第5話

 イグナーツの問いに答えることは、ほとんど彼に好意を伝えるようなものだ。加えて、悩んでばかりで行動できない情けなさも相まって、ますます言いづらい。手のひらに広がる温かさに、疑心はない。不安は消えたが、しかし恥ずかしさまでもなくなったわけではなかった。

 エッダが黙っていると、イグナーツの顔つきが真面目になる。エッダの手を握る彼の手に力がこもる。


「エッダ」


 切実な、祈るような呼びかけだ。

 そんな風に呼びかけるだなんて、イグナーツはずるい。エッダは膝の上に置いた左手を握りしめると、おもむろに口を開いた。


「私、貴方の好意に上手く返事ができてないから……。ええと、だからその、そういうの貴方のように言えなくて、だから不満なんじゃないかと、その……」


 くすりと笑い声が聞こえた。イグナーツの手から、少し力が抜ける。

 エッダがイグナーツをうかがい見ると、柔和な鳶色とびいろの瞳とぶつかった。とても、優しいまなざしだ。


「何言ってるの。エッダは俺にたくさん気持ちをくれているじゃない」

「どこが?」

「毎日食事の用意をしてくれたり、俺のシャツを仕立ててくれたり、いつも美味しいお茶を淹れてくれたり。それから、昨日は俺の好きな香りのハーブをお風呂に入れてくれたじゃない」

「……それは、夫婦なら当たり前のことじゃないの?」

「そう? 頭、毎日あんな風に優しくなでるのも?」


 すっかり知られてしまった秘密を持ち出されて、エッダは黙りこくった。頬が熱を帯びて、熱くなってくる。

 けれど、エッダはイグナーツの言葉に納得できなかった。そんな彼の言い分に、甘えてはいけないとすら思った。

 イグナーツがエッダの指先に唇を寄せる。


「俺、王都にいた時とは比べものにならないくらい幸せだよ。エッダに想いを受け止めてもらえて、それでこうして共にいられるんだもの」


 指先に吐息がかかり、じんわりと甘い痺れが広がる。

 エッダの胸が締めつけられる。彼の言葉に甘えたくなってしまう。甘えたくなるけれど、それでは何も変わらない。朝から渦巻いている悩みも、晴れないままだ。

 エッダは目を伏せた。結局、ぐるぐると考えてばかりでどうしようもない。さっさと一言「好き」と言えばいいのに、何故か言えない。自分でもわけが分からないくらい恥ずかしいのは何故なのだろう。イグナーツの気持ちに疑いの余地はなく、恐れる必要だってない。彼はたくさん好きだと告げてくれる。それなのに、エッダは一言も返さない。そんなのは、いけないのに。


 その時、せわしない小鳥の鳴き声がした。声が聞こえた方を見れば、コマドリが数羽、イヌバラの茂みの間を飛び交っていた。


「早く俺たちのぶんを取っとかないと、全部食べられちゃうね。俺、ローズヒップジャム楽しみにしてるのに」


 笑い混じりにそう言うと、イグナーツはそっとエッダの手を両手で包み込んだ。


「そろそろ休憩終わりにしようか。ローズヒップ摘むの、終わってないんでしょう? 手伝うよ」


 イグナーツの声音は安心させるかのように穏やかで、しっかりしていた。


「……そうね」


 エッダは頷いた。確かにイグナーツの言うとおりだった。悩みはつきないが、今はまだ仕事の途中だ。早く終わらせなければ、昼になってしまう。

 イグナーツはふっと息を吐くと、エッダの手を離した。


「カップ、片付けるね」


 イグナーツは残りのお茶を飲みほすと、銀盆トレイにてきぱきとティーセットをまとめて立ち上がった。エッダも残っていたお茶を飲み、イグナーツにカップを差し出す。その瞬間、ふいにイグナーツと目があった。

 彼が柔らかく微笑む。日差しを受けて輝く、とても美しい笑みだった。

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