伯爵は、助けられる



 まるでその声は私を救ってくれる王子様のようで。


「……ここに何の用ですか、兄上」


 カシムール殿下に兄上と呼ばれるのだから、それはもちろん王子様。


「それはこちらが聞きたいところだけどね、カシム」


 馴れ馴れしく、だけども親しみの籠った声で、カシムール殿下を愛称で呼ぶその人。

 カシムール殿下が愛称呼びを認めているのは、数えるほどしかいないのだから、それが誰かなんてすぐにわかってしまう。

 それこそ、頭を下げたままなの私でも。もっとも、私は声だけで分かってはいるのだけども。


「顔をあげなよ、マリーニャ。僕にその可愛い顔を見せてくれないかい?」

「……フィン――バルク、殿下」


 可愛い顔、とはさすがにいい過ぎである。

 許された私が顔をあげると、いいタイミングで現れたもう一人の王子――フィンバルク殿下こと、フィンは、いつもと変わらない笑顔で私を見つめていた。



 なんだかほっとして、涙が出てきそうになる。

 それは、許す代わりとはいえ、傷心中の私に結婚を求めてきたカシムール殿下から助けてくれたからだろうか。



「やあマリ姉。久しぶり」


 そのフィンの背後には、金髪のさわやか青年がいる。

 冒険者風の軽装を好む彼には背中の黒の虎が刺繍されている薄紫のマントがよく似合う。



 冒険者ランク:Aランク。

 帝国ダンジョン『嘆きの牢獄』の中層制覇者。

 中層最下層ボスを撃破したときに手に入れた魔剣・ティルフィングを手に、『獅子帝』と称される第三王子。


 エルト・フィルア・ジ・インテンス。


 エルト君を引き連れて、フィンがカシムール殿下と対峙する。


「……お久しぶりです。エルト殿下」

「あー。……うん、また後で少しお話したいかなぁ。時間もらっていいかな」

「ええ、是非とも」


 後ろでカンラに拘束されたままのアルヴィスをちらっと見て、苦笑いするエルト君。


「私とも少し話をする時間が欲しいのだけども。それはそれとして。カシム、流石に性急すぎやしないかい? 驚いて早馬で来ちゃったよ」

「兄上が私の婚姻に口を挟むのはいかがなものかと?」

「いやいやいや。君の兄であり、私の友人相手だから口を挟むんだよ」


 フィンが手をひらひらとさせると、背後で固まったままのカンラが、はっと我にかえってアルヴィスを連れて去って行く。

 この状況を作り出した元凶だって聞いたら、フィン、どう反応するかしら。とか思って少し笑ってしまう。


「傷物となった令嬢で行き遅れ。私と学生時代に交流があったから、仕方なく妻としようとする。その恩情に口を挟まないでほしいのですが?」

「それはまた失礼な物言いだ。そのような同情で私の友人を強制的に妻としようとするのはいかがなものかな?」

「強制的にとはまた失礼な」

「そうだね。私も少し性急なところがあったかしれないね。では、なにがあったのか、聞いてみようじゃないか。カシムと、マリーニャにね」


 フィンとカシムール殿下が睨み合う。話を突如振られた私は、事の経緯を説明する。

 説明中、アルヴィスが私を呼び捨てにしたり自分のものだと主張していたことをカシムール殿下が言うと、フィンとエルト君の表情が、笑顔だけど笑顔じゃないみたいな感じになったことに驚いた。だけど、フィンとエルト君にそう言われるならまだわかるけど、私としてはカシムール殿下にも呼び捨てにされてることに何も言わない二人にも不思議だったりする。



「なるほど。……カシム? 不敬であるかもしれないが、主、しかも婚約破棄されたばかりの女性当主を必死に守ろうとする従者を、帝王家として寛大な心で許してあげるべきだと思うがね。……その条件に婚姻を迫ると言うのも大人げないと思わないかい?」

「それくらいしても問題ないでしょう」

「問題はあるよ。カシムの経歴に傷がつく。そうでもしないと相手を選べないのかと非難もされるだろうね」

「……ふんっ」


 フィンの言うことに返す言葉が思いつかなかったのか、カシムール殿下は鼻を鳴らし少し不貞腐れたような表情を浮かべると、私に「撤回する」と、許しと婚姻についての撤回の言質を頂けた。


「……で、兄上は、それを止めにきたので?」

「ああ、まあ、それもあるけど。……マリーニャに、渡さなきゃいけないものもあってさ。むしろこれを渡してないから、まだ成立してないことにもなるしね」


 フィンがカシムール殿下に笑顔を向けると、私の前に来て丸くまとめられた書類を手渡してくる。

 拡げてみると、それは婚約破棄証明書だった。

 しっかりと帝国の帝王印が押されていることから、本物である。私が触れたことですこしだけ書類から光が漏れる。おそらくこれは、本人に渡されたかどうかを示す魔法だったのではないだろうか。


「あ……フィンバルク殿下、本当に……」

「当たり前じゃないか。私は君のためならやるといったらやるよ?」


 書類の光が収まる。

 これで私は、本当に婚約者なしになったという証明だった。

 嬉しいのやら、悲しいのやら。

 もちろん、ムールと離れることができたことには、感謝である。あんな一件があって、あれが私の夫となってランページを共に治められるとは到底思えなかった。


「なるほど。つまり、それさえも性急だったと。では、成立したので、婚約から始めればいいのだな?」

「いや、カシム、それはそれで、破棄とは別にだめだよ?」

「なぜ?」

「ランページ不可侵法に抵触している」

「……ランページ不可侵法? なんですかそれは」

「……ランページは、いかなるときも中立であり、帝国で【守護家】という独自政権を持った国としての扱いたれ、という過去の帝王が定めた法律だよ。それがある限り、王家とランページは婚姻関係で繋がってはならないんだ。古い、それは古い法案だけども、効果はまだ残っている」



 ……それは初耳。

 ランページが中立であれという教えは理解していたけど、そういった法律さえも作られていたとは知らなかった。ここはさすがに知らない私が悪い。以前婚姻した事実もあるから、ランページが律することで更に中立だと強調してたのね。


 なんだ。だったらカシムール殿下に結婚を迫られた時にそれを理由にすればいくらでも跳ね除けられたんじゃない。

 もちろん、フィンに言われてもそれを使えば――



 ――……それで、断ることも、できた。



 フィンからそう言われることはない。フィンはその法を理解していた。

 そう思うと、なんだか悲しくなった。



「カシム兄。だから僕もエスリ姉も、気軽にマリ姉と交流してたんだよ。フィン兄は少し違うけども」

「……なるほど。だから早急である、と」

「……カシム?」


 私もフィンも、エルト君も。

 不穏な一言を呟いたカシムール殿下を見る。


「その法案をなくせば、私は、ランページを得ることができる、と。そう言うことですね?」



 あくまで。

 法案にさえ手を入れて、私を手に入れようとするカシムール殿下は、不気味な笑顔を浮かべていた。

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