輪廻の恋人は四度目の正直を叶えたい〜もう失敗したくないので子供からやり直します〜
雑食ハラミ
第1話 パン屋の娘アンゼリカ
国土は疲弊し、大勢の民が死んだ。私たちのせいで。
未来ある若者の命が奪われ、咲くはずだった花も蕾のうちに摘み取られた。全部、全部、私たちのせい。
***
「いっけな〜い! 遅刻遅刻!」
仰向けの状態でぱっと目を開けたアンゼリカは、窓から差し込む日差しが強くなっているのを見て、寝過ごしたと気づいた。これじゃ学校に間に合わない! 慌ててベッドから飛び出し大急ぎで身だしなみを整える。
「も〜何で起こしてくれないの! 寝過ごしちゃったじゃないの!」
「パン屋の娘なんだからもっと早く起きなさい! あと女の子なんだから階段をドシドシ降りないの! いくつになってもガサツなままなんだから!」
パン屋の娘と言うだけでどうして早起きしなきゃならんのか。この母親はいつもどこか抜けたことを言う。15歳になったアンゼリカは、親のことを一歩引いて見る癖がついていた。他人からはこの親にしてこの子ありなどと言われるのが腑に落ちないが。
開いた窓から、パンが焼ける匂いがふわっと漂ってくる。隣の建物はパン工房で、開店ラッシュに間に合うように急ピッチでこしらえている最中だ。甘くてほんわかした香ばしい香り。アンゼリカはいつもこの瞬間幸せをかみしめる。細かいことを言えばキリがないが、おっちょこちょいだけど温和な両親、ふかふかでおいしいパン、仲のいい幼馴染。彼女をとりまく世界は優しさと温かさであふれている。
「このままだと間に合わないから食べながら行くね! 行ってきます!」
「こら! はしたないからやめなさい!」
アンゼリカは母ケイトの言葉を無視して、食卓にある焼きたてのパンを無造作につかむと口にくわえたまま家を飛び出した。育ちのいい淑女なら決して許されない行為も、平民のアンゼリカならへっちゃらだ。いや、へっちゃらと言うと語弊があるが、近所の人から「またパン屋のお転婆娘か」とお目こぼししてもらえる。
パン屋「ガーランド・ベーカリー」は商店街の一角にあり、学校へ行く時は朝市で賑わう商店街をすり抜けて行かなければならない。ごった返す買い物客をひょいひょい避けながら大股で歩く。
(それにしてもすごい夢だったなあ。まるで現実みたいだった)
アンゼリカは先を急ぎながら、寝坊の元となった昨晩の夢を思い返した。それは夢と呼ぶにはあまりにもリアルな手触りで、今でもまざまざと思い起こされる。隣国から攻めてきた王と我がローエンタリア王国の女騎士の、愛憎渦巻く波乱万丈の物語。激しい争いの末に二人は共に命を落とした。今でも少し思い出すだけで胸がギュッと締め付けられる。
(綺麗な女の人だったな。おまけに強いし。私なんか逆立ちしてもなれないや)
戦場でもさらさらと流れる豊かなシルバーブロンドに宝石のような水色の目。褐色の髪と目を持っザ・平凡なアンゼリカと比べることすらおこがましい。
だが、美しい女騎士が朗らかに笑うことは一度もなく、切れ長の水色の目がずっと悲しげに伏せられていたのが印象的だった。と言うのも、隣国の国王が攻めてきた理由は、女騎士を手に入れるためだったからだ。彼女は国土と人民を守るために最前線で戦い続けた。身勝手で一方的な求愛に女騎士が責任を感じる必要はないのに、その姿は凛々しくも痛々しかった。
(国王がヤバすぎなのよ。王様のくせに自分とこの国民も危険に晒すなんてあり得ない。女騎士も変な奴に目をつけられたものだわ)
パンをむしゃむしゃ食べながら、隣国の国王の暴れっぷりを思い出しげっそりする。見た目はカッコいいけど愛が重すぎる男はナシナシ。束縛が強いタイプは絶対にやめとこう。あんな訳ありこっちからお断りよ。
それにしても、女騎士の姿はどこかで見覚えがある。数ヶ月後にやってくる戦勝祭のシンボルの女神に見た目が似ているのだ。お祭りは好きだが、賑やかな雰囲気と屋台グルメにしか興味がないので、戦勝祭の由来までは知らなかった。夢の内容とは……多分関係ないだろう。知らんけど。
そんなことを考えていたので、つい注意散漫になっていたのだろう。路地から飛び出してきた人物に気が付かず、激しく衝突してしまった。その弾みで、もう少しで食べ終わるはずだったパンを地面に落とし、勢いよく尻もちをついてしまう。いててててとお尻をさすりながら相手を見やるとまだ子供ではないか。歳のころは12、13歳くらいだろうか。煙突掃除でもしたかのように至るところに黒い煤をつけ、ボロを着た少年が同様に地面に倒れていた。
「どうしたの? 君大丈夫?」
咄嗟に少年に駆け寄ると、少年はがばっと起き上がり、アンゼリカの両腕をつかんで叫んだ。
「変な奴に追われてるの! お願い、助けて!」
突拍子もないことを言われアンゼリカはその場に固まった。
「どうして追われているの? 万引きでもしたの?」
「してない! 何もしてない、逃げてるだけ! 信じて!」
訳が分からず絶句するしかない。どうして大人の男性でなく自分に助けを請うの? こんな子供を追いかけるってどうゆうこと? 頭の中がクエスチョンだらけになったが、その時、「いたぞ! こっちだ!」という声が聞こえて我に返った。
追っ手に見つかったのだろう。必死の形相ですがり付く少年を見捨てるわけにはいかない。アンゼリカは少年を立ち上がらせて手首を掴むと、脱兎のごとく人混みの中へ駆け出した。
人の波に遠慮なく突っ込んだので容赦なくぶつかったが、子供と大人の体格差のハンデも、混雑した場所で逃げる場合には逆転する。こういう人混みは、体が小さい方が移動しやすいと咄嗟に判断したのだ。行く先は自分の家、パン屋を目指して一目散に走る。
今さっき出たばかりのアンゼリカが見知らぬ少年を伴って戻ってきたのを見て、ケイトはびっくりして大きな声を出した。
「アンゼリカ、学校に行ったんじゃ……その子どうしたの!?」
「悪い奴らに追いかけられているんだって。お願い、匿ってあげて!」
それを聞いたケイトは一気に顔が青ざめた。この子何を言ってるの!? 開いた口が塞がらないながらも、状況を把握しようと恐る恐る少年に尋ねる。
「あなた名前は? どこに住んでいるの?」
「うちはない。名前は……ロレンス」
「どうして追いかけられたの? こう言っちゃ何だけど、あなたのような子の場合、お店のものを盗んで捕まることが多いんだけど?」
「ちょっと、お母さん! 今の言い方はひどいよ!」
「ごめんね、きつい言い方になっちゃって。でも、うちも店をしているから窃盗には厳しいのよ。いくら子供でも悪いことをしたら罪になるのよ。こういうのは最後まで隠し通せないことが多いから、正直に答えて」
ケイトは、静かな口調ながらも少年に厳しい眼差しを向けた。いつもはおっとりしておっちょこちょいな母なのにまるで別人みたい――。普段と違う母の様子に、アンゼリカは息を飲むしかなかった。
「理由は……何日か前に家族と喧嘩して家出したんです。ごめんなさい、これ以上は言えません。でも悪いことはしてません、信じてください!」
「なら、どうして追いかけられているの?」
「多分、僕を連れ戻しに来たんじゃないかと……。でも戻りたくないんです! お願いです、少しの間でいいからここに置いてください! しばらくしたら出ていくので!」
「そうだよ、お母さん! こんな小さな子を放り出したら可哀想だよ! しばらくうちに置いてやろうよ!」
アンゼリカは、無性にこのロレンスという少年を庇いたくなった。理由は自分でもよく分からないが、何だか放っておけない気持ちが強かった。いや、どちらかと言うと本能的な衝動に近いかもしれない。
「捨て犬を拾ってきたのとは訳が違うのよ! 面倒くさい揉め事に巻き込まれたらどうするの?」
「三ヶ月! 三ヶ月だけ置いてください。それが終わったら出ていくので!」
「ほら、ここまで頭を下げてるんだよ? 何かのっぴきならない事情があるんだよ! ほとぼり冷めるまでいてもらおうよ!」
母はいつまでも複雑な顔をしていたが、しばらくして大きなため息をついた。
「分かった。それじゃお父さんにも聞いてくるからちょっと待ってなさい」
そう言って、家を出て隣のパン工房に向かう。そして、父のダンを連れて戻ってきた。働いている最中にに呼び出されたダンは一体何事かと目を白黒させていたが、真っ黒な煤に覆われたロレンスを見てさらに目を丸くした。
「事情はケイトから聞いたけど……君どこから来たの?」
「……実家は王都のどこかにあります。でも喧嘩して出てきたんです……」
「何を聞いてもこれしか言わないのよ。何か変よ?」
「さっきからお母さんはひどいよ! どうしてロレンスのことをいじめるの?」
「別にいじめてなんかいない。でも信用して欲しいならきちんと説明して欲しいだけ。お父さんが置くと決めたら素直に従うわよ」
ダンはケイトとアンゼリカの口論を黙って聞いていたが、ロレンスをまじまじ見てから質問を続けた。
「君、家族とうまく行ってないの? 虐待されたとか?」
ロレンスは硬い表情で地面に視線を固定したまま小さい声で言った。
「虐待とは少し違うけど……うまく行ってないのはその通りです」
ダンは顎をさすりながらしばらく思案顔をしていたが、大きく息を吐いてから再び口を開いた。
「分かった。しばらくうちに置いてやろう。他に行くあてもないみたいだし」
「ちょっとあなた!」
「パパの意見に従うって言ったでしょ!」
アンゼリカに突っ込まれて、ケイトはうっと言葉に詰まる。ダンは鷹揚な調子でロレンスに向かって言った。
「俺も家族との折り合いが悪くて、何度も家出しようと思ったから気持ちは分かるんだ。こんな子供じゃ危ない目に遭うかもしれないし、一人くらいうちに置いても何とかなるだろう」
そう言って仕事場へと戻って行った。やったー! とアンゼリカが勝利の凱歌をあげる横で、ケイトががっくりと肩を落とす。
「やれやれ、そうと決まったなら、私もこれ以上は何も言わないわ。今からお湯を沸かすから体をきれいにしましょう。アンゼリカのお下がりがあったはずよね? それを着せましょう」
こうして、ロレンスはアンゼリカの家に居候することとなった。家の中にいた彼らは知る由もない。建物の影からパン屋をじっと見つめる人影を。
「パン屋に逃げ込んだようです。どうしますか?」
「まあいい。しばらく様子を見よう。動くことがあれば報告するように。監視は怠るな」
仕立てのいい服に身を包んだ高貴な人物は、刺すような視線をパン屋に向けたままそう言った。
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