クビキちゃんは転生したい
土井タイラ
暁ヨアケ(あかつき よあけ)編
第1話 転生のためなら死ねる
「ねえ、
おはようの挨拶もなしに、クビキちゃんはそう言った。地下鉄のホームで電車を待つ僕に、こうして後ろから話しかけてくるのは毎朝のことだ。
「しののめって何だっけ」
だから僕もおはようを言わずに前を向いたまま返事する。
横に並んできたクビキちゃんが、僕の視界の隅に入った。ぺちゃんこの黒いバックパックを背負ったツインテールの小柄な女の子。この子のフルネームは
「もう忘れちゃったの!? 『転生のためなら死ねる』だよ!」
クビキちゃんは心底驚いたような顔で僕を見上げている。
電車が入線してきて、そこでいったん会話が途切れた。風圧でクビキちゃんの長いツインテールが乱れる。車両が停止して風がおさまると、彼女の髪は何事もなかったかのようにストンとまとまった。羨ましい髪質だ。
ガラガラの車両に乗り込み、ロングシートのドア横の席に二人並んで座る。クビキちゃんが端っこで、僕がその左隣り。これが定位置で、高校のある六駅先まで揺られていく。
「ほら、これ見て」
クビキちゃんは僕に体を寄せてスマートフォンを見せてきた。
画面に映し出されているのは、病み系女子の動画だった。両手の人差し指でくるくる円を描いている。かわいい。
クビキちゃんが僕の右耳に押し込んだイヤホンから、テクノポップなBGMと「転生のためなら死ねる」というウィスパーボイスがエンドレスで流れ込んできた。
「ああー、昔流行ったやつ」
「転生のためなら死ねる」は短尺動画サイト・ビットワルツ発のネットミームだ。三年前に流行った。
クビキちゃんの見せてきた動画がそれで、SHINONOMEは
「よく見て。暁先輩に似てるでしょ」
「これだけじゃわかんないよ。だいたい暁先輩、こんなに化粧濃くないでしょ」
「きっとわざとメイク変えてるんだよ! SHINONOMEだってバレないように!」
えらく断定的な口調でクビキちゃんは主張する。
「そんなに興奮しなくても……」
「興奮するよ! だってSHINONOMEって転生者だよ! こんな近くに転生者がいたなんて!」
「転生系ワルツァーってみんな自称だろ」
「SHINONOMEは本物だったよお」
不服そうに頬を膨らませて拗ねたクビキちゃんは、僕の耳からイヤホンを抜き取り、自分の耳に挿し直した。
電車が次の駅に到着すると、車内が混雑し始めた。この駅では、地上の路線から乗り換えてくる乗客が多い。
僕らと同じ高校の生徒も何人か乗ってきた。無地の白シャツに紺色のボトムスというシンプルな制服だが、男女ともネクタイが独特なので、すぐにうちの高校だと見分けがつく。
そのうちの一人が
「ほら、やっぱり似てるでしょ」
クビキちゃんはひそひそ声で主張を繰り返す。
たった今、目の前を通った暁ヨアケは顔を隠すようなボブヘアで、垣間見える目鼻立ちはナチュラルだ。スカートからのびる脚は細く引き締まっている。大きなヘッドフォンを首にかけ、制服の上に羽織っているのはオーバーサイズのスタジャンだ。
対するSHINONOMEの動画は、顔面がゴリゴリに加工されていて(特に目)、バストアップばかりだったので全身の様子は見えなかった。ファッションはガーリーだった。
「僕にはさっぱりわからない。どこらへんがSHINONOMEだと思ったの?」
「耳の形と歯並びと指のホクロ。四月からずっと似てると思って目をつけてたんだけど、昨日ついに指のホクロを発見して確信したよね」
「クビキちゃんは特定班なのかな?」
言われてみると、普段の暁ヨアケは髪で耳を覆っていて、あまり口を開かないし、萌え袖で手を隠している。クビキちゃんは暁ヨアケと同じバドミントン部なので、そこらへんが見える機会もあるのだろう。
そういえばSHINONOMEって最近見かけないな。どうしたんだっけ。
僕は自分のスマホを取り出し、検索窓に「SHINONOME」と打ち込む。
検索エンジンが表示してきたサジェストはこんな感じ。
SHINONOME 現在
SHINONOME 引退
SHINONOME 引退 理由
SHINONOME 死亡
これらのワードから、僕はこのワルツァーが活躍していた当時のことを思い出すことができたのだった。
ちらりと横目でクビキちゃんの様子をうかがうと、彼女は自分のスマホに夢中だ。
では僕は、君に向かって話をしよう。
君だよ。今、僕たちを観察している君。
僕が記憶を整理するのに付き合ってくれたまえ。
* * *
「転生のためなら死ねる」が一夜にしてバズった後、SHINONOMEはビットワルツに数本の動画を立て続けに投稿した。どれも彼女の前世の記憶を語ったもので、すべての動画の内容をまとめると、「SHINONOMEはDの世界からの転生者であり、かつて転生のために自ら死んだ」ということだった。
え、Dの世界が何かって?
異世界だよ。
この地球の人類は、現在、九つの異世界を認識している。
その中で最初に発見されたのが、
Dの生物の死には次の生への連続性があり、命の終わりという概念がない。苦しみや悩みといった感情を持つ生物は、いつまでも続く命に倦む。
そこから抜け出す唯一の手段が異世界転生だ。
死の瞬間に、Dでの再生か、異世界転生かというガチャが起こるらしい。超絶低確率で発生する異世界転生に望みを託して爆死する、というわけ。
SHINONOMEはそのガチャに大勝利した転生者だそうだ。
「転生のためなら死ねる」は、勝手制作の多言語翻訳バージョンによって瞬く間に地球上を席巻し、その結果何が起こったかというと、影響された若者の自殺が社会問題化した。
そしてSHINONOMEはアカウント閉鎖。インターネットから姿を消す。
登場から引退まで一ヶ月たらずの出来事だった。
* * *
「レイジ! レイジ!」
クビキちゃんが僕の名を呼びながら袖をひっぱっている。
「何ぼーっとしてるの、降りるよ」
気付けば高校前の駅に到着していた。クビキちゃんはもう席を立っている。僕は急かされて地下鉄から降車する。降りる時に暁ヨアケの視線を感じたが、人の流れに押されて見失ってしまった。
階段を上って地上に出ると、太陽の光と、それを反射した小さなきらめきの群れが目に飛び込んでくる。
きらめきを放っているのは、都立
僕らもそれに合流する。
一歩一歩に僕は今日も喜びを噛みしめる。
だって、
しかも今日はクビキちゃんが転生者情報をくれた。きっと楽しくなるぞ。
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