裏切《リベリオン》

裏切《リベリオン》①:イフリートの装着者

 投資家ゲイツが起こした騒動から2か月の時が経とうとしていた。


「――はぁっ……はぁっ……おえっ」


 ジンの傷はすっかり癒え、記者としての仕事を再開……することはなかった。


「何を休んでいるのだ。あともう一周!」

「……ちょっ……まっ」


 パーシアスの無慈悲な宣告を受けジンは再び走り出す。

 ジンの――イフリートの処遇について上層部は大いに揉めたのだが、最終的に『訓練を受けさせて戦えるようにしろ』という結論に落ち着いた。

 ただしそれは戦闘要員としてではなくあくまでイフリートの回収役、という位置づけである。

 現状、特法課が確保しているイフリートの部位パーツは『右腕』と『左足』である。つまり残りは未だ行方知れずだ。

 どこかの物好きな蒐集家コレクターがこっそりと所有しているかもしれない。どこかの犯罪組織が極秘裏に確保しているかもしれない。

 確かにイフリートは適性の無い者を拒み、あったとしても暴走する。

 秩序を守る者として暴走は避けなければいけないが、そうでない者達にとっては関係の無い話。

 鉄砲玉に装備させて暴れさせるだけでも十分な戦果が得られる。


「……ぜぇ……はぁっ……も、もう勘弁してくれ……!」

「むぅ……情けない」


 追加の走り込みを終えて崩れ落ちたジンを見てパーシアスは深いため息をつく。


「ほれ、まずは水を飲むのだ」

「あっ……ど、ども」


 パーシアスから渡された水筒を受け取るとジンはそれを一息で飲み干す。

 滝のような汗をかいていたジンにとって何よりもうれしい『命の水』だ。


「――ぷはっ……よかった……てっきり、水とか、飲ませてもらえないのかと」

「なぁにを寝ぼけたことを言っているのだ。よいか? 人の体は『城』と同じなのだ。適切に物資を送らねばたちまち崩壊する」


 例え方が少し独特だったが、確かにその通りだとジンは納得した。

 兵糧攻めが有効なことは歴史が証明している。

 食料を断ち、水を断つ、どれだけ堅牢な城塞であったとしても物資が無ければ何もできない。


「……人は城、か……俺に比べりゃぁ団長さんは王宮みたいなモンか」

「褒めたって訓練量は減らさんぞ?」

「わかってますって……そういや、一つ気になってたんだけど」


 雑談の流れを途切れさせまいとジンは話題を作り出す。


「この間はどうやって魔人の攻撃を防いだんだ? 俺にはなんも見えなかったけど」

「それは……このあふれんばかりの筋肉で探知を」


 静寂が訪れる。

 パーシアス渾身のジョークはジンにはウケなかった。


「……あ~うん。貴殿にもわかりやすい説明をするとだな」


 誤魔化すように咳払いすると、彼は腕を組み仁王立ちする。


「さあジン殿、ワシを転ばせてみせよ!」

「えっ? 突然何を」

「一歩でも動かせたら今日の訓練はここまでとするが」

「やる。動いてからやっぱナシはやめてくれよ?」


 基礎訓練に嫌気がさしていたジンは絶対に転ばせてやろうと意気込みパーシアスを観察する。

 鍛え上げられた肉体、自信に満ちた表情。

 タックルしたところではじき返されるのは目に見えている。


(強いったって人間だ。付け入る隙はあるはず――)


 力押しが無理なら技量テクニックで解決だ。

 ジンは柔術で転ばせようとパーシアスの襟と腕を取ろうとし――


「ふんっ!」

「うっ……」


 軽くあしらわれてしまった。


「無論、無抵抗でやらせはせんぞ」

「……それを先に言ってくれよ」


 だったら動かざるを得ないような状況にしてしまえばいい。

 と意気込み飛び掛かるもすぐさま防がれてしまう。

 脛を蹴って飛び退かせようとしたが、すぐさま体勢を落とされ防がれ。

 股間を蹴り上げてやろうとしたがすぐさま両手でブロック。


「…………クソッ」

「ワハハ! そう簡単に動かされんわい」


 走り見込みで体力を消耗していたジンはすぐさま降参した。


「目的の無い人間の選択肢は膨大である。だが一度目的を持てば自ずと選択肢は狭まっていく――今、貴殿はワシを転ばせるという『目的』を持っていた。後はどんな選択肢があるのかを推察し、対策を考えればよいのだ」

「……じゃあその選択肢はどうやって推察するのさ」

「そこは……ワシの第六感よ」


 結局はそうなるのか、とジンは脱力してしまった。

 長年の戦闘経験から相手の行動を予測し、的確に防御する。

 言われてみればそうなのかもしれないが、団長にまで上り詰めた男が何よりも基本に忠実なのは意外だった。


「『防御こそ最大の攻撃』――これがワシの信条だ。守りは敵の選択肢を奪う。どこから切り崩せばいいのか、付け入る隙は無いか、それを必死で考え思考を狭める。そして隙を見せればこれ幸いに飛びつく。守り手は労せずして敵を攻撃することもできるのだ」

「……いい性格してるな」

「皮肉か? だが誉め言葉と受け取っておこう!」


 パーシアスはニカッ、と笑う。


「さあおしゃべりはここまで! ほれ、早く走らんか!」

「……くそっ」


 残念ながらジンの目論見はバレていた。

 いつかこの男を見返してやる――ジンはそう思いながら走り込みを再開した。






――――


 傷口が妙に疼いている。

 リギルは診療所のベッドの上で失った右腕の痛みを感じていた。

 もう存在しないはずの右腕。


「――調子はどうだ?」

「……ふっ。絶不調だよ、君の声が聞こえた瞬間から」


 リギルは見舞客を見た瞬間、表情が柔らかくなる。

 同期の女性団員、ヨハンナ。彼女はリギルの嫌味を呆れた顔で受け流す。


「それは良かった。調子が良かったら女の尻追いかけるだろうしな」


 彼女は手に持った花束で軽くリギルの顔をはたく。


「悪いね……僕みたいないい男、女の子の方が放っておかない」

「……あっそ」


 リギルはこれからやろうとしている事を思い、心に鋭い痛みが走る。

 ヨハンナはしなびた花束を花瓶から雑に引き抜き持ってきた花束を適当に差し込んでいる。ガサツで乱暴、彼女に惚れるのは恐らく相当な物好きだろう。


「……例の、装着者の彼はどんな様子だい?」

「ん? ……ああ、あの子ね。素人にしちゃ、動ける方だと思うけどね。団長にしごかれてる」


 第三騎士団に入団した者達は例外なくパーシアスによって基礎体力を鍛え上げられる。他の騎士団で戦闘訓練が始まる時期でも体力訓練が続く。

 リギルはイフリートの装着者――ジンがしごかれている様を思い描き苦笑してしまう。


「……僕に適性さえあれば……コフッ……彼も大変な目に遭わなかったというのに」

「どうだろうね。結構根性あるっぽいよ、彼。嫌々やってるってこともなさそうだよ」


 彼は心に靄が広がるのを感じる。

 選ばれるべくして選ばれたというべきか、志の大きさは負けないつもりだった。それなのにこの差は何なのだろうか?

 なぜイフリートはジンを選んだのだろうか?


(……いいや。僕は選ばれなくて当然)


 息を吸うだけで激痛が走る。

 体を起こせば右の肩を中心とした鈍い痛み。

 いっそのこと死んだ方がマシだったかもしれない。


「……なあ、ヨハンナ」

「ん、どうした?」


 リギルは歯を食いしばりながらベッドから足を下ろし、息を整えながら立ち上がる。


「――ッ!」

「おい無茶するな……っ!」


 立ち上がろうとするもふらついてしまったリギルをヨハンナが支える。


(……ああ。ここでやらねば、ならない)


 彼は支えてもらいながらベッドに腰かけ――


「きゃっ!」


 そのままヨハンナの胸倉を掴んで引き寄せる。

 密着したことで彼女のやわらかな匂いが伝わってくる。リギルは力を振り絞り位置を入れかえ、ヨハンナをベッドに押し倒す形にした。


「ちょっ……何するんだっ」

「……こうするしかないんだ……これが、僕にできる唯一の……!」


 リギルは肌身離さず装備していたナイフを引き抜き振り上げる。

 ナイフの柄に埋め込まれた宝石が陽の光を受けて煌めく。


「っいい加減にしろ……! 一体、何の――!」


 体格で勝っているリギルだったが、左腕しか使えない。そして相手は女性とはいえ現役の騎士団員だ。

 マウントポジションを取っていても力で押し勝つことは容易ではない。


「許してくれ……! 僕は選ばれなかった……っ! だから、こうするしか方法は無いんだッ!」

「おまっ……何、言って……」


 拮抗していた力が徐々に崩れ始める。

 じり、じり、と切っ先がヨハンナの胸元に迫っていく。


「こうするしか……っ!」

「――――ッ!」


 切っ先が胸を貫き、鮮血が噴き出した。

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