覚醒《アロウス》②:禁忌魔法『灰燼機構』
パーシアスの裏切りからしばらく経ち、ジンの傷はすっかり癒えていた。
(あれから音沙汰なし、か……)
対応を協議中とは聞いていたが、それから何の連絡もない。
特法課はどうなるのか、奪われた禁忌魔法とイフリートの左足はどうなるのか、パーシアスの行方を追うのか。
(あれからミシェルさんも会いに来ないしな)
ジンがミシェルの過去に触れようとしたせいか、彼女からしばらく距離を置かれてしまっている。
彼女も対応に追われているのだろう。もとよりジンが首を突っ込むことに反対していた彼女だ、今回の一件でジンに責任がいかないように手を尽くしてくれているのかもしれない。
「――久しぶりに顔出したと思ったら、随分と暗い顔ね」
「そうか?」
ジンは久しぶりに編集部へ顔を出すと、偶然居合わせた同僚のルカと鉢合わせる。
例の投資家ゲイツの一件以来、顔を合わせるのは初めてだった。
「そっちこそ、随分と酷い顔だな。寝不足?」
「おかげさまでね。どっかの誰かさんのせいで大変なの」
成程、どうやら魔人――ひいては『落胤』の情報を追っているのだろう。
真実を求める人がいるなら、それがたとえ一人でも追い続ける。それが彼女の良いところであり、この件に関しては厄介な所だ。
「何か情報は掴めたの?」
「……ある。あるけど……ほぼほぼガセだろうし、あんたに話したくない。どうせ、聞くだけ聞いて何も教えてくれないんでしょ?」
「…………ちょっとした世間話のつもりだったんだけどな。まあいいや、元気そうで何より……ふぅっ」
ジンはろくに座られてない自席の椅子に腰かける。
妙に体が火照るため上着は脱いだが、それでも暑かったので手近な資料を団扇代わりにして仰ぐ。
「あんたもさ、随分と具合悪そうだけど……」
「色々あったから。体は元気なんだけど」
「いや……その顔色で元気はないでしょ」
ルカはジンの額に手を当てる。ヒンヤリとした手のひらが心地いい。
「あつっ……ねえ、診療所は行ったの? すごい熱じゃん」
「まあ、医者からは何の問題もないって言われたけど」
「きっとヤブね。別のところにした方がいいんじゃない?」
気分が落ち込んでいるのを除けば体調はすこぶるいい。
風邪を引いたとき特有の空元気ではない、食欲もあるし体に痛むところはない。
「心配性だな。少し疲れてるだけだよ」
しいて言えば妙に体が熱っぽいくらいだが、ジンは疲れが溜まっているせいだと考えた。
診療所で治療は受けたが疲れが完全に抜けきったわけではない――のだろう。
「こういうときは、風呂にでも入ればどうにかなるよ」
普段ならば「風邪は気のせい」と無茶をするルカが心配をしている、その意味をジンは気づけなかった。
それほどまでに彼の様子がおかしかったわけだが、自分の見た目は自分が一番わからないという事か。
公衆浴場へやってきたジンは手早く体を洗うと広々とした湯船につかる。
露天であるため外気が程よく火照る体を冷やしてくれる。
温かい湯につかり、何も考えずに瞑想する――
「――あつっ!?」
だがジンより先に入っていた客は湯の温度に耐えられなくなったのか大慌てで湯船を飛び出した。
それも一人二人ではなく、次々と湯船から飛び出しジンだけ取り残される。
(そんなに熱いか……?)
彼は湯船のお湯をすくって顔の前へ持っていく。
普段より湯気が出ている気がしなくもないが、つかっている分には丁度いい湯加減に思えた。
(でも、なんかのぼせそうだな)
頭のふらつきを感じたジンは湯船から出て大きく伸びをし、休憩用に備えられていたベンチに腰掛ける。
「――ふぅ」
同時に、サウナ室の扉が開く。
中からは灰色がかかった赤い髪の、悪人顔の男――アッシュが出てくる。普段のツンツンヘアーは汗で萎れていた。
「あ」
「……奇遇だな」
アッシュは軽く汗を流すとジンの隣に腰かける。
「サウナ、好きなの?」
「そうでもねぇさ。地元はサウナしかなくてな、むしろ湯につかるのが落ち着かねえ」
「どこ出身なの?」
「
ジンは頭の中の地図を引きずり出して場所を導き出す。
セプトリはフサルク国の北部に位置する都市だ。豪雪地帯で一年の大半が曇りか雪という過酷な土地だ。
「ああ、あの雪国の。そこから
「寮生活だよ。さすがに通える距離じゃねぇ」
卒業までの費用を合算すると、一般家庭が数年は働かずに暮らせるだけの金額であると言われている。
無論、門戸は誰にでも開かれている。権威の一切通用しない実力主義、能力のある者は家柄に問わず大歓迎だ。
しかしその費用の高さから入学できるのは一部の貴族の子息令嬢のみに限られてしまうのだ。
「お金持ちなんだな。
「……成績優秀者は学費免除、だ。俺の場合は寮費も免除だった」
「すごいな……そういや、歴代最高成績なんだっけ」
学費を始めとした諸費用の免除、返還不要な奨学金、研究の為であればどんな高価な資料であっても入手してくれる。
徹底した能力主義は能力ある者がその才を磨くことに協力を惜しまない。
「大した話じゃない……卒業研究で作った魔法が、たまたま禁忌魔法に認定される物だったってだけだ」
「…………えっ」
禁忌魔法はその大半が戦時中に作られている。
終戦の後、現国王がその危険性を考慮し封印した方がいいと選定した魔法――野放しにすれば再び災厄がもたらされ、世界が滅びかねない危険性を秘めていると判断した魔法なのだ。
とはいえ魔法の世界は日進月歩、研究の過程でより強力で危険な魔法が誕生することも珍しくない。
「まさか……『
「……察しがいいな」
アッシュは深くため息をつきながら肯定する。
成程、自分で作った魔法だからその名が魔法の名に残されているのだ。
「すげぇな……天才ってやつか」
「…………」
きっと才能があったのだろう。
そしてそれを生かすための環境に身を置くことができた。
「何に使うつもりで作ったんだ? あんな危険な魔法」
ジンに悪気はなかった。
禁忌魔法は危険な魔法、それが一般人の抱く感想だ。
「……お前には関係ないだろ」
だが何気ない言葉はアッシュを傷つけてしまったようだ。
彼は舌打ちしながら立ち上がり、ジンを睨み付けるようにして脱衣場へ向かっていく。
「……?」
ジンは不思議そうにその背中を見送るしかなかった。
――――
(何逆ギレしてんだ……クソッ)
風呂屋を後にしたアッシュは自分の態度を思い返して嫌悪感に襲われる。
ジンはアッシュの事情を知らない。一般論で考えて感想を言ったにすぎない。
(傍から見りゃ俺は無限に魔力を生み出せる魔法を作ったイカれ野郎だ……当然の感想だろ)
だが無知な感想は時に人を傷つける。
知らなかった、で許されるとも限らない。
『――素晴らしい魔法だ。これがあればエネルギーに革命が起きる』
無限の魔力――それはこの世界を根本から崩す可能性を秘めている。
インフラの大半を魔力に頼っているが、その供給は人からしか行えない。
魔力を蓄積させる技術はあるがそれを生み出すのは人間だ。
『――この魔法……成程、平和主義を終わらせることもできるな』
技術は必ずしも平和のために生かされるわけではない。
時に人を傷つける――戦争のために使われることもある。
むしろ戦争が技術を発展させると言っても過言ではない。
『――ふむ、実に惜しいな。この魔法はあまりに扱いが簡単すぎる』
誰にでも使える無限のエネルギー。
そんなものが流通すればどうなるだろうか?
人は必ずそれを持て余し、やがて身を滅ぼす結果となるはずだ。
「……そんなことのために作ったんじゃねぇんだよ……クソッ」
アッシュは忌々しそうに舌打ちし、気持ちを切り替える。
今は奪われた物を取り返すことに専念しなくてはならない。
(パーシアスはなぜ今、事を起こしたのか)
今回の襲撃は誰にも予想ができなかった。
第三騎士団の団長が虎視眈々と、守るべき王の首を狙っていたなど誰も想像できなかった。
隠し通せていたのだからより致命的なタイミングで反旗を翻すことも出来たのではないだろうか?
例えば、国王が王宮の外へ出る
その時に裏切れば確実に暗殺することができたはずだ。
(何か、きっかけがあるはずだ)
何かが起きたのならばそこには必ず原因がある。
火のない所に煙は立たない。煙が立っているという事は必ず火がそこにあるはずなのだ。
つまりパーシアスには何らかの計画がある。
それを実行する最適なタイミングがこの時だったのだろう。
アッシュは街を歩きながら思考を進めていると、いつもの道が通行止めになっていることに気づく。
「……ああ、そろそろか」
看板には建国記念日の式典準備のために通行止めを行っていると書かれていた。
今年は現国王が即位してから100周年という事もあり、盛大な式典を催すと聞いていた。
王宮前広場でスピーチを行い、その後主街区でのパレードが行われる。
この通行止めはその準備のための物だろう。
(まさか、これが奴の狙いか?)
国王が鉄壁の王宮の外に出る数少ない
どこの宿屋も予約一杯で、飲食店は臨時で人を雇って乗り切ろうとしている。
つまり『落胤』の構成員――魔人が潜んでいてもそれを探し当てるのは困難という事を意味する。
無論、パレードの護衛は騎士団の団長たち――裏切ったパーシアスを除く団長たちが総出で担当する。
だが大量の魔人相手ともなれば如何に団長と言えど守り切れる保証はない。
「チッ……だとしたら厄介だな」
アッシュは予想される被害を思い、思わず舌打ちした。
どうにかその前にパーシアスを発見せねばなるまい。
彼は決意を新たにするのだった。
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