覚醒《アロウス》⑧:守りたかったもの
『――ほら』
それはある日の任務終わりのこと。
『……抜き打ち訓練か?』
リギルはヨハンナの差し出した箱を見て放った第一声がそれだった。
ヨハンナは無言でリギルの脇腹に拳を入れた。
『ぐっ……』
『馬鹿っ! プレゼントだよっ』
『ぷ、プレ……?』
『ほ、ほら……お前、今度小隊の副隊長に任命されるんだろ? だから、お祝いに』
照れながら告げるヨハンナは、普段の男勝りな態度とはかけ離れていた。
リギルは殴られた脇腹をさすりながら贈り物を受け取る。
『……開けても?』
ヨハンナは頬を赤く染めながらうなずいた。
リギルは包装紙を破いて箱を開く。中身は何の変哲もないダガ―ナイフ、柄には淡い水色の宝石――彼女の魔力の色で染められたマナクリスタルが埋め込まれていた。
『護身用のナイフか。君らしいと言えばらしい』
『柄の宝石は、その、お守りっみたいな物、だからっ……絶対に失くすなよ』
言い終えてからヨハンナは慌てたように付け加える。
『かっ勘違いしないでッ! それは別にあんたに気があるとかじゃ、なくてッ……その、生きてる同期も少なくなってきたしさ。お前には、死んでほしくないっていうか』
もじもじとしてしおらしいヨハンナを見てリギルは微笑んだ。
『ありがとう、ヨハンナ。大切にする』
リギルはナイフを懐にしまい込んだ。
まさかこれを使って贈り主を殺めることになるなど、この時は考えもしていなかった。
『それにしても、君にこんな乙女心が残っていたとは。本当に女だったのだね』
その後、リギルが診療所へ運ばれたのは言うまでもない。
――――
まだ『落胤』の思想と出会う以前の、純粋に騎士団の正義を信じることができていた時の出来事だ。
「ッ……!」
「これでもう君は二度とその体を再生することはできない。そしてもう君の命も長くはない」
テトラの手から砕かれた
生命活動に欠かせない重要な器官であり、破壊されれば命はない。
「ッ
リギルは次第に呼吸するだけでも苦しくなっていくのを感じながらも精一杯強がる。
移植された
だがそれでも闘志は絶やさない。
自分一人の命で団長を道連れにできれば十分にお釣りがくるというものだ。
「ッ死ぬなら貴女も道連れにするまでっ!」
残された力を振り絞りツタを操る。
四方八方、全方位からくまなく攻撃を仕掛けた。
「できないことを口にするのは止めておいた方がいい。滑稽なだけだ」
それに対してテトラは“魔杖”ウロボロスを振るう――こともなく、ただ自然に歩を進める。
まるで攻撃の当たらない場所が分かっているかのように、彼女にツタが一切当たることはない。
ツタはわざと彼女を避けているかのように振るわれ――
「ッ」
テトラがリギルの間合に入る。
彼は咄嗟に胸元へ手をやり、そこにあるはずのナイフが無いことに気づきはっとする。
常に携えていた、窮地には彼を助けてくれたお守り。
それを大切な人を殺めるために使い、手放してしまった。
「君の知っている情報を吐け。そうすれば最大限、命をつなぐ努力をしてやる」
「……ははっ……こんな、命――」
武器が無くとも、その代わりに手にした力がある。
リギルは義手のように生やした右腕の枝でテトラの胸を貫こうと突き出す。
「ッ!?」
「そうか、要らないのか」
渾身の攻撃は彼女の体をすり抜ける。
手ごたえはなく、ただ枝が彼女の体にめり込んでいるような格好だ。
「な、ぜ……?」
「少しは自分で考えるといい。全く使われないままでは君の脳みそが可哀想だ」
トン、とウロボロスの先端がリギルの胸に当たる。
「これが……魔法武器の力か」
その姿が魔人から人の姿へ戻り、ゆっくりと膝をつく。
右腕の枝は崩壊し、倒れた拍子に右肩を中心として体は砕け散った。
――――
戦いが終わり、ジンはいつものごとく診療所に運ばれ――ることはなかった。
「……っ」
魔力切れで意識を失っていたジンは見知らぬベッドで目を覚ます。
診察室のような真っ白な壁の部屋。
「どこだ……ここ」
「――目が覚めたか?」
これまた見知らぬ男性の声にジンは身構える。
医者のようだが清潔感は無く、無精ひげにぼさぼさの頭、辛うじて白衣は綺麗だがそれが逆効果なように見えてしまう。
「えっと……」
「俺は第一騎士団の副団長、ロイドだ。別にお前のことをどうにかするつもりはない。少なくとも俺はな」
医者のような男――ロイドはだるそうにため息をつきながら傍らの机に置いてあったカルテを手に取る。
「……まさか、俺をここに連れてきたのって」
「お前の想像通り、団長がお前を極秘裏に検査しろってな」
もう終わってるけどな、とロイドは続ける。
「――おや、目が覚めたようだね」
ジンは嫌な予感を全身で感じ取る。
テトラの作り物のような笑顔を見た瞬間、彼はこれから起きることがきっと良くないことであると直感した。
「ロイド、検査結果は」
「これから伝えるところだ」
「よろしい」
彼女は壁際に置かれていた椅子に腰かけ、ゆっくりと足を組んだ。
「結論から言うと――ジン、お前はもう人間じゃない」
「……は?」
ロイドの口から出た言葉にジンは思わず間抜けな声を出してしまう。
「正確に言うなら、お前の体は魔人と同じ状態ってこった」
「ッ待ってくれ……! 何の話なんだ? 俺の体が魔人と同じって」
「ロイド、彼は一般人だ。もう少し詳しく説明してやるといい」
テトラの言葉にロイドは大きなため息をついた。
「……どこから話せばいいか……そうだな、お前はマナクリスタルがどうやって生まれるか、知ってるよな」
「えっ……ああ。大昔の生物の体が、地中で圧縮されて、って奴?」
魔法結晶の原材料であるマナクリスタルは大昔の生物の化石のようなものである。
地中深くに堆積した生物の亡骸が長い時をかけて圧縮され、それが結晶化した物がマナクリスタルである。
調査によれば現在採掘可能なマナクリスタルの鉱山は氷山の一角で、地中深くには膨大なマナクリスタルが眠っている可能性を秘めているのだという。
「まあ大枠はその通り。要はマナクリスタルと生物の体は本質的に同じだって事だな」
「……それが俺の体とどう関係してるんだよ」
「マナクリスタルと同じ。ってことは人の体に魔法を刻むことも可能だ、ここまで言えばわかるか?」
マナクリスタルを加工し魔法の情報を書き込んだものが魔法結晶である。
高密度に集積し、純度を高めたクリスタルには膨大な量の情報を書き込む。魔法結晶のベースは加工が前提だが、もちろん原石の状態でも書き込むことは可能だ。
そしてマナクリスタルとなる前の状態の――生物の肉体に魔法を刻むことも理論上では可能だ。書き込み可能な量はマナクリスタルに遥か劣るが、決して不可能ではない。
「出来るのか……? そんなことが」
「可能だ。というか、魔人の技術の根底がそれだ。奴らの体には魔族の力を制御するための魔法が刻まれてる」
確かに、言われてみれば魔人がどのように人の姿から変身しているのかを考えたことはなかった。
成程、確かに魔法の力で変身していると言われれば納得だ。
「ッてことは、俺の体にも魔法が刻まれてる、ってことか」
「その通りだ。何か心当たりはあるか?」
ジンは記憶をたどり、原因を探る。
『――これを使えッ!』
パーシアスとの戦いの最中、アッシュから渡された魔法結晶。
思えば、初めて意味不明な騒音が聞こえ始めたのはあの時だ。
何百人もの会話を同時に頭に流し込まれたかのような不快感。
「……あのさ、俺の体に刻まれてる魔法って、もしかして
「君が子供を救うために使った魔法から察するに、それで間違いはないだろうね」
テトラの言葉でジンは納得してしまった。
きっと、アッシュから渡された魔法結晶が
パーシアスとの戦いの助けになればと、アッシュの親切心がきっかけなのだ。
「パーシアス団長と戦った時、魔法結晶をイフリートをしている方の手で受け止めた。多分その時に」
「つまりはイフリートの恩恵というわけだ」
「呪い、の間違いだろ」
嬉しそうなテトラと同情するようなロイド。
対極的な二人を見てジンの心はざわついてしまう。
「……正直、イフリートの全身を装備しなきゃ大丈夫だって思ってた。全部終われば、元に戻れるって」
ジンの役目はイフリートを回収し『落胤』との戦いが終わればそれまで。
そう考えていたが、どうやらそれは甘かったようだ。
「戻りたかったのか?」
テトラは不思議そうに首をかしげている。
確かにジンも騎士団員を目指していた時期はある。だが記者としての人生を歩み始めたのに梯子を外されるのは話が違う、というものだ。
「……どうだろう。わかんないや」
「そうか。ではそろそろ本題に入ろうか」
どうやら彼女にとってここまでの話は前置きでしかなかったようだ。
「ロイドの言った通り、君の体は魔人と同等となってしまった。我々騎士団は君を野放しにするわけにはいかなくなった」
「まあ……確かにそうだろうけど」
ジンの体には
それはつまり、魔法結晶なしに魔法を発動できる存在となったという事だ。
力を制御できるのなら問題はないが、イフリートの意志が介在する以上それは難しいだろう。
イフリートは魔人の存在を察知するや否や敵意をむき出しにして魔法を勝手に発動し攻撃を試みるはずだ。
「そこで私から一つ提案がある。君の自由を保障できる素晴らしい提案だ」
「……はあ」
テトラは屈託のない笑顔を浮かべているが、なぜだか嫌な予感しかしなかった。
「その、提案、ってのは」
「よろしい。ではついてきたまえ」
どうやらこの場で出来る提案ではないようだった。
ジンはテトラに連れられ診察室のような部屋を後にする。
去り際にロイドと目が合った。彼は「ご愁傷様」と言いたげな視線を送ってくるのだった。
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