多様性社会において共存は可能なのか
NOTTI
第1話:法律は当事者を守れるのか ①
昨日、最高裁である審議の判決が出た。
それはトランスジェンダーの申立人が“法律で規定されている項目は人権侵害であるという”訴えを起こしたのだ。
私も以前にコラムでこの事について書いた事があり、今回判断基準となっている“性同一性障害特例法”に関しては以前から知っていたが、もう1度読み返してみると“これって人権的配慮の観点で大丈夫なのだろうか”と思っていた。
その理由として、LGBTQ+は心的な観点で見なくてはいけないものだと私は認識しているのだが、これを身体的な観点で判断する事で当事者だけでなく、第三者に対する印象も変わってしまう可能性があり、この事が社会における“差別行為”を助長し、当事者理解をさらに困難かつ複雑にしてしまうという懸念がある。
判決は④に関しては“違憲”・⑤に関しては“高裁差し戻し”だった。
この判決を知ったときにある事を思い出した。
それは“LGBTQ+に対する差別や偏見を排除する動きを求められる時期が来るのではないか”と以前コラムの中に記載した記憶があるのだ。
この時は私が関わったことのある当事者もしくはグレーゾーン当事者と話していたときに“法律が私たちを孤立させ、社会からは孤独を与えられるのではないか”と不安の声が出てきていたことを思い出した。
そのうえ、現在はこれらの法的観点における事務手続きなどは国で定めた”法律“ではなく、都道府県や市区町村の”条例“として定められている部分が多い事から、社会におけるハード面とソフト面が十分に機能しないもしくは機能していたとしても十分に周知・認知が進まないという状態が”過剰な差別と偏見“を助長する状況を作ってしまっていると言えるだろう。
私は4年前の最高裁判断の際の“社会状況の変化などにより判断を変更する可能性がある”という文言が出ていたことから、将来的にこれらの判断が変更される可能性がある事を予見し、新しい判断が判決として出てくる可能性は十分に想定できていたと思うのだ。
そのうえ、当時からLGBTQ+に関する裁判等が増加しているだけでなく、社会的にも“レインボーカラー”に関するイベントなども増えてきたことから社会的認知が進む可能性のある環境が確立されつつあったため、前回判決から4年の間に“民法”・“労働基準法”など当事者・非当事者双方における社会共通事項の改定を進めることで今回のような状況に発展する事はなかったと思うのだ。
そのうえ、これまでも類似する裁判や判例が多く出てきていることから、法的観点の見直しや社会福祉上の必要事項の協議など社会情勢が変化した際に即時移行できる体制を整えておくことも国際的な観点から必要になってくると思うのだ。
ただ、日本というのは当時“マイノリティ教育”などが十分に実施されていなかったことから当事者に対する知識などを習得する機会が十分に与えられてこなかったことで社会理解が進みにくい状況が継続的かつ慢性的な状態になっていたことはいうまでもないだろう。
そのうえ、昨年以降は政府なども“LGBT理解推進法”という法律を打ち出して社会的理解を促進しようとしたのだが、この法律も十分に議論されないまま放置されてしまっていることから、今回の判決で社会の分断や当事者に対する差別や偏見、最悪の場合は誹謗中傷に発展するなど当事者の身体だけでなく精神的な観点からも懸念事項が多い。
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