第3話:法律は当事者を守れるのか ③

現在は若い年代ほどマイノリティ理解に関しては進んでいるのだが、ある年代を超えると理解が進んでいないだけではなく、理解する事をしていないという状況である事も多い。


 なぜなら、現在の社会において状況が二分する事が多いことから、ある年代までは理解していたとしても、ある年代以降は理解していないという難しい社会構図とパワーバランスになっている事が多いことから、一概には言えないのだが、現在はマイノリティ理解に関する情報取得や当事者の声が聞きやすい環境であるのだが、その環境から一線を引いてしまっているという状態にある人が多いのだろう。


 そのため、今回のトランスジェンダーに関する判決だけでなく、現在起きている社会問題や特定個人が抱えている問題や課題の部分を十分に理解するという状況に至っていない事も要因ではないかと思うのだ。


 例えば、自身の子どもが異性の服に興味を持っていた場合にこれを“個性”と捉えるのか“異変”と捉えるのかという内容がよく議論されるテーマなのだが、このようなテーマを議論する際に必ずと言って良いほど“個別認識格差”が出てくる事から、この部分をどのように最小化し、これまで発生していた多様性の歪みを正しく修整していくことが求められるのだ。


 私はこのテーマで考える場合には“個性”であると思うし、これが精神発達上の“興味・関心”なのか、本当に性的マイノリティの傾向があるのかは時間をかけて判断していかなくてはいけないと思うし、この段階から“こうしないといけない”という固定概念が入ってしまうと仮に誤った判断をしてしまった際に取り返しが付かない事態になるだけでなく、子どもの自己肯定感や自尊心が十分に育まれないことから心情の変化が出始めたときに感情表現がうまく出来ず、自分の意思表示が出来ないという事も考えられると思う。


 特に子どもの場合は“心理的変化”と“環境的変化”の2つのタイプが主に考えられる傾向があることから、本人が選択した結果が周囲に対する影響を大きくするということは十分に考えられるのだが、問題としては“この時にどのような判断をするか”だろう。


 なぜなら、私も性的マイノリティ当事者の方と交流したことがあるが、その時は“これは別に良いと思う”くらいであまり深く考えたことはなかったが、大人になってある記事を読んでいたときに“なるほど”と思った。


それは“小さいときは精神発達途上であることから男女問わず“自我の芽生え”に個人差があり、その個人差が本人たちの思考や価値観形成を変化させてしまうことや自分が正しい事が相手にとってはおかしいことであるという認識を持たれることで“自分はみんなとは違うからダメなのかもしれない”という感情を持つこともあった“と記事に書かれていた。


確かに、私もこれまで全員タイプが違うことでどのように接して良いのかを戸惑ったことがあった。


その時はまだ“性的マイノリティ”という言葉ではなく、これは“その子の個性”と考えていた時期である事から、本人の行動に対して何か悪い事をしたのではないかという考え方をしたことはないが、周囲からは“すごくやばい格好している”や“これは正気なのか?”という声が上がっていたことから“相互理解が進んでいない”もしくは“相互理解が進んでいたとしても正しく理解する段階ではない”と考えられるのだ。

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