それは確かに『出来損ない』だった

zoom

01.運命、或いは意地の悪い偶然



 とある男が一人の少女を救った。

 それはあり得る筈のない事だった。あってはならない事だった。

 運命、そう呼べば聞こえは良いかもしれないが、それは単に奇跡的な偶然が重なり合ったが故の事態だった。

 仮に神という存在がこの世の全てを決めているのだとすれば、この二人の出会いはあまりにも意地が悪い。

 男は"出来損ない"であり、少女は"未完成な完全"であったのだから。







 少女を揺らす馬車が止まった。少女に目的地は伝えられていなかったが、彼等の反応から鑑みるにそこは一日二日で辿り着けるような場所で無いことは予測出来た。

 馬車が動き出してから何れ程の時間が経過したか少女は識っている。一日と十四時間、そして二十六分と四秒。それだけの時間が経過した時、馬車は止まった。

 目的地に着くには早すぎる。少女は馬車の停止を訝しむ。

 馬や人を休ませる為の休息という線はかなり薄い。この馬車を護衛していた一行には魔術師が複数人いた事を少女は確認している。

 魔術は決して万能ではないが、様々な場面で活用できるのも事実。魔術によって体力を"前借り"すれば、馬であれ人であれ休息の必要はない。

 ならば何かアクシデントが発生し馬車が止まったのだろうか。そう考え始めたところで少女は漸く違和感を覚えた。


 音が無い。馬車を護衛していた一行は十三名。であるのに、馬車の外からは一切の物音、微かな吐息すら聞こえない。

 異常だ。外を確認するべきか。少女は足首に繋がれた枷を見て思案する。解錠は容易い。だが、想定したよりも事態が深刻で無かった場合、解錠が出来る事を知られてしまうのも危険だ。

 少女は飽くまでも囚われの身。神輿だ何だと騒がれたとて、都合の良い囚人程度にしか思われていないのだから。


「……"回帰する"」


 思案の末、少女は錠を解いた。彼女の言葉に合わせて時空が歪んだように、また錠の時間だけが狂ったように、不自然だが錠は一人でに解かれた。

 音を立てないように枷を外し、それを手に持つ。非力な少女でも金属の塊のような枷なら多少の武器にはなるかもしれない。少女は無意識の内に枷を強く握っていた。


 少女からは外が見えないように、馬車は完全に布で覆われている。馬車の中には光源が一つも無かったが、少女が暗闇を見渡すのに光は欠片も必要なかった。

 彼女の目は汎ゆる場所で機能したからだ。それを"彼等"は"完全の瞳"であると叫んでいたが、少女からすれば人の身から逸脱した存在のように思えて自分自身の事ながら気味が悪いとしか思えない。

 一時はその瞳を抉り出そうとも考えた少女だが、今はその瞳が役に立つ。暗闇の中、少女は馬車から出る事の出来る隙間を探し、見つけた。

 少女は小さく息を吐くと、その隙間から布を無理矢理に破き馬車の外へと飛び出した。空では日が傾き始め、やや暗く成り始めていた。



 外は悲惨な状態だった。吐息一つ聞こえないのはある意味当然だ。既に馬車を護衛していた彼等は一人として息をしていなかったのだから。

 整備された街道上ではあるようだが、地面に敷き詰められた石材レンガのタイルが赤黒く染まっている。少女は何秒間かそれをじっと眺めて、漸くそれが人の血液であると理解出来た。

 周りを見れば身体中に得体のしれない傷がついた幾つも転がっている。切り傷のようではあるが、どうにも刃物で付けられた傷のようには思えない。超常的で、残酷さと同時に神聖さを帯びているような、そんな得体のしれない傷である。

 馬車を引いていた筈の馬はいつの間にか姿を消していた。この場所に使われていたのは未知の出来事に対して滅多に怯える事の無い筈の軍用馬だった筈だ。辺りを見ても馬の死体はない。何処へ消えたのだろうか。


「……生き残りがいたのか」


 少女が馬を探そうと移動を始めた時、その動きに反応したかのように背後から声が聞こえた。

 それは低く掠れた男性の声。威圧感がある訳では無いが、何処か氷のような冷たさと刃物のような鋭さを持った声。

 少女は声のする方へと振り返ろうとするが、身体が思うように動かない。少女が自らの手を見るとその手は小刻みに震えていた。そうして漸く、彼女は自身が怯えている事に気付いた。


「か、"回帰する"」


 震える唇が言葉を紡ぐ。少女が完全たる所以である"回帰"の力は怯えの中でも正常に、或は異常に作用した。

 怯えを何処かへと消し去った彼女は声のした後ろへと振り返る。


 そこには影を纏った男がいた。

 正確には影に似た黒い靄を纏った男だ。全身が靄に覆われていて、存在そのものが何処かはっきりとしない。それでも少女がそれを人であり、また男であると認識出来たのは彼女の特別な瞳のお陰だろう。

 男の手には細身の直剣が握られている。その剣もまた靄に隠されている為、剣身が血濡れているかは判別がつかない。だが、馬車の護衛に傷をつけた得物では無いと少女は直感的に判断がついた。あの傷にはより儀式的な力を感じていた。


「……一人だけか」


 影の男は小さく呟くと剣先を少女に向けて構える。彼の声色は酷く静かで、けれど無機質ではない。その声は悲しげにも怒っているようにも聞こえた。

 武器を持った男に虚弱な少女では勝てない。況してや武術の経験など欠片もない少女が、護衛を全員殺したであろう男に勝てる筈もない。

 少女は諦めて両手を上げ、無抵抗の意思表示をした。


 それでも影の男が切先を下げる事は無い。

 男の顔は靄に覆われ表情が読めない。このまま無抵抗な少女を斬り殺すつもりなのだろうか。何も分からない。

 "回帰"を行えば現状を打破する事は出来るだろう。だが、少女はその力を自分以外の誰かに使うつもりは無かった。

 それは神秘の冒涜であり、"回帰"という名の只の都合の良い現実改変でしかない事を彼女は知っていたから。


 だから少女は最期を思って小さく笑った。要は全てを諦めるつもりになったのだ。

 自分の望みでは無かったとは言え、あるべき現実を幾度も"回帰”し冒涜した報いが訪れたのかもしれない。

 薬の影響で感情が麻痺してから暫く経っていたが、それでも少女は出来る限りの笑みを浮かべた。

 そして、彼女は言う。それは完全が未だに未完成である証明。完全たる少女ではなく、只一人の少女がそこにいるという、ちっぽけな存在証明。


「ありがとうございます」


 少女は剣を構える男に心からの礼をした。




 この一人の少女の礼こそが、意地の悪い偶然だった。

 

 

 

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