第5話

 イグナーツはいつも突然やって来る。時には事前に連絡をくれることもあったが、大概、散歩のついでに、といった気軽さで唐突に現れる。

 騎士の中でも高位の、国王直属の騎士である彼は、普段は王都にいるはずだ。王都からエッダの屋敷までは相当距離がある。だが、長々と旅をして来た様子はなく、イグナーツは常に身軽な格好だった。


 突然の訪問にはすでに慣れたエッダだったが、しかし今回に関してはとんでもない時期に来てくれた、とつくづく思う。

 明後日、魔王討伐隊の一員として王都を出立するイグナーツ。そんな重大な任務の直前にやって来るなんて、一体なんのつもりだろうか。


「エッダの淹れるお茶はやっぱり美味しいなぁ」


 そう言ってイグナーツはティーカップに口をつけ、幸せそうに目を細める。応接間のソファーに腰掛けて、すっかりくつろいだ様子の彼に緊張感はまるでない。

 こんな風にお茶を味わっている場合ではなかろうに、と思いつつも、エッダはティーポットへと手を伸ばす。

 イグナーツはなかなかティーカップを離さず、お茶を飲み続けている。そろそろ、空になる頃だろう。


 イグナーツがテーブルにカップを置いた。案の定、中は空っぽだった。

 エッダがカップにお茶を注ぐと、イグナーツは「ありがとう」と笑みを深める。そして、またティーカップを傾けた。

 さすがというべきか、所作は美しい。素朴な陶器のカップが高級品に見えてくる。だが、表情はらしくない。その笑顔、まったくしまりがない。

 エッダはつい、イグナーツを凝視してしまう。いくら目をこらしても、やはりそこに明星の騎士の影はなかった。明星とは上手く言ったものだと思うが。


「なあに、エッダ。そんなに見つめて」


 イグナーツが見つめ返してくる。エッダは慌てて目をそらした。


「やっぱり、貴方が明星の騎士と呼ばれているだなんて、嘘みたいだから」


 最早これはエッダの決まり文句である。イグナーツが来るたびに、言っている気がする。


「別に俺自身で言い出した訳じゃあないからね。本当に勝手な人間ばっかりだよ」


 イグナーツが言う。彼の答えもお約束だった。

 この台詞を言う時、イグナーツにはわずかばかり嫌悪がにじむ。口調が少し鋭いのだ。

 エッダはちらりとイグナーツを見た。表情からは、不快感は読み取れない。けれど、どこかとげとげしい。エッダまで、少し緊張してしまう。


 イグナーツが一口お茶を飲む。すると、鋭さが一瞬で和らいだ。エッダの緊張も解ける。

 しかし、安堵したのも束の間、イグナーツはカップをテーブルに置くと、がばりと身を乗り出してきた。思わず、エッダは身構えた。


「ねぇねぇ、ツバメのヒナはちゃんと巣立った?」


 不意を突く笑顔と質問に、エッダは面食らった。


「ねぇ、どうだったの? ツバメ、今年もやって来たんでしょう?」


 再度イグナーツが聞いてくる。エッダはぎこちなく頷いた。


「え、ええ。去年の巣で子育てをして、どの子も無事に巣立ったわ……」

「そっか、良かった」


 呟きながら、イグナーツは体を引いた。と思いきや、「あ」と声を上げて再び前のめりに聞いてくる。


「カイツブリのヒナは? 今年は手紙に書いてなかったけれど、いた?」

 

 エッダは、先日屋敷から少し離れた湖まで散歩に行った時のことを思い返した。

 湖には数羽のカイツブリの姿があった。カイツブリの繁殖期は春から秋にかけて。渡り鳥のツバメよりも長い。ヒナや幼鳥がいるのではないかとしばらく観察していたら、エッダは見つけた。親子のカイツブリを。水上をすいすい進む親鳥の背中から覗く、ヒナたちの頭。なんとも、愛らしい光景だった。


「湖で見たわ。親子で泳いでいるのもいたわね。今年の子も可愛かったわよ」


 言いながら、エッダは頬が緩むのを感じた。

 イグナーツも柔らかく微笑む。

 

「来年は、エッダと一緒に見たいな。ツバメとカイツブリ」

「そんな……」


 答えかけてエッダははたと口をつぐんだ。

 そうだった、こんな暢気に話をしている場合ではなかった。

 エッダは姿勢を正すと、イグナーツに尋ねた。


「それはそれとして、どうして魔王討伐に行きたくないのかしら」


 イグナーツの顔から笑顔が消えた。加えて、エッダから視線を逸らし、口を引き結んだ。玄関で尋ねたときと同じく、答えたくないようだ。

 エッダは質問を重ねた。


「……私に関わることなのね?」


 やはりイグナーツは何も言わない。だが、一瞬顔をしかめたのをエッダは見逃さなかった。エッダは確信した。


「別に今更傷付かないわ。何があったの?」


 エッダは穏やかな口調で問いかける。しかし、イグナーツの口は重いままだ。

 エッダはひとつため息を吐くと、表情を引き締めた。


「私は魔王討伐が嫌になった理由を聞くために、家に上げたのだけれど」


 半分嘘の言葉だったが、エッダは語気を強めて言い切った。すると、イグナーツは眉尻を下げ、困ったような表情を浮かべた。

 エッダはじっとイグナーツを見つめながら、答えを待つ。

 やがて、イグナーツはおもむろに口を開いた。

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