第4話 履歴とログを組み合わせ、真犯人の足跡を追え!

 近ごろ専門部署として独立したばかりの情報システム課に所属する、才原衛さいばらまもるくん――彼は大学院を修了後しばらくIT系の企業に勤め、三年前に我が社に専門職採用で転職してきたらしい。私より二つ年上だけど社歴では後輩にあたるから、たまに挨拶を交わすときはいつも敬語だ。


 少々オタクっぽい長い前髪と眼鏡の奥はよく見えないけれど、立っている時も私を見下ろせるほど高い背丈は、日本人にはごく珍しいほどだろう。ラグビーをやっていたという長身の刈間本部長より十センチほど高く、百九十を軽く超えているだろうか。だが筋肉質な本部長と比べると、スーツの下は細身であるようだ。


 彼とは特に親しくないが、毎日通勤で同じ路線を使っている。いつも人混みから頭が一つだけ飛び出ているから、私は一方的に彼のことをよく知っていた。そして少し身をかがめて窮屈そうに電車のドアをくぐる姿に、マキシスカートが全然マキシにならない私は、密かに親近感を抱いていたのだ。


 そんな相手に、一体何を言われるのだろう――私が戦々恐々としていると、彼はその体格から予想される通りの低音で言った。


「システムに登録したはずの出金伝票が消えたらしいと伺ったのですが」


 そういえば情報システム課の所属、つまり社内SEである彼も、この同じフロアで働いている。きっとカップテストの空気が吹き飛ぶような今朝の騒動が、聞こえてしまっていたのだろう。


「ごめんなさい、その件はたぶん私のミスで――」


 あまりの恥ずかしさに、少しだけ頬が熱くなる。だがそこに、的場課長が口を挟んだ。


「そうそう、ただのミスでお騒がせして悪かったね。システムのエラーじゃないから安心してよ」


「なぜエラーではないと?」


「そりゃあ、ミスだと考える方が自然だろ」


 的場課長は面倒くさそうに言ったが、才原くんは再びこちらに目を向けた。


「静山さんは、どう思われますか?」


「私は……正直に言うと、削除した覚えがないんです」


 私がつい情けない声を出すと、的場課長は声を荒らげる。


「静山っ、お前こりずにシステムにミスをなすりつけようと!」


「そんなつもりはありません!」


 言い合いが熱くなりそうなところで、対照的な冷たい声が遮った。


「エラーだろうと、ミスだろうと、システムが意図しない動作をしたのなら原因を調査すべきです」


「いや、そこまでしなくても……!」


「それが我々システム課の業務ですから大丈夫です。何か不都合でもありますか?」


「い、いや……」


 なぜか嫌そうな的場課長に断りを入れてから、才原くんは私を促して課ごとに島が作られたデスクの間を、さっさと歩き始めた。経理課の島まで来ると、端にちょこんと座っていた若い男性に声をかける。


「藤津システムさん、ちょっとデータベースを見ていただきたいのですが、今お時間よろしいでしょうか」


「はい、大丈夫です」


 社名で呼ばれた男性は、ニコニコしながらぽっちゃりとした頬をこちらに向けた。彼は社外のシステム制作会社システムインテグレータから、ちょうど定期保守に来ていたSEなのだという。


 昨年のシステム改定から、経理の不正防止や社員の給与データのプライバシーを保護するため、社内の人間はデータベースに直接アクセスできないようにしたらしい。そのため常に社外のSEを通してデータを出してもらう仕組みになっているのだ……と言われても、見えない部分の話はあまりピンとこないのだけれど。


「静山さん、消えた出金伝票のベースにした仕入伝票の番号は分かりますか?」


「はい!」


 私がプリントアウトしておいた紙を手渡すと、藤津システムのSEさんは、その丸っこい指から想像できない高速で流れるように文字を打ち込み始めた。SELECTナントカという長い英文が画面上に書かれたかと思うと、次の瞬間、エクセルのようなマス目の表が現れる。その一つ一つには、ぎっしりと文字や数字が詰まっていた。


「静山さん、見てください。これが仰っていた、以前作ったはずの出金伝票ではありませんか?」


「は、はい、これです!」


 伝票番号は忘れてしまったが、そのマス目に入っている件名は、確かに例の出金伝票のものだろう。すると才原君は表の項目の一つを指さして言った。


「これは伝票データを作成するシステムを使った、作業の履歴を全て記録したデータです。このデータには画面から入力した内容だけでなく、新規や修正などの処理の種類や、作業をした日時とユーザーIDなどが記録されています。このうち最も作業日時の新しい記録レコードの処理の種類を見ると、『削除』になっていますね」


「そんな、やっぱり私がうっかりして……」


「いえ、そうとは限りません。この伝票、一度は管理職の承認待ちまで処理が進んでいるんですよ。しかし承認画面上から差戻しの操作を行い、起票画面に戻して削除しています。こんな複雑な動き、うっかりミスではありえません。そしてこの作業履歴には、この一連の操作を行ったユーザーのIDが残ります」


 藤津システムさんが、再び文字列を叩いた。するともう一つ別のウィンドウが開き、IDと名前が並んだ表が現れる。


「このID、的場課長ですよね」


「そんな……」


 ――まさか、やっぱり課長が仕組んだことだったから、調査を渋ったの!?


 興味津々で様子を見ていた経理課長が、すかさず的場課長を宣伝課の島から引っ張って来た。彼は状況を説明されたとたん、サッと顔を青ざめさせる。


「そんなバカな、私はそんなことしていません! この履歴とかいうの、本当に正しいデータなんですか!?」


 泡を食ったように問う的場課長に、経理課長がため息をついた。


「バカを言うな。受け入れ時に散々テストしたに決まってるだろう」


「でも本当に違うんだ! 私じゃないんです!」


 的場課長は今にも泣き出しそうな顔で、年配の経理課長に縋りついた。


「でもなぁ。IDに出てるからなぁ……」


「きっとパソコンをハッカーに乗っ取られたんだ! そうだ、操作をした日はいつになっていますか!?」


「先週金曜の二十二時ですね」


 才原くんが答えると、的場課長は水を得た魚のように言った。


「その時刻なら、私は退社した後です! やっぱり、ハッカーのしわざだったんだ!」


「でもハッカーが、わざわざ伝票一枚消して何のメリットがあるんだ?」


「とはいえ、それが本当なら一大事ですね」


 いつの間にか同じフロアの総務課長も立ち上がり、不安そうにこちらを見ている。才原くんは総務課の方へ向かうと、課長に声をかけた。


「すぐにADサーバーのアクセス記録ログを確認させてください」


「あ、ああ、許可しよう」


「ADサーバーって、なんなんだ?」


 経理課長が問うと、総務課の共有PCに向かっていた才原くんは、黒いウィンドウに謎の英文を打ち込みながら滑らかに答えた。


「ADサーバーというのは、簡単に言えば『各種の社内システムにアクセスするためのアカウントを一括で管理する仕組み』のようなものです。だから社内ネットワーク下にあるPCにログインしたり、各種のシステムにログインしたりすると、そのたびに問い合わせの履歴が残るんですよ」


 ログを切り出したのだというテキストファイルを開いて文字列を検索すると、顔を上げる。


「経理システムの方に残っていた的場課長のIDによるログイン記録と、ADサーバーに残っていた経理システムからのアカウント情報の問い合わせ記録に、日付時刻の秒数まで一致しているデータがありました。ADサーバー側のログに記録されていたPCのアドレスは、宣伝課の河合さんに貸与されているものですね」


「んなっ、河合だと!?」


 ざわめきが広がると、すぐに河合さんが駆け寄って来た。


「ちっ、違います! その夜は的場課長に言われて、私のPCを貸したんです!」


「何を言ってるんだ! 俺は退勤してたって言ってるだろ!?」


「では、警備室に確認してみましょう」


 才原くんは冷静に言うと、内線の受話器を上げた。


「お疲れさまです、システム課の才原です。社員証の入退室記録を確認して欲しいのですが……」


 しばらくやりとりした様子では、どうやら本当に的場課長は金曜の夜は二十時に退勤済みだったらしい。


「ほら、言った通りじゃないか! 河合、お前よくも俺に罪を着せようとしたな!?」


「でもそのログ、私のPCが使われたっていうだけで、私が操作したっていう証拠はないんですよね!?」


 どうやら河合さんは、焦りを隠せない的場課長とは対照的に、すっかり開き直ってしまったらしい。


「だが他にいないだろう!」


 そう怒り顔で口を挟んだ経理課長にも、ふてぶてしい表情で答えた。


「だからぁ、ハッカーがやったんじゃないですかぁ? そもそもハッカーでもなんでもない私に、的場課長のパスワードなんて分かるはずないじゃないですか」


 確かに、経理システムのログインIDは社内メールアドレスだから誰でも推測できるけど、パスワードは経理システム専用に複雑なものを設定している。しかも毎月強制的に更新させられるので、面倒だと的場課長は常々愚痴を言っていた……のだが。


「的場課長、確か以前『パスワードを忘れないように良い方法を思いついた。いつものパスワードの末尾に更新した年月の数字を付けたら、チェックを抜けられる』って、私と河合さんの前で得意げに話していましたよね……?」


 私がそう発言したとたん、辺りにざわめきが広がった。赤を通り越した青い顔で、経理課長は的場課長に詰め寄った。


「お前、パスワードを部下に漏らす奴があるか!」


「えっでも、末尾のこと以外は話していませんよ?」


「経理システムが変わってすぐのころ、IDとパスワードをパソコンに付箋で貼っていて注意されてませんでしたっけ……?」


 私が呆れ顔で言うと、的場課長は苦々しい顔をして言った。


「盗み見たのか!?」


「盗みって……むしろ見せびらかしていたじゃないですか。付箋を撤去したときに、てっきり大きく変更したんだとばかり思っていたのに」


 私がため息をつくと、河合さんが勝ち誇ったように言った。


「でもそれ、的場課長のパスワードを静山さんも知っていたってことですよね!? ほらぁ、静山さんが犯人だったんですよ。私と的場課長を陥れようとしたんだ!」


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