沙里、梨紗

あべせい

沙里、梨紗



「人間は、どうして、自分の脳の異常がわからないンだ?」

「エッ」

「英語で『know』と言えば『知る』という意味じゃないか。それなのに、人間の脳は、エヌオウ、すなわち『NO』としか、答えない。どうしてだ」

「あなた、さっきから、ナニわけのわからないことを言っているの?」

 夕食後、夫婦がダイニングのテーブルに腰掛け、テレビを前にコーヒーを飲みながら話をしている。話をしているというより、会話は言い争いに近い。

「おまえ、よく考えてみろよ。人間の脳は体を作っている同じ細胞で出来ている。だったら、細胞どうし、その異常に気がつけば、すぐに連絡しあえばいいだろう。それなのに、人間は、ガンをはじめ、体の異常はかなり症状が進んでからでないと気がつかない。まして、脳そのものの異常には、全く反応しない。これは理不尽だ。そうは思わないか」

「そうかしら……」

 妻の路絵の眼は、テレビのお笑い番組に向いていて、夫・吾朗のことばにはまるで関心がない。

「オイ、路絵ッ」

「えっ、なアに?」

 それでも、路絵の顔はテレビを見たままだ。

「おれたち、結婚して何年だ?」

 尋ねた吾朗は、ようやく妻の無関心に苛立ちを覚える。

「久未(ひさみ)が10才になったから、11年じゃないの」

 路絵は夫の苛立ちを素早く感じ取り、初めて夫の顔をマジマジと見つめて答えた。

「おまえには、悩みというものがないのか」

「悩み、って?」

 路絵の美しく刈り揃えられた眉に、険が走る。

「だから、いろいろな悩みだ」

「わたしの悩みが知りたい、っていうの?」

「そうだ。悩ンでいるように見えないから、な」

 路絵は、壁の時計を見てから、天井にチラッと視線を走らせた。2階にいる久未が聞き耳を立てていないか、気になったのだ。

 この時刻なら、大好きなタレントが出ているテレビに夢中だろう。それでも、路絵は少し声を落として、

「わたしの、いまの、いちばんの悩みは……」

 吾朗は、その美しい顔に引き寄せられるようにして、妻を見つめた。

「いま、この時刻に、ここにいることよ!」

 ピシャリと言ってのけると、路絵は自分のコーヒーカップだけを持って、キッチンの流しに行った。

 吾朗は絶句して、呆然となった。

「おまえ、いま、ナンと言った。もう一度、言ってくれ」

 路絵はシンクでコーヒーカップを洗い終えると、

「あなたには、信じられないことよ」

 言うなり、

「先に入るから……」

 と言って、浴室に消えた。

 残された吾朗は、妻の豹変ぶりに唖然としながらも、その原因を考えた。

 いつも「理屈っぽい」と妻が非難する、おれの話か。それとも、妻が「道楽」と決めつけている、おれの趣味のクイズ本収集か。

 少し買いすぎたという嫌いはある。しかし、突然というのが解せない。いや、いままで溜まり溜まったものが、ついに堰を切って溢れ出たということかも知れない。

 吾朗の仕事は、中堅商社のバイヤーだ。これまで無難に係長をこなしてきている。周囲からは、可もなく不可もない、と言われている。人畜無害と陰口を叩かれていることも承知している。

 家は25年ローンで買った建て売り住宅。郊外だから、庭付き4LDKの敷地があり、いまのところ満足している。

 妻は、何が気に入らないのか。

 ひょっとして、アレがバレたのか……。

 そんなことを思っていると、ポケットに隠しているスマホが鳴った。あいつからのメールだ。

「明日のお約束、果たせなくなりました。ごめんなさい。sari」

 明日は祝日。妻は朝から娘を連れて実家の墓参りに行くと言っていたから、チャンスだったのに……。

 沙里とは初めてのデートだから、今夜は眠れないかと心配していたのに、だ。

 明日はどう過ごすか。

 妻についていくか。そんなことを急に言い出せば、妻は疑うだろう。人一倍、カンの鋭い女だから。

 明日は、一日、ぼんやりとやり過ごすか。駅前の映画館に行くか。それともDVDでも借りるか。そういえば、アメリカの連続テレビドラマでシーズン2の途中になっているサスペンスドラマがあった。あの続きを借りるか。吾朗はそう結論を出した。


 翌日、妻と娘は車ですでに出かけている。

 食卓のテーブルに、

「昼食は適当にパンでも食べてください。夕食は冷蔵庫にあります。路絵」

 と、メモがある。

 吾郎はメモを握りつぶして、ごみ箱に捨てた。

 吾郎は昼前、自宅を出た。

 徒歩だ。車は一台しかない。あとは路絵の自転車を使うことも出来るが、ママチャリに乗る気分じゃない。それに、急いでどうする。

 バス通りに出て、サイクルショップのある交差点を左折、途中のコンビニに立ち寄った。

「いらっしゃいませ」

 いつもの元気な声が迎えてくれる。先々月新しく入った店員の梨紗(りさ)だ。沙里と名前が逆であることが、吾朗にはどうも気になる。

 吾朗は、ドーナツ2個と店内で飲めるホットコーヒーを買い、それ用に備えつけられている窓際のカウンター席に腰掛けた。

 目の前のガラス窓からは、外のようすがよく見える。

 店の前は10数台が留められる駐車場で、乗り入れる車、出て行く車で、慌ただしい。

 吾朗は立ちあがると、店のカウンターに行き、

「この辺りの地図があったら、貸してくれないかな」

 梨紗はちょうど客の応対をしていたが、常連の吾朗を粗略には扱えないと思ったのか、

「少しだけ、待ってください」

 そう言って、勘定を済ませた品物を客のレジ袋に入れながら、もう一方の手でカウンターの下からマップを引き出し、吾朗に差し出す。

「ありがとう」

 吾朗は、梨紗の素早い対応に、改めて感心した。

 ふつうなら、「お並びください」と言われても仕方ないところだ。現に3、4人の客が列を作っていたのだから。

 いくつだろう。彼女は……。吾朗は梨紗が20代後半の女性だと見ている。しかし、正確な年齢は知らない。この店に来るまで、どんな仕事をしていたのか、も。

 胸の名札には「弥生梨紗」とある。

 吾朗は仕事帰りのほか、休みの日には必ずコンビニに寄る。梨紗がこの店に来てからは、ほかのコンビニは利用していない。

 梨紗は彼のタイプなのだ。年齢は吾朗のひと回り以上、下だろうが、別に結婚するというのじゃないのだから、と自らに言い訳している。

 梨紗に対して、沙里は35才。吾朗とは年齢的には、合う。梨紗と沙里、どちらもぽっちゃりタイプで、笑顔が愛くるしい。

 吾朗は貸してもらったマップを広げて、この日、時間つぶしができる場所を探した。

 映画館、レンタルビデオ店、リサイクルショップ、スーパー……。

 そのとき、小さな声で、

「ご一緒します」

 声に振り向くと、梨紗が紙コップ入りのコーヒーを持って、吾朗の隣に腰掛けた。

 吾朗は、チラっと彼女を見たが、彼女は紙コップを手にしたまま、ガラス越しに店の外を見て、考えこんでいるようす。

 吾朗は、それまでの思考に戻り、マップに視線を落とした。

 数分がたっただろうか。ささやくような声で、

「立見吾朗さん」

 エッ。

 吾朗は自分の名前を呼ばれてびっくりした。

 だれだ? 呼んだのは……。横にいる梨紗以外に、あり得ない。

 しかし、梨紗は依然として、無表情で前方を見つめたまま。口を開いた形跡がない。

 吾朗は、気のせいだ、と考え直し、再びマップに見入る。

「わたし、知っているンです。吾朗さんが、沙里とつきあおうとしていることを……」

「エッ」

 こんどは間違いない。吾朗は、梨紗の口の動きを見て、彼女が話しているのだと知った。

「前を見て、話しましょう」

「は、はい……」

 これでは、どちらが分別のある大人か、わからない。梨紗は、見た目より、年をクッているのか。

 吾朗は梨紗に習い、マップをテーブルに置いたまま、外を見た。

「沙里は、いま、駅前のショッピングモールにいます。ちょっと、トラブルがあって、臨時出勤したンです」

 沙里は、ここから徒歩で10数分のところにある、駅前ショッピングモール内の書店員だ。梨紗と沙里は友人なのか。

「トラブル、って何ですか?」

「お金。沙里が売り上げ金をネコババしているのじゃないか、って店長が……」

 吾朗が沙里を知ったのは、彼女が勤めている書店で、単行本を買ったのがきっかけだった。

 彼女が時間をかけて吾朗好みの本を選んでくれた。その心遣いに、吾朗はグッときた。

 胸の名札には、「五月沙里」とあった。

「梨紗さんも、同じ店で働いていたのですか?」

 気になるところだ。

「わたしは沙里の隣の雑貨店にいました。でも、店長とケンカして、ここに……」

 そういう、ことか。

「沙里さんは、そのことで店長に呼び出されているのですか」

「だから、クビになるかも知れない……」

「それは、ひどい」

 吾朗はそう言いながら、別のことを考えている。

 まだ若いのだから、働き口はいくらもある。なんなら、おれが紹介してもいい。

「梨沙さんは、沙里さんから、ぼくのことをいろいろ聞いていますか」

「奥さまと娘さんがいて、家庭は平和なのに、沙里の誘いにのった」

「のった、なンて……」

 そうなのだろうか。吾朗は、先々月のことを思い出した。沙里のいる書店に通いだして、5度目だった。

 趣味のパズルの本をもってレジに行った。

 沙里は本をレジ袋に入れて吾朗に差し出す際、1枚の紙切れを、それとわかるように一緒にレジ袋に入れた。

「あとで、読んでください」

 ささやいた。

「えッ、はい……」

 吾朗はびっくりして、鼓動が急に激しくなった。

 書店を離れ、フードコートに行き、腰掛けてから、沙里が本と一緒に入れた紙切れを取り出した。

「ご相談にのっていただけませんか。明日、午後2時、駅前の喫茶『プランタン』で、お待ちしています」

 翌日は土曜日。吾朗の勤め先は休みだ。しかし、そういうことを沙里に話した覚えはない。いや、待て。土曜の昼に彼女の書店に行ったことがある。それで、休日と考えたのだろう。

 翌日、吾朗は昼過ぎ、路絵には、スマホの調子が悪いのでショップでみてもらって来ると言って、家を出た。

 路絵は昼食用にスパゲティを作っていたが、出かける吾朗に向かって、

「帰ってきても、あなたの分はないからね」

 釘を刺した。

 沙里は書店にいるときの制服のベストではなく、アイボリーのゆったりしたカーディガンを着ている。そのせいか、元々均整のとれた体型は、やわらかで、ふくよかな線を描き、吾朗の目には、とても魅力的に映った。

 沙里の話はたわいのないものだった。

 売り物である本の陳列方法が、店長の考えと合わないというのだ。彼女は、売れている本を少し店の奥に並べ、売りたい本を店のいちばん手前に置きたいと言った。しかし、40代の店長は、逆に、売れている本を最も目立つ店先に平積みして、どんどん売っていこうという主義だった。

 本屋が売りたい本は、いまの時期、みんなに読んで欲しいものだ。いま、知って役立てて欲しいという、良心的な本だ。しかし、そういった本はごく一部の読者にしか、関心をもってもらえない。

 そのとき吾朗は、沙里の問いかけにどう答えたのか。よく覚えていない。店長が、売り上げを重視するのは仕方ない。売り上げが目標に達したところで、あなたの意見を取り入れてもらったら。程度のことを言ったのだと思う。

 それより吾朗は、沙里が妻子持ちの男をメモで外に呼び出し、私的に会ったことにこだわった。

「どうして、ぼくなンかに」

 吾朗は、1時間弱ほど話をしてから、「仕事に戻ります」という彼女に対して、別れ際に尋ねた。

 すると、沙里は、

「だって、わたしの好きな本ばかり買ってくださるから。わたしと考え方が同じなのかな、と思って。これからも、このような形でよければ、お話してくださいませんか」

 吾朗は「喜んで……」と応えて、その場は別れた。


「吾朗さん。これは沙里に対する裏切り行為になりますが、彼女とはつきあわないほうがいいですよ」

 エッ!

 吾朗は、驚いて、梨紗の横顔を見た。梨紗は、やはり前を見たまま、表情ひとつ変えない。

「どうして?」

 吾朗は、人生の達人に教えを乞うように、上目遣いに尋ねた。

「彼女、あなたを騙そうとしています」

「そンな……」

 吾朗は、梨紗に言われて、ピンとくるものがあった。しかし、あンなことは邪推だ。考え過ぎだ。自分に言い聞かせている。

「きょう、沙里とデートする約束だったでしょ」

 吾朗は、あんぐりと口を開けて、梨紗を見た。

 なぜ、知っている。いや、沙里がしゃべったのだ。2人だけの秘密のはずなのに。その瞬間、沙里の魅力的な姿に、ヒビが入った。

 吾朗は、平常心でいられなくなった。

「わたしが、どうして知っているのか。わかるでしょ、吾朗さん。沙里は、そういう女性なンです」

 きょうのデートは、沙里からメールで誘われた。前回、吾朗は沙里とメールアドレスを交換していた。

 横浜に行き、一日一緒に過ごす。観覧車に乗ることだけは決めていたが、そのあとのことはわからない。なりゆき次第だった。

「沙里はお金に困っています。困っているというより、必要以上に、欲しがる娘、なンです」

「しかし、ぼくは、まだ、お金を要求されたことはない」

「まだ、って?」

 梨紗の言葉に、吾朗は詰まった。

 沙里は、初めて会った喫茶店で、

「弟が入院したの。手術が必要なンです。でも、弟はまだ学生で……。わたしたち、両親が離婚していて、頼れるひとがいない。わたしがなんとかしてあげないと。ごめんなさい。いきなり、こんなお話をして……弟のことは、わたしがなんとかしますから」

 そう話した。

 吾朗は、きょう、毎月の小遣いの残りを、妻の知らない口座に貯めている中から、5万円だけ、沙里に手渡すつもりでいた。その5万円は、いまも財布に入っている。

 手術代、入院費になると、最低30万円程度は必要になるだろう。吾朗には、妻に内緒で使えるお金が、200万円程度ある。

「梨紗さん、彼女はあなたに、どんな話をしたのですか」

 吾朗は精一杯、態勢を起て直して言った。

「驚かないで。沙里は、こう言ったの。『救世主が現れたの。いつも、クイズやナゾ解きの本を買いに来るオジさん。名前は、立見さん。だって、領収書が欲しいから、ぼくの名前を書いてくれって、言ったから』って」

 吾朗は思い出した。沙里に会いたくて、書店に行った3度目か4度目のとき、自分の名前を彼女に知らせたくて、必要もない領収書に、わざわざ名前を書いてもらった。

 吾朗は、まっすぐ正面を見ていて、その横顔しか見えない梨紗に対して、徐々に引かれている自分に気がついた。

 梨紗のほうが、沙里よりも若く、正直で、聡明そうだ、と。

「梨紗さん、あなたは、どうしてそンなことを、ぼくに教えてくださるンですか」

 梨紗は黙った。

 吾朗は考えた。梨紗は、答えを探しているのだろうか。それとも、大切なともだちの秘密を打ち明けた自分を恥じているのだろうか。

「ごめんなさい。休憩は10分だけなの」

 梨紗は紙コップのコーヒーを飲み干すと、そう言って席を立った。

「待ってください。このままにするなンて、ずるいですよ」

「わたし、きょうは早番だから、あと1時間でバイトが終わる。もし、いまの話の続きが気になるようだったら、駅前の『プランタン』で待っていて。外から、あなたの顔が見えれば、行くから」

 梨紗は持ち場のカウンターに戻った。

 吾朗は、10分後、コンビニを出ると、近くのレンタルビデオ店に入り、シーズン2の途中で中断していた外国のテレビシリーズを借り、時間をつぶした。

 

 約1時間後。

「お待ちになった?」

 梨紗が、真っ黄色の派手なジャケット姿で吾朗のいるテーブル席にやって来た。

 明るく、元気なその笑顔に、吾朗は、コンビニで見るときと、まるで印象の違う梨紗に驚かされた。

「このお店、騒がしいでしょ。もっと、いいお店があるから、移ろうか?」

 そのとき、ウエイトレスが梨紗の注文をとりにきた。吾朗のカップのコーヒーはすでに半分以上なくなっている。

「ごめんなさい。わたしたち、すぐに出ますから」

 梨紗は腰掛けてから、そう言って、ウエイストレスを追い払う。

 そして、

「ちょっと待っていてくれる。トイレに行って来るから」

 梨紗は、小走りに消えた。

 吾朗は、なんだか、狐につままれているような、妙な気分に陥った。

 梨紗という女性は何者だ。おれはまだ何も知らない。それなのに、のこのこここまでやってきて、彼女の言葉通りに動いている。

 年齢がひと回り以上離れているから、理解しづらいのか。

 吾朗は、書店の沙里は30代前半、コンビニの梨紗は20代後半と見当をつけている。いずれにしても、38才の吾朗と比べれば、二人とも、かなり年の離れている女性だ。

 行動パターンが読めないのか、理解ができないのか。2人に戸惑っているのは、単に価値観が異なるから、なのか。

 そのとき、ポケットに忍ばせているスマホのバイブ音が響いた。メールが入ったらしい。

 妻の路絵が、アレとコレなどと買い物の依頼をしてきたのだろう。

 吾朗は、テーブルの下で、そっとスマホを見る。

「外を見て、わたし」

 吾朗はハッとして、通りに面した窓を見た。

 ガラス越しに、沙里が見える。

 愛くるしい笑顔で、手を左右に細かく振っている。

 沙里は、吾朗を見つめながら、スマホの画面を指で撫でる。

 まもなく、吾朗のスマホに着信音が。

「吾朗さん。きょうは本当にごめんなさい。急用は、たったいま、終わったの。あなたがいるのが見えたから、メールしてみた」

「そう」

 吾朗は、頭が働かない。思考停止状態だ。

 もうすぐ、梨紗が戻ってくる。

「これから、横浜に行ける? わたしは、行きたーいッ!」

 ガラス窓越しにスマホでの会話が続く。

 沙里は、黄色い声を出し、喫茶店の窓ガラスに手をくっ付けるようにして、小刻みに振っている。

「少しだけ、待ってくれる? いま、駅前でばったり出会ったともだちと話をしている。5分ほどで終わらせるから。横浜行きの駅のホームで待っていて欲しい」

「わかった。でも、気を付けてよ。彼女は大ウソ付きだから。わたしがあなたのこと『救世主』と言ったって、言ってたでしょ」

 エッ!? 吾朗は、我が耳を疑った。

「沙里さん、あなた、どうして、梨紗さんのことをそんなによくご存知なンですか?」

「だって、わたしたち、年の離れた姉妹よ。母親は違うけれど。それじゃ、待っているから」

 沙里は、吾朗のテーブル席から、顔が見えなくなるまで手を振りながら、駅の方に消えた。

 吾朗は、ニの句が継げなくなった。

「沙里さん、沙里さん」

 スマホに向かって名前だけ呼び続けたが、沙里は切ったらしく、応答はない。

「吾朗さん、どうしたの?」

 梨紗だ。怪訝な顔をしてテーブルのそばに立ったまま、吾朗を見下ろしている。

「沙里からかかってきたのね。あの娘、また誘ったでしょ」

「え、ええ、ハイッ」

 吾朗は、若い娘に踊らされている自分が情けなくなった。

「ダメよ。あの娘の誘いにのっちゃ。また、観覧車に乗りたい、とでも言ったのね。ここを出ましょ」

 吾朗は、妻に内緒で行動する男の愚かさを、痛いほど感じさせられた。

                (了)



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沙里、梨紗 あべせい @abesei

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