第9話 本物の悪魔は

 

「いや、安心……って」


 性別の点においては確かにそれはそうなのだが。スタッグは自分がうまく丸め込まれている気がしてきた。躊躇う彼……いや、彼女を見ながらサファイアは笑顔を崩さず茶を飲み、話を続ける。


「ん? じゃあ途中で男に戻るリスクを考えないで他の男と結婚する?」

「何故そうなるんですか!!」

「何故って貴女はモテるから。さっきも若手の騎士たちに追いかけられてたし、あと、ウェストは結構本気みたいだよ?」

「ウェストが!? それこそ冗談でしょう!? あいつは俺なんか相手にしなくても多くの令嬢に人気がある筈です!」

「本人曰く『おもしれー女が好み』なんだとか。まあ確かにレイなら究極のおもしれー女と言えるね」


 どさくさに紛れて王子はスタッグを愛称で呼び捨てにしているが、もうそこにいちいちツッコんでいる場合ではない。スタッグは優男のウェスト副長がニヤニヤ笑いをする様子を思い出して頭を抱えた。


「ああ~……」


 茶を飲み干したサファイアはティーカップを音もなくソーサーの上に置くと楽しそうに駄目押しをする。


「ね? 本当にウェストに迫られる前に、諦めて僕のものになりなよ」

「いいえ、殿下は皇帝と婚約中で……」


 抱えていた頭を上げ、サファイアの提案を断りかけたスタッグの目がビタリと止まる。空になったティーカップにおかわりを注ぐべく、実に手慣れた美しい動きで王子の侍従が横に立っていたのだ。

 先程中庭で「御前である」と甲高い声を響かせた侍従の、僅かに下に傾いた顔。スタッグは確かにそれに見覚えがある。はて、どこだったかと考えた。


(そう言えば殿下が信頼していたベテランの侍女によく似ている。姉弟だろうか)


 だが、騎士団長の記憶にはそれ以外もちらつく。もっととても重要な場面で……と考えた瞬間、一気に血の気が引き、それに反発するかのようにスタッグは長椅子から立ち上がり剣を抜いた。


「貴様は!!」

「騎士団長! 待て!!」


 侍従を庇ってスタッグの前に立ち、厳しい声を上げるサファイア。勢いに任せずピタリと剣を止めたスタッグは流石というべきだろう。だが彼の顔はまだ僅かに青かった。


「……殿下、その者は」

「あーあ、バレちゃった。ほら、まだ人前に出るのは早かったよ

「しかし、ラブラドライトもいないのですから、やはりここは私が殿下のおそばに……」

「大丈夫、これから暫くはレイにくっついているから刺客がいても平気だよ。他の人に気づかれないように、あと一週間は休みを取っておいて」


 ハンスと呼ばれた男……ベテランの侍女ハンナによく似た侍従は、渋々と「では、他の者を呼んでまいります」と退室した。

 新たな侍従や侍女が来るまで、部屋にはサファイアとスタッグの二人きり。だがそれは時間にして1分か2分の間だけだろう。鞘に剣を収めたスタッグは端的に訊ねる。


「殿下……これは全て殿下の仕業ですか」

「ふふっ。こんな凄い事、僕一人で出来るわけないじゃない。もちろん協力者が沢山いるよ」

「ウェストもですね?」

「うん。だからさ、この事をネタに僕からレイを奪おうと考えたみたい。まあそんな事じゃ僕は動じないけど、王族を脅そうだなんてウェストは中々胆が太いよね」

「はあ……」


 スタッグは再び長椅子に腰を下ろし頭を抱えた。髪がぐしゃぐしゃになるほど。

 何が純粋無垢な白い繭のごとき姫君だ。今までスタッグは隣国の皇帝を悪魔のような男だと思っていた。だが本物の悪魔は、美しい見た目で余裕をたっぷりと見せるものなのだろう。目の前でにっこりと笑顔を作っているサファイアのように。


(騙された……!! 敵を欺くにはまず味方から、というやつか)


 まあ確かに性格が真っ直ぐで正直なスタッグに内情を予めバラしていれば、こんなに上手く行く事はなかっただろう。彼が何も知らず女になり慌てたからこそ、帝国側に「自分たちは被害者だ」と信じ込ませることが出来たのだ。

 あの性別逆転の魔法陣を敷いたのは、サファイアとウェスト。そして男性になったハンナがローブの男に変装して魔法の発動をしたか、あるいはそれすらもフェイクでサファイア自らが魔法陣を発動させたのだろう。見事な自作自演だったわけだ。


(とすると、その前の夜の告白も演技か。悲壮感を増すための)


 あの、胸が締め付けられるような表情も全てが嘘だったのだと思い、スタッグはホッとするような残念なような複雑な気持ちになった……が。その彼女の唇をふにゃりと細い指が押す。いつの間にかサファイアが目の前に迫っていた。大きな青い瞳が煌めき、その奥に女騎士団長の姿を映している。


「ああ、僕の告白も演技だと思ってるね?」

「えっ、なんでわかっ……」


 スタッグの言葉は途切れた。サファイアがその唇で彼女の口を塞いだから。


「!?」


 サファイアは一度顔を離すと、目を細めてスタッグを熱く見つめた。


「ひどいなぁ。僕はこんなに貴女を求めているのに。そうじゃなかったらウェストに渡さないと発言しないでしょ」


 そうしてまた口づける。今度はもっと深く。スタッグの唇をこじ開け、中を味わうように。


「!? んんっ……う」


 スタッグは生まれて初めて味わう深いキスに、頭の中に稲妻が走るような衝撃を受けた。全身がかあっと熱くなるのと同時に痺れる感覚に力がふにゃりと抜ける。そこにハンスの代わりの侍女が部屋に入ってきた。


「殿下、失礼致しま……!?」


 ああ、可哀相な侍女よ。彼女が部屋に入るなり見た光景は、長椅子に横たわる大柄な女騎士団長スタッグを押し倒す少年王子サファイアの姿だったのだから、少々のパニックになっても仕方あるまい。


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