試練《チョイス》④:二者択一

「……まさか」


 ジンは吸い寄せられるようにガラスケースへ手を触れる。

 内側にあるのは――


「――それは“魔鎧”『イフリート』の左足です」

「ッ!?」


 ガラスに映る瞳を見てジンは思わず飛び上がる。

 屋敷の主であるゲイツは非常に目力のある人物で、見つめられただけで委縮してしまった。


「……まあ、贋作かもしれないですが」


 ジンは愛想笑いしながらそろりそろりとソファへ腰を下ろす。

 既に着席していたルカは呆れたようにため息をついた。


「びっくりしたでしょう? 申し訳ない。私の趣味で……ああいう『勝負を勝ち抜いた』物に惹かれてしまうのです」


 対面に座ったゲイツは朗らかに微笑む。

 力強い目力の対極で、優しい笑顔だった。


「この屋敷も数多の勝負を勝ち抜いた。建てられたのは終戦より以前のことで、戦うための設備が多いのです。防御壁シールドだったり、脱出用の隠し通路だったり」


 夢中になって語っていたゲイツだったが、はっと我に返ると小さく咳払い。


「挨拶が遅れました。私が主のゲイツです」

「エニタイムジャーナルのルカです。本日はよろしくお願いします」

「同じく、ジンです」


 結果的に丁度良いアイスブレイクとなり、取材はつつがなく進む。

 ゲイツは時にジョークを交えながら質問に答え、時にジンたちから新たな質問を引き出した。

 知性に富んだ受け答えは、彼が運だけで成り上がったのではないことをうかがわせる。


(……天は二物を、か)


 ジンはゲイツの指の付け根に目が行ってしまう。

 左指の付け根、そこに不自然な日焼け跡――恐らく指輪をしていたのだろう。仕事か家族か、彼は前者を選んだという事か。


「――コフッ」


 唐突にゲイツはせき込む。

 ハンカチで口を押え、体の底から何かを引きずり出すかのような咳をする。


「あ、あの……大丈夫ですか?」

「ええ……気にし――ゴホゴホッ!」


 ゆっくりと息を整え、彼はゆっくりと口元を拭う。

 わずかに鉄の――血の臭いが漂う。

 それは喀血している証だった。


「……実は、肺の病でして。手は尽くしているんですが」

「所謂、不治の病……?」

「……現代の医学では延命が精一杯、と」


 人生は上手くいくことばかりではないのだ、とジンは妙に納得してしまった。

 どん底から這い上がった代償が病とはやるせない。

 ルカは今の言葉をメモするか迷い、ペンの先が宙を泳ぐ。


「ですが、可能性はあります」


 ゲイツは暗い気持ちを吹き飛ばすように笑う。

 だがそれはどこか気味の悪さを感じさせた。

 何かよからぬことを企んでいるかのような、腹に一物を抱えている者の笑みだ。


「私の病を治す方法がこの世に無いのなら、これから作ればよい。私は今、医療関係の投資に力を入れているんですよ」


 ――“戦え”


 イフリートの声が響く。

 ガラスケースの奥にあるイフリートの左足と目が合ったように錯覚する。今すぐ自分を装着しろと、そう告げてきているように感じた。


「特に――絶滅した魔族を肉体に取り込む。その研究には可能性を感じているんです」

「……それって」


『――彼らは「落胤」と名乗り、現状に不満を抱く若者たちを取り込み成長しているのですよ』


 組織の運営にはそれなりの金がかかる。

 特に人を攫って魔族の因子を組み込む実験をするとなれば拠点と設備は必要不可欠だろう。

 そして絶滅した魔族の因子――恐らくは化石や標本を使っているのだろう。生きている魔族がいないのならばそれを使うしかないはずだ。それを手に入れるのに莫大な金がかかることだろう。

 ではその資金を彼らはどこから調達しているのだろうか?


「今日あなた方をお呼びしたのは他でもない――デモンストレーションをするためです」


 ジンはルカの手を取り逃げようと足に力を籠める。

 だがゲイツの妖しい眼光を受けた瞬間、固まってしまう。

 蛇に睨まれた蛙、全身が強張って動かない。


「ぜひ、記事にしていってください――生きて帰ることができたならば!」


 ゲイツの目が光り輝く。

 鋭い眼光も相まって光線でも放つのではないかと感じてしまった。

 全身の筋肉が膨れ上がり、シャツを内側からビリビリに引き裂いてしまう。

 口角が吊り上がり牙が生える。


「……なに、これ」


 ルカは目の前で何が起きているのか理解できず呆然としている。

 魔人の変身見るのが2度目のジンでも度肝を抜かれていた。


「ルカ、逃げ――」


 ジンは胸倉を掴まれ言葉を詰まらせる。

 決して軽くないジンの体がいとも簡単に持ち上げられ――そのまま横なぎに投げ飛ばされた。

 応接室の壁に叩きつけられ、飾られていた高そうな壺が砕けて粉々になる。


「いっ……てて……」

「ジン――ッ!?」

「素晴らしいっ!」


 邪魔なローテーブルを掴み、ゲイツはそれを乱雑に投げ飛ばす。

 ルカは顔面を蒼白にしながらも、どうにかもがいてソファから滑り降りることに成功した。次の瞬間、ソファは蹴り飛ばされ粉々になった。


「素晴らしい……これが魔族――ヴァンパイアの力」


 その種族は人と何ら変わりのない姿をしていたと言われている。

 陽の光を嫌い、夜の闇を好んだ。

 肉体の強度は魔族の中でもトップクラス。純粋な体力勝負なら獣人ライカンをも凌ぐと言われていた。

 魔族、ヴァンパイア。

 かつては『闇夜の帝王』と呼ばれた種族である。


「ハハハハハッ! 体が軽いッ! 私はこの身を蝕む病魔に打ち勝ったのだッ!」


 魔人としての力を解放したのは初めてなのだろう。

 人を超える力に酔いしれ悦に浸っていた。

 このままでは嬲り殺しにされる――ジンはどうにか隙を突いて逃げ出そうと割れた壺の破片を手に取る。

 先端は尖っていて、ちょっとしたナイフのような形状だ。


「だが……どうにも喉が渇く……そう。さっきから気になって仕方がない……

「~~~~ッ!」


 ルカは声にならない悲鳴を上げた。

 この男は明らかに自分をとして狙っている。

 だが逃げないといけないのに、腰が抜けて立つこともままならない。


「これがヴァンパイアの本能なのだろうか。どれ、少し味見を」

「――うおぉぉぉっ!」


 ジンは雄叫びを上げながら壺の欠片をゲイツの腕に突き刺す。

 鋭い陶器の破片は柔らかい皮膚を突き破る――はずだった。


「うっ……!」


 その皮膚は見た目以上に分厚いようで、尖った先端はひっかき傷しか残せなかった。

 ゲイツは小馬鹿にしたように指を振ってみせる。


「ヴァンパイアは強靭な皮膚を持っていたそうだ。こんな有り合わせの武器じゃあ――」


 そしてジンから壺の欠片を奪い取ると――勢いよく握りつぶす。


「だがそのガッツは評価しよう。二者択一、誰しも勝負に出ないときはあるのだ」


 力に酔いしれゲイツは油断している。

 もしジンが今、イフリートを装着していればその隙に殴り飛ばして斃せていたかもしれない。


『――これでは案山子ではないか』


 ああ。パーシアスの言葉は間違っていなかった。

 魔法武器が無ければ戦えない、敵を追い払う事すらできない。

 唯一、可能性があるとすれば――ガラスケースに飾られたイフリートの左足。

 もしあれが本物であれば――十中八九本物だが、それを装着して戦うことができる。ただし、圧倒的な身体能力を持つゲイツの隙を突ければ、だが。


「……っ!」


 恐怖で震えるルカを囮にすれば、時間は稼げるかもしれない。

 当然、ジンにその選択肢は無い。


「さて、君は勝負に負けた。ならば――」

「――来いッ! “魔鎧”イフリート!!」


 ゲイツは思わず後ろを振り向いた。

 まさか部屋に飾っていた武具が逆転の糸口になるとは思ってもいなかった。


「……おっと。これはしてやられた」


 何も起きず、しばらくしてゲイツはそれがジンのハッタリであったことに気づく。

 イフリートに気を取られている隙にジンはルカを連れて逃げ出していた。


 「丁度いい。もう少し力を試してみたかったんだ」


 ゲイツは楽しそうに笑いながら、ビリビリに破けたシャツの中から通信機を探り当て、屋敷の使用人に対して指示を出すのだった。






――――


「お前……なんて、無茶を」

「たまには雑も役に立つだろ」


 命からがら逃げだしたはいいが、屋敷の構造は全く頭に入っていない。来た道を引き返せばよいが、妙に複雑だったせいで思い出せない。

 どこをどう行けば外へ出れるのか。

 地の利は完全に向こうにあると言っていい。


「……私を、置いてって」

「なんで?」


 ジンはルカに肩を貸し引きずるように逃げている。

 彼女はすっかり腰が抜けてしまい、歩くことすらままならないようだった。


「……足手まといがいたら、逃げられないでしょ」

「何を言うかと思えば……そんなのお断りだよ」


 いまだにゲイツが追ってきている気配はない。

 魔人の力を使えばすぐさま後を追いかけ、捕まえることは容易だろう。つまり泳がされているのだ。

 逃げられるかもしれない、そんな希望を持たせ抗わせようとしているのだろう。


「…………ダメだ……お前は、逃げないと……アイツは、私が引きつけるから」

「何だよ……らしくない」

「ここで一緒に死んだら、誰がこのことを伝えるんだッ!」


 ルカに突き飛ばされジンはバランスを崩して転んでしまう。


「……私は逃げれそうにない。だから……お前が」

「悪いな」


 ジンはめげずにルカの肩を取る。

 何度突き飛ばされようと意志を曲げるつもりなどない。


「こちとら、死ぬほどでっけえ後悔抱えて生きてるんだ。これ以上、後悔は増やしたくはないんだよっ!」


 相手が油断しているなら好都合だ。

 可能な限り出口に近づけば可能性が見えてくる。ルカだってずっと怯えたままの性質ではないのだ。


「それに、あんなデタラメな力を持ってる奴相手に時間なんて稼げっこない。だったら一緒に逃げた方がいくらかマシだろ」

「……私は見捨てるから」


 恐怖が少し紛れたのか、ルカは顔を赤くしながら自分の足で地面を踏みしめられるようになる。


「二つ目の角を右に曲がって。その後は突き当りを左」

「……さっすがルカ」

「アンタが雑なだけ、よ!」


 ルカが来た道を覚えていてくれたおかげで出口には出られそうだ。

 だがそう簡単に脱出させてくれるつもりは無いようだ。


「……なんだ、この音」


 ジンは歯車の動くような、機械の駆動音を感じ周囲を見回す。

 この屋敷は貴族の別邸を買い取った物だと聞いていた。そしてかつての戦争の名残か、そういった屋敷には大体ついている物がある。


「まさか――防御壁シールド?」


 緊急時に屋敷を守るための防御壁シールドを展開する機構である。

 窓や出入り口を鎧戸で覆い、屋敷全体を防御結界で包み攻撃を防ぐことができる。

 もちろん鉄壁というほどではないが、敵が防御を破ろうと躍起になっている隙に屋敷の人間は隠し通路などを通って逃げるのだ。

 当然ながら、防御壁シールドの操作権は屋敷の人間に――ゲイツにある。


「急ごうっ!」


 攻撃も受けてないのに防御壁シールドを作動させるという事は、ジンとルカを閉じ込めることが目的という事だろう。

 走ったところで間に合うかわからない。

 二人を弄ぶための策かもしれない。

 それでもジンはルカの手を取って走る。


「っ見えた」


 玄関ホールまでたどり着く。

 内開きのドアは徐々に締まりつつあった。


「――ここまでたどり着けるとは思ってもいなかったよ」

「ッ!」


 案の定、あと少しで逃げれるというタイミングでゲイツが姿を現した。


「逃げられるか、それとも私の手にかかるか。二者択一ヘッヅ・オア・テイルズ――ここからが本当の勝負だよ」

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