第7話 複雑な胸の内

 

 しかし普段なら泣く子も黙る強面騎士団長の怒りが、女に変わってからはどうも威力が半減しているらしい。スタッグの威圧を涼しい風か何かのようにさらりと流すウェストは、またもや食えない表情をしている。


「おや、これは意外な返答ですね。皇帝が良しとすれば団長殿は皇帝の妃にもなる心づもりだと?」

「それでサファイア殿下が国に帰れるなら喜んでそうするさ」


 あの性別逆転騒動の前日、二人きりでサファイアから悲痛な告白を受けた彼は、代われるものなら代わってやりたいとすら思ったのだ。だから今の言葉に嘘はない。


「嬉しい!」


 ところがその言葉を当のサファイアに曲解されてしまった。彼女……今は彼か……はスタッグの胸にぽよよんと飛び込む。


「そんなにわたくしの事を想っていてくださったなんて!」

「え!? い、いやそう言う意味では」

「レイモンド様……いえ、これからはレイ様とお呼びしても?」

「ああ、それは良いですね。女性にレイモンドでは少々固すぎる。僕もレイ様と呼ぼうかな」

「待て待て待て、殿下お待ちくださいっ! ウェスト副長、貴様覚えていろよ!」


 前から横から訳の分からないことを言われて混乱しながらスタッグは叫んだ。その騒ぎを収めたのは意外な人物である。


「代わりと言うなら私で」


 それまで部屋の隅に控えていたサファイア付きの年若い侍女が初めて口を開いたのだ。漆黒の髪に、キリッとした瞳は灰と青緑とが混ざったような色で煌めき、強い意志を覗かせている。だがそれまでスタッグの胸に顔を押し付けていたサファイアは身体を少し離し、顔を曇らせ声を低くした。


「……ラブラ、お前ではダメでしょう。確かに容姿では十二分に合格でしょうけれども、人質としては不十分だわ」


 スタッグは確かにと思った。それほど顔を合わせた事は無いが、このラブラという少女は確かさる侯爵家の末子で、しかも魔力の高い女に外で産ませた庶子という話を聞いたことがある。サファイアと同い年という事もあって王女付きの侍女になれたが、人質としての価値は多分ないに等しいだろう。


「……いや、それはアリかもしれません。要はラブラ嬢に人質以外の大義名分があればいいんですよ」


 ウェストが更に悪趣味な笑みを深めた。



 ★



 数日間帝城での滞在を経て、サファイア一行は数人の侍女を後宮に残し、スラーヴァ王国に帰国した。正確には追い立てられるように帰国させられたのだ。更に帝国の監視人の同伴を強要された。

 ウェストが拵えた大義名分はこうだ。


「これは国と国との結びつきを強くする為の婚姻であるから、いくらサファイア王女が男になったからとはいえ、妃として後宮に入れて貰えないのでは困る。王女が女性に戻り次第すぐにでも後宮入りできるように、まず王女付きの侍女のみが先に後宮に入り、部屋を整えて嫁入りの準備をしたい」


 こう提案したところ、帝国側はそれを受け入れた。しかもだ。数日後には一時帰国するようにまで言われたのだ。


「どうも王女はすぐには女性に戻らないようですので、侍女を置いて一旦ご帰国を。ただし監視人をつけますので毎日女性に戻ったか確認させて頂きます」


 その言葉の裏は。先に後宮入りしたラブラを見た皇帝は彼女を気に入ったのだ。だがサファイアとスタッグ達が帝城にいる間は、さしもの皇帝もラブラに手は出しづらい。ならば侍女を置いたままサファイア達を帰してしまえという事だろう。だとも知らず、ラブラと、後にサファイアも女性に戻れば両方手に入れられると皇帝は考えたのだ。

 勿論、この作戦にスタッグは反対した。それではサファイアの代わりにラブラを皇帝に差し出すことになる。いたいけな少女が犠牲になるくらいなら自分が、と言ったのだが帝国側からも拒否されてしまった。


「スタッグ殿がいつ男性に戻るかわかりませんので後宮入りは認められません」


 至極まともな回答だった。まあ、実際はその理由以外もあるだろう。身の丈六尺をゆうに超え、顔は整っていても片眼には眼帯。胸こそ大きいが身体は傷だらけで女性らしさの欠片もないスタッグは皇帝のお好みにはかないそうになかったのだから仕方あるまい。


 こうしてスタッグは胸に苦いものを抱えながら帰国したのだが。話はここで冒頭の騒ぎに戻るのである。



 ★ ★ ★



 およそ女性らしくはないと言っても、元々スタッグは顔は整っていた。日頃の鍛練で身体も絞まっている(何故か胸だけは違ったが)。つまり、美形でスタイルの良いデカ女(ただし眼帯と傷あり)が爆誕したのだ。


 硬派で知られる……と言えば聞こえは良いが、優男の集まる魔術師団と違って男臭い騎士団員は女性陣からの人気が低い為、独身男性もそこそこに居る。その筆頭が他ならぬスタッグ騎士団長だったが……彼が巨乳の女性になった結果は火を見るより明らかなわけで。


「ええい、お前らそこに直れ。一人ずつ根性を叩き直してやるっ!!」


 団員たちが「結婚してくれ」「初めてを捧げたい」と追いかけ回してくる事に辟易したスタッグの怒りが閾値を越えた。腰に下げた剣をすらりと抜く。ところが。


「はい! お仕置きタイムですね!」

「団長自ら手合わせしてくれるなんて! ハァハァ」

「あっ、これで万が一団長に勝てたら結婚してくれますよね!?」


 団員たちはこの反応である。スタッグは「これが、俺が今まで自慢していた騎士団の男たちか……」とガックリと肩を落とした。


「控えよ! サファイア殿下の御前であるぞ」


 そこへやや甲高い侍従の声が王城の中庭に響く。力が抜けたスタッグも、デレデレしていた団員達も慌ててぴしりと態度を改めた。


「あーあ、何やってるの? それが王国の牙、牡鹿騎士団のやる事?」


 彼等を半眼で見つめながら呆れた声を出すのはサファイア。半ズボンにブーツを履き、長い金髪は後ろで纏めて一本の三つ編みにしている。すっかり少年王子の姿が板についているようだ。

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