10代から20代の時に書いた詩(12)
天川裕司
10代から20代の時に書いた詩(12)
「現実≧理想」
今までいろんな理想を絵にして来た。でも、〝その幼稚さに…〟と見てしまった。その時が長く続くのだ。何も描けない時間は今も続く。下手なりにも夢があったのに、何も描けない。やはり経験して見たいというのが先に立つ。そうでなければ生きて居る意味がない、と。でも、そこに描いていた絵(理想)には、悪い事も描いていたのだ。
何を書いても同じ事だ。5月24日(土)
下らない。
go to bed.
恋に対して、〝もうそんな事どうでもいい〟と言いたい。
感動で泣き続けるのと、恋に落ちるのとじゃ、どちらが幸せか。
「愛情」
何故生きるのに、愛が必要なのか。男は女が必要で、その逆も然り。人がする事は同じ繰り返し。何も言わなければそのまま時は何も無く過ぎる。愛とはそれほど大事なものなのか。生きる事が愛の有無でこれ程までに生き方が変わるとは。本当に言いたい事が言えない。自称スーパースターで閉鎖的に生きるとは。そして分かった。男・女でその間を壊すものは愛であり、異性の愛である。包むものとは愛だという。僕はそれを分らなければならない。それが本当の道だと言う。本当の道、と。それを理解出来ない儘なら、どうすればいい。こんな男が生まれて生かされている。ただ自然に生きている事を恵みだと感謝出来ればいいのに、どうしても恋だの愛だのが未来への梯子となる。その梯子がなければ明るい未来は無い。男と女、僕はその男に生まれてたのだ。
皆、気軽にやってるさ!そんなに深く悩む事もない。
譬え一瞬知り合っても恋なんか落ちはしない。
俺は惚れられにくい男No.1だから。(笑)
好きでもないのに〝好き〟だなんて言うのが間違ってるんだ。
中途半端な感情ほど厄介なものはない。…果して、片想いというものはその類に入るのか?
「僕の中のマイナス思考」
マイナス思考になること自体が無駄な事だと分かっていても、やはり落ちてしまうもの。それは現実とのギャップなのか、仕方ない。今の僕は今の僕なんだ。この体で生きて行かなきゃならない。中途半端に希望が見え隠れする故、中々踏ん切りが付かない。だからとて、その中途半端は将来の希望へも繋がる。毎日を一つずつ生きて行かなきゃならない僕(個人)は親孝行も含めて、成功しなければやってらんない。その成功に辿り着く迄にはこの現実に認めて貰わなくてはならない。ギャップがあろうが関係なく、容赦はない。今の僕で生き抜くのだ。この世に生まれた、たった一人の間抜けな〝僕〟という人間で。―――――1997年5月29日
〝あの娘が僕のものになれば…〟こんな事ノートに書いている奴自体、嫌いかい?(笑)
書かずには居られない、これが自分の生きた証なのだから。他人がケチ付ければ余計に意地を張る。僕にとっては、もはやそれは意地ではなく、生き方だ。それ失くしては、僕の存在理由が無い、と言う程に。
存在理由。
「損・得と罪」
神が決めた定め事、人が決めた定め事。どちらが正しいのか。人は謙遜して神の方だと言う。その言葉にも、もはや裏・表が隠されている。その謙虚さの裏には、自分の器を見てくれ、と言わんばかりの主張があり、損・得が考えられている。そして人は流行を見る。流行を創る事を一つの文化と言わんばかりに。その流行には様々な難事がある。神の言う事と、人の言う事が違っているのだ。しかし、人はこの世に生きている故、結果を知りたがる。目に見えるものが、この世の強者である故、目に見えるものを好むのである。神は姿が見えない。安売りなどは出来ないと、言う。人は勝手な噂をする。その噂を作るのは人で、その噂を信じる・信じないも人間だ。その噂が自分にとって利益だと思えば素早く心からそれを信じて、損をするのなら、素早くそれを突き放すのだ。今の世の中に〝これは罪か?〟と問うても、無駄な事。結局多数決になるのだから。(笑)
「無哲学=日本人間」
哲学など存在しない。存在すれば皆死を選ばなければならない。それでは生まれて来た事を否定しなければいけない。それは今自分が居る以上、不可能だ。生きて行くのは絶対、馬鹿らしい壁がある。今の日本を見てみるといい。何の概念も存在しない。つまり日本とは世界である。時に真面目であり、不真面目である。本来の姿とはまるで違うのである。今の日本をあの時のエルサレムに当て嵌めて見ても、大した差は生じない。ただうるさく元気なだけの日本に、元気なき少年は要らないのである。皆、意味なくても元気でなければならない。そうでなければ明日は来ない。
生きて行く上で、彼女が居た方が得だ。(笑)
どうしても、独り身だと、この世の中、軽く見られる。面白いものだ。
「顔の無い乗客」
哲学は嘘である。ネタ捜しも楽じゃない。考え方を180度変えなければならないのだから。
「little. Boy」
大学へ入った。大学へ入る為に死に物狂いで勉強した。しかし、まだ足りないらしい。高校の時はそれだけで全て足りる、と噂で聞いた。その場凌ぎか。今度は卒業する為に、人としての単位を修得しなければいけないらしい。ピストルで街中、撃たなければ一瞬で死ぬのに。(笑)例えばね。
生きている場所は同じなのに、生きている世界がまるで違う。どちらが正しいのか。僕の哲学心境を見られれば全ての輩から嫌われる。愚かな時代だ。〝愚かだ〟と言っている僕が最も愚かになってしまうのだから。もう何も考えられない、一人では。
最近また、どうもチューニング・ポイントが合わない。
アルバイトで人と仲良くするのは、金儲けの場所を獲得する為だ。そして生き方を変えようと思っているからだ。生きる為に金は最低限必要。そして親孝行の為にも必要だ。死ぬ以外、金が全てなのだ。金の無い奴は必要ではない。ああ、頭が痛い。人と仲良くするのは決して好きでやっている訳ではない。ああ頭が痛い。また明日が来る。考え方を変えなければ。
俺は男だ。それ故恰好を付ける。それは何の為?何故か。それは女の為だ。男である以上、女を好むのは自然。〝女など要らない〟と言えば、恰好を付ける必要もなくなる。今の世間の男、殆どは女持ちだ。その中で生きるのは本当に嫌な事だ。かと言って、他人に迷惑を掛けてしまえばそれこそ、プライドは消えてしまう。〝欲が無かったらいいのに〟と、今まで何億回呟いたことか。あの空に見える神のように、〝欲がなければ幸せだったろう〟と繰り返しの人間(俺)が言う。
何をどう言っても殻に閉じ篭るだけなのだ。今を否定しては殻に閉じ篭るだけなのだ。俺はそれほど臆病じゃない。辛い等と思うのは、気の病だ。それほど弱い輩じゃない。皆、俺の下に平伏せばいいのだ。俺の上に居るだけで、暫くすれば鬱陶しい。何なのだこの世間は。訳が分からない。考えること自体、永遠に消えてしまえ!!
「独創」
助けてくれる人が一人も居やしない。後から、〝ああ、そうだったのか〟なんてのは嫌だ。今、分かる形で欲しいんだ。でなけりゃ、居ても意味が無い。何の為に生まれたのか。生きていて、何か良い事でもあるのなら、生きていて楽しく、恵みだとも思う。しかし、生き続けてみれば文句の笑い続けで、すぐに不幸を招く。哲学への一線を一つ切っただけでたった一人になる。何故なのか。〝人類じゃ皆兄弟〟なんてほざいてたのは何億年前か、本当に訳が分からない。どうだと言うんだ。神が言う事が本当なのか、その神が言う事も人間が言ってるのか、深く考えれば考える程分からないのだ。僕はただ生まれて来た以上幸福が欲しいんだ。それも何億回呟いたか。細やかな願いだろう。何故に哲学などが存在する?不要ではないか。あればただ生きにくくなるだけ、どこがいいのだ。それを存在させたのは大元を辿れば神である。そう考えられるよう人間を創ったのだ。まさに哲学など不要である。落ち込む事も不要である。本当は悪魔も不要なのに。
生きていて、〝文句ばかり言う〟と言うのが〝嘘〟と言うなら、それが嘘だ。聖書があり、悪がある。詰り、善・悪があり、それが人を支配しているのだ。例えば人を殺したい、お思って殺しても、殺せば警察という善に捕まるのである。それは仕方ない…。そういう事だ。人間界には、善・悪がある。そして悪に非常に興味深い、欲というものがある。その欲は人間、皆が持っていて、同じリズムを永遠的に嫌うのだ。詰り、同じ流行。時代は決して続く事が出来ない。それらの茨の中に不条理にも投げ込まれ、ある規定を人は背負って生きなければならないのだ。いわゆるハンデである。その上で生きる事に対して文句が無い、と言えば、それは嘘である。心の中で必ず思うものなのだ。もっと幸せになってみたい、と。(笑)
10代から20代の時に書いた詩(12) 天川裕司 @tenkawayuji
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