●14裏_聖女は災害をまき散らした!
ナイアがその黒い古びた日記を手にしたのは、まだ幼少といえる頃だった。
幼い興味のまま入った、錬金術師である両親の書庫。
整然と本棚が並ぶ中で、捨てる予定だったのだろう、床に乱雑に置かれた粗末な箱が、やけに目についた。
ナイアは箱の中の文献を読み漁り、
――そして、見つけた。
一見、なんの変哲もない日記帳。
書かれた年代は、戦争のあった時代。
後に聖女戦争と呼ばれたそれは、どこからともなく現れた化け物を、聖剣を受け継いだ聖女が殲滅するという、お伽噺として伝わっている。
もちろん、現実は、違う。
伝説にある聖剣は、特定の遺伝情報を持つ者の身体能力を向上させる「兵器」で、化け物とはこの聖剣を研究していた中で生まれた「副産物」に過ぎない。
聖剣のもつ身体能力向上を、どんな兵士も持てるように。
そんな思いから進められた研究が産み出したのは、人間に寄生し、理性のない怪物に変える、おぞましい生物兵器だった。
この古びた日記帳は、そんな生物兵器の開発に携わった研究員の一名が書いたものらしい。
両親が捨てるつもりだっただけあり、内容自体は大したものではない。
上司の愚痴だとか、研究所の待遇への不満だとか、月並みな内容が並んでいる。
が、ナイアは日記帳の中に、メモが挟まれているのに気付いた。
広げてみると、かつて生み出された生物兵器の生成方法。
ナイアは興奮しながら、その生物兵器の再現を行った。
もちろん、おとぎ話に出てくる「化け物」を作り出そうなどと、考えてもいない。
ただ、当時の最先端技術の結晶を、まだ学生にもなっていない自分が再現する現実に、異様な興奮を覚えた。
高名な錬金術師でも難しいとされる、歴史に埋もれた生物兵器の再現。
その功績が認められた時に受ける賛美を夢想しながら、ナイアは研究を続けた。
天才、といえる才能を持っていたのだろう、ナイアは学園に通う前の年齢にして、何枚か論文も書き、両親の所属する「銀の深学会」に発表もした。
その中で、同じ生物兵器の研究者――ノグラと出会ったのは幸運だっただろう。
倫理観などという不可解な常識を持たず、少しおだてれば調子に乗るという、まるでナイアそっくりの教諭は、やはりナイアと同じように戦時中に使われた生物兵器の研究をしていた。
違いがあるとすれば、あくまでナイアの研究は自身の興味に基づく一方、ノグラの研究は国から依頼を受けていた、という点だろうか。
ただスポンサーの有無という違いで、ノグラの研究は、ナイアよりずいぶんと進んでいた。
それがほんの少し面白くなくて、ノグラの研究内容を匿名で公開し、隣国へ追放になったりもしたが、おおむね、ナイアは研究に打ち込むことができた。
だが、どうしても研究の完成に足りないものがあった。
聖女の血、と呼ばれる、禁制の薬である。
禁制だけあって、ナイアはもちろん、師匠のノグラでさえ手に入らない。
が、入手の機会は、意外に早くめぐってきた。
ノグラの伝手で参加することになった、公爵令嬢のパーティ。
本来なら見向きもしない貴族同士の慣れ合いだが、そこには、聖女の血を引く貴族が出席するという。果たして本当に聖女の血を引くかどうかは知らないが、その貴族は、国から「聖女の血」の管理を任されているらしい。
何とかして一部を分けてもらえないか。
そう思って参加したのだが、見事撃沈した。
ノグラが。
ノグラもナイアと同じく「聖女の血」を狙っていたのだが、いかに大金を積んでも、アーティアの父と母は、決してうなずかなかったのである。
金銭での取引は禁止されている。
国から任せられているこの仕事をきちんとこなさなければ、我々のような下級貴族はすぐに干上がってしまう。
そう言われると、どうしようもない。
引き下がるノグラを見て、ナイアは一計を案じた。
親がダメなら、娘はどうだろう?
娘はすぐに見つかった。
幸いなことに、パーティの雰囲気に当てられ気分が悪いようだ。
手持ちの薬で治療して恩を売ろうとし、しかし、見事に失敗した。
生物兵器を作るのは得意だが、生物を治療するのは苦手なのだ。
その後も未練がましくアーティアに罪を着せて、その代償に禁薬を要求しようとしたが失敗、見事、機会を逃す結果となった。
アーティアへの謝罪を口実に家へ押し入って、盗み出してしまうか。
非常手段を考え始めた矢先、ノグラがアーティアの家庭教師になることを知った。
この機を逃す手はない。
着いて行こうとしたが、なんと、ノグラから拒絶されてしまった。
どうやら先日のパーティの一件で警戒されているらしい。
ノグラを雇ったのも、ナイアをアーティアに近づけないためだという。
謝罪は代わりに伝えておくかラ、しばらく大人しくしてなさイ!
やむを得ずノグラを見送るナイア。
今回は諦めるしかないか。
そう思っていたのだが、なんと、ノグラが禁薬を手に戻ってきた。
家庭教師の報酬に受け取ったものらしい
当然のごとく、ナイアは盗みに走った。
ノグラの禁薬の隠し場所は知っている。
古いぬいぐるみの中だ。
もちろん、ただのぬいぐるみではなく、錬金術でロックがかかっている。
が、解析できないほどのものではない。
ナイアはぬいぐるみごと盗み出し、「聖女の血」を手に入れ――同時に、ぬいぐるみの中に入っている麻薬に気づいた。
どうやら、自分と同じく整理整頓ができない我が師は、禁薬も麻薬も一緒に保管していたらしい。
処分に困ったナイア。
適当に目についた女学生にぬいぐるみごと押し付けるという暴挙に出た。
まさかそれが公爵令嬢で、巡り巡って自分が捕まるとは思っていなかったが。
だが、肝心の「聖女の血」は、すでに自分しか知らぬ場所に保管している。
研究には何の問題もない。
解放された後、じっくりと進めればいい。
問題は、どのくらいで解放されるかだが、
予想外に、ナイアはすぐに解放された。
公爵令嬢のメイドの薙刀に両断されかけたが、さして大きなお咎めも受けず、研究に戻ることができた。
これで、障害はなくなった!
最強の生物兵器を作り上げるのだ!
学園長に命じられたトイレ掃除一年間をこなしながら研究をつづけ、商人貴族や教会貴族をだまして出来上がった作品は、
しかしあっけなく、筋肉に排除された。
再び捕まるナイア。
余りの衝撃に、繰り返される尋問にも、やけ気味に答えてしまった。
が、そこへ、手を差し伸べる者が、いた。
学園長である。
自分も銀の深学会の一員だと明かした学園長は、権力を使って、ナイアを牢から逃し、ナイアの故郷、ハイボリアの王宮へと渡りをつけた。
その際、一冊の文献も渡された。
そこには、黒い日記帳の著者が記した論文が掲載されていた。
これを使えば、貴女の生物兵器はより完成に近づくでしょう。
過去の英知の再現を、楽しみにしていますよ?
そう言われて、再びやる気を取り戻したナイア。
隣国王宮の研究施設で、「作品」の強化に努め、しかし、どうしても解決できない問題に突き当たった。
文献に「解毒剤」の存在が示唆されていたのである。
これがある限り、自分の作品は弱点を抱えたまま。
なんとか、克服しなければならない。だが、学園長から渡された文献には、解毒剤の作り方までは記載されていなかった。
かといって、他に解毒剤の成分が書かれた文献など、探し方すらわからない。
ならば、誰かに作ってもらえばいい。
そう考えたナイアは、自分を除けば最も優秀と思われる公爵令嬢を、自らの「作品」に襲わせた。予想通り、危険を感じた公爵令嬢は解毒剤の作成を始め、そして、完成させた。
ナイアは、その解毒剤を奪うことに成功する。
代償として、ハイボリア王宮からも追われる身になってしまったが、これで作品は完成する
――はずだったが、盗んだ薬を調べ、すぐに気づいた!
これは、解毒剤ではない!
ただの、麻酔薬だ!
おそらく、意図的に違うものを渡されたのだろう。
ナイアは、方々から追われる犯罪者になってしまった。
失意のまま、ハイボリアを出て、人目につかないスラム街を渡り歩く。
そんな中、再び、学園長から、連絡があった。
ぶつかった浮浪者から、渡されたメモ。
そこには、フラネイル領の旧スラム街の教会で待つ、と書かれていた。
伝手で手に入れた解毒剤も用意している、とも。
今度こそ、解毒剤を手に入れることができるかもしれない!
ナイアはお守りのように持ち歩いている古びた日記帳を抱いて、聖女が訪ねるという修道院へと歩き始めた。
# # # #
聖女アーティアは、ようやくたどり着いた修道院を見上げていた。
長かった。
ここまで、本当に長かった。
やっと探し出したお姉さま。
中央の教会を飛び出したはいいが、行く方々で引き止められ、気が付けば時間がたってしまった。
まったく、なんで教会というのは、聖女様なんてものに頼ろうとするのだろう。
戦争も終わっているし、バカな私に説法なんて無理だし、そっとしておいてくれたらいいのに。まあ、いっぱいお土産くれたからいいけど……。
それがお土産という名の賄賂だと気づかないアーティア。
このお土産、お姉さまへのプレゼントにしよう、などと迷惑なことを考えながら、教会へと踏み出し、
「お待ちください」
制止の声がかかった。
振り向いた先にいたのは、一人のメイド。
確か、ラティに連れられてイザラお姉さまとお茶会をした時、一緒にいた――
「ええっと、ブルネットさん?」
「はい。ブルネットでございます。
私、今は教会でお世話になっておりまして。聖女様がお嬢様を探していると聞き、失礼ながら、後をつけさせていただきました」
その言葉と、強い視線。
アーティアは、すぐに悟った。
ああ、この人も、イザラお姉様が好きなのだ、と。
「ですので、アーティア様がイザラお嬢様にふさわしいか、確かめさせていただきたいと思います」
そして、すぐに悟った。
この人、敵だ、と。
「はあ? なんでブルネットさんに確かめられないといけないのさ?」
「私は、イザラお嬢様のメイドですので」
「元でしょ? 今は関係ないじゃん」
「たまたま、今は離れているだけなので」
「離れてる時点で、イザラお姉さまにはふさわしくないんじゃないの?」
「……言いますね? 確かめてみますか?」
「……聖女に喧嘩売るなんて、いい度胸だね?」
聖剣を引き抜くアーティア。
どこからか取り出した薙刀を構えるブルネット。
二人のストーカーが、今、ぶつかった!
# # # #
「どうしてこうなった」
人知を超えたぶつかり合いを前に、フラネイルは、情けない声を上げた。
ラバンとメビウスと大司教の悪だくみについていけず、故郷へ逃げかえってきたら、この騒ぎである。イザラがこの修道院にいると密告したのはフラネイル自身だが、まさかアーティア本人が飛び出してくるとは思わなかった。
アーティアは聖女だろう!?
なんでこんな所にいるんだ!?
アリスやラティはどうした!?
混乱しているうちにも、アーティアとブルネットの戦闘は続く。
アーティアが聖剣をふるう!
ブルネットが避ける!
民家に亀裂が走る!
ブルネットが薙刀をふるう!
アーティアが受け止める!
地面が砕け散る!
まるで災害のような光景に、慌てて修道院へ避難するフラネイル。
そこには、なぜか学園長が、いた。
「学園長!? なぜこちらに?」
「あら、あなたは――フラネイル君ね。
私はちょっと久しぶりに、イザラに会いに来たのよ」
イザラ、と聞いて目を見開くフラネイルだったが、学園長が視線を向けた先にいたのは、老シスター。
「ああ、彼女もイザラっていうのよ?
公爵家とは――そうね、何の関係もないわ」
「は、はあ、よろしくお願いします?」
「ええ、よろしく」
訳も分からぬまま、老シスターとあいさつを交わすフラネイル。
そういえば、官吏からの報告書に、同じ名前のシスターがいた、と書かれていた気がする。
それにしても困った。
貴婦人同士に紛れ込む会話スキルはないし、外では非常識な輩が暴れている。
フラネイルは気まずさのまま、教会の奥にでも逃げようと口を開いた。
「ええっと、俺はその、修道院長へ挨拶にでも行ってきます」
「あら? 逃げなくてもいいじゃない。
教会では、ずいぶんと大活躍だったみたいだし」
「は、はぁ? よくご存じで」
気のない返事を返したが、内心では動揺しっぱなしである。
教会での大活躍、というのはメビウスたちの粛清の事だろうか。
それとも、神の種の広告に教会を利用したところだろうか。
心当たりがありすぎて困る。
「まあ、そう若い者をいじめるんじゃないよ。
むしろ、アンタの方こそ大活躍だったじゃないか」
が、意外なところから助け船が出た。老イザラである。
「まあ、私は昔のように、できることをしただけよ?」
「そうかい?
銀の深学会を掌握し、予言にある戦争を避けるために『悪役』を誘導する。
今回の一件の黒幕はお前さんだっただろうに」
そういう話はよそでやってくれ!
ラバンとメビウスと大司教に散々利用されたフラネイル、心の中で叫ぶ。
もちろん、叫んだところで、目の前の話は止まらない。
「戦争なんて予言を成就させるわけにはいきませんからね」
「そんなこと言って、予言が出る前から動いていただろに」
「まあ、何度も似たような事件が起きると、大体、どのような生徒が問題を起こすかわかるものですよ。ただ、本当に事件の元凶なのか、庇護するべき生徒なのか、泳がさないと分からなかっただけで」
「そういえば、昔から聖女だの令嬢だのが起こす事件は、学園が多かったね」
「ええ。今回は何事もなく終わりそうで安心しました」
「何事なく、ねぇ。私にゃ、そうは見えないけどねぇ」
窓の外へと目を向ける老イザラ。
そこでは、相変わらず暴力の嵐が吹き荒れている。
「まあ、流石にこれは予想外でしたが」
「聖女は戦争の象徴だからね。つまりは災害だ。利用するもんじゃないさ」
「あのメイドも、災害の一部かしら?」
「まあ、そうだろうね。聖女が現れる世には、必ずああいうも出てくるのさ」
思い出にでも浸っているのか、どこか懐かしそうに言う老シスターと学園長。
フラネイルは引きつった表情を浮かべながら、一緒に外の災害を見つめる。
トンでもねぇな。スラムの荒くれ者がかわいく見える。
あ、なんか本持った一般人がふっ飛ばされた。
ていうか、こっちに飛んできた!?
慌てて老シスターと学園長を抱えて退避するフラネイル。
そこへ、聖女とメイドがなだれ込んできた!
「ちょっと、だいじょうぶですか!」
さすがにまずいと思ったのか、一般人を気遣うアーティア。
フードを被っていて顔は見えないが、衝撃で気を失ったのか、ぐったりしている。
……死んでないだろうな?
そんなフラネイルの疑問をよそに、
「一般人を傷つけるなんて、やはり貴女はイザラお嬢様にふさわしくありませんね」
「はあ? 吹っ飛ばしたの、そっちじゃん!」
あっという間に、臨戦態勢になる二人。
「止めなさい!」
が、そんな二人を、第三者が止めた。
アーティアを追いかけてきたであろう、ラティである。
「ああもう! こんなにして! 帰りますわよ! アーティア!」
「え、ヤダよ、イザラお姉様に会ってから」
「残念ながら、お姉さまはここにいません! そうですわね?」
問いかけてくるラティ。
フラネイルは慌ててうなずいた。
が、今度はメイドから殺気が飛んでくる。
「貴方、こちらにイザラお嬢様がいると連絡した、貴族様ですよね?
嘘をついたのですか?」
震えあがるフラネイル。
が、それを再びラティが制した。
「違います!
アーティア、貴女を追いかけている途中、学園長から連絡がありました!
ナイアを見つけたから、この修道院に誘導すると!
イザラお姉様はすでに避難済みです!
それで――学園長! そのフードの男がナイアですわね!?」
まくしたてるように叫びながら、学園長を睨みつけるラティ。
笑ってうなずく学園長。
同時、なだれ込んで来る騎士団!
フラネイルが唖然としているうちに、あっという間にナイアを拘束すると、素早く去っていった。
「あ、ちょっと待って、そいつ処刑するの、私の仕事だよ!」
「いいえ、私が!」
そして、聖女とメイドもすさまじいスピードで去っていく。
残されたのは、フラネイルと老シスター、学園長、そして、すっかり寒い風が通るようになった修道院のみ。
「修道院の修理費、きっちり払ってもらうよ」
「ええ、もちろん、フラネイル家へいろんなお土産と一緒に渡しておくわ」
ナイアが残した日記帳を暖炉に放り込みながら言う学園長に、フラネイルは一言。
「ああ、もう聖女はこりごりだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます