第1話 偽りの平和条約

  ★ ★ ★



 スラーヴァ王国は小国ではあるが、魔法文化が栄える国であった。優秀な魔術師を多数輩出し王族の中にも魔法の研究に熱心な者がいる。民もわずかではあるが魔法の恩恵にあずかり夜の明かりや温かい火などに苦労しない生活を送れるため、王家は民衆に高く支持されていた。


 そこに、平和条約を結んでいた筈の隣の大帝国が突如として攻め入ってきたのがひと月ほど前のこと。


 国境付近に隣国の兵が集まっているという緊急伝令を聞き、至急駆けつけた牡鹿騎士団の精鋭三百人が見たものは、千を越える帝国の兵と、それになぶられる国境警備隊の騎士と魔術師の同胞達だった。


「突撃ィィィィィ!!」


 楔形の陣形を成していた騎士団。その先端に居た筋骨隆々の赤髪の男が号令を叫ぶとそのまま大剣を手に馬を駆る。騎士団長スタッグその人だ。団員も遅れまじとそれに呼応する。


「おおおおおおお!!」


 団員達は誰一人敵の多さに臆することも楔形の陣を崩すこともなく、鬨の声をあげながら厚い敵兵の塊に突撃した。その勢いで相手の陣を二つに割ろうとする。


 だが、最前線にいる敵歩兵は大きな盾で防御に徹し、スタッグ達を囲む。その上から第二線の槍部隊や後方の弓部隊がチクチクと攻撃を仕掛けてくる。


(何かがおかしい……)


 スタッグは馬上から相手の矢を払い、次々と迫る槍や盾を全て斬り伏せながらこの戦い方に違和感を覚えていた。向こうは三倍以上の兵士が居るのだから、数で押すこの戦法は正しいとも言えよう。だが侵略側の帝国のやり口には似合わない。まるでできるだけ自分の兵を死なせない作戦を取っているようだし、何よりこちらを捕り逃がす隙を与えてくれているではないか。


「団長、負傷者を全て回収しました!」

「よし、総員撤退!……」


 スタッグがそう言った刹那。彼の乗る馬の首に敵兵の矢が刺さった。馬は悲痛な嘶きをあげ、後ろ脚で垂直に立ち上がる。


「!!」


 騎士団長はなんとか振り落とされぬように手綱を引き絞り踏ん張ったが、その隙を敵側が見逃す道理は無い。スタッグと馬を中心に全方位に槍と盾がぐるりと囲み、逃げ場を喪った。


「団長!!」


 まだ若い騎士団員の一人がスタッグを助けるため近づこうとするが雷のような怒号が響く。


「総員撤退だと言ったろ! 退け!!」

「嫌です!! 団長! 団長がいなくなったら……」

「ここは俺に任せて行け!!」


 その瞬間、四方八方から敵の槍がスタッグめがけ繰り出される。その一つは彼の右目を掠り、顔や身体のあちこちから鮮血が吹きだした。


「団長ぉー!!」


 男の中の男である騎士団長に憧れていた若手騎士は尚その場にとどまろうとしたが、他の騎士に馬の手綱を奪われ、無理やり撤退させられて馬上で絶叫した。その声が遠のいていくのを聞きながらスタッグは独りボロボロの身体で大剣を振り戦い続ける。部下達を追う者は赦さないと言う気迫だけが彼を動かしていた。

 武神の生まれ変わりのようなスタッグの強さに圧倒され、多くの敵兵が斬り伏せられたがやはり多勢に無勢。やがて馬から引きずり下ろされ、武器を奪われて地面に組伏せられた。


 暫くすると雑兵達が全員揃って膝をつく。開けられた人垣の道の中央を敵将らしい人間が歩いて来るのが伏せたままのスタッグにもわかった。ずっと後方で無傷でこの戦いを見ていたであろう、ひょろりとした蛇のような男だった。


(ここ、までか……)


 スタッグは死を覚悟した。すぐに殺さないところを見ると捕虜にしてスラーヴァ王家に何か対価を要求をするつもりだろうが、その前に舌を噛んででも自害しようと考えた。だが、敵将の男はニヤニヤ顔でこう言ったのだ。


「いやあ、騎士団長、お見事。流石はスラーヴァの誇る牙だ。お陰で我が軍の兵士にもいい刺激になりました。に参加してくださった事、感謝します。これからも宜しくお願い致しますぞ」

「……は?」



 ★



 牡鹿騎士団が国境の異変を聞いて駆けつけたのと入れ違いに、王城には隣国から「急なことですが国境近くで合同で演習を行いたく」という報せが届いていたのだそうだ。勿論これは完全な詭弁である。

 だがそれを嘘だろうと責め立てれば、向こうは圧倒的な武力をチラつかせながら「では本当に我が帝国と戦をするおつもりで? 平和条約を結んでいるのに?」と返すだろう。スラーヴァ王国の国王は奥歯を噛みしめながら帝国側の言い分を呑むしか無かったのである。


 こうしてスタッグはおめおめと恥を晒して国王の下へ戻った。帝国からの使者と共に。

 全身の傷は帝国側の治癒魔法によってある程度は回復していたが、帝国はスラーヴァ程は腕の良い魔術師があまりいない為、傷跡はまだ生々しく、右目も完全には回復せず包帯を目と頭に巻いたままの姿だった。


「国王陛下、こうして二国間の合同演習も叶ったことですし、我が国と貴国との結び付きをより強固なものにしたいと思いませぬか」

「どういう意味だ」

「そちらのサファイア姫を我が皇帝陛下の妃としてお迎えしたい」


 帝国の使者の言葉に、謁見の間がざわつく。だがその声は一瞬で消え失せた。皆が心の中で同じ事を考え、国王と、その側にいるサファイアを見たからだろう。無論、スタッグも同じ事を思った。


(最初からそれが狙いか。クソッ……)


 サファイア姫はまだよわい十二歳。だがこの状況にも取り乱さず、青い目を見開いて気丈に振る舞っているようだった。


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