第19話 犯罪者の妻、1人の妻、1人の女、1人の人間
『今すぐ新宿駅TOHOシネマに来い』
冬馬からラインが来た。
命令形で映画に誘われたのは人生で初めてだ。
『”どうしたの?いま私も新宿にいるから丁度いい。”』
って返信したい…けど…今は…。
「あの、すみません。ちゃんと話聞いてました?」
目の前にいる女は眉間に皺をよせゴミを見るような目で私のことを見ている。
「あっ…えと、もう一度良いですか?」
「はぁーこれだから風俗してる女って嫌いなんですよ。発達系の女多くないですか?風俗の女って」
と女は周りの客や店員に聞こえるようにわざと声を張って言った。
「す、すみません。」
私はテーブルの上に置いてあったスマホを画面が見えないように裏返しに置き直した。
早く帰りたいと思いながら私はストロベリーティーを一口飲んだ。目の前の女のせいで全然味がわからない。
でも…これはカナエの今後に何か役立つかもしれない。私は帰りたい気持ちを抑えた。
「ウチの旦那は本当に風俗行って貴方のことを指名したんですか?」
「えぇ。そうですね…」
私は女の目を合わせず、ストロベリーティーのグラスを見つめながら答えた。
アイツ結婚していたんだ。でも…あの時は指輪つけていなかったはず。私は1ヶ月前に来た教師の左手を思い出そうとした。
「ねぇアンタちょっと」
「あ、はい。すみません。」
私は反射的に顔を上げて目の前にいる女を見てしまった。
40代中盤。ピラティスでも通っているかのような綺麗な背筋。セラミックの歯。
そして私とカナエと同じボブの髪型。
これがレイプ犯の奥様か。
私は再び目を逸らした。夜職をあからさまに見下しくるあの目線は10年経っても苦手だ。
「昨日…名刺を見て私にメールをしてくれたんですよね?ならわざわざそんな質問しなくてもいいんじゃないでしょうか?」
そう、奥さんは昨晩、私が教師に渡した名刺を見つけてメールをしてきたのだ。
「貴方は質問しなくて良いの。私の質問にだけ答えてちょうだい」
奥さんは足を組み、上の方の足で軽く貧乏ゆすりを始めた。白のパンプスが脱げかけて落ちそうになっていた。
「夫はどうして貴方を指名したのか言っていました?」
「教え子と私の顔が似ているからと言っていました。」
「でしょうね…」
「夫は何回、貴方を指名したの?」
「2回です。初回は被害者の女の子と顔が似ているか確かめたかったからと言ってました。」
「そう…あなた今、年齢は?」
「28歳です」
「28歳の貴方は随分頼りないのね…あなた…」と再び女が質問しようとしたのを遮って
「私に連絡をとった目的は何ですか?」
と私は声を張って質問した。
女はフンと鼻を鳴らして
「主人を不起訴にする為です。少しでも良いから証拠が欲しいのよ。だからその為に聞ける話は何でも聞きたいの」と言ってをレモンティーをストローで飲んだ。
「証拠…」
「まぁ貴方のはダメね使えない…。あぁでもどうかしら…性欲を我慢する為に風俗行って努力してたということにすれば」
と奥さんは言って手を組み黙り込んだ。
カナエのことを蔑ろした発言に胸がチクリとした。
「貴方は…旦那さんが女子高生にレイプしたことに対して何も思わないですか?」
「レイプ?あれはJKの方がハニトラしたんでしょ?」
「は?」私は大きく目を開いて奥さんのことを見た。
「主人はそう言ってますよ。あの女が誘惑してきたって。谷間を見せて、胸を触らせようとして、不必要に主人に近づいて…」
「そんなわけ…」
私は水が入ったグラスを掴み女にかけようとした。
「ないって私が1番分かってますよ!」
奥さんは私の言葉を遮って怒鳴った。その目には涙が浮かんでいた。私は思わずグラスから手を離した。
「でも、今私のお腹には子供がいる…家だって2年前に買った…ローンもある…。」
奥さんは泣きながら手でお腹をさすった。まだお腹は出ていない。
「この子の為にも、私は…戦わなきゃいけないのよ」
「あ…」
私、最低だ。この人のことを“レイプ犯の奥さん”って枠にハメて見ていた。違う…この人だって被害者なんだ。子供がいて家を買って人生これからって時に性欲馬鹿な男のせいで人生滅茶苦茶にされた被害者だ。
「真実なんてどうでも良い!夫が不起訴になれば何でも良いんですよ!」
「でも、そしたら被害者の方は…」
「もうこうなった以上どっちかが地獄に落ちるのは決まっているんです!私は子供のために絶対に落ちるわけにはいかないの!!」
「そんなことって…」
私は奥さんの涙につられて泣きそうになった。
「貴方からしたら私は悪人に見えるでしょう?それでも構わないわ!」
「でもカナエは…被害者は何一つ悪いことをしてないじゃないないですか?」
私は28歳とは思えない情けない声で奥さんに訴えた。
奥さんは少し考え苦虫を噛み潰したような顔をした。
「貴方も私の立場になったら分かるわ…。人間追い込まれたらね被害者のことなんてどうでも良くなるの。自分の平穏な暮らしを脅かすやつを徹底的に排除したくなるのよ。本能ね。これは。」
と言って再びお腹をさすった。
「本能…」
「そう…なにも同情できないし、むしろそのメスガキに対して憎しみすら沸くわ。私達の生活をどうしてくれるのって」
奥さんは涙を袖で拭き取り立ち上がった。財布から千円札を抜き出しテーブルに置いた。
「わたし…事件が起こるまでスクールカウンセラーの仕事をしてたのよ。生徒の不安や悩みを聞いてたの。…笑ってちょうだい」 奥さんは椅子に座る私を見下しながら言った。
「笑いませんよ…。貴方だってお辛いでしょ…」
「うふふ。ありがと…貴方のお陰で決断できそうよ」
「なんの…」
「また会いましょう」
そう言って奥さんは店を後にした。
私は少し泣いてから、冬馬が待つTOHOシネマに向かった。
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