裏切《リベリオン》②:あるかもしれない未来
「――――はぁっ……はぁっ……ふぅ」
文句は言いつつも根が真面目なジンは体力訓練をサボらずに受けていた。
「……いつまで走らされるんだ、俺は」
つかの間の休憩時間、ジンは隊舎の陰で水を飲みながらため息をつく。
基礎が重要なのは理解できるが、同じことをし続けるのはどうにも焦燥感を煽られてしまう。
こんなところで立ち止まっていていいのだろうか。
確かに15年――そろそろ16年になるが、それだけ立ち止まってはいた。
ようやく動き始めたと思ったら急停止、それがどうにももどかしい。
「ふぅ……ん?」
ジンは隣の隊舎の裏から煙が上っているのを発見する。
「ッ火事!?」
火の無いところに煙は立たない。
彼は大慌てで水を汲むと煙の発生源へ駆けていき――
「えっ?」
直前で女性がタバコをふかしているだけなことに気づくも、急に止まることはできなかった。
「…………」
桶一杯の水が女性に襲い掛かる。
見事火元――火のついたタバコは鎮火されたが、一服していた女性はびしょぬれになってしまった。
「……あっ……ごめんなさい」
「…………」
女性は虚ろな目で濡れたタバコを見つめると、それをポイ捨てして去っていく。
ジンはその後姿を見て首をかしげる。どこかで会ったことがあるような気がするが、どうにも記憶があやふやだ。
ろくに手入れされていないブロンドのショートヘア、死んだ魚のような生気のない瞳……
「あっ……」
「――あの方は第二騎士団の団長、アリエスさんなのです」
「ッッ!!」
思い出したと同時に声をかけられジンは飛び上がってしまう。
「そんなにびっくりしなくともよいではないですか……」
不意を突かれた猫のような驚き方をしたジンをみてミシェルはシュン、としてしまう。悲しそうに手元のクマの人形を見つめる。
「ごめん……ミシェルさんの気配全然感じなくて」
「……むぅ」
不本意だったのか、ミシェルは頬を膨らませて不貞腐れてしまう。
「それよりさ、あの人……俺が初めてイフリートを装着した時、止めてくれた人、だよね?」
「……ええ。あの時は“魔鎧”が目撃されたのでアリエスさんと共に派遣されていたのですよ」
本当にタッチの差だったようだ。
もしジンが魔法警察の聴取でゴネていなかったら、もし応対した捜査官がジンの言葉を信じていたら、ジンはイフリートと出会うことはなかったのかもしれない。
「そっか……あの人が。なんか、悪い事しちゃったかな」
「気に病むことは無いのです。あの方は全く気にしていないのですから」
ミシェルの言い草にジンは眉をひそめる。
「気にしてない、っても謝らないと」
「恐らく覚えてすらないのですよ。あの方は」
と、言いかけてミシェルは周囲を見回し誰もいない事を確認。
「……あまり大きな声では言えないのですが、あの方は心を喪っておられるのです」
「……それで、団長が務まってるの?」
第二騎士団の団長を務めているということは、数万人程度の団員を統率していると言うことである。
選定基準は戦闘能力と言われてはいるが、流石に心身が平常でない人間に務まる職ではない。
「……実質的な指揮権は副団長のガラハット氏が担っているそうなのです。あの方が団長の職に就いておられるのは“魔剣”イリスの適格者であるからなのですよ」
「魔法武器の……って事は俺もいずれ団長に」
「それだけはないので安心するのです」
ジンは誤魔化すように天を仰ぐ。
魔法武器が使えるだけで団長になれるわけではなかろうに、恐らく“魔剣”の使い手であることだけがアリエスが団長である理由では無いのだろう。
「……だよね。俺を簡単に投げ飛ばせるくらい強いから団長やれてるんだよね」
「ええ。それにイフリートは回収でき次第封印する、というのが上層部の考えなのです」
「そういえばそうだったよね……確かにそうだけど、全部見つけるアテはあるの?」
「……目下、捜索中なのですよ」
現在、特法課が確保しているイフリートの
恐らくイフリートは両手両足、胴体、兜、
それまでに『落胤』との戦いに決着が着くのだろうか?
全ての
そうなれば装着し戦うのはジンである。
右手と左足だけでも制御不能となるのに、全身を装備して果たして無事で済むのだろうか?
ジンは未だに包帯の取れない右腕をジッ、と見つめてしまう。
「ミシェルさん……俺がイフリートの全身を装備して戦う事って、あるのかな」
「大丈夫なのです。その時は、私が必ず止めるのです」
不安な気持ちを見透かされたか、ミシェルはジンを励ます。相変わらず視線はクマの人形の方を向いていたが、いくらか気持ちが軽くなる。
もしイフリートの全身を装備して戦うことになれば、自分もアリエスのように心を喪ってしまうかもしれない。
(こんなことでビビッてちゃ……真実にはたどり着けないよな)
ジンの目的は一つだ。
幼馴染のベルを攫った犯人の正体を突き止める。
あの日見た『耳の長い男』は絶滅したはずの魔族だったのか、それともその因子を組み込まれた人間だったのか。
「――ほう、こんなところで油を売っていたのか」
「うっ!」
ミシェルと話していたらかなり時間が経ってしまっていたようだった。
中々戻らないジンの事をパーシアスが探しにやってきたのだ。
「団長のワシ自ら訓練をしてやっているというのに、いい度胸であるな」
「いやいやいや! サボってたとか、そう言うワケじゃ」
「言い訳無用! 罰として――」
ミシェルの咎めるような視線を受けたパーシアスは途端に口ごもる。
「……ヘルゲイト捜査官殿も一緒だったとは。もしや、大事な情報共有の最中でしたかな?」
「ええ、その通りなのですよ。ですからジンさんは悪くないのです」
ペナルティを喰らわずに済みそうでジンはホッと胸をなでおろす。
だがミシェルの怪訝な視線は途切れない。
「……パーシアス団長。貴方は何か都合の悪い事でも」
「団長っ! 一大事です!!」
全て言い終わる直前、若い騎士団員が割り込んでくる。
「ロンか! 何かあったのか!?」
「それが……っ診療所で、リギルが……っ!」
若い騎士団員――ロンの口から出たのは、信じがたい話だった。
――――
診療所は騎士団の敷地外、事件が起きたとなれば自然と野次馬が集まってしまうものである。
「――ええいっ! 散った散った!」
パーシアスのよく通る声はやじ馬たちを動かし人垣に通り道ができる。
おかげでその後ろを通るジンとミシェルは困ることなく進むことができた。
「これはこれは……お待ちしておりました」
「げっ」
ジンは思わず声を出してしまう。
捜査担当していた魔法警察の捜査官はかつて、ジンの目撃証言を嘘だと決めつけ見当違いな妄想を滔々と語っていた捜査官、デンテだった。
彼は相変わらず芝居がかった口調とキメ顔でパーシアスを出迎えていた。
「私は――魔法警察本部捜査官……デンテ」
「御託は結構! 現場の状況は」
「……これは失敬。確かに、部下が殺しをしたと」
「ええいっ! 話にならん!」
「オフッ!?」
虫の居所の悪いパーシアスとデンテの相性は最悪だったようだ。
デンテは雑に払いのけられしりもちをついた。
「くっ……僕が何を――っと! ここは関係者以外、立ち入り禁止……お嬢さん、やじ馬が過ぎるんじゃないかい?」
しかし彼はこの程度でくじけるようなメンタルではなかった。
すぐさま立ち上がり決め顔を作ると、パーシアスの後を続こうとしていたミシェルを止めようと立ちふさがる。
「……特殊魔法犯罪捜査課のミシェル・ヘルゲイトなのです。私も関係者なのですよ」
「特殊……はっはっはっ! 大人を揶揄っちゃぁいけないよ。魔法警察に、そんな部署は――存在しないのだから」
どうやら特法課の存在は末端の捜査官には周知されていない部署の様だ。
もしかするとこのデンテがポンコツで知らないだけかもしれないが、それは定かではない。
子ども扱いされたミシェルは不満そうに頬を膨らませ、クマの人形の背中から
「私は子供ではないのですよッ! それにこの
「ふむふむ……確かに? よくできてはいるが……」
魔法警察の
デンテはミシェルの
マナクリスタルは無色透明の鉱物である。
しかし魔力を受けるとその質に応じて変色する特性がある。
ミシェルの魔力は『オレンジがかった赤茶色』であり、エンブレムに埋め込まれたクリスタルも同じ色だった。
「はぁ……よくもまあこんな精巧な
だがそれを見てもなおデンテは特法課の存在を認めたくないようだった。
ジンは助け舟を出そうと思ったが、顔が知られている以上はあまり助けになれないかもしれない。
「――
代わりにミシェルを救ったのは悪人顔の捜査官、アッシュだった。
長身な彼はデンテからミシェルの
「この事件はアンタら捜査一課じゃなく特殊魔法犯罪捜査課が担当する。わかったらさっさとそこをどけ」
「また特殊……何だね? そうやって魔法警察をかたブッ!?」
短気なアッシュはデンテが言い終わるのを待たず、彼を殴り飛ばしていた。
ジンはご愁傷様、と内心で黙祷した。
「……ったく。なんでお前らがここに居るんだ?」
「ああ。たまたま団長さんと一緒に居てさ、ついてきた」
「そうか。共有の手間が省けて助かるが」
アッシュはミシェルに
ジンとミシェルもその後を続く。
「――!」
一人部屋のようで、ベッドは病室の中心に配置されている。
カーテンは開かれていたが窓は閉ざされたまま。日当たりのいい場所に配置されたサイドテーブルには花瓶が飾られている。
犯行はベッドの上で行われたようで、清潔な白いシーツが赤黒い血で染まっていた。
「……団長さん、殺されたのって」
「うむ……彼女はヨハンナ。リギルの同期で、一番仲の良かった団員である」
一足先にたどり着いていたパーシアスは沈痛な面持ちで亡骸を見つめていた。
赤毛の女性――ヨハンナの胸元には深くナイフが突き立てられている。
そして彼女の瞳から涙のこぼれた跡があった。
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