第6話

 夏祭り会場へと辿り着く。普段は車が行き交う二車線の道路だが、今日は完全に封鎖されている。交差点の前では簡易的な柵とパトカー、その前に誘導棒を持つ警察官の姿もある。それだけを切り抜けば仰々しいのだが、周囲には浴衣姿の女性や甚平姿の男性が浮かれた雰囲気を出しながら、楽しそうに行き来しており、ぐるっとまとめて空気は弛緩している。心做しか警察官の顔付きも穏やかに思える。

 指を絡め……所謂恋人繋ぎをしている私たちはゆっくりではあるものの、会場へと進む。

 通行止めになった道路の真ん中を闊歩する。

 普段は歩けないところを歩く。なんというか新鮮さがある。


 「見えてきた、見えてきた。ほらっ!」


 さゆちゃんは空いている手で屋台を指差す。

 道路沿いにぐわーっと続いている。長くて、先が見えない。どこまで続いてるんだろう。やっぱり大きな祭りだけのことはある。


 「夏祭りだねぇ」

 「小学生並みのコメント……」

 「オタクの語彙力なんてこんなもんだよ」


 オタクは定期的に語彙力が著しく欠如する。そういう生き物。


 「たこ焼き、焼きそば、焼きとうもろこし!」


 あっちこっち指差して、大興奮。心の底から夏祭りを楽しんでいることが伝わってくる。スカした顔されるよりもよほど良い。楽しいって伝わってくると、自然とこちらも楽しくなってくる。楽しいという感情は伝播するものだから。


 「食べる?」

 「食べる!」

 「じゃあ食べよう。いっぱい食べよう」


 お金とか、太っちゃうとか、そういうの気にしないチートデーにしよう。アイドル的にはどうなんだろうと思うけど。今はアイドルの新垣紗優と夏祭りに来ているわけじゃない。一般人の新垣紗優と夏祭りに来ている。だから、アイドルが……とか気にしなくて良い。


 次から次へと屋台に並んで、たくさんの食べ物を買った。焼きそばに、たこ焼きに、焼きとうもろこしに、わたがしとりんご飴も。

 少し道から外れたところにある神社の石段に座り、買い漁った食べ物たちを消化していく。

 夏祭りのワクワク感とかはあまりない。半分以上の時間を食事に費やしているからしょうがないのかもしれないけど。でも一応これデートなんだよね? さゆちゃんはデートって言ってたし。こんなんで良いのかな。と、チラッと隣りに座るさゆちゃんを見る。彼女は心底幸せそうだった。焼きそばを食べているだけなのに、頬がゆるゆるである。まぁさゆちゃんが幸せそうならこれでも良いかという結論に達する。

 形式上は私がお願いしたみたいな感じだけど、実情はさゆちゃんが求めたものである。だから彼女が満足するならそれで良い。


 屋台であれこれ掻き集めてきた食べ物たちを無事消化する。


 また歩き始める。軽い運動もかねて。そしと金魚すくいとか射的とか、そういう縁日的なものを楽しむ。なにか特別なことがあるわけじゃない。そこだけを切り取れば、単なる夏祭りの日常。華麗な青春の一ページ。金魚すくいをして、すごい金魚すくえた! と喜んだり、射的で中々人形を撃ち落とせず苦笑し合ったりしているだけ。そう、ただ素直に真っ直ぐに夏祭りを楽しんでいる。


 そして、目的の時間がやってくる。


 ドンッという爆発音。それと同時に周囲の人はざわつく。それからみんな揃いも揃って空を見上げる。星が点々と輝く夜空。真っ黒な背景に鮮やかな花が咲き誇る。満開だ。

 花火。それは所詮、炎だ。

 だけど恍惚としてしまう。


 「綺麗……」


 と、思わず口にしてしまう。


 不思議だ。

 今まで見てきた花火にはこんな感情抱かなかった。ただ「花火だなぁ」という風情もなにもない感想しか抱かなかったのに、今日はなぜか「綺麗」という感想を持つ。会場の雰囲気に飲まれているからだろうか。理由としてゼロとは言えない。まぁ一つの要因ではあるだろう。でもそれ以上に明確な理由がある。

 私の隣にさゆちゃんがいる、ということだ。


 どれだけヤバくて、重くて、非常識でも、私の推しであることにかわりない。そんなことで推し変したり、他界したりするほど甘い気持ちでオタクしていない。例え男との目情が出たとしても、見放さないって決めてたから。いや、まぁそもそも私はガチ恋勢じゃないし。目情が出たところで「アイドルだって人間だし。恋もするよね」くらいの感覚で推し続けていたはず。だから、ストーキングをするような人間であったとしても、推しは推しだ。


 推しと打ち上げ花火を見ている。

 その事実は花火というものの価値を存分に上げてくれる。だから「綺麗」と思える。花火が特別なものになるから。


 一度離していた手をまた繋ぐ。彼女は無言で私の手をとった。

 私は拒まない。今日はできる限り、彼女が求めてきたことをしてあげようと思っているから。


 打ち上がった花火は一瞬の輝きを灯し、やがて消えていく。でも一瞬輝いたその時は注目される。目立ち、主役になれる。

 なんというか、アイドルみたいだなぁと思った。

 輝けるのは人生のほんの一瞬だけで、下火になれば消えていくのみ。


 さゆちゃんはどんな顔して花火見てるのかなってチラッと見る。

 なんか覚悟を決めているような、そんな表情をしていた。少なくとも花火を見ている表情とは思えない。どちらかというと緊張しているように見受けられた。うーむ。どういうこと? 実は花火が怖いとか? いや、でも赤ちゃんじゃあるまいし……。雷の音が怖いとかならまだわかるけど、花火の音が怖いとかは聞いたことがないし。ただじゃないとしたら他になにが考えられるのだろうか。少なくとも私にはわからない。


 「……」


 どうしたのって聞こうと思った。訊ねようと思った。でもやめた。

 深い理由はない。

 ただ今は聞かない方が良いかな、って思っただけ。要するに勘である。


 それに花火が上がる音、それに付随してあがる「おー」という歓声。正直声が通るとも思えなかった。




 花火はクライマックス移る。多分。

 打ち上げの間隔は長くなって、一つ一つの花火も大きくなっていく。ラスサビ前みたいな感じ。

 かと思えば際限なく花火は打ち上がる。ラスサビに入ったのかな。


 で、最後にドカンと一発。


 周りからは拍手が巻き起こる。

 え、花火の最後って拍手するもんなの? 知らなかったんだけど。とにかく周りにつられて私も拍手する。

 こうして、もう夏終盤の夏祭りは終わりを迎える。あと数日で九月だし、これはもはや秋祭りなのでは? とか思うけど、まぁまだ暑いしセーフ。


 さゆちゃんは私の肩をつんつんと突っつく。


 「どうした? もう帰る?」

 「凄いね、河合さん。風情もなにもないじゃん」


 呆れたような口調だった。しょうがないでしょ。オタクに風情なんてないの。


 「私、河合さんに伝えたいことがある」


 すごい真剣な眼差しを向けられる。ちょっと茶化すような雰囲気じゃない。だから冗談とか軽口は言わない。けど。


 「うん、聞かない」

 「あのね……って、えぇ」


 睨まれた。


 「聞いてよ」

 「ダメだよ。さゆちゃん。さゆちゃんは私にとって大事なアイドルで大切な推しだから。まだ輝いてるアイドルだから。そういうのはダメ」


 なにを言いたいのか、なにを伝えたいのか。なんとなく想像できてしまった。その一言を聞いてしまえば、きっと……というか絶対に私とさゆちゃんの関係性はおかしくなる。今、すごく絶妙に保たれているこのバランスは崩壊して、歪になる。そしていつか修復不可能になる。どういう形でかはわからないけど。

 それは嫌だ。オタクとしても、一人の私としても。


 「ダメ……だから、ね」


 絞り出すようにしてそう口にした。

 オタクとして、道を踏み外すわけにはいかない。

 今までを振り返ってみると、ストーキングされて、隣の部屋に引越しされて、勝手に家に上がられるようになって……あれ、そもそも既に手遅れなような気もするけど。

 ただそれ以上に、明確な言葉にするというのは問題があると思う。超えちゃいけないラインを超えるというか。私もさゆちゃんももう言い訳ができなくなっちゃうから。

 それに伝えられたとして、どう返答すれば良いのかもわからない。困る。だから、逃げた……というのもある。


 「……わかった」


 宥められた子供のようにしゅんとする。

 でも、きっと、未来を考えればこれが正解だったのだろうと思う。そう思いたい。

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