あなたに続く怖い話

@koujitsu_hayama

指が見えない女

「酒井原(さかいはら)、幽霊ってさ透けているのは足だけじゃないんだよ」


喫煙所の隅で柳沼(やぎぬま)はそう漏らした。

仕事の合間の小休止に利用するこの喫煙所ではフロアをまたいで交友が生まれる。

普段仕事でしか関わりのない柳沼とこんな他愛のない話ができるのもそのおかげだった。


「幽霊ですか」


あまりに突拍子もないその話題に気の抜けた返事しかできなかったが、彼にとっては返答の

熱は関係ないようでそのまま話をつづけた。


そう、幽霊だよ、と続けてこんな話を聞かせてくれた。


それは妙に寝苦しい夜のことだった。

妙に湿っぽい部屋の空気と汗ばんだ自分の体にまとわりつく不快感に柳沼は目を覚ました。夏の折ではあったがエアコンの聞いたこの部屋で中途覚醒することは珍しかった。


ベッドから横目にエアコンを見るが正常に稼働しているようでうっすらと緑の小さなライトが点灯していた。


理由のわからない不快感を払うように寝返りを打った時に、膝に何かが当たった。


一人住まいの家、物も多くないこの部屋で果たしてベッドの上で体にあたるようなものはあっただろうか。


いや、ない


ベッドの周りには何も置いていないし、ペットも飼っていない

なのにどうしてこんなに柔らかなものが自分の膝にあたるのだろうか。


誰かが足元にいる。


どんなものがどんな体制でいるのかはわからないが膝にあたる感覚はその事実を自分に押し付けていた。


起きていることを悟られないように、体制は変えずに眼だけを下に向けるとベッドの脇に女が腰かけていた。

うつむいて座るその女の表情は長い髪に隠れて見えなかった。

誰なのかもわからなかったが、一つわかることがあった。


女の足がない。

透けているのだ、膝から下、すべてが。


柳沼はその日生まれて初めて喉の奥がしまる音を聞いた。

ひゅ、という小さな音を漏らしたそのあとは浅い呼吸以外の音は何も出せなくなった。


それと同時に身が縮こまり、びくりと一度だけ体を震わせたが、そのあとは如何ようにも動けなくなった。


その時を待っていたかのように女はこちらに顔を向けた。

相変わらず長い髪で顔は見えないが、何かの面影を感じた。


誰だろうか、ただ、自分はこの女を知っている。


思い出そうとすると喉の締め付けが強くなってそれ以上考えることができない。


女はゆっくりと身をこちらに近づけてきた。


座ったまま移動して自分の胸の位置近くまで近づき、そして子供を寝かしつけるようにゆっくりと自分の頭を撫でた。


髪の毛をなぞり、そのまま頬に触れたその手は異常に冷たかったが違和感があった。


頬を撫でたその手はそのまま柳沼の首にながれ、太い血管を撫でた。

その時、真一文字だった女の口角が少しだけ上がったように見えた。


女はまたゆっくりとした動作で今度は体の位置を大きく変えた。

柳沼の脇腹に上にまたがり、馬乗りの体制になった。


先ほどの手と同じく、触れる部分はひどく冷たく、また骨ばっているように感じた。


女が横向きに寝ている柳沼の肩に手をかけゆっくりとベッドに押し込む。

しかし、不思議なことに押し込んでいるはずの手に触れられている感触がない。


にもかかわらず柳沼の体は、先ほどまでの硬直が嘘のように簡単に仰向けになった。

こわばっていた筋肉はほどけているが今度は弛緩したように体に力が入らなかった。


指先は痺れたように感覚が薄く、視界にとらえる自分の腕が作り物のように思えた。


腕はだらりと伸びていたし、腹にも力が入らなかった。

今にして思えば口元も大きく開いていたような気がする。


仰向けになった自分の視界に女の手のひらが迫ってきた。

手のひらだけが、迫ってきた。


異様な光景だった。

先ほど女の足がないのは確認していたが、この女は指も透けて見えなかった。

文字通り手のひらだけがこちらに向かってくる。


その両手は自分の首にあてられた。

先ほど、頭を撫でられたときに感じた違和感はこれだった。

触れられているのに、まるで触れられていないような曖昧な感触だった。

手のひらだけで触れられるとこんな感覚がするのかと柳沼は頭の隅でかすかに考えていた。


女は柳沼の首元に手をやるがそれ以上何もしてこない。

なぜこんな体制をとっているのかと不思議に思うも、女の長い髪から除く口元を見てぞっとした。


女の口元はきつくきつく縛られていた。

おそらく歯を食いしばっているのだろう。


さらに手元に体重をかけるように女の上体が前のめりになる。

髪が顔に触れる不快感があった。


それでも首元には一切の力も加わってこなかった。

喉元をかすかに押されるような感覚はするが、それ以上は何もない。


いまや女の口元はかみしめて歯をむき出しにしている。

力をいれた女の首元にはうっすらと筋まで浮いているというのに、こちらには冷たさ以外、何の感触も伝わってこないのだ。


ただ、肌に伝わる冷たさだけは滲んでいく絵の具のように自分の体に広がっていき、その冷たさが唇に到達したとき突如として意識は途絶えたのだった。


「顔は見えなかったけどさ、なんとなく誰なのかは察しがついてるんだよ」


2本目のたばこに火をつけて、柳沼はつぶやいた。


おそらく別れた彼女だろう、と彼がため息とともに言った。

曰くなかなかに手ひどく振ったそうだ

顔にかかってきた長く黒い髪も彼女のそれによく似ていたという


「もちろんあいつは死んでなんかないよ。でもさ、家も知ってる仲なんだから生霊じゃなくて直接来たらいいものを陰湿なもんだよ」

                            


「なんていう話を柳沼から聞いたんだけど駒井(こまい)さん、どう思う?」


別の日、同じ喫煙室で聞きかじった話を私は披露していた。


駒井さんはさほど興味のなさそうにこの話に付き合ってくれていた。

彼女はどうやらこの手の体験が多いらしく、こうやって時々不可思議な話をする仲だった。

新婚の駒井さんに話すのは憚れるような話ではあったが、好奇心には勝てずに彼女の意見を仰いだ。


「いや、おそらくだけれどその女、きっと柳沼の家すら知らない間柄なんだと思うよ」


あきれながら彼女はつぶやく。


「だって、首絞めてるのに力が入ってなかったんでしょ?その上、体のところどころが透けてるんだから近い人じゃないんだよ」


彼女曰く、理由はわからないがそういうものらしい。


「柳沼、元カノの話以外にも女関係の話多いからね。誰に恨まれててもまぁ納得かな」


駒井さんはこちらに目もくれずに煙草をもみ消す。

これ以上は吸わないらしい。


「もっと近くないと首絞めて殺すのは無理なんじゃないかな。」


私がやったときは、ちゃんと苦しい顔してたよ


煙草の箱をしまいながら、彼女は私の方を見てそれだけ言った。

長い髪に隠れて、表情を読むことはできなかった。


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