第17話 起訴になる地獄、不起訴になる地獄①
「こういうのはね圧が大事なのよ!圧が!」
と谷村弁護士は鼻をぷくりとさせた。
この弁護士さんがいるとどこか自信が湧いてくる。
谷村弁護士との待ち合わせの弁護士会館には10分前に着いた。
暑い中、弁護士会館まで私はカナエと手を繋いで一緒に向かった。30℃を超える猛暑の中でもカナエはブルブルと震えていた。
今日、カナエは検事に改めて事件の話をしなきゃいけない。
カナエは被害に遭ってから何回事件の話をしているんだろう。警察、スクールカウンセラー、親、弁護士…少なくとも4回は自分がレイプされた話をしているのか。
霞ヶ関にある東京の弁護士会館は全面ガラスでできた綺麗なビルだった。会館と聞いていたから公民館みたいな湿気の多いボロボロの空間を想像していた。だけど行ってみるとクーラーがガンガンに効いている1流企業みたいな建物で驚いた。
クーラーのせいでカナエの震えは余計酷くなってしまった。
私は着ていたカーディガンをカナエに着せた。そして弁護士会館一階にあるニスが綺麗にかかった木のベンチに座り谷村弁護士を待った。
「ねぇ未来ちゃん…」
「ん?」
「怖いね」
「そうだね…」
「10年前の私はどう切り抜けたの?」
カナエは私が未来からタイムスリップしたと本当に信じているようだ。
だからこそ、こういう時が辛い。もういっそのこと本当のことを全て話したいくらいだ。
でも…それは今じゃない。これは私の問題。
「ジョイポリスが楽しみだなって切り抜けたよ」
私はカナエの目をまっすぐに見てそう言った。
「そう…」
とカナエは無理矢理口角を上げて笑った。
あぁ私のバカ。10も下の子に気を使わせてどうする。役立たず。そうやって自己嫌悪に陥っているところに陽気な声が聞こえた。
「あら〜!!タンクトップ最高ね!!」と谷村弁護士は満面の笑みでこちらに近づいてきた。声が大きかったのか、通りかかる人が皆、私のことを見る。こんな静粛な場所にタンクトップの夜職顔の女がいたら皆見るのは当然だ。
谷村弁護士の声を聞いて私とカナエは思わずベンチから立ち上がってしまった。本当に谷村弁護士はオーラがある。還暦を超えているとは思えない。赤髪だし。
「さぁカナエちゃん隣の建物の検察庁まで行くわよ」
「はい…」
カナエは下を俯いて谷村弁護士と目を合わせようとしなかった。そんなカナエに対しても谷村弁護士は優しい目をして見守った。
「それじゃ未来さん私たちは検察庁に行ってくるから10分くらいここで待ってて」
「え、そんなすぐ終わるんですか?」
「私は検事に圧をかけに行くだけだから」
「あ、圧?」
谷村弁護士は腕を組み鼻をぷくりとさせた。
「こういうのはね圧が大事なのよ!圧が!」と言って私の目の前に顔を寄せた。
「圧?」
「そう!検事に言うのよ『この事件は絶対に起訴ですよね…不起訴にしたら意見書書かせていただきますから!』って怖い顔で担当検事に言うのよ」
「な…なるほど。」
「まぁ検事1人の判断で起訴不起訴は決めていないから、直接的に関係あるかと言われれば微妙だけど、こういう行動が大事なのよね」
「そうですか…」
「よし!じゃあカナエちゃん行くよ!」
と言って谷村弁護士とカナエは弁護士会館を出て行った。トボトボと歩くカナエの後ろ姿がとても切なかった。
私は再びベンチに座り弁護士会館を出入りする人々たちを観察した。
男も女も皆、身なりがいい。スーツの人、私服の人バラバラだが清潔感がある。私の店に来る客とは大違いだ。
こういう天上人たちが、私みたいな底辺の人間に手を差し伸ばそうと頑張っているんだな。っていやいや無理なんだけど。あの人たちの手…綺麗すぎて触れないわ。私みたいなチンコばっか触っている手で触っちゃいけないよ。
そう考えると谷村弁護士は凄いな。圧倒的オーラの中に私みたいな底辺でも話しかけられる親近感がある。
本当に凄い人ってそういうことなのかな。テレビで見る明石家さんまさんとか鶴瓶さんもそうだ。プライベートでも分け隔てなくファンにサービスしたり、一緒に飲みに行ったりしている。本当に凄い人は人のことを対等に扱おうとするのかな。
そんなくだらないことを考えていると谷村弁護士が戻ってきた。
「はぁ…未来さんお待たせ!」と言って谷村弁護士は私の隣に座った。先生の額には汗の粒がいくつも浮かんでいた。
「お疲れ様です」と言って私はついさっき自販機で買ったソルティライチを谷村弁護士に渡した。
「ありがとう」と先生は言って、一気にソルティライチを飲み干した。凄い飲みっぷりだ。
「どうでした?」
「なーんか検事が弱気なのよね」
「弱気?」
「検事が起訴を渋る事情が何かありそうなのよ…」
「ど、どんな事情ですか?」
「まぁ…カナエちゃんにとって不利な状況になる証拠があるってことね」
「そ、そうなんですね…」
「まぁ検事1人が起訴不起訴を判断するわけじゃないんだけど」と言って谷村弁護士は立ち上がった。
「じゃあ未来さん…カナエちゃんを頼んだわよ。どんな様子だったか、何を言われて聞かれたのか、まとめてメールしてちょうだい」
「先生…どちらに行かれるんですか?」
「これから事務所戻って打ち合わせなのよ」
「お、お気をつけて」私は立ち上がって谷村弁護士を見送った。
凄いパワフル。鬼出勤してた時代の私並みに働いているんじゃないかこの先生。
谷村弁護士は颯爽と弁護士会館を後にした。
私は再びベンチに座りカナエを待った。ベンチの陰が少し傾いた頃、谷村弁護士から電話がかかってきた。打ち合わせがキャンセルになったから戻って来るとのことだった。
そして再び先生と合流しベンチでカナエを待った。もう2時間は経っているんじゃないか。先生は村上春樹の『羊をめぐる冒険•上』を読んでいる。
窓の外では小学生と思われる子供達が走り回っていた。もうそんな時間か。
子供達を見つめていると突然 「あなたどうして風俗に?」と先生はどこにも焦点を合わせずぼんやりと私に聞いた。
この質問は85%の確率で客からされる。
「弟の学費を稼ぐため」
「大学に通いたくて」
「親の介護が大変で」
「親の癌の治療費に」
大体この4つをローテーションにして客に答えているけど、今日はそんな気分がしなかった。
相手が谷村弁護士だからか私は正直に言ってしまった。
「自分の人生を生きるためですよ。」
とハイヒールで勢いよく階段を駆け上がる女性を目で追いながら私は答えた。
谷村弁護士はぼんやり合わせていた焦点を戻し私の方を見た。
「私、8歳の時に悟ったんです。私は知的障害の兄のために作られて産まれてきたんだなって」
(うん)と谷村弁護士は頷いた。
「10年耐えたんですよ。兄の世話に。母の期待に。まぁでも、18のある日…全部爆発して逃げ出しました。」
「そう…」
「中卒の若い女が莫大な金を稼ぐ方法って夜なんですよね。ガルバ、キャバ、クラブ、全部経験しましたよ。でも人と関わるの面倒くさくて結局風俗に落ち着きました。」
「そう…」
「今28歳…私はこの10年自分の為に金を稼いで自分の為に使っています。最高ですよ」と私は上を見上げ、高い弁護士会館の天井を見た。
「そんな貴方がどうして、カナエちゃんにこんな気をかけて…」と谷村弁護士は言いかけたところで立ち上がり入口の方に駆け寄った。
カナエだ。戻ってきた。
私も谷村弁護士に続いた。
目の前のカナエは最後に別れた時よりも顔は真っ青で目は充血していた。
谷村弁護士はそんなカナエに「頑張った」とカナエの肩を優しくポンポンと2回叩いた。
カナエはこの2回のポンポンがスイッチとなった。
目からは何粒も何粒も涙が溢れ、顔を真っ赤にして足からは力が抜け崩れ落ちた。
私はその光景に立ち尽くすことしかできなかった。
カナエは弁護士会館という場所を気にせず、泣き叫んだ。
「嫌だぁ!もう全部嫌だぁよぉ!」とカナエは5歳児のように泣き暴れた。
『君、先生と2人きりでドライブしてたよね?それはどうしてかな?』
『その時に先生から胸触られていたみたいだけど笑顔だった理由は何かな?』
『裁判になったら君には証言をしてもらうことになるけどさ、クラスメイトは大丈夫かな?』
カナエが検事からされた質問達。
谷村弁護士はこの質問を聞いて険しい顔をした。
相手に刑罰を求めた場合、自分が被害者だと世間やクラスメイトにバレてしまう。それに加えて事件の詳細やカナエのあるはずのない非をあれこれ責められてしまう。
一方で相手に刑罰を求めなかったら被害者とバレることはないが犯人はすぐに社会に戻ってしまう。
17歳のカナエには地獄すぎる2択が提示されてしまったと谷村弁護士は頭を抱えた。
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