第6話

 夜、お客がはけて、もう今日はこれ以上来なさそうだなと思っているところへ、アンジェロさんがやって来た。


「まだ店はやっているか?」

「えぇ、どうぞ」


 彼がカウンターに座ると、ふわっと花のような香りがした。香水でもつけているのか、あるいはエルフ特有の体臭なのか、少し気になる。


 静かにコーヒーを楽しむアンジェロさんを横目で見ながら、私とエマは洗い物などをして、彼の邪魔にならない程度に閉店作業を進めていた。

 白ヘビのパールが、音もたてずに彼のほうに向かっているのが視界に入った。

 エマはフクラガエル――ではなくソフトフロッグのマルマルを頭にのせたまま皿をふいている。パールの動きには気づいていないようだ。

 パールはカウンターの上を蛇行しながら、ついにアンジェロさんの目の前に到達した。

 しばし彼とパールは見つめ合っていた。

 アンジェロさんが軽くうなずいた。すると、パールはアンジェロさんの左腕をつたいながら彼の体をのぼっていった。首までたどり着いたと思うと、首輪のように巻きついてそのまま静止した。

 アンジェロさんが笑ってる! かすかだけれど、ほとんど無表情だけれど、私にはわかる、あれは笑っている!


「あれ? パールが消えたわ。パールー、どこに隠れてるのー」


 エマが店内を探し始めた。これは言わないほうがいいのだろうか?

 アンジェロさんとパールの間でどういうやり取りがあったのかは知らないが、楽しそうなのでこのままにしておこう。



 洗い物も終わり、ふと思い出したことがあり私はアンジェロさんに声をかけた。


「そういえば、アンジェロさんにお願いというか、ご相談がありまして……」

「なんだ?」


 すまし顔の彼の首にはまだパールが巻きついたままになっている。笑わないように真剣な顔を作りながら言葉を続ける。


「コーヒーに合うような新しいメニューを作りたいなと思いまして。その……なにか甘いものって、出せないですか、コーヒーのときみたいに」


 エルフしか使えない植物魔法。

 そのような神秘をこんなことのために気軽に使うんじゃない! と怒られないか内心びくびくしてしまう。


「甘いものか……そうだな、これなんかどうだ?」


 彼はおもむろに立ち上がり、店の天井をちらりと見た。

 あ、これあかんやつや……と私が気づいたときにはもう遅かった。


 彼の手のひらから、ものすごい勢いで木が生えてきた。そのまま店の天井に届くか届かないかギリギリのところまで伸びた木の先端からは、緑の大きな葉がわさわさと生えている。

 木の上のほうには、細長い緑色の実がなっている。実はだんだんと変色していき、最終的に黄色になった。


「アンジェロさん……植物魔法を使う時は、店に被害が出ないようにお願いしますね……」

「ん? 出ていないだろう? 天井まで届かないように気をつけたが」

「たしかに出てないですけど、ちょっとびっくりしたので。ところで、これは?」

「あぁ、マジカルバナナだ。甘くておいしい」


 彼は木をゆっくりかたむけて床に寝かせた。そして、バナナの実をむしり取った。

 皮をむくと、白くておいしそうな中身が見えた。そのまま躊躇なく彼は一口食べた。


 見た目は私の知っているバナナと同じだ。しかし、『マジカル』とは?


 エマは店内に突然あらわれた木にひとしきり驚いた後、木をパンパン叩きながら、「あんたちょっとおかしいんじゃないの! こんなのどうやって処理するのよ」と怒っている。「自分で成長させたのだから消すこともできる」とアンジェロさんは淡々と答えた。


「そう、ならいいわ。それより、それ、一口ちょうだい!」

「だめだ」

「え……なんで」

「毒性があってな。食べると幻覚が見える」

「なんでそんな危ないもの出したの! ていうかあなた食べてるじゃない、大丈夫なの?」

「俺は毒に耐性があるから問題ない」


 アンジェロさんは、美味しそうにもりもり食べすすめている。

 確かに、もし食べられるならコーヒーと合うかもしれない。

 幻覚をみせる作用が毒ならば、もしかしたらマルマルに解毒してもらえば食べられるようになるのかもしれない。しかし、なぜ彼は解毒すること前提の果物を出したのだろう。ソフトフロッグの生態を知っていたのだろうか?


 私が考え込んでいると、エマがマルマルに「おいで」と声をかけて手のひらに乗せた。そして、アンジェロさんに差し出した。


「この子は解毒魔法を使えるのだけど、試してみていい?」

「あぁ、そのつもりでこれを出したからな」

「ん? どういうこと? あぁ、ボアサンド――」

「エマ!」

「あっ……」


 エマが言ってはいけないことを言おうとしたので、私はつい大声を出してしまった。

 ボアサンドの製法は秘密なのだ。幸い今はアンジェロさんしかいないが、彼にもできれば秘密にしておきたい。

 エマもすぐに気づいたのか、首をすくめて目をぎゅっと閉じている。怒られ待ち状態だろうか?


「ボアサンドの肉に毒魔法と解毒魔法をかけている件か?」


 アンジェロさんがそう言った。すでにバレている。なぜ?

 閉店中に仕込みをしているので、彼をふくめて客は誰も知らないはずだ。


「魔法の痕跡があったからな。君たちが何者かから害されているのかと思い、解析した。そしたら魔法を発動したのがこの子達だとわかって、とりあえず問題はないと判断した」


 彼は首元からパールを優しくはがして、エマに渡した。


「パール、そんなとこにいたの! 気づかなかったわ。それにしてもマリー、バレちゃってるんだけど……どうしよう……」

「他言するつもりはない。その言葉を信じるかどうかはマリー次第だが」


 二人と二匹から見つめられて、私は沈黙する。

 正直、いまだにアンジェロさんの人間性というかエルフ性を理解できないところがある。が、占うまでもなく、彼が悪い人ではないというのはなんとなくわかる。


「信じますよ、私は」

「そうか。もしいつか情報が漏れたとしたら、それは俺以外の誰かが店に忍び込むか、魔法の痕跡解析をしたということになるが……少なくとも解析される可能性はほぼないと考えていいだろう」

「なぜですか?」

「強い魔法が使われたわけではないからな。あの程度のささいな魔法の痕跡を解析するとなると、少なくとも俺と同じくらい魔法にたけているか、解析を専門でやっているやつくらいにならないと無理だろう」

「なるほど……それなら当分大丈夫そうですね」



 マルマルに解毒魔法をかけてもらったマジカルバナナを、エマと私も食べてみた。ねっとりとして、かなり強い甘味を持っている。一緒に飲んだコーヒーとも合う。これはぜひ店で出したい。


 エマもパールとマルマルに分け与えながらおいしそうにしている。


「おいしい! こんな果物があるのねぇ。アタシも普通のバナナは食べたことあったけど……ここまで甘くなかった気がするわね。ちなみに普通のバナナは出せないの?」

「出せる」

「そうなの!? じゃあそっちを出してくれればよかったんじゃないの?」


 確かにエマのいう通りである。リスクを背負ってまでマジカルバナナを客に出す必要がなくなるなら、それにこしたことはないが……。


「普通のバナナは果物屋で売っているからな。彼らの商売の邪魔をする気はない。マジカルバナナは本来食べられないものとして扱われているからこそ、この店に提供してもいいのではないかと考えた」


 私は、もしやと思ってたずねる。


「もしかして砂糖、というか、サトウキビも出せるんですか?」

「もちろん出せる。が、砂糖の利権は複数の貴族が絡んでくるから、やはり出すつもりはない」

「あー、アタシも貴族だからそのあたりは知ってるけど、死にたくなければ手を出さないほうがいいわよ、マリー」

「そうね、私は別に大金を稼ぎたいわけじゃないから。安全第一でいきましょう」


 話がそれてきたけれど、肝心なことの確認がまだだった。気が重い。


「それでですね、もしマジカルバナナを定期的に卸してもらえるとして、その対価はいかほどでしょうか?」

「強くなってくれ」


 はい? いまいち言葉の意味が頭に入ってこない。

 いま、私はお金の話をしているはずだ。たしかに、対価として払うならお金以外という選択肢もありかもしれない。だが、なぜに強くなるなんていう言葉が出てくるのか。


「冒険者として、せめて銀級になってほしい」


 銀級ね、はいはい、なるほど。

 よほど才能にめぐまれた人でないとたどりつけない金級以上を別とすれば、一般的な冒険者の最高到達点ともいえるのが銀級というランクである。


 うーむ、このエルフは何を言っているのだろうか。改めてまじまじと顔を見つめてしまった。

 三秒ほど見つめた結果わかったのは、浮世離れした美しさだけだった。この人は本当に生き物なのだろうか? 人形かホムンクルスだと言われた方が納得できる精巧さである。


 ……はい、現実逃避終了。


「いやいや! ムリですって。私は銅級の依頼をこなすだけでもいっぱいいっぱいですよ?」

「なんだ、もう銅級なのか。ならあと一つランクをあげればいいだけだろうに」

「あなたみたいな強い人にとっては簡単かもしれませんが、凡人からするとかなり難しいランクですからね……。いや、そもそも、なぜ強くなる必要があるんです? アンジェロさんはお金に困っていなさそうですから、金以外の対価を払えというのなら、他にもいろいろあるんじゃないですか?」

「自分の実を守ってほしいからだ。その占いの力、いつか必ず狙われるぞ」

「それは……」


 前からそんな気がしていた。

 あまり言いふらさないようにしていたし、めんどくさいことにならないように深刻な内容については占わないように心がけていた。あきらかに貴族っぽいエドさんという例外がいるけれど、あの人も秘密主義だから、あそこ経由で面倒なことにはならないだろうとたかをくくっていた。

 こんな下町の店でほそぼそとやっている限り大丈夫だろう、と現実逃避をしていたけれど、さすがにもうそろそろ真剣に考えたほうがいいのかもしれない。


 バナナの対価というのはただのきっかけであり、それ抜きにしても、防衛手段を身につけるべき時期が来たのだろう。


「わかりました。店が休みの日に依頼を受けたりして、少しずつですがランクをあげます」

「それでいい」


 

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