伯爵様は帝国から抜け出したい

ともはっと

第一章

伯爵の妹の悲劇

伯爵の妹は、謝りたい


 ――キィ……キィ……――











 ここは私のお家。伯爵邸。

 もうすぐ私が継ぐことになる、伯爵家が代々使用している由緒あるお屋敷。

 今は、伯爵代理当主のお姉さまが使用している。



 少し前のこと。

 私はお姉さまにとても失礼なことをしてしまった。

 さすがに、お姉さまに嫌な思いをさせた後に家に帰らず、お姉さまの元婚約者の家に泊まってお姉さまと話をしなかったのはダメだったと思う。あっちの家にもあまりいい顔されなかったのも当たり前だと思ってる。


 だけど、お姉さまはいつだって私の味方。いつだって私のことを思って動いてくれた。


 今回も、きっとお姉さまは許してくれる。きっと今回のことも、笑って私にすべてをゆだねてくれるはず。




 私はそう自分に言い聞かせる。

 例え、それがどれだけお姉さまに酷いことをしたのか理解していてもそう言い切れる自信がなぜかあった。お姉さまはそれだけ私のことを想ってくれていると信じているから。


 だけど、流石に今回は少し不安もよぎる。

 自身のお腹をさすって、勇気を出してお姉さまの部屋へと向かう。


 取り返しのつかない今のこの状況を謝るために。

 そして認めてもらうために。


 お姉さまの婚約者のムールと、私の子のために。

 私の愛しいあの人と私の結婚を認めてもらうために。

 そして、私のムールとその子供が、伯爵家当主となるために。伯爵家はお姉さまの代わりに私の家族が盛り上げて一緒に繁栄させていくの。



「お姉さま、いらっしゃいますか」



 こんこんっと。お姉さまの部屋の扉をノックする。


 ……反応がない。もしかして聞こえなかったのかもしれない。



「お姉さま、お話があります。入らせて頂きます」



 何度かノックしてみるが反応がない。

 もしかしたら怒っているのかもしれない。私と話したくないのかもしれない。

 それはダメ。

 今この時に話をしないと、きっとお姉さまは許してくれないし私と彼がこの伯爵家を継げなくなってしまう。

 仮にもお姉さまは、この伯爵家の代理当主なのだから。



「お姉さま?」


 ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていないことが分かった。

 押してみると、ぎぃっと簡単に扉が開いていく。


 やっぱり。

 お姉さまは私と話をしたいんだ。

 やっぱり、話をして、そして許してくれるんだ。





 部屋には、明かりがついていなかった。

 暗闇。

 その暗闇の中、ぼやっと、窓から入る星空の光に照らされて、ぶらぶらと揺れる何かがある。

 大きな。揺れる――




 ――キィ……キィ……――




 音がする。

 お姉さまの部屋の真ん中。天上から吊るされた大きなシャンデリア。

 そこから分厚い、一筋の線。

 その線に何かがぶら下がっているようにも見えた。

 そのぶら下がった何かが、揺れる。揺れた時に、シャンデリアがきしむ音がする。




 ――キィ……キィ……――




 音がする。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 くるりと、揺れたそれが、こちらを向いた気がした。




 ――キィ……キィ……――




 その向いた何かと、私の目が合う。



 何か――それは目。その目は、お姉さまの目。

 かぼちゃ色した、お姉さまの、虚ろで、光を失った――


「……ぅ……そ……」


 私は、ぺたりと、その場に座り込む。

 目の前のこれが何を意味しているのか。理解が、追いつかない。



 ――キィ……キィ……――



 音がする。

 その音が教えてくれる、もう、取り返しのつかない状況。



「おねえ……、さ、ま……」



 シャンデリアからぶら下がったそれが、お姉さまだとやっと脳が理解したとき。



 私は大きな叫び声しかあげることが、できなかった。






 ――キィ……キィ……――




 揺れる。揺れる。

 ぶらりと力なく垂れ下がった手と、隙間の風とシャンデリアがきしむ音。



 耳障りなその音が掻き消えてしまう程、それこそ、邸宅全体に響くほどに、大きな声で叫ぶ。

 誰かに来てほしい。助けてほしい。もうすでに遅いことはわかっているけども、それでも誰かが私の代わりにお姉さまを助けてほしい。



 ――キィ……キィ……――


 起きたそれは、全てが後の祭りだと私に知らしめる。

 お姉さまに謝るなんてことももう二度とできないと悟る。

 もう、二度と優しいお姉さまに会えないのだと。いつも助けてくれたお姉さまに会えないのだと。




 ――キィ……キィ……――




 ただただ。

 それだけが、私の心を支配した。



 私はこの日。

 自分がどれだけお姉さまに酷いことをしたのか。どれだけお姉さまが私を想ってくれていたのかを知る。


 知る。知ったけれども。

 その相手が、目の前でこんなことになってしまったことに、ただただ後悔と懺悔だけが募る。
































 マリアベル……



 何をやっているのかと、本当に不思議で仕方なかった。

 これで少しは反省してくれればいいのだけど。



 自分だけじゃなく、相手ともども。さすがにお腹の子には何の罪もないから、こんなことになった私の姿を見て何も起きなければいいなと申し訳ないと思うけども。

 もちろんそれはお腹の子にだけであり、マリアベルとアレにはどうと思うことはないのだけれども……。



 あの二人が、「本来の当主が適齢となったとき。当主の権利を夫である自分が譲り受ける」なんて言って未来を浮かべて楽しそうにしていたときのことを思い出す。



 そんなこと、あるわけないのにね。

 マリアベルが私の伯爵家を継げるわけでもない。


 だって、私がその本来の当主なんだから。


 いくらなりたいと思っても。それでもなれないものだってあるのに……。

 やっぱり勘違いさせたままにさせちゃったわね。

 説明しても聞く耳もたなかったあなた達が悪いのよ。



 ……まあ、こうなってしまった今となっては、どうでもいいかもしれない。



 今までずっと何を勘違いしていたのか、私のことを伯爵家代理当主だと思い込み続けて。爵位継承権がないのに自分が後継できると勘違いしていたマリアベル。マリアベルと一緒になることで、これから伯爵家を盛り上げるつもりだと豪語していたアレが、ゆっくりと沈んでいくのをみることにしましょうか。



 今までいろんなことがあった。

 その中でも、私の中でもっとも衝撃的なことと取り返しがつかない状況。

 そしてそれを利用させてもらって今に至るまで。



 さぁて。

 あと少しだけ、ぶらぶらと揺れながら、余韻に浸ってみましょうか。



 ――キィ……キィ……――



 そのぶら下がった眼で、妹扱いであって妹でもない他人を見つめながら。

 私は、想いを馳せる。

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