第16話 論破:プロジェクトの環境への配慮編
「スライムを用いた新しい提案についてはさっき聞いたばかりですので、まだ十分な理解が追いついていません。ですが財政面では市の負担にはならないという事を知り、安心しております」
片桐は微笑みを浮かべているが、瞳は鋭い。
(何かを思いついたみたいだな。さて、どんなこと言ってくるのかね)
高橋が心の中で準備を整え、次の言葉を待つ。
「ですが市長、環境面についての対策をどのようにお考えですか?」
「先ほどもお伝えしましたが、魔除けの鈴を設置してスライムの移動範囲を制限する予定です」
「それだけで十分だとお考えですか? ならば当初の計画以上にダンジョンの生態系に悪影響を及ぼします」
「……詳しくご説明を頂けますか?」
「かしこまりました。環境省が令和Y年度に発表したダンジョン生態系保護ガイドラインでは、スライムが大量増殖することで、他の生態系に与える影響が指摘されています。これは他の自治体のダンジョンで実際に起こった事例ですが、スライムが自然発生的に大量増殖したことにより、周囲の生態系が壊滅的な被害を受けました。スライムは他の生物や鉱物を無差別に取り込むため、特定の植物や動物が激減し、結果的にダンジョン全体のバランスが崩れました」
「スライム災害の危険性があるということでしょうか?」
スライム災害とは、スライムが大量に増殖し、生態系を破壊する現象だ。バッタが大量増殖して起こる蝗害が、最もこれに似た災害だと言われている。
「先ほどのご説明でもありましたが、スライムは簡単に沢山増殖します。ですが、非常に弱く天敵も多いモンスターです。なので、自然界ではスライム災害は滅多に起こりません。しかし、今回のように制限された範囲で大量に放たれると、スライム同士での競争が激化し、急速に増殖する可能性があります」
「その点は重々考慮しております。ですので、総務省消防庁が定めたスライム災害防止指針を参考に、放流を予定している面積とスライムの個数は適切なものを割り出しています」
「総務省の基準だけで本当に十分だとお考えですか? 私は環境省ガイドラインの基準こそが長期的な視点で見たときに最も適切だと考えています」
「ダンジョンとそれを管理する地方自治体の監督官庁は、総務省です。その基準は守っております。環境省のガイドラインは参考資料に過ぎません」
”高橋市長の言う通り!”
”監督省庁の言ってる事の方が普通に考えて正しいだろ”
”片桐さん、好きだったのに失望させないでくれよ”
コメント欄は高橋支持する声であふれていた。
「クソ、やはり小娘では無理だったか。ワシが出ていればこんな事には……」
「キイイ! 高橋の言ってる事など適当に決まってるから、正しいのは環境省だ!」
「いや、あんたらもう黙っててくれよ」
市議たちも片桐の主張を無理筋だと感じたようで、失望と苛立ちの言葉を発し始めた。
それを横目で伺いながら、高橋はさらに気を張り巡らせる。
(甘いな。彼女の経歴を考えたら絶対にここで引き下がることはない)
片桐はこちらを向いて微笑んだあと、ワンクッション置いて口を開く。
「あれは地方自治体の厳しい財政状態を考慮して、わざと甘い基準にしているんです。本来は環境省のガイドラインの基準こそが正しいものになります。総務省に在籍していたとき基準策定に関与していた私が断言させて頂きます」
”片桐議員は本当に総務省出身なのか?”
”今、ホームページで経歴を見た。元キャリア官僚だって!”
”総務省では……ダンジョン政策を4年間担当だとおおお”
”じゃあ彼女の言ってることが正しいのか?”
コメント欄は再びざわめき始めた。
「なにいいい! そうだったのかあ?」
「キイイイ! 知らなかったああ」
市議たちも、驚きを隠せない様子だった。
(いや、俺でも知ってるのに、なんで同じ会派のアンタらが知らねえんだよ)
ざわつく周囲に片桐は微笑みかける。
「とはいっても、ダンジョン配信者として15年近く活動してきた市長より現場経験は劣ります」
(よく言う。その分、机上のデータとか理論は完璧なんだろうが。民間業者では対応が難しい階層にも入ったことはあるだろうし)
そして高橋の顔を見て、真剣な表情で言葉を浴びせてきた。
「市長は短期的な利益を追求し過ぎています。そのために将来を危険にさらしています。備後市の未来を考えるのであれば環境省のガイドラインに従い、長期的な視点で持続可能な発展を目指すべきです。今のままでは、私たちの子供たちに安全なダンジョン環境を残せません」
”市長、どうする?”
”片桐議員の言うことも一理あるかも”
”高橋市長頑張ってくれ!”
「ガハハハ! どうしたのだ高橋!? 先ほどから妙に静かではないか?」
「キヒヒヒ! これで終わりか、高橋?」
悲しみが広がるコメント欄、バカ騒ぎする一部の市議たち。これらを横目で見ながら、高橋は冷静に思考を巡らせる。
(さて、ここからは事前に調べたことを踏まえて、自分の勘で推測したことを言わなきゃいけない。何か具体的なデータや理論を出されたら、対処が難しいかもしれないが……)
高橋は一瞬黙り込んだあと、冷静な声で返答する。
「片桐議員、経産省の報告書では、ダンジョン環境を維持するためには、もっと積極的な開発が必要だと記載されています。この矛盾点をどうお考えですか?」
「経産省の報告書は産業利益を重視しているからです。その視点は重要だと思いますが、バランスが偏り過ぎています。長期的な視点で見れば環境省のガイドラインの方が正しいです」
「了解しました。続きまして、総務省の令和R年度ダンジョン管理報告書と、同じく総務省の令和R年度ダンジョン開発指針を資料として提示させて頂きます。こちらの報告書は環境省寄りの意見になっていますが、開発指針の方は経産省寄りの意見になっております。この様な矛盾はどうして生まれたのでしょうか?」
片桐は一瞬戸惑った表情を見せた。恐らくもうこんなチャンスは巡ってこないだろう。畳みかけるなら、今だ。高橋は、必死に食い下がった。
「ここからは私の推測になります。総務省内には環境省の意見と経産省の意見を取り入れる派閥のようなものが分かれて対立しており、片桐議員は環境省寄りの意見を支持している。その視点から見た場合、本プロジェクトは環境に大きなリスクがある危険もの。ですが、経産省寄りの視点では安全で危険性が少ないものである。そう認識しているのですが、お間違いないでしょうか?」
「おっしゃる通りです。ですが、私の主観だけで言っているわけではありません。東京大学でダンジョン生態学の権威と呼ばれる田中教授は、ダンジョンの持続可能な利用こそが最も重要であると主張しています。それを乱しているものが、過剰なダンジョン開発や資源の乱獲です。行政は地方自治体の厳しい財政状態を考慮してダンジョンでの経済活動の規制緩和を進めてきました。その結果、人の手が過剰に加わり過ぎたことにより、生態系のバランスが崩れ、強力なモンスターが浅い階層に現れるなどの問題が各地で発生しています。市長が提案したプロジェクトのような生態系を乱す危険な開発は、田中教授の見解に基づいて絶対に反対します!」
「逆です。人がダンジョンの生態系に参加しないからこそ、この様なことが起こってしまったのです。強力な力を持つモンスター達は、人間の活動が適度に行われている環境では、各自の生息階層に留まる性質があります。しかし、長期間にわたり人間の干渉が減少すると、これらのモンスターは自らのテリトリーを拡大しようと浅い階層に移動することがあります。結果、ダンジョンの自然な生態系が乱れてしまい、人間とモンスター双方に不幸な影響が出ています! だからこそ人の手をもっとダンジョンに加えなければいけません!」
「市長、失礼ですがその情報源はどこからですか?」
「ダンジョン配信者仲間の、サトーって奴からですよ。サトーは全国各地のダンジョンを周ってモンスターの生態を調査しておりして。それで自治体がダンジョンの開発に消極的だったり、探索業者の競争が停滞していたりすると生態系が乱れるって言ってました。ちなみにその最たる例が、この備後市のダンジョンだそうです」
言い終えた瞬間、市議席から野次が飛んできた。
「お前は馬鹿か! 大学教授とダンジョン配信者を同列に扱うな!」
「キヒヒヒッどっちが正確な事言ってるか考えてみろ!」
昔の仕事仲間がバカにされたことに、高橋は腹が立った。だがこんな低次元な奴らには構ってられないので、片桐の方を向き、間接的に反論する事した。
「サトーは筑波大学大学院を卒業してて、モンスター生物学の博士号をもっているんですよ。でも、今は仕事が見つからずポスドクになってしまってます。それで生活費をダンジョン配信で稼いでるんです。それで、研究と配信を兼ねた現地調査をいっぱいしてて、データを沢山持ってるんですよ。そういや現場を知らずに自分の学識だけに拘って見当違いなこと言ってる東大の教授がいるってサトーから聞いたことがあるんですけど、それって田中教授のことだったんですかね?」
野次を飛ばして来た市議たちは唖然とした表情で黙り込んだ。片桐は一瞬、不機嫌な表情を浮かべたが、すぐにすぐに冷静さを取り戻し、微笑を浮かべながら口を開く。
「つまり研究者の間でも、見解が分かれるということですね。ならば慎重に配慮した意見を選択することが、備後市にとっても市長にとっても最善な選択ではないかと思います」
「一般的な話ですが、お役所は何かあった時に自分たちが責任をとりたくないので、絶対に安全が確保される基準を選定していますよね。なので、経産省寄りの基準でも十分に配慮されていると考えます」
「……」
片桐は涙を浮かべながら、無言で悔しそうにこちらを見つめている。
(やった勝った。でも嬉しくねえ。女を泣かせた男になっちまった。……しかも、これ最初の質問だぞ。後はもう執行部に任せて寝たい)
身体中が汗まみれで疲れ果てた高橋は、ぎこちなく歩いて自分の席に帰って行った。
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