第5話 性別逆転の魔法
「……」
白い光の柱が消えると、魔方陣も僅かな術式を残して消え失せた。丸い陣だったものの真ん中には二人の人物が立っている。巨体のスタッグと小さな姫君だ。だが二人の間から突然「ブチィッ」と妙な音が立つ。
「あ、破れちゃった。胸のサイズに耐えられなかったみたいね」
「な……」
スタッグは我が目を疑う。自分の首から下の世界を信じられなかった。腕の中には変わらず主の黄金の細く柔らかい巻き毛とこちらを見上げてくる澄んだ青の瞳がある。だが、その瞳の周りを二つの肉が包んでいた。
先程の妙な音は、スタッグの服の前ボタンが千切れ弾けとんだ際の音である。その胸元があらわになり、中からたわわな双丘が深い谷間を生み出していた。その谷間にすっぽりとサファイアが顔をうずめているのだ。
「な、ななな……なぁっ!?」
震えて言葉にならない声が口からこぼれる、その声さえも自分のものよりずっと高い……どう考えても女性のそれである事に途中で気づき、もう一段階声を高くうわずらせてスタッグは叫んだ。
一方サファイアは落ち着いたものである。自分が埋まっているスタッグの柔らかく豊かな双丘……まどろっこしい言い方をやめると、すんごい巨乳……にそっと手を添えた。
「ふふっ、やわらかい……」
その声もいつもの彼女のものとは僅かに違う。少年の口から発せられたものに近いと、間近で聞いたスタッグにはわかった。
★
(とんでもない事になった……)
スタッグは待機している応接室で直立したまま、ずきずきと痛む頭を押さえていた。あの後、彼が歴戦の猛者であったからこそ辛うじて普段どおりに振舞えたが、並の人間ならショックで錯乱してもおかしくない。
実際、帝国の使者のうち一人は状況を把握した途端に気が遠くなって倒れたのだ。やむを得ず、テスタの街を治める領主の城まで皆で移動したのである。
今、この部屋にはスタッグと騎士団の腹心、魔術師団副団長、この城の領主、帝国の使者団などが集っている。隣の部屋で二人の人間が立ち会い、サファイアの身体を
「待たせましたね」
サファイアが入室してきたのでスタッグは姿勢をぴんと正す。彼女は後ろに二人の人物を従えていた。一人は隣国からの使者団のうちより選ばれた一名、もう一人はこの城に長年仕えているベテランの侍女長である。
多くの男性に肌を晒すわけには行かないと主張するサファイア側、王女の侍女が確認するのではどんな誤魔化しをするか信用できないと主張する隣国の使者側、両方の意見を取った結果、スラーヴァ王国の人間だがまだ中立に近いだろうとこの城の侍女長が選ばれたのだ。
「それで……!」
サファイアの身体を確認した使者は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
「……確認した結果、
「そ、それは……なにが」
何が、ではない。
「間違いなく殿下は男性に変わられております」
「あァゥー!!」
先ほど倒れた男が、妙な叫び声をあげてまた倒れた。元々椅子に座っていたので大事には至らなかったが、青い顔でブツブツと「もうだめだ……」と言っている。スタッグはほんの少し彼に同情した。このまま隣国に戻り「花嫁が男になりました」などと報告すれば、苛烈な皇帝に首を刎ねられるぐらいの事はありそうだと想像できる。
あの魔法陣は、陣の内に入った人間の性別を逆転させる魔法を仕込まれていたそうだ。それによりスタッグは女性に、サファイアは男性になってしまったのだ。
もしもサファイアだけ性別が変わっていれば、帝国側もにわかには信じなかったかもしれない。そんな魔法は、喪われた過去の大魔法……所謂『禁呪』でも聞いたことがないからだ。それよりも最初からサファイアによく似た少年を替え玉として用意し、性別が魔法で変わったのだと茶番を演じたと考える方が納得がいく。
だが高身長で筋肉ムキムキの巨体を持つ『男の中の男』である騎士団長が目の前で女性に変わってしまったのだから、魔法陣の効果を信じざるを得ない。
因みにスタッグの身長はそのままだが、何故か厚い胸板は規格外サイズの巨乳に変わっている。
「では、参りましょう」
キリと居住まいを正し出口へ向かおうとするサファイアの言葉を聞いたその場の全員が頭上に「?」を浮かべる。
「殿下、どこへですか」
「決まっているでしょう。帝国への旅を再開するのです」
「え!?」
「いや、それは……」
「何故でしょうか?」
サファイアは不思議そうな顔で使者団に問う。
「この婚姻は平和条約を維持するため、わたくしを人質として帝国に置くことが目的でしょう? では性別が変わったところで人質の価値は変わらない筈です」
「ぐっ……」
「そ、それは」
帝国側が言葉に詰まるのを見たスタッグはその皮肉さに頭痛を忘れ内心でニヤリとした。なるほど建前はそう言うことになっている。向こうとしては、皇帝がロリコンの変態ジジイだからサファイアが少女でなくてはならない、とは口が裂けても言えまい。
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