がくえん!~悪役令嬢のわるあがき

○05表_悪役令嬢は学園最後の1年を始めた!


 貴族の令息令嬢の通う学園。

 この春、三年生となったイザラは、教室から見慣れた校庭を見下ろしていた。

 花びらに彩られた花壇に、柔らかい朝日に輝く校門。

 イザラにとっては最後の新学期である。

 このまま、この穏やかな季節のように、何事もなく学園生活が終わらせなければ。

 決意を新たに教壇へと目を向け――


「エー、皆さマ、この度ハ、進級おめでとうございまス。

 私、今年度より錬金術の講師となりましタ、ノグラと申しまス。

 さっそくですガ、皆様は最終学年ということデ、錬金術の最終成果たるこの汎用決戦兵器キメラ触手生物開発コード星の精2号――ペットネームてけちゃんについて講義をしたいと思いまス」


 ああ、さっそく、穏やかな学園生活が消え去った気がします。


 絶望に打ちひしがれるイザラをよそに、ノグラは嬉しそうに巨大な水槽をなでながら講義を始めた。

 中には、なにか宇宙的な脈動を不気味に繰り返す触手の塊が浮いている。


 あんな大きなもの、いつ、どうやって持ち込んだのかしら?


 現実逃避を始めるイザラ。

 が、非情にも授業は進んでいく。


「さて、このてけちゃんですガ、かつての聖女戦争で使われた技術で作成されていまス。聖女戦争については皆様の学年ではすでに履修済みなので割愛するとしテ、今回は錬金術で用いる各種薬品がこの触手生物にどのような影響を与えるかを講義しましょウ!

 まずは薬剤を与えて反応を見てみようと思いまス!

 さア! 我が研究の成果をご覧下さイ!」


 気合いとともに、怪しげなビンを水槽に放り込むノグラ!

 ビンごとかみ砕く、怪しげな触手生物!

 瞬間、触手生物は一気に膨張!

 水槽を破壊して中へ飛び上がった!


「ア、入れすギ……」


 ノグラのそんな呟きを背後に、宙へ踊り上がった触手生物は、なんとイザラの方へと迫って来た!


 現実感のない光景を、どこか遠くの光景のように見つめるイザラ。


「お嬢様、失礼します」


 が、それは唐突に視界から消え去った。

 乱入してきたブルネットが、薙刀で触手生物を両断したのである。


 イザラの左右に降ってくる、肉塊と血液のようなナニか。


 あら、へんね、さっきまではいいてんきだったのに……


 自分を見失いつつあるイザラ。

 だが非情にも事態は進む。


「失礼しました。コレは私が処分いたしますので、お嬢様におかれましては、どうぞ平穏な学園生活をお送りください」


 薙刀を振り回す従者に言われてはおしまいである。

 が、そんなイザラを置いて、ブルネットは神速とも言える動きで飛び散った液体を拭き取り、水槽と肉塊とついでにノグラをごみ袋へ放り込むと、教室から出ていってしまった。


 あア、いけませン、ぶるねっとサマ、あふンおふン


 ごみ袋の中から怪しげな喘ぎ声が聞こえて気がするが、きっと気のせいだろう。

 イザラ、なんとか立ち上がり、生徒会長としての義務を果たすべく、教壇へ。

 教科書を手に取る。

 開いてみると、きちんと授業の書き込みがされていた。


 よかった。これで何も授業のメモがなければ、学園長と「お話」をしなければならないところでした。


 ほんの少しだけ自分を取り戻したイザラ。


「……皆様には申し訳ありませんが、先生が出ていかれたようなので、生徒会長である私が。ひとまずこの時間は自習としたいと思います。

 残された教科書の書き込みによると、32ページにある課題をやりたかったようですので、そちらに取り組んで――」


 ください。

 そう結ぼうとした途端、教科書が「喋った」。


「登録ユーザ以外の接触を感知しました。

 本書は自動的に消去されます」


 閃 光 !

 爆 発 !


 痛みは――ない。

 ただ、手元でボロボロと崩れ落ちていく教科書が灰となり、足元に「弁償しろ」という文字になって残った。


 ダメよ! イザラ! こんなことでくじけては!

 まだ、まだ! 新学期は始まったばかりなのよ!


 もはや自棄ともいえる決意を胸に、公爵令嬢兼生徒代表としての意地でもって、何でもないように続ける。


「……失礼。皆さまは、引き続き課題に取り組んでいただければと思います。

 私は学園長とお話がありますので、これでいったん失礼させていただきますわ」


 一礼するイザラ。

 静まり返っていた教室は、


「ああ、イザラ様、おいたわしい……」

「もういい、もういいんです! イザラ様!」


 同情と拍手でいっぱいになった。



 # # # #



「というわけで、ご報告です。授業は自習になりました」

「まあ、ノグラ先生にも困ったものね」


 学園長室。

 涙と共に見送られたイザラは、学園長に報告という名の苦情を入れていた。

 報告を受けたほうの学園長は、ぶっ飛んだ内容に苦笑するでもなく、優雅な姿勢で紅茶を片手に笑みを浮かべている。


 イザラは、学園長がこの「貴族の余裕」を崩したのを見たことがない。

 柔和な笑みという名の仮面で内心を覆い隠した、絵にかいたような上級貴族の老貴婦人。それがイザラの学園長への印象である。貴族の子息令嬢を預かるという立場から、王宮に勤める貴族ともやり取りをする関係上、こうした態度が身についているのだろう。


 王宮に入れば、私もこうして自分を殺し続けることになるのでしょうか。

 願わくば、そうじゃない相手を、ひとりくらいは見つけられればいいのだけど。


 そんなことを脳裏に浮かべながら、学園長に言うべきことを告げるイザラ。

 まずは、遠回しにノグラ先生のリストラをお願いしなければならない。

 全校生徒のためにも絶対に必要なことだ。


「ノグラ先生には、一度、我が領に戻って研究に専念していただいた方がいいかもしれません」

「まあ、それは困りました。錬金術の講師は、なかなか見つからないのですよ?」


 貴族らしい余裕のまま、断られてしまった。

 イザラとしては意外である。

 もっとあっけなくうなずくかと思ったのだが。


「そういえば、ノグラ先生は、もともと公爵領の研究をしていたところを学園側から招いたのでしたか。でも、ずいぶん前の話と聞きますし、任用期間としては、十分なのでは?」


 遠回しに見栄を張ってないで損切りしろと告げるイザラ。

 が、学園長は、なぜかのらりくらりとかわし始める。


「まあ、よく知っているのね。

 でも、任用期間どうこうではなく、本当に後任の方がいらっしゃらないの。

 錬金術については、隣国の方が進んでるから、高名な方となると、そちらから招くことになるけど、今はクラウス第一王子もご在学でしょう? 来年にはメビウス第二王子も入学されるし、今の段階で教員を新たに迎えるのは避けたいのよ。ただでさえ、留学生が増えているのに、教員もとなると、いろいろ手続きもありますから」

「つまり、学園としては、現段階で外部から人員を招くとなると、よからぬ人間が入り込む可能性があるので、それを避けたい、と?」

「理解が早くて助かるわ」


 一応、筋は通っているが、本当にそうだろうか。学園長の表情が変わらないせいで、実は別の思惑があるのではないかと疑ってしまう。

 そんなイザラの疑惑の視線を無視して、学園長は続ける。


「そういえば、クラウス第一王子のクラスも、錬金術の授業がありましたね。そちらも休講になるでしょうから、クラウス様と一緒に課題に取り込んではどうかしら?」


 王子の在学がどうこうの話の後にこれである。

 言葉だけなら単なる親切に聞こえなくもないが、「クラウス様との関係は?」「公爵家としてはどうかしら?」との声が聞こえてきそうだ。


 あるいは、本音はノグラ先生を雇い続ける本当の意味を追及されるのを避けたかったのでしょうか?


 そう思いながらも、イザラはいったん引くことにした。

 もともと、ノグラの苦情を入れに来ただけのこと。

 わざわざ張られた罠に突っ込むことはない。


「それはありがとうございます。少し考えてみます」

「ええ、最後の学年が実り多い一年になるよう、祈っていますよ」


 当たり障りのない挨拶を交わして、学園長室から出る。


 短い会話だったはずなのに、やけに疲れた。まっとうな貴族の会話というのはこういうものなのかもしれないが、王宮に入った後はこれが日常になるかと思うと億劫である。


 せめて、クラウス様との時間は楽しく過ごせるようにしましょう。

 ええ、今度こそ、婚約者としてまっとうに過ごしましょう。

 さっき爆発した教科書の課題ですと、図書室にある参考書が必要ですね。

 まずはブルネットにクラウス様のご予定を聞いてもらって、それから――


 小さな決意を胸に、歩き出すイザラ。

 婚約者との甘い時間に期待しながら、放課後を迎え、


「まあクラウス様っ! いけません!

 イザラお姉さまを差し置いて、またそのようなことを!」

「そうですよ!

 王子様はお姫様とキラキラした場所で付き合わないといけないんです!

 下級貴族の私は、もうちょっとこう、埃っぽい場所で……えへへ」

「いや、私はそういうつもりではないのだが……」


 図書室の扉を開いた瞬間、決意と希望は消え去った。


 言い争うラティとクラウスとアーティア、そして、後ろで頭を抱えるアリス。

 おかしい。

 放課後の図書室デートが始まるはずが、なぜ、少し前に見た光景が再び広がっているのだろうか。

 目まいを覚えるイザラ。


 ああ! ダメよこんなことでくじけては!

 数少ない、クラウス様と一緒に過ごす時間なのよ!


 いったい、一日に何度くじけそうになればいいのだろうか。

 疑問がよぎったが、先程の決意を思い出して何とか踏み止まり、近くにいたラティに声をかける。


「ラティ、その辺にしておきなさい」

「お姉さま!? ど、どうしてここに?」

「錬金術の課題をこなそうと思いまして。

 ごきげんよう、クラウス様。私の後輩がご迷惑をおかけしました」

「ああ、イザラか。そういえば、彼女はキミの取り巻きだったな?」

「取り巻きだなんて。大切な後輩ですわ?」


 棘のある回答が返ってくるあたり、よほどクラウスは機嫌を損ねているらしい。

 イザラとしては取り巻きを守りつつクラウスの顔も立てねばならぬという、難しい状況だ。

 が、イザラがフォローに入ろうとする前に、ラティは再び暴走を続けた。


「お姉さまっ! 本は私が探してきますから、クラウス様とご一緒されてはっ!?」

「まあ、それは――」

「ほら、下級貴族! お姉さまが本をご所望よ! 錬金術の!

 さっさと取ってきなさい!」

「はい! ただいま! すぐに!」


 そして、なぜか暴走に加わるアーティア。

 イザラ、内心で慌てつつも、やんわりとラティをなだめる。


「ラティ、そういう言い方はよくありませんわよ?」

「! 申し訳ありません! つい……」

「お待たせしました!」


 が、その前に、アーティアが帰ってきた。

 恐るべき速さで、錬金術関連の本を大量に抱えて。


「い、いえ。待っていませんわ。ありがとう、アーティア」


 これもナントカ忍術の修業の成果なのだろうか。

 引きつりながらも、どうにか礼を言い、見上げるほど山積みにされた本から、何とか課題に使う一冊を抜き取る。


「クラウス様。課題はこちらの本で十分ですので、向こうで始めましょう」


 そして、クラウスを引きはがしにかかった。

 三人一緒に相手をするから収拾がつかなくなるのだ。

 一人ひとり、きちんと向かい合えば、きっとみんな分かり合える!


「二人も一緒――いや、今はまだその時ではないか。

 すまない、イザラを借りるぞ」

「はい、行ってらっしゃい……ああ、私たちのお姉さまが……!」

「しょうがないじゃない! お姉さまはクラウス様の婚約者なのよ!

 ああ、百合に挟まる男を抹殺できないなんて!

 お姉さま! 申し訳ありません! 私は、ラティは無力です!」


 ……分かり合えるのかしら?

 何やらひそひそと話し始めた三人に、一抹の不安を覚えるイザラ。


「大丈夫だ、イザラ。君にも分かる日が来る」


 しかし、なぜか、追いついてきたクラウスに励まされた。


「は、はあ、ありがとうございます?」


 疑問詞が付く声が出てしまったが、とりあえず、クラウスの機嫌は直ったようだ。


 危機は去った、のだろうか。


 疑問を抱えながらも、イザラはクラウスと二人の時間を過ごし始めた。


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