可能性は万に一つもない。彼女は今頃何をしているのだろう。どこかで楽しくやっていればいいのだが。それすら判然としないのが虚しさに拍車をかけている。


「まるで俺の人生そのものだな」


 ぬるい水で喉を潤し、キッチンの戸棚からカップ麵を取り出す。朝飯を飛ばして昼飯の時間だ。お湯を沸かして注ぎ込み、三分たてばすぐ完成。ワンタン入りの醬油ラーメンだ。食欲を誘う香ばしい湯気が立ち上っている。

 料理をする気力がない時、こういうジャンクフードは有難い。栄養の偏りは問題だろうが、どうせ長生きするつもりはないので些末事。とりあえず腹が膨れればいい。健康なんて二の次だ。

 麺をすすりながらテレビの電源を入れる。食事ついでに情報収集だ。といっても、真昼間なのでろくな番組がやってない。バラエティーかワイドショーか問われれば、後者の方がまだ報道番組の代わりになるだろう。目糞めくそ鼻糞はなくそな気もするが。


『……――にて、中学生の兵頭ひょうどう梅香うめかさん十五歳が、同級生の少年に刃物で刺されました。兵頭さんは意識不明の重体で病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されたとのことです。また、容疑者の少年はその場で取り押さえられ……――』


 本日のトップニュースは殺人事件だ。

 昨日、地方の中学校にて、女子生徒が刺し殺されたらしい。犯行時刻は下校途中の夕方。部活終わりに背後から襲いかかってめった刺し。現場の昇降口は血の海と化し、学校は臨時休校を余儀なくされた。犯人は同じ学校の男子生徒と報道されるも、こちらの名前は伏せられている。要約するとそんなかんじだ。

 被害者は晒され、加害者は保護される。

 いつも通りの報道なのだが、冷静に考えてみるとおかしな話だ。もっともらしい理屈はあるだろうが、庶民からすれば首を傾げざるを得ない。同種の疑問に至る者は存外多いらしい。実際、SNSでは既に犯人が特定され、顔写真が流出している。伊賀野いがの優弦ゆづるという名前で、ぱっと見気弱そうな少年だった。

 隠されると余計に知りたくなる。いわゆるカリギュラ効果だ。そして、義憤を覚えた一般人が、正義の名の元に暴走する。ネットリンチが良い例だろう。実のところ逆効果で、むしろ隠す方が危険なのではないか。一抹の疑念が拭えない。


『……――逮捕された少年は動機について、兵頭さんにいじめられたのが許せず殺そうと思った、などと供述しており……――』


 隠されているのは名前だけではない。

 ワイドショーでは事件の経緯について、オブラートで何重にも包み込んで報道している。動機の背景であるいじめについてはほとんど言及せず。兵頭梅香についても、クラスの中心人物で明るく友達も多かった、としか伝えられない。


 一方、SNSでは剥き出しの悪意が放流されている。

 伊賀野優弦がいじめを受ける様子を収めた動画だ。否、いじめという表現がはばかられる、紛うことなき犯罪行為の映像だ。どうやらクラスメイトの誰かが漏らしたらしい。殴る蹴るは百歩譲ってまだ許容できる範囲で、自慰行為オナニーを強要したり、全裸にして池に沈めたりと、この世の邪悪を煮詰めたようなおぞましい光景が映っていた。

 いじめの主犯である兵頭梅香の情報も見逃せない。なんと、某企業の社長令嬢らしい。ネット上の不確定情報ではあるものの、生徒はおろか学校全体が忖度そんたくでいじめを黙認していたとのこと。案の定、教育現場に対する批判で大炎上している。今頃、学校も会社も街全体も、正義感と興味本位の電話でパンクしていそうだ。


 以上の二点を鑑みるに、伊賀野優弦が復讐を決意したのも頷ける。きちんと元凶に矛を向けただけ、非関係者を巻き込む拡大自殺より幾分マシだ。なんて意見を呟けば、不謹慎と袋叩きにされるのは確実だろう。口はわざわいの元だ。無論、ネットで発信することも含むのだが。

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