彬は、しばらく黙っていた。黙って佐原を凝視し、佐原の目の中から真意を探そうとしているようだった。

 佐原は、じっと彬の目を見返した。探られて困る腹の中ももうなかった。口にした言葉が、全てだ。

 一駅分、彬は黙りとおした。次が佐原の最寄り駅だ。

 なにも言わないかな、と佐原は思った。呆れたのかもしれない。佐原の唐突な申し出に。佐原にとっても、その申し出は唐突だった。以前から考えていたとか、そんなこともない。ただ、追い詰められた猫みたいに毛を逆立てている彬を見て、言葉が勝手に出てきただけだ。口に出してから、自分でも納得したくらいだった。俺は、自分の欲望にこうやってけじめをつけようとしているのか、と。

 「……なんで?」

 ぽつん、と、彬が口を開いた。

 「なんで、そこまですんの?」

 それは佐原も誰かに訊きたいくらいだった。でも、単純に、放っておけない。彼が自分を振り向いてくれないことくらい分かってる。相方をいつか忘れる日がきたとしても、そのとき彬の目に映るのは、佐原ではなくて、もっと若くて健全な、彬に似合いの誰かだろう。それでも、衝動的にナンパみたいなことをしてみたり、ほぼ行きずりみたいなセックスをしていた頃とは違う感情が、今の佐原にはある。ただ、それを言葉にすることは、随分と難しそうだった。だから、苦笑いして、意識の一番上の層に浮かんでいる言葉だけを口に出す。

 「惚れてるから。」

 彬が眉をひそめた。それは、すっかりあきれ返った、というみたいに。

 「馬鹿だろ、おっさん。」

 「馬鹿だよ。俺は。」

 「自覚、あるんだ。」

 「お前に惚れて、自覚したかな。」

 馬鹿だろ、と、彬がもう一度呟いた。その声は、涙の気配で湿っていた。その時丁度電車が駅に着いたので、佐原は彬の肘を引いて電車を降りた。

 「来る?」

 改札に向かって、ホームを歩きながら訊いた。彬は、こくりと小さく頷いた後、佐原の手をうるさそうに払いのけた。佐原は、その彬のいつもの反応に満足して、俺ってマゾっけあんのかな、と首をひねりながら、首だけで振り返って彬を表情を確認してみた。彬は、笑ってはいなかった。でも、もう涙の気配もなかった。

 「後悔するよ、あんた。」

 ぼそりと、彬が言う。

 「セックスしても、なにも残せないから。俺は。」

 自嘲気味の言葉に、佐原は首を横に振って見せた。多分、彬のこの猜疑心を解くには、何年もかかるのだろうと思ったけれど、その何年もが自分に与えられていると思うと、それはそれで嬉しかったのだ。

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水面に月 美里 @minori070830

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