厭     な   話

池戸葉若

定位置



 ——あなたの定位置からは、何が見えるだろうか。



 電車を使って通勤や通学をしている人ならわりと共感してもらえることだと思うが、毎日同じように揺られていると、自然と定位置というものができてくる。

 私の場合は、二号車の先頭に近い左側乗降口の前だ。

 降りる駅までドアが開くこともないし、人が少なくてゆったりとした朝の時間を過ごせるのが、そこに収まった理由だった。

 ドアの窓から外の景色を眺めていると、日々の繰り返しの中にも意外と変化があっておもしろい。

 よく並走する学生の自転車が変わったとか。

 いつも同じタイミングで信号待ちをしている派手好きな女性の今日のファッションは何だろうかとか。


 ——次は~○○○~。次は~○○○~。


 アナウンスがあって少しすると、電車は〇〇〇駅に停車した。

 まだ目的駅ではないので、私は背後に人の出入りを感じながら窓の外を見ていた。


 おや? と思った。


 目の前には一軒家がある。

 昭和の中後期に建てられたような外観で、どちらかというとみすぼらしい。

 その家に変化があった。

 この駅は周囲より高い位置にあるため、車両と家の二階とがほぼ真向かいになるのだが、今日はいつも閉まっている窓が開いていた。

 同じく引かれていた黄ばんだレースのカーテンも開けられており、部屋の様子が見えてしまう。

 覗き見めいた行為に罪悪感を覚えながらも、好奇心が顔をもたげた私は、そちらにじっと視線を定めた。

 日照の関係か、朝だというのに部屋の中は暗かった。

 人の姿は見当たらない。うっすらとだが畳部屋であることがわかる。

 それ以外はというと、ブラウン管らしきテレビが点いているだけだった。

 こちらからは斜め横から画面が見える。

 妙にピカピカと移り変わる映像に、私は見覚えがあった。

 それは、ネコとネズミが追いかけっこを繰り広げるアメリカのコメディアニメだった。

 懐かしい。幼い頃にもらい物のVHSで何回も見た。

 私は思い出に浸るように、つかの間の鑑賞を楽しむ。

 電車が動きだし、今日は家に帰ったら動画サイトで続きを探してみるかと思いつつ、私は職場へと向かった。






 次の日も一軒家の二階の窓は開いていた。

 同じように暗闇の中でアニメの映像が光っていた。


 その次の日もまた窓は開いていた。

 一昨日と同じエピソードが音もなく流れていた。


 同じことが何日か続き、私はいくつかの疑問から逃れられなくなっていた。

 

 どうして部屋の電気が点いていないのか。

 どうしてずっと同じ子ども向けアニメなのか。

 どんな家族が住んでいるのか。

 そもそも誰かが見ているものなのか——。


 どこか薄ら寒さを感じはじめた。

 そんなある日のことだった。


 その朝も窓が開いていた。

 あいかわらずピカピカとアニメが動いている。


 すると急に部屋の中が真っ暗になった。


 テレビが消えた。

 そう気づいたあとだった。



 窓際にすーっと、妙に白い顔で眉毛のないボサボサ髪の女性が立った。



 あきらかに私を見ていた。


 ——たぶん、


 その容貌に不気味の谷に似た感覚を覚え、私は姿勢を変えるふりをして目をそらした。

 視界の端には、ずっとこちらを見る姿があった。






 翌日から私は定位置を変えた。

 二号車から離れた車両へ。

 左側の窓から背を向けるようにした。

 

 それでも。


 今でも。


 あの一軒家の前を通りすぎようかというとき、きまって皮膚に粟が立つ。




〈定位置・終わり〉


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