第238話 同盟協議

「ま、まことに上総介様がお討ち死にされたと言うのでございますか」


 元康の説明を聞いた真尭が信じられぬと言った様子でつぶやく。だが受け入れられないのは、この話を知らなかった全員だ。

 口を数度パクパクと開いて閉じた氏助は何度もこの話を飲み込もうとしている。しかしそれも出来ぬようだ。


「我が伯父が当主である水野も此度の美濃平定に同行しておりました。情報の出処はここでございますゆえ、おそらく事実であるのかと。届けられたものの写しがここにございます。皆様方、確認されますかな?」


 元康が懐から文の写しをチラリと見せた。原本は俺の手にあったのだが、京で受け取ったこと、滞在期間がしばらくあったことも踏まえて暖の燃料としてしまった。

 もちろん復元が出来ぬほど細かく破き、完全に灰になったことまで確認済みである。

 とにかく信長の死の事実確認がしたい者たちは、無言で俺の方を見ていたゆえに元康へ許可を出した。許可を得た元康は写しを皆に見えるように広げていく。


「た、たしかにその旨が書いてありますが」

「水野の使いに聞いたところ、我が伯父である下野守も骸を確認したとのこと。ですが聞けば聞くほど美濃の状況は混沌であったようでございます」

「それはどういうことでございましょうか、蔵人佐殿」


 おそらく現状において美濃や織田の状況について最も詳しいのは元康である。皆もそれが分かっているからこそ、俺には視線も向けずに元康に詰め寄っているわけだ。

 そして元康も自身が知っていることは全て明かしていく。


「上総介様にとどめを刺したのは加賀井という美濃平定前より織田家に与していた者たちでしたが、裏切ったのは長島の介入があったからと言われております。加賀井の居城であった加賀野井城からそういった証拠が出たようなので。しかしその直前に裏切った者は旧西美濃国人衆の一人であった男で、斎藤家が現体制を敷いてすぐに織田家に寝返っております。しかしこの者は斎藤家に通じておりました。さらに織田の主力隊が撤退を決めた墨俣の城襲撃を実行した西美濃の別の国人らは織田家完全撤退後に斎藤家によって攻められております」

「それが先ほどの話で、どこに属しているのか不明である者たちでございますか」


 真尭の言葉に元康が頷く。


「少なくとも織田と斎藤の戦に別の二勢力が絡んでいることだけは確かだ。そしてこの複雑な状況が義兄を殺した」

「すでに加賀井は織田方によって滅ぼされ、その直前に斎藤家に寝返った不破も大損害を与えて壊走させたと。不破家の当主は討たれたようでございます」


 元康が最後に付け加えたことで、再び皆の視線が俺に集まる。


「この報せ、届けられたのが水野家というのがよくありませぬな」


 忠次の言葉に他の者たちが頷く。

 両者にとって唯一の同盟国であるのだ。にもかかわらず、未だ織田家からは何の報せも届いていない。

 婚姻同盟という強い結びつきを築いておきながら、これでは不信感を抱いてくださいと言われているようなものである。そしておそらく水野の動きについては把握していないであろう。なんせ水野も織田家から一色家へと鞍替えしたいというような有様であるからな。間違いなく織田家に何の許可もとっていないであろうし、そもそもそのような許可を織田家が出すはずもない。俺に伝える気があるのであれば、真っ先に人を寄越していたであろう。

 しかしすでに正月も明け、一月も下旬に差し掛かる。音沙汰が無いというのは、俺に伝えるつもりが無いということだと勝手に解釈させてもらおう。


「御正室様はこのことを」

「主水の判断ですでに耳にしている。相当堪えているようだが、実家に戻りたいとは一言も漏らさなかったそうだ」

「…さようでございますか」


 広重の言葉で今度は重苦しい空気になった。しかしこればっかりはあまりに市が不憫で仕方がない。

 このまま織田家との関係が終わるかもしれない。友好の証に俺の元にやって来た市だというのに、その役目は実質二年で終わりを迎えるのだからな。


「しかし織田家との関係が不明瞭になると、四方が敵にならぬために手を打たねばなりませぬな。我らもまた武田との戦に備えてはおりますが」


 良くも悪くも空気を読まない元長。一色家に与して日が浅いからか、そういった態度がこの評議の中で何度か見受けられた。しかし今はその冷めた態度がむしろ停滞していた議論を動かしていく。


「たしかに三郎兵衛殿の言われる通りでございます。殿、もし仮に織田家が本気で我らとの関係を考え直すなんてことになれば、周辺の大名の方針が変わる恐れもございます。それこそ上洛を目指すと宣言した武田の目が南に向くなんてことも」

「左衛門督殿の言う通りでございます。また北条がこれに便乗してきては厄介極まりなく。未だ駿中地域の防衛は備えが完全ではございません」

「東西三河衆は駿中地域に対して積極的な支援を続けておりますが、それは織田家が同盟国として三河の北側を守ってくださっていたからでございます。もし仮にこの関係が終わり、織田家が方針転換によって我らを敵視などすれば支援の継続は困難でございます。かくなる上は」

「左衛門佐、言わずともわかっている。北条家との同盟であろう?保留としていてしばらく経った。婚姻に関する返事を上洛を理由に先延ばしにしていたが、上洛前に決断しなかったことが結果として功を奏したやもしれんな」


 対武田に関する北条家との同盟関係。こちらは一時的な同盟を望んでいたが、東に目を向けたい北条は一色家との半永久的な同盟を望んだ。それが俺と北条氏康の娘との婚姻である。

 しかし当時の周辺地域の状況から、婚姻同盟を結ぶことで東西に蓋をされることを恐れた俺は婚姻云々のところだけ保留としていたのだ。それに巨大勢力である北条の娘を室として迎えるとなると、より強固に結びついている織田家から輿入れした市の立場もおかしなことになりかねないという懸念もあった。

 あちらは出戻りの姫であるから正室として扱わずともよいと言っていたが、周囲の者たちがそれを許さぬであろう。勢力の大きさだけで言えば、織田家など足元にも及ばぬほどに北条家はでかいゆえに。それに俺も借りがあるゆえに、強く出られないという点もじゃっかんある。まぁ理不尽には抗うつもりであったが。

 とにもかくにも、北条家との同盟については早めに手を打つべきであろう。織田家の内情が知れ渡る前に関係の構築を急がねば、元長が懸念しているような状況をちらつかせて足元を見られても困るからな。


「これについては急ぎ話を進めるべきであろう。織田家が仮に今後も変わらぬ関係を続けていくと言っても、これまで通りの関係とはいかぬ。安心して背中を任せることは困難だ。本来であればこういった交渉事は源五郎に任せるところなのだが、今はあれも手が離せぬゆえな」


 昨年末に誕生した赤子に、駿河にある瀬名領にと大忙しである。まぁ領地の件が無くとも、氏詮は難色を示したであろう。実はあの仕事人間、尋常でないほどに親バカであったゆえに。


「ならば儂が赴くといたそうか。北条に縁もあるゆえ、下手なことにもならぬであろう」

「大叔父上が向かってくださるのでございますか?」

「長らく城と寺の往復ばかりで退屈しておったのだ。それに一色の一門であるゆえに無下になどしないであろう」

「それは間違いなくそうでございましょうが…。お身体の方は何も問題など無いので?」

「少なくとも右門殿よりはしっかりしていると思うが」


 袖部分をまくった大叔父上、豊岳様は鍛えられた腕を見せびらかされた。たしかに筋肉量はすさまじい。長らく日ノ本各地を弟子数人だけ連れて旅をしておられただけのことはある。

 しかしそういうことではなく、年齢もなかなかによい歳なのだから無茶だけはしないで欲しいという話。大叔父上の地位だけで言えば、北条が蔑ろになどするはずが無いのだ。数少ない一門であり、俺ですら頭が上がらぬ御方を送り込むのだからな。それだけ俺が北条に礼儀を尽くしたと伝わるはず。


「ではこの役目、大叔父上にお願いいたします」

「任せよ。婚姻同盟も視野に一色は北条と手を結んでいく方向で考えていると伝えれば良いのであろう。しかし北条の獅子ともなればこの動きを間違いなく疑ってくるであろうな。如何する、右門殿」

「当事者が隠しているのですから、敢えて我らから話すことでもございません。それにまだ織田家が敵になるとも限りませんので」


 ただ織田家もこの動きを見ていることであろう。西を織田家に、東を一色家にと元々結んだ同盟である。北条家との婚姻同盟の意味を織田家の家臣らが気が付かぬはずがない。

 だが逆にこの行動が織田家の背中を押すことになるかもしれないわけだ。ただしその押された背がどこに向かうのかは、当事者ではない俺には分からぬこ話であるが。

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