第13話 工藤灯・1-3


「って馬鹿、何してやがる!」


 咄嗟とっさの判断だった。

 レジ袋を放り投げると、間髪入れずに飛びかかる。スフレからロープを取り上げるのと、安酒の缶が床で跳ねるのはほぼ同時。狭い室内にどすんと重低音が反響する。

 首を吊ろうとしていた。

リストカットの代わりではない。そもそも、スフレはカッターナイフを常備している。いつでもどこでも切れるように。だからこれは、いつもの自傷行為とは全くの別物。確実に死ぬつもりだったのだ。


「オイコラ、マジで死ぬつもりかよ!?」

「そうだよ、そうに決まってるじゃん。だから止めないでっ!」

「ンな訳にはいかねーんだよ、この馬鹿スフレ!」

「やめてよ、馬鹿って言う方が馬鹿なんだもんっ!」

「今そーいう話をしているんじゃ……あーもう、いい加減にしろっての!」


 結局、スフレが落ち着くのに三十分近くかかった。

 防音仕様とはいえ騒音が伝わってしまったらしい。両隣の客からはたっぷり苦情、店員からは入店拒否一歩手前のイエローカードが出た。

 それでも、自殺を未然に防げただけでも御の字だ。少しでも帰りが遅れていたら、と想像するときもが冷えて仕方ない。

 騒動のせいで部屋は見事な荒れ模様。ちまちまと原状復帰に勤しむ。備え付けのパソコンが無傷で良かった。散らばった小物を元の位置に戻していく。

 作業をしながら、あたしは事の経緯いきさつについて質問する。スフレは部屋の隅で丸まったまま、ボソボソ抑揚のない声を漏らす。普段の快活さはどこへやら。抜け殻みたいになっていた。


「つまり、あの眠斗とかいう奴のせいなんだな」

「……うん。でもね」

「でももクソもあるか。どう考えても全部そいつが悪いだろ」


 スフレの言い分は要領を得なかったが、ざっくり纏めると、コンセプトカフェが諸悪の根源らしい。

 早い話、眠斗が本性を現したのだ。

 発端はスフレが溜め込んだ借金だ。

 これまで、パパ活でコンセプトカフェ代をまかなってきた。しかし、それだけでは足りない。推しを業績ナンバーワンに押し上げるため、自分がもっと応援しないと。眠斗もそれを望み、売掛金ツケの利用を提案した。スフレは二つ返事で承諾。都合の良い女に成り下がっていた。

 虚構の金を捧げる日々。

 積み上がっていく青い伝票。

 その結果、スフレは一千万円以上の借金を背負う羽目になったのだ。


「返済する当ては?」

「……そんなのないよぉ」

「だろうな」


 パパ活の量をどんなに増やしてもたかが知れている。一人の少女に背負わせるには無茶な金額だ。スフレはもちろん、売掛金を提案した側も相応の責任を取らされるだろう。

 だから、眠斗は豹変ひょうへんした。

 金蔓かねづるの尻に火が付き、自分にも火の粉がかかり火だるまだ。逆恨みした眠斗は、スフレを路地裏に呼び出すと罵詈雑言ばりぞうごん。挙句、勢いに任せて暴力を振るった。顔に一発、腹に二発。それ以上は覚えていないらしい。


「眠斗君に嫌われちゃった。どうしよう、スフレもう生きていけないよぉ」

「だからって死のうとすンじゃねぇよ馬鹿」


 昨日の今日でとんでもない落差だ。

 とっくの昔に臨界点を超えていたのだろう。それがちょうど今爆発しただけだ。いくら先延ばしにしても、遅かれ早かれ終わりはいつかやってくる。あたし達は不安定の極地にいるのだ。今更な話である。

 それでも、本気で死のうとするなんて。

 眠斗の掌返しがよっぽどショックだったのだ。

 推しに貢いだ全てが水の泡。金を奪われ生き甲斐も消え去り、アイデンティティは崩壊間近ってところか。このまま放っておけばまた自殺しかねない。あるいは、市販薬過剰摂取オーバードーズで現実逃避する可能性もある。どちらにしろ、破滅一直線の道程だ。最悪の結末しか待っていない。


「もうあの野郎のことは忘れろ。……つっても、簡単にできたら苦労しないか」

「だって、だってぇ。スフレを愛してくれるの、眠斗君だけだったんだもん。それなのに、それなのにぃ。これからどうすればいいのぉぉぉっ」

「あーもう、泣くなって。今日はあたしがおごってやるからさ。ほら、最近新しいパンケーキの店ができただろ。そこに行こう。特盛りでも爆盛りでもいいから。な?」


 気分最悪な時は、最高の物をぶつけて相殺そうさいするしかない。その釣り合いがとれなくなったら最後だ。後は堕ちるところまで堕ちていくだけ。その末路はそこかしこに転がっている。

 スフレは愛を求めて裏切られた。

 しかし、この街のどこにも愛なんてない。あったとしても、それは金で買える偽物ばかり。騙される方が悪い。真っ直ぐに生きるほど馬鹿を見る。

 眠斗と店側の手口には吐き気を催す。だが、無計画に貢いだスフレにも非がある。判断を誤った本人が悪い。自己責任だ。それがこの街の、いや、世のことわりだろう。

 誰も助けてくれない。

 それなら、好きなように生きるだけだ。

 文句は言わせない。

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