遭遇《エンカウンター》②: 特殊魔法犯罪捜査課

 ――落ちる。

 ――――落ちる。


「な――っん!?」


 口を開けばたちまち空気に負けて声を発することすらままならない。

 体をよじろうとしても突風にあおられて上手く動かない。


(まさか――これが失踪事件の!?)


 消えてしまった女性も自分のように、大空へ飛ばされてしまったのだろうか?

 そして不自然な転落事故として、どこかの街の事件として処理されたのだろうか?


(くそっ! タダで死んでやるかッ!)


 ジンはどうにかメッセンジャーバッグに手を突っ込み、手帳とペンを取り出す。

 今の仮説をせめて書き留めておこう。

 もし自分が転落死したとしても、これを見た誰かが真相にたどり着いてくれるかもしれない。

 どうにかこうにかページを開き、ペンの先を当てた瞬間だった。


「――――もがっ!?」


 突如として周囲が海へ変化する。

 浮遊感が消滅し、鼻と口から海水を飲み込んでしまう。


(なっ――んだ!?)


 海に落下したのではない。

 空から落ちていると思ったら海の中に居た。状況を理解するより先に苦しさに支配される。

 誤って飲み込んでしまった海水のせいで喉が苦しく、せき込んだせいで肺に残されていた空気は殆ど吐き出してしまった。

 全身を押しつぶすような水圧は意識を奪いにかかる。


「…………」


 ジンの手からペンが滑り落ちる。

 もがくことすらできず、ゆっくりと海の底へ引きずり込まれ――


 ――閃光に包まれた。


「――――ぐはッ!?」


 新鮮な空気が肺に流れ込み意識が覚醒する。

 土の臭い、心地よく肌を撫でる風。

 ジンは自分が雑木林の中――最後に居た場所からそう遠くない場所に倒れ込んでいることに気づく。


「――クソッ! 俺の結界ドメインを……!」


 そして近くには背中から翅の生えた男――妖精フェアリーの特徴を持つ男がうずくまっているのが見える。

 胸元からは紫がかった赤の血液が流れ出ている。何者かの攻撃を受けたようだった。


「――お怪我はありませんか?」


 振り返れば、そこには可愛らしい少女が佇んでいた。

 ブロンドの髪に右目には眼帯、フリルがふんだんにあしらわれたクラシカルなワンピースは左腕で抱えるクマの人形も相まって幼さを感じさせる。


「……あ、ああ。大丈夫」


 少女のすみれ色の左目に見据えられ思わずジンは体を竦めてしまう。

 空からの落下しかけ、海に沈められて溺死しかけ、終いに妖精男と謎の少女――彼の脳は爆発寸前だった。


「それはよかったのです。さて――」


 彼女はクマの人形に語り掛けつつ、ちら、とうずくまる妖精男に視線を向けた。


「これが貴方の手口なのですね。自らの結界ドメインに対象を引きずり込み、誘拐する」

「……お前、何者だ?」


 妖精男は傷口を押さえながら少女を睨み付ける。


「私は魔法警察特殊魔法犯罪捜査課、ミシェル・ヘルゲイトなのです」


 少女――ミシェルはクマの人形の背中に手を突っ込むと、中から魔法警察の身分証エンブレムを取り出す。

 服装も相まっておもちゃなのではないかと疑いたくなったが、どうやら身分証エンブレム自体は本物の様だった。


「特殊……そうか! お前らが」


 妖精男は顔を顰めながら血反吐を吐きだす。


(特殊魔法犯罪……? 聞いたことないぞ)


 ジンはようやく状況に頭が追いついてきて、ミシェルと妖精男のやり取りを見て疑問符が浮かぶ。

 絶滅したはずの魔族、初めて聞く魔法警察の部署。

 もしかすると、今自分は世界の裏側を覗き込んでいるのかもしれない。

 この光景を書き止めようとメッセンジャーバッグに手を入れるも、愛用のメモ帳とペンが無くなっていた。

 それはあの奇妙な体験が決して夢ではなかったことを物語っている。


「貴方には聞かねばならないことがたくさんあるのです。大人しく投降するのですよ」

「一回俺の結界ドメインを破った程度でいい気になるなよ!」


 妖精男は掌をミシェルに向ける。

 そこから高圧の水流が放たれた。それはさながら光線のようであった。


「往生際が悪いのですね」


 ミシェルはそれをひらりと躱しつつ、クマの人形の背中から杖を取り出した。


「……やっべ」


 戦闘の始まりを予感したジンは大慌てで近くの木の裏に身を潜める。

 撮影機カメラを持ってくるんだったと後悔しつつ、二人の戦闘を窺う。

 妖精男は両の掌から高圧の水流を放ち、ミシェルはそれを躱す。


(なんか……押されてる、のか?)


 ミシェルは攻撃を躱すので精いっぱいなのか、中々反撃に打って出れなかった。

 優れた魔法使いは詠唱を省略し、時に魔法名の宣言すらせずに魔法を使うことができる。だが彼女はそこまで熟達していないのだろう。


「……!」


 どうにか助太刀できないだろうか、助けてもらった借りは返せないだろうかと妖精男の隙を伺っていると、足元にあつらえ向きな木の枝が落ちていることに気づく。

 握ってみれば固さは申し分なく、軽く振れば空を切る音が響く。

 木剣ほどではないが背後を取れば妖精男とてひとたまりもあるまい。


「……よし」


 ジンはそれを拾うとゆっくりと、気取られぬように背後へ回り込む。

 スキャンダルの取材を得意とする記者は気配を見事に消すことができる。残念ながら彼はその手合いではなかったが、息を殺して距離を詰める。


「――むっ!?」


 あと一歩で後頭部を殴打できる距離まで詰めたところで、気づかれてしまう。

 妖精男の首がフクロウのように真後ろに向く。

 そして口を大きく開くと空気砲のような突風を放つ。


「うおッ!?」


 まさかそんな反撃方法があるなど想定していなかった彼はもろに攻撃を受けてしまい、大きく吹き飛ばされ背後の木に叩きつけられる。


「――“烈風”」


 だがジンの無謀な助太刀はミシェルが反撃するに十分な隙を生み出した。


「――“亡者の剣”」


 彼女の口から紡がれるのは魔法の呪文キーワード


「――“逆巻く砂礫”」


 杖に装填された『魔法結晶』に込められた魔法を引き出すための合言葉キーワードだ。


「しま――っ」

「――『烈風武装シルヴェストリング』」


 ミシェルが杖を振ると同時に風の刃が放たれる。

 彼女の体を起点とした半円状の鎌鼬は瞬く間に広がり、妖精男の体を上半身と下半身に分断。

 妖精男の体は光の粒子となって宙に消えていった。


「……殺した、のか?」


 体が真っ二つになって命が無事とは考え難い。

 ジンは消滅した妖精男の体を呆然と見つめていた。


「あの程度で『魔人』は死なないのですよ」

「ま、まじん……? 魔族じゃ、無いのか?」


 ミシェルは驚いたように眼帯をしていない左目を見開き、おかしそうにクスリと笑う。


「魔族はとっくの昔に絶滅してしまっているのですよ」

「あ、いや……そうなんだけど」


 どうやらあの妖精男は生き残っていた魔族ではないようだ。

 ジンは記者の使命を果たそうとメッセンジャーバッグの中を漁る。中に予備のメモ帳とペンが入っているはずだ。


「じゃあアイツは一体」

「――フンッ!」


 ペンを見つけて取り出そうとした瞬間、ミシェルの目の前に妖精男が出現する。

 まるで初めからそこに居たかのように、一瞬で出現し彼女を突き飛ばす。

 その拍子に彼女が大事そうに抱えていたクマの人形を手放してしまい、地面を転がっていく。


「あ――っ」


 彼女の顔から瞬く間に血の気が引く。

 先ほどまでの余裕さは消え失せ、途端に幼子のようなおびえた表情となり、眼帯のされていない左目は大きく見開かれる。


「いやっ…… !だめ…… っ!ね、ねえさまっ…… !」


 そして慌てふためきながら人形を探す。

 地面に這いつくばり、過呼吸気味になりながら必死になって必死にクマの人形を探している。


「クソッ! こんなガキに俺は――」


 妖精男はプライドが傷つけられた怒りからか、錯乱するミシェルの背を踏みつける。何度も何度も鬱憤を晴らすように足を振り下ろす。


「お、おいっ! やめろよッ!」


 そんな蛮行を辞めさせようとジンは妖精男に飛びかかる。


「あ? 雑魚は黙ってろッ!!」

「ウッ――っ!」


 気を引けたのは一瞬で、妖精男は面倒そうに舌打ちすると片手間に風を放ち振り払う。

 凄まじい風圧はジンの体をいとも簡単に浮かせ、踏ん張る暇もなく吹き飛ばされる。

 その拍子にバッグの肩ひもが外れて地面を転がった。


(……!)


 乱雑に放り込んでいた中身に紛れて甲冑の右腕が――妖精男に襲われる前に拾ったそれが転がり出る。

 表面に幾何学模様が刻まれた錆びついた籠手。


「……ッ」


 彼は思わず手を伸ばしていた。

 何の変哲もないただの防具。だが吸い寄せられるように手が伸る。


「――っ!?」


 指先がそれに触れた瞬間、ジンの脳裏に膨大な情報が流れ込んだ。

 それは遥か昔の戦いの記憶。

 言葉にすることも憚られるだった。

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